心の学校・佐藤康行の『真我の実践・サンタ営業の実践』日誌…『ひよこ』から『にわとり』への道

うつに苦しみ社会離脱した人間が真我(=本当の自分)に目覚め、サンタ営業実践の日々と開発者・佐藤康行の言霊を紹介します。

【第227回】うつ病と真理の出会い~なぜ私は、佐藤学長の復帰講演会で魂動したのかNo.26~

2018-08-11 07:48:53 | 日記

 私が、2004年4月の佐藤学長の復帰講演会での佐藤学長との出会いに、なぜ感動したのか、そのバックグランドにある私の過去について書いています。

私は、佐藤学長と出会う前に、心の病になり、何度も繰り返しました。

その時に、初めて真理との出会いがあり、心の病に対して、真理からのアプローチで対峙してきました。

私が、心の病に、どのように対峙して、回復への道をたどったのか、

その後の佐藤康行学長との初めての出会いに、なぜ感動したのか、魂動したのか、少しでもご参考になれば嬉しいです。

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前回から続きます。

三度、私に訪れた心の病。

四国のヨガの先生の門を再び叩き、ご自宅に泊まり込み指導を受け、休職して一ヶ月半後に、私は職場復帰したのです。

休職中に、転勤辞令が出ており、新しい部署に配属になっていました。

当時の事を、よく思い出せないのですが、

何と、わずか一週間で働けなくなってしまいました。

心が内にこもってしまい、誰とも会話ができないのです。

話しかけるのが怖く、話しかけられるのが怖いのです。

自ら、今は働くのは無理だと判断し、精神科に行き、『抑うつ状態、3ヶ月の休養を要す。』との診断書を医師に書いてもらい。

再度、会社を休職することになりました。

何もできませんでしたが、とにかく働くのは無理だという事だけは変な自信がありました。

今の自分自身の等身大の心の状態を客観的に見れるようにはなっていましたが、どうすることもできず、休職しました。

ヨガの先生に指導を仰ぐこともやめました。  

指導を仰いだところで、結局は自分次第だというのが、ヨガの先生に指導を仰いだ私の結論でした。

どんなに、真理の話を聞いたところで、その話を聞いている私の心が固まってしまい、何も心に入ってこないのです。

行動しようにも、心がピクリとも動かない状況では、行動もできませんでした。

何をすれば、心の病から回復できるのか全く見当がつきません。

ただ1日、朝起きて、食事して、夜寝るという生活が始まりました。

何もできませんでした。

このままの生活を続ける訳にもいかない。でも、どうしようもない。

時間だけが経っていきます。

もう社会復帰できないのではないか、生きていけないのではないかと、どんどん不安が増していきます。

何かしなければと思いました。

催眠療法や、内観法、モーツァルト音楽療法等の書籍に触れ、潜在意識レベルからの治療ができると書いてあったので、

この3つの全ての療法を受けてみました。

かなり費用がかかりましたが、私には全く効果がありませんでした。

結局、職場の人間関係の中での自分の処し方がわからないので、職場でやっていけるという確信が得られず、不安が消えないのです。

不安が消えないので、前に進めない、動けないのです。

朝起き、自転車で街に出て、大きな本屋さんで精神世界の本を立ち読みしては、ラーメンを食べて帰る。

そんな毎日が続きました。気付いたら、休職してから半年以上経っていました。何も変わっていませんでした。

そんな、ある日、いつもの本屋の精神世界のコーナーで、ある書籍が目にとまりました。

それが、佐藤学長の書籍だったのです。

次回に続きます。

ありがとうございました。


【第226回】うつ病と真理の出会い~なぜ私は、佐藤学長の復帰講演会で魂動したのかNo.25~

2018-08-10 07:17:03 | 日記

 私が、2004年4月の佐藤学長の復帰講演会での佐藤学長との出会いに、なぜ感動したのか、そのバックグランドにある私の過去について書いています。

私は、佐藤学長と出会う前に、心の病になり、何度も繰り返しました。

その時に、初めて真理との出会いがあり、心の病に対して、真理からのアプローチで対峙してきました。

私が、心の病に、どのように対峙して、回復への道をたどったのか、

その後の佐藤康行学長との初めての出会いに、なぜ感動したのか、魂動したのか、少しでもご参考になれば嬉しいです。

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前回から続きます。

三度、私に訪れてしまった心の病。

周りは何も変わっていない。

気の合う職場の仲間に囲まれ、人間関係も全く問題が無い。

仕事も有能な部下の元で順調に進んでいる。

なのに、心が全く動かなくなりました。

人に話しかけられても、心が反応できず、表情が強ばったまま全く動かず、返事をするのも辛くなってきました。

周りの人に話しかけられたり、私宛に電話が掛かってくるのが恐怖になりました。

正常に仕事ができない状況になり、会社を休職することになったのです。

そして、私は再び、四国のヨガの先生のご自宅に一ヶ月泊まり込みました。

前回と同様に、一緒に生活を共にし、犬の散歩のお供をしたり、自宅周辺の草刈りをしたり、事務所を作るお手伝いをして、肉体労働に汗を流しながら、個人的な指導も受けました。

しかし、なぜか、ヨガの先生の真理の言葉が、全く心に入ってきませんでした。

心はまるで冷たい氷のように固まったままでした。

心が固まり、便が1ヶ月の間、全く出なくなってしまいました。

ヨガの先生曰く、『ぬか味噌に釘を刺しているみたいだ(笑)。』と言われました。

結局1ヶ月、ヨガの先生のご自宅で生活しても、固まった心はピクリとも動きませんでした。

私の判断で、ヨガの先生のご自宅を出る事にしました。

『現実逃避しても、ダメだ。職場に戻ろう。』と決めました。

そういう決心が、自分の心から出てきた事が、この一ヶ月の成果でした。

そして、休職して1ヶ月半後に職場復帰したのです。

しかし・・・・・・・時期尚早でした。

そして、その先の佐藤学長との出会いに続いていきます。

次回に続きます。

ありがとうございました。


【第225回】うつ病と真理の出会い~なぜ私は、佐藤学長の復帰講演会で魂動したのかNo.24~

2018-08-09 08:37:05 | 日記

私が、2004年4月の佐藤学長の復帰講演会での佐藤学長との出会いに、なぜ感動したのか、そのバックグランドにある私の過去について書いています。

私は、佐藤学長と出会う前に、心の病になり、何度も繰り返しました。

その時に、初めて真理との出会いがあり、心の病に対して、真理からのアプローチで対峙してきました。

私が、心の病に、どのように対峙して、回復への道をたどったのか、

その後の佐藤康行学長との初めての出会いに、なぜ感動したのか、魂動したのか、少しでもご参考になれば嬉しいです。

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前回から続きます。

2度の心の病から復活し、他社とのシステム統合という大規模なプロジェクトを、責任者として成功させる事ができました。

職場でも、私の存在を認めてくれるようになりました。

私は、再び自信を取り戻します。

ヨガの先生から真理&自然法則を学び、私なりに顕現できた事が喜びとなりました。

しかし、落とし穴が待ち構えていました。

知らず知らず、私は自信過剰になっていました。

真面目に仕事をしない私の上司を公然と批判し始めたり、笑い話のネタにするようになりました。

そこに、また大きなシステム開発案件が舞い込んできたのです。

大きなプロジェクトを責任者として成功はさせたものの、それは私の力ではなかった。

経験豊かな部下の皆様が、力を合わせてなし得た成果だったという事を忘れていました。

まだまだシステム開発の世界では初心者マークだった私は、

新しいシステム案件に対して、何をしたら良いか全く分かりませんでした。

今回は部下に頼らず、自分から何とかしようと思いましたが、何ともできませんでした。

私が、もたもたしている間に、私のチームのサブリーダーが、鮮やかに仕事を進めていきました。

その瞬間に、私の存在価値を見いだせなくなってしまいました。

そこから、心がピタッと動かなくなりました。

突然周りの人と話ができなくなりました。

呼吸が苦しくなり、職場に居れなくなりました。

ついに、私は三度心の病となり、会社に休職願いを出す事になってしまいました。

絶望の中、かすかな望みを探して、私はまた四国のヨガの先生の元に指導を仰ぐことにしました。

そして、その先の佐藤学長との出会いに続くのです。

次回に続きます。

ありがとうございました。


【第224回】うつ病と真理の出会い~なぜ私は、佐藤学長の復帰講演会で魂動したのかNo.23~

2018-08-08 07:23:04 | 日記

 私が、2004年4月の佐藤学長の復帰講演会での佐藤学長との出会いに、なぜ感動したのか、そのバックグランドにある私の過去について書いています。

私は、佐藤学長と出会う前に、心の病になり、何度も繰り返しました。

その時に、初めて真理との出会いがあり、心の病に対して、真理からのアプローチで対峙してきました。

私が、心の病に、どのように対峙して、回復への道をたどったのか、

その後の佐藤康行学長との初めての出会いに、なぜ感動したのか、魂動したのか、少しでもご参考になれば嬉しいです。

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前回から続きます。 

心の病が再発した職場を、わずか1年で離れる事になり、新しい部署に移動になった私でした。

今度は、システム開発部門に配属になりました。

前任の経理の仕事と同じく、経験と知識が物を言う仕事ですが、私には未経験の新しい仕事でした。

一から周りの方に教えて頂かないといけない。

前回は、鳴り物入り、自信満々での転勤でしたが、今回は真逆でした。

前任の職場で、全くうだつが上がらない状態での転勤でしたから、完全に自信喪失した状態でした。

しかも、私に与えられたのは、子会社のシステムエンジニアの方々を統括する立場。リーダーとして部下を持つ事になりました。

右も左も分からない私は、部下に教えて頂きながら仕事をするしかありませんでした。

今思うと、この時、自信を喪失した状態だったのがよかったかもしれません。

周りの方は、親切にシステム開発のイロハから教えてくれ、少しずつ仕事に慣れ、周りとも調和ができるようになりました。

そして、他社とのシステム統合をする大きなプロジェクトの、とある部門の責任者となり、

一年半以上の大プロジェクトを、全く大きなシステムトラブルなく成功させる事ができました。

大規模なシステム開発で、システムトラブルなく新システムの本番を迎えられた事が、高い評価になりました。

この時に生きたのが、以前心の病が再発した時に、四国のヨガの先生に指導を受けた心の処方箋でした。

私は、ひたすら部下を尊重し、部下の意見を聞き、部下が活躍できる方向に仕事を任せました。

そして、他社とのシステム統合のプロジェクトの際には、

お互いのセクショナリズムで対立したスタートから、

お互いがお互いを理解仕合い、調和した協力仕合う関係を構築し、

会社間を越えた一つのチームとして仲間として、

深い信頼関係をベースに他社の方とプロジェクトを進めていく事ができました。

佐藤学長の言葉を借りれば、部下の方に『満月』という前提で接し、部下が能力を大いに発揮してくれた事、

他社の方にも、『満月』という前提で接した結果、『みんな大好き、みんな味方』という良好な関係を構築できた事が、

この大規模なシステム開発プロジェクトの成功の要因だったと思います。

他の部門は、他社と対立したり、責任の押し付け合いをしている中、

私の担当部門だけは、異常に他社と仲が良い、仲良くやっていると、周りからは不思議な目で見られていました。

ヨガの先生の指導のお陰で、『他を益し、他を利する。』という『利他の精神』を実際に、現実の仕事の場で現す事ができたのです。

私は、再び、自信を取り戻しました。

『あ~、まだ私も仕事ができる。やれる。』そう思いました。

しかし、そう思い始めたその先に┅┅┅

また落とし穴が待っていたのです。

そして、長くなってしまいましたが、いよいよ(笑)、その先の佐藤学長との出会いに繋がっていくのです。

次回に続きます。

ありがとうございました。

 


【第223回】うつ病と真理の出会い~なぜ私は、佐藤学長の復帰講演会で魂動したのかNo.22~

2018-08-07 07:53:57 | 日記

 私が、2004年4月の佐藤学長の復帰講演会での佐藤学長との出会いに、なぜ感動したのか、そのバックグランドにある私の過去について書いています。

私は、佐藤学長と出会う前に、心の病になり、何度も繰り返しました。

その時に、初めて真理との出会いがあり、心の病に対して、真理からのアプローチで対峙してきました。

私が、心の病に、どのように対峙して、回復への道をたどったのか、

その後の佐藤康行学長との初めての出会いに、なぜ感動したのか、魂動したのか、少しでもご参考になれば嬉しいです。

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前回から続きます。

四国から転勤で東京で働く事になった私。そこで再発した心の病。

私はお世話になったヨガの先生のご自宅に一ヶ月泊まり込み、個人指導を受けました。

そして、東京に戻り、職場復帰しました。

私は、ヨガの先生からの教えを一枚の紙にまとめ、いつも持ち歩きました。

ヨガの先生から教えられた通り、相手の事を理解しようとする姿勢、相手に協力しようとする姿勢、相手を尊重し謙虚な姿勢でいることを意識して行動しようと思いました。

しかし、職場復帰してから本当の意味で、心の病から回復するまでには、相当時間がかかりました。

復帰した職場は、私が心の病になった職場です。私が心の病になった環境は全く変わっていません。

その職場に、私は戻ったのです。

私の心は傷ついたままでした。心の傷は癒えていませんでした。

私が心の病になってしまう縁となった職場の人たちは、変わらずムスッとした顔をして座っています。

何よりも直接私の心の病の縁になったのは、私の直属の上司である部長なのです。

職場復帰したものの、そこは全く同じ場所、同じ環境。

私は恐怖と不安の中に戻ってしまいました。

話しかけても無視される、冷たくされるのではないかという恐怖と不安が上がってきます。

心が身動き取れないのです。

相手のことを理解するんだ、協力するんだ、応援するんだ、喜びを分かち合うんだ。その姿勢で行け。とにかく行動しなさい。行動すればした分だけ不安は消えていくよと、ヨガの先生には言われていましたが、

恐怖心が先に立ってしまい、全く行動できないのです。

どんどん心は内にこもっていきました。

不幸中の幸いだったのは、グループ移動になったことでした。

別のグループ長が私の事を見守っていてくれ、私のことを引き取ってくれたのです。

仕事の負担を軽くして、定時になったら退社するという生活になり、

心は波風立たなくなりましたが、心が元気にはなりませんでした。

恐怖と不安が先に立ち、そこから抜けられないのです。

そうこうしているうちに転勤することになりました。わずか1年での転勤辞令でした。

心が回復しないまま、私は不安な気持ちを抱えたまま、新しい勤務地に配属になるのです。

そして、その先の佐藤学長との出会いにつながっていくのです。

次回に続きます。

ありがとうございました。