心の学校・佐藤康行の『真我の実践・サンタ営業の実践』日誌…『ひよこ』から『にわとり』への道

うつに苦しみ社会離脱した人間が真我(=本当の自分)に目覚め、サンタ営業実践の日々と開発者・佐藤康行の言霊を紹介します。

【第222回】うつ病と真理の出会い~なぜ私は、佐藤学長の復帰講演会で魂動したのかNo.21~

2018-08-06 07:31:58 | 日記

 私が、2004年4月の佐藤学長の復帰講演会での佐藤学長との出会いが、なぜ号泣するほど感動したのか、そのバックグランドにある私の過去について書いています。

私は、佐藤学長と出会う前に、心の病になり、何度も繰り返しました。

その時に、初めて真理との出会いがあり、心の病に対して、真理からのアプローチで対峙してきました。

私が、心の病に、どのように対峙して、回復への道をたどったのか、

その後の佐藤康行学長との初めての出会いに、なぜ感動したのか、魂動したのか、少しでもご参考になれば嬉しいです。

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前回から続きます。

四国から東京に転勤した後に再発した心の病。

そして、一ヶ月泊まりこんだ、四国のヨガの先生のご自宅.。

そこで受けた、体のバランス回復の指導と心の指導。

その時に、ヨガの先生から受けた個人指導の内容は、その後の私の人生指針とも言える内容でした。

相手を尊重しなさい。

相手を理解しようとする姿勢。相手に協力しようとする姿勢。相手から学ぼうとする姿勢でいきなさい。

相手に協力するんだ、応援するんだ、分かち合うんだ、喜び合うんだという方向に常に心を向け、言葉を発し、行動しなさい。

君が、私の事を師として崇めているように、周りの人全員を師としなさい。 

そして、今やるべき事一点に集中せよ。

もっと、あっけらかんとしなさい。

もう少しユーモアがあるといいから、テレビ等で漫才や落語を見て、笑うといいな。

謙虚な姿勢を忘れるな┅┅┅等々。

一言一句の全てを思い出す事ができませんが、ヨガの先生は、職場の人間関係の不調和から、心の病に陥った私に対して、具体的にアドバイスしてくれました。

ヨガの先生の教えの元々の根幹は、3つだと私は理解していました。

生命即神(生命が即ち神である。)

心身一如(心と体は一つである。)

自他一如(自分と相手は一つである。)

その根本原理から、心と体にアプローチしていき、

食事、神経ホルモン、血液、内臓、呼吸、姿勢、胸椎、脛椎、腰椎、仙骨、骨盤、体の関連部位まで精通し、

そして、目の前の人の身体を見て、即興で出す、その人のためのヨガのオリジナルポーズ。

ヨガの先生の具体的な指導で、ガンや糖尿病や脳腫瘍、半身不随、重度のアトピー等、医者から見離された人、医療で治らなかった何万人もの命が救われてきた。

私が見たのは、巷の医療をはるかに越えた、総合医療、人間学でした。

そのヨガの先生から、私に授けられた心の処方箋。

今思えば、間違いなく、法則に沿った、人間としての生き方を説いて下さっていたのだと思います。

そして、私は一ヶ月半後に、職場に復職しました。

しかし、そこからも波瀾万丈の道のりが続く事になるのです。

そして、その先の佐藤学長との出会いに続くのです。

次回に続きます。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 


【第221回】うつ病と真理の出会い~なぜ私は、佐藤学長の復帰講演会で魂動したのか⑳~

2018-08-05 07:14:22 | 日記

 私が、2004年4月の佐藤学長の復帰講演会での佐藤学長との出会いが、なぜ号泣するほど感動したのか、そのバックグランドにある私の過去について書いています。

私は、佐藤学長と出会う前に、心の病になり、何度も繰り返しました。

その時に、初めて真理との出会いがあり、心の病に対して、真理からのアプローチで対峙してきました。

私が、心の病に、どのように対峙して、回復への道をたどったのか、

その後の佐藤康行学長との初めての出会いに、なぜ感動したのか、魂動したのか、少しでもご参考になれば嬉しいです。

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前回から続きます。

四国から東京に転勤した後、再発してしまった心の病。

後で知った事ですが、一度心の病になると再発する可能性は、とても高いそうです。

しかし、その頃の私はまさか、また再発するとは思っていませんでしたので、とてもショックでした。

途方にくれた私は、四国のヨガの先生宅に泊まり込み、指導を受ける事にしたのです。

朝のランニングから始まり、ヨガのポーズと食事等の体からのアプローチに加えて、心の部分では対話を繰り返していく。 

そして、週に2回、ヨガの先生のヨガ教室に赴き、ヨガのクラスに参加する。

そういう生活を一ヶ月以上続けました。

ヨガの先生は、よくこう仰っていました。

『病気の原因は5つしか無い。

心と姿勢と呼吸と食事と排泄。この5つしか無いんだよ。

この5つを正せば、病気自体が消えていく。

ガンだのエイズだの言っているけど、怖いものではないよ。

原因を正せば、病気は消えていくよ。

但し、一番影響が強いのは心です。

心の影響が一番強い。私が思うに心の影響が90%以上を占めると思う。

しかし、心だけでもない。この5つの事を総合的に全体的にやっていく必要があるんや。

今の巷にあるもの、西洋医学にせよ、東洋医学にせよ、玄米菜食を中心とする食養の考え方、整体、整骨、鍼灸、カイロプラテック、呼吸法┅┅それぞれに良い要素はあるけど、みんな部分的なんです。』

と仰っていました。

心の病であろうと肉体の病であろうと、ヨガの先生のアプローチは全く一緒でした。

私に対しても、宇宙の法則、自然法則を前提として、

体からのアプローチと併せて、

職場でいかに調和するか、共存共栄していけばいいのか、

具体的な心の姿勢や行動の仕方について、かなり細かく指導を受けました。

┅┅すみません。ブログを時間がありません。

ヨガの先生から授けられた、人間関係を快適に生きる処方箋。

そして、その先につながっていく佐藤学長との出会い。

次回に続きます。

ありがとうございました。

 

 


【第220回】うつ病と真理の出会い~なぜ私は、佐藤学長の復帰講演会で魂動したのか⑲~

2018-08-04 07:17:58 | 日記

私が、2004年4月の佐藤学長の復帰講演会での佐藤学長との出会いが、なぜ号泣するほど感動したのか、そのバックグランドにある私の過去について書いています。

私は、佐藤学長と出会う前に、心の病になり、何度も繰り返しました。

その時に、初めて真理との出会いがあり、心の病に対して、真理からのアプローチで対峙してきました。

私が、心の病に、どのように対峙して、回復への道をたどったのか、

その後の佐藤康行学長との初めての出会いに、なぜ感動したのか、魂動したのか、少しでもご参考になれば嬉しいです。

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前回から、続きます。

栄転した東京の新しい職場で、私は再び心の病となりました。

新しい部署での、経験の無い新しい仕事でした。

一から仕事を周りの人に教えて頂かないといけない立場でした。

なのに、前職で自分の担当部門が日本一になった実績からの今回の栄転に、すっかり私は傲慢になり過ぎていました。

既に、30歳を過ぎ、会社生活も10年目に入った時でしたが、その頃の私は、余りにも幼すぎたと今は思います。

周りからすっかり嫌われてしまい、立ち行かなくなり、再び心の病に陥ってしまいました。

どうしていいか、わかりませんでした。八方塞がりでした。

私は、お世話になったヨガの先生に指導を仰ぐ事にしました。

四国のヨガの先生のご自宅に、一ヶ月泊まり込み、寝食を共にしました。

朝6時に起き、ランニング。

普通に走るだけではなく、ジグザグに走ったり、後ろ向きに走ったり、走る方向、走り方も色々です。

簡単に言うと、前に向けて歩いたら、後ろ向きに歩く事でバランスが取れて、筋肉の偏りが無くなるそうです。 

そして、自宅のリビングで即興のヨガのポーズの指導です。

心が内向きになると、猫背になり呼吸が浅くなります。そして骨盤や背骨がずれてきて、神経ホルモンの伝達がおかしくなり、便秘になったり、内蔵に異常が起こり、病気に繋がります。

ヨガのポーズで姿勢を元にもどし、骨盤背骨のずれを修正する事で呼吸が深くなり、重心が下がり、丹田に力が入る事で、生理的に心が落ち着いてきます。

そして、水風呂か水シャワーを浴び、1日をスタートします。

心と体は一つ。『心身一如』とヨガの先生は仰っていました。心は体に影響し、体は心に影響する。心と体はお互いに影響しあっている。

まず、体からのアプローチで生理的に心を落ち着かせていきます。

そして、朝の食事を抜き1日をスタートしていきます。

後は、折々に、ヨガの先生と対話していきます。

職場でどんな状況だったのかを報告し、個人指導を受けていきます。

その時の個人指導の内容は、私がもう二度と心の病にはなりようがない、人間としての快適な生き方についてでした。私のその後の人生の指針となる内容でした。

しかし、その真意がわかるのは、もっと先の佐藤学長との出会い、佐藤学長の元で真我の実践をするようになってからなのです。

次回に続きます。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 


【第219回】うつ病と真理の出会い~なぜ私は、佐藤学長の復帰講演会で魂動したのか⑱~

2018-08-03 07:20:46 | 日記

私が、2004年4月の佐藤学長の復帰講演会での佐藤学長との出会いが、なぜ号泣するほど感動したのか、そのバックグランドにある私の過去について書いています。

私は、佐藤学長と出会う前に、心の病になり、何度も繰り返しました。

その時に、初めて真理との出会いがあり、心の病に対して、真理からのアプローチで対峙してきました。

私が、心の病に、どのように対峙して、回復への道をたどったのか、

その後の佐藤康行学長との初めての出会いに、なぜ感動したのか、魂動したのか、少しでもご参考になれば嬉しいです。

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前回から続きます。

転勤で赴いた四国の支社。そこで私に訪れた心の病。そして、出会った本物の真理を発信していたヨガの先生。 

そこで見てきた数々の奇跡。

私自身も、心の病を乗り越え、会社の復職し会社の戦力として認められ、とうとう東京に栄転する事となりました。

自殺することも考えた苦しみの淵から這い上がってきた事実に、

自分は社会でやっていける。二度と心の病になるわけがない。もう大丈夫だ。

そして、会社でも日本一の仕事もできた。きっとこれからも会社で活躍できる。

私は自信に溢れて転勤先に赴きました。

しかし、私は再び心の病に陥り会社を休職することになるのです。

転勤先は、全く新しい部署、初めての仕事でした。

簡単に言うと、それまでは営業支援の仕事。新任地での仕事は経理での仕事だったのです。

 私は、営業支援の仕事で実績をあげて自信満々でした。傲慢になり謙虚さを失っていました。

そして、仕事でケアレスミスを頻発し、信頼を失い、職場の仲間から嫌われてしまいました。完全に無視されてしまいました。

そこから、自分を改めて、こじれてしまった人間関係を修復しようと思いましたが、絡んだ糸を解きほぐす事はできませんでした。

そして、周りとのコミュニケーションのとり方がわからなくなり、

仕事が滞り始め、誰からも助けてもらえなくなり、

八方塞がりになり会社に出社できなくなり、長期休職する事になりました。

そして、私は再び、お世話になっていた四国のヨガの先生を訪ねることになるのです。

そして、その先の佐藤学長との出会いに繋がっていくのです。

次回に続きます。

ありがとうございました。


【第218回】うつ病と真理の出会い~なぜ私は、佐藤学長の復帰講演会で魂動したのか⑰~

2018-08-02 07:38:41 | 日記

私が、2004年4月の佐藤学長の復帰講演会での佐藤学長との出会いが、なぜ号泣するほど感動したのか、そのバックグランドにある私の過去について書いています。

私は、佐藤学長と出会う前に、心の病になり、何度も繰り返しました。

その時に、初めて真理との出会いがあり、心の病に対して、真理からのアプローチで対峙してきました。

私が、心の病に、どのように対峙して、回復への道をたどったのか、

その後の佐藤康行学長との初めての出会いに、なぜ感動したのか、魂動したのか、少しでもご参考になれば嬉しいです。

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前回から続きます。

弟を三度、呼び寄せたヨガの先生。

ヨガの先生は、『弟を、私の自宅で生活させようと思う。彼が自立できるまでは、私が弟を見るよ。』と仰ったのです。

ヨガの先生の覚悟とは、弟が自立するまで、ヨガの先生のご自宅で、ヨガの先生が弟の面倒を見ると言う事だったのです。

ヨガの先生の個人指導のもと、奇跡的に心も体も回復していった弟。

しかし、父親の価値観に阻まれ、弟も身動きが取れなくなってしまう。

せっかく、体も回復し、自立に向かっているのに、父親と一緒に生活していては元に戻ってしまう。

ならば、弟が自立するまで、ヨガの先生と奥様が、父母代わりになって一緒に生活しよう。

こう考えてくれたのです。

赤の他人である私の弟を、我が子同様に無条件で預かろうというヨガの先生。

申し訳ないと思いつつも、弟の命と人生を考えると、ヨガの先生にお任せするしかないと私も腹を決めました。

弟も父親に反抗し始め、両親も手が付けられなくなってきた弟を、ヨガの先生は三度呼び戻しました。

弟が、私の自宅にやってきました。

弟は元気になっていましたが、かなりわがままになっていました。

そこにヨガの先生と奥様が弟を車で迎えにきました。

ヨガの先生は、弟子の自宅に寄って、弟の布団を借りて車に積み込み、弟を迎えに来てくれました。

しかし、弟の方が、ヨガの先生宅にお世話になることを拒んでしまいました。

色々な理由をこしらえては、首を縦に振りませんでした。

結局、弟は、両親の居る自宅に帰っていきました。

それが弟の選択でした。

それから1年後┅┅┅。

弟は原因不明で自宅のベッドで亡くなっていました。

警察が来て、病院でも解剖しましたが原因はわかりませんでした。

亡くなる前の弟は、とても穏やかだったそうです。

母も、「弟とここまで腹を割って話せたことはなかった。とても楽しい時間だった。」と涙ながらに語っていました。

ただ、私にはよく電話がかかってきていて「もう自殺しようと思う。色々死ぬ方法を研究しているんだ。」と言っていたことを思い出しました。

もしかしたら、人に悟られず、死ぬ方法を見つけ、自らの人生にピリオドを打ったのかもしれません。

結局、マンションから飛び降り自殺を図った弟は、その後、ヨガの先生との縁で奇跡的な回復を見せたものの、

根本原因である、両親の価値観から抜け出せず死を選んでしまったのだ、

と私は今思っています。

そして┅┅┅

その頃の私は、ヨガの先生の指導の元、うつから抜け出し、会社でも戦力になっていました。

そして、販売支援の仕事で、自分の担当分野が、全国の支社の中で日本一になりました。

私もその会社で名前が少し通るようになり、心の病も感知したと会社も認めてくれ、四国から東京に栄転しました。

弟のことは、心残りがありましたが、私はもう心の病にはならない。そういう大いなる自信をもって新天地に赴きました。

しかし・・・私は、また心の病に陥るのです。

そしてヨガの先生にお世話になることになります。

そして、その先の佐藤学長との出会いに続いていくのです。

次回に続きます。

ありがとうございました。