「ですから、私が願うのは、若いやもめは結婚し、子を産み、家庭を治め、反対者にそしる機会をいっさい与えないことです。」(Ⅰテモテ5:14新改訳)
初代教会はすでに、生活手段を持たないやもめを経済的に支えることを義務としていた。現在のわが国には公的年金制度があるが、当時は教会が主の「互いに相愛せよ」という教えをいち早く実践していたのである。▼パウロはそれを認めつつも、やもめはなるべく再婚するか、それぞれ家族の世話を受けることが望ましいという。というのは、そうすることが教会の経済的負担を少なくし、そのぶん、本当に困窮(こんきゅう)しているやもめを助けることができるからだと説明する。▼現在は女性でも就業(しゅうぎょう)の機会は多くあるが、当時は考えられないことであった。この点において教会がうるわしい助け合いの精神を実行していけば、世に対して大きな宣教のチャレンジになるであろう。使徒の最終的願いは、教会があらゆる機会をとらえ、キリストの愛がただの教えでなく、生きた信仰の実践(じっせん)であることを証ししていくことにあったのだから。▼「人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことが分かるでしょう。同じように遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したので、その行いによって義と認められたではありませんか。からだが霊を欠いては死んでいるのと同じように、信仰も行いを欠いては死んでいるのです。」(ヤコブ2:24~26同)