先月8日、秋篠宮さまが皇位継承順位1位となられたことを国内外に示す「立皇嗣の礼」が厳かに執り行われ、10日には祝賀行事が行われた。
天皇陛下のお言葉
「本日ここに、立皇嗣宣明の儀を行い、皇室典範の定めるところにより文仁親王が皇嗣であることを、広く内外に宣明します」
秋篠宮殿下のお言葉
「立皇嗣宣明の儀をあげて頂き、誠に畏れ多いことでございます。皇嗣としての責務に深く思いを致し、務めを果たして参りたく存じます。 」
この「務め」という一言に込められた大変な重み。
皇嗣殿下となられたということは事実上の皇太子のようなお立場で、万が一天皇陛下がご病気などになられた場合には、すぐさま皇嗣殿下が天皇陛下に代わって、天皇を支えられる存在になっていなければならず、そうした重要なお立場になられたからこその「務め」というお言葉なのだと思う。
ご公務や祭儀の多さをみれば、「天皇」という存在は並外れた心身の健康を保ち、つまり体力面、情緒的に安定し、繰り返しの「受け身的な」日常に耐え続けられるだけの使命感、責任感と、それを支えるための節度のある規則正しい日常生活を淡々と重ねながら、ほぼ1年を通して公人として生きるという超人的な存在であることがわかる。
「天皇」という存在の重みを理解しようとすれば、「愛子様を女性天皇に」などという声は出てくることに首をかしげたくなるのだ。
これまで一部の人々の間でヨーロッパの王室の様に、日本の天皇家も男女を問わず長子が皇太子になればよい、愛子様に女性天皇になって頂きたい、などの声があった。
愛子様が天皇家の男系男子を伴侶になさり、運よく男のお子さまに恵まれれば、そのお子さまは天皇家の男系男子の人物といえるし、万世一系というY染色体のリレーのようなものがそのまま繋がることにはなる。
しかしそのような前提がクリアされたとして、同時に、愛子さまが「女性天皇」として「天皇」のお役目を果たすことが現実的に可能だと思う人々というのは、「一人の生身の人間としての愛子さま」のこれまでのご苦労なさってこられた大変な歩みに思いが及ばない人々なのではないだろうか。
11月8日立皇嗣の礼「宣明の儀」
引用元:
我が国にとって「天皇」の果たす役割について、戦後憲法に3つの条文が示されている。
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
- 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
- 国会を召集すること。
- 衆議院を解散すること。
- 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
- 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
- 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
- 栄典を授与すること。
- 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
- 外国の大使及び公使を接受すること。
- 儀式を行ふこと。
実際に天皇陛下がなさっておられることとしてもう少しかみ砕いてみてみると
- 内閣総理大臣の任命
- 最高裁判所長官の任命
- 憲法改正、法律、政令及び条約の公布
- 国会の召集
- 衆議院の解散
- 総選挙の施行の公示
- 国務大臣その他の官史の任免、全権委任状及び大使公使の信任状の認証
- 栄典の授与
- 批准書その他の外交文書の認証
- 外国の大使、公使の接受
- 儀式
など。
我々国民が想像する以上に、天皇陛下は常に「公人中の公人」として、常に公的な場所での「国事行為」をなさっておられるのだ。
「外国の大使、公使の接受」については、ソ連崩壊で、旧ソ連の共和国だけでも15に分かれ、旧ユーゴスラビアも6つの共和国に分かれといった具合で、日本にある駐日公館はアジアの国が20か国(中東を除く)、大洋州が9カ国、北米が2カ国、中南米が22か国、欧州が50か国、中東が15カ国、アフリカが38か国(2020年現在で大使館は152、総領事館65、政府代表部10)のようにこれだけでも大変忙しい日常であることが想像できる。
そして最後にある「儀式」こそが実は天皇が日本という国を象徴する存在であられる証のようなもので、通常、これは天皇ご自身以外の他の人には務まらない天皇ならではの役割であり、天皇から日嗣の皇子(現行の皇室典範では男子皇族の皇位継承者第1位の方)への一子相伝のようなものなのだと想像している。
秋篠宮さまはしばしば「私は皇太子としての教育を受けてこなかった」と天皇となる立場がいかに幼少期からの特別な人格形成、素養を必要とするものであるか、御代替わり直前には「兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからはできないです」(「朝日」19年4月21日付)との述べておられたそうなのだ。
祭儀(宮中祭祀)は特に大変重い意味のある行事であり、ほぼ1年を通してあるようなのだ。
祭儀
1月1日 - 四方拝(しほうはい)、歳旦祭(さいたんさい)
1月3日 - 元始祭(げんしさい)
1月4日 - 奏事始(そうじはじめ)
1月7日 - 昭和天皇祭(しょうわてんのうさい)
1月30日 - 孝明天皇例祭(こうめいてんのうれいさい)
2月17日 - 祈年祭(きねんさい)
2月23日 - 天長祭(てんちょうさい)
春分の日 - 春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)、春季神殿祭
4月3日 - 神武天皇祭(じんむてんのうさい)、皇霊殿御神楽
6月16日 - 香淳皇后例祭(こうじゅんこうごうれいさい)
6月30日 - 節折(よおり) 、大祓(おおはらい)
7月30日 - 明治天皇例祭(めいじてんのうれいさい)
秋分の日 - 秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)、秋季神殿祭(しゅうきしんでんさい)
10月17日 - 神嘗祭(かんなめさい)
11月23日 - 新嘗祭(にいなめさい)
12月中旬 - 賢所御神楽(かしこどころみかぐら)
12月25日 -大正天皇例祭(たいしょうてんのうれいさい)
12月31日 - 節折(よおり)、大祓(おおはらい)
「祭祀に関しては、事前の潔斎と平安装束を着用する事に加え、長時間の正座が必要であり、生前の昭和天皇は祭祀が近づくと、正座してテレビを視聴するなど、意識的に長時間正座することを心がけていたという。明仁も新嘗祭の時節が近づくと、昭和天皇と同様に正座の練習をしていたといわれていたが、在位20年を経た2009年(平成21年)以降は、高齢であった明仁陛下の健康への配慮、負担軽減のため、祭祀の簡略化や調整が計画、実施されていた。 」
などとある。
「高齢」となった平成の天皇陛下のご負担を軽減するために「祭祀の簡略化や調整が計画、実施されていた」というのであるが、おそらくは令和に御代替わりした現在、徳仁陛下が行っておられるのは、明仁陛下が60歳のときの行っていた重量のことをなさっておられるに違いなく、そうしたものを率先して尊ばれておられる御心こそが我々国民にとっての尊い「祈り」になるのだ。
幸いなことに、第125代天皇の徳仁陛下がまだ60歳でいらしゃるので、次の天皇となる方へのバトンタッチまで20年くらいの時間の猶予がある。
その方というのは秋篠宮さまご自身が指摘なさっておられるように、そのとき70を過ぎた秋篠宮さまではなく、40歳前後の悠仁様なのだ。
一部の人々の中にはヨーロッパの王室のように、天皇家も男女を問わず長子が皇太子になればよい、愛子様に女性天皇になっていただくのはどうなのだろうか、などの声があったし、「眞子様のご結婚問題」での秋篠宮家への批判と合わせて今でもそうした議論を続けようとする人々がいる。
愛子様が天皇家の男系男子を伴侶になさり、運よく男のお子さまに恵まれれば、そのお子さまは天皇家の男系男子の人物といえるし、万世一系というY染色体のリレーのようなものがそのまま繋がることにはなる。
しかしそのような前提がクリアされたとして、同時に、愛子さまが「女性天皇」として「天皇」のお役目を果たすことが現実的に可能だと思う人々というのは、繰り返しになるが、「一人の生身の人間としての愛子さま」のこれまでのご苦労なさってこられた大変な歩みに思いが及ばない人々なのではないだろうか。
現実には愛子さまが「女性天皇」として「天皇」のお役目を果たせるとは、愛子さまのこれまでの歩みを拝見すれば、精神的にも物理的にも可能とは到底思えない。
思えば、天皇陛下が皇太子時代、皇居の周りをランニングなさったり、登山を愛好されたりと、日頃から心身を鍛えておいでだったのはやがてご自身が天皇になるという強いご自覚、使命感、責任感がおありになったからなのだと思う。
恐らく昭和天皇や平成天皇を間近にして、お小さい頃は浜尾実氏という優れたご養育掛の人物によって生まれた時から皇太子としての育てられ、「天皇」となる日まで心身ともにご準備なさってこられたからこそ、ご立派な天皇となられたのだと思う。
再びくり返しになるが、人並み以上の体力を持ち、情緒的に安定し、繰り返しの「受け身的な」日常に耐え続けられるだけの使命感、責任感と、それを支えるための節度のある規則正しい日常生活を淡々と重ねながら、ほぼ1年を通して公人として生きるという超人的な存在が天皇なのだ。
例えば天皇家にとって何よりも大きな意味を持つ場所はいうまでもなく「伊勢神宮」でご存じのように、皇祖神天照大御神などが祀られている特別な場所。
伊勢神宮(宇治橋から撮影された日の出)
■愛子様の伊勢神宮ご参拝と武蔵野御陵ご参拝
天皇皇后両陛下のたった一人のお子様である愛子様が伊勢神宮を初めてご参拝なさったのは2014年7月29日で、昭和天皇の武蔵野御陵のご参拝が7月15日。
2014年7月29日に12才にして初めての伊勢神宮参拝をなさった。
愛子様は2001年12月1日生まれなので、中学1年生になられて漸く皇祖神と昭和天皇と香淳皇后様の御陵、つまり曽祖父母の墓参りを行ったのである。
これは率直に言えば大変遅かった。
伊勢神宮への皇太子ご一家のご参拝の様子は当然ながら大勢の報道陣が詰めかけ、TVニュースで全国に報道され、全国民が目にするというプレッシャーが当時の雅子さまと愛子さまにとってやはり大きかったのだと想像する。
しかしそうした国民の視線に凛として耐えられる人物、ストレスと感じるのではなく、天上から民を俯瞰できるような心持ち、つまり無私の存在であるからこそ天皇という存在は尊く、そのような心象に育てられた人物でなければ、天皇という世俗を超越した存在には到底なれないのではないだろうか。
引用元:
■昭和の代の内親王紀宮清子さまの場合
例えば平成天皇陛下のご長女で内親王殿下の紀宮清子様(現在、黒田清子様)はもう少しお小さいときからご両親(当時皇太子ご夫妻)と共に伊勢神宮に参拝なさっておられた。
下の写真は学習院初等科の制服をお召しになっておられるので、ご入学後の小学生ころのお写真と思われる。
余談ではあるが、当時「参道を手を重ねて歩いた」のは美智子さまの我流の礼法だと、少々つっこまれていたようだ。
「神道、皇室、日本の作法は改まった場・時の姿勢は直立」なのだそうだ。
紀宮清子様
■秋篠宮悠仁様の場合
秋篠宮悠仁様が伊勢神宮を初めてご参拝なさったのは2013年3月のことで、秋篠宮ご夫妻と次女の佳子さまと共に(眞子様はこの頃ロンドンに留学なさって不在だった)ご参拝されておられた。20年に1度、社殿を造り替える式年遷宮のための新社殿造営を視察された、とある。
悠仁様は2006年9月6日生まれで、このときまだ6歳。じつは愛子様がご参拝なさったのは、悠仁様よりも1年後だったのだ。
2013年3月式年遷宮のご視察を兼ね、伊勢神宮を初めてご参拝なさる悠仁様と秋篠宮ご夫妻、佳子様。
この写真をみると女性の方々は美智子様の「我流の礼法」をそのまま踏襲なさっている。
現在すっかり日本に定着してしまった感があるのだが、手を腹部のところで組むのは韓流の「コンス」のしぐさだと非難されている。また、手を前に組むこのしぐさでのお辞儀は日本の伝統ではないようなのだ。
参考:
このころ「AERA」(2014年8月)を引用すると以下のような記事がある。
「愛子さま 初の伊勢参拝で笑顔も学校生活では一悶着か」
皇室でいま、分厚い菊のカーテンに覆われているのは、皇太子ご一家だろう。10年半に及ぶ長期療養生活を送る雅子さまや、長女の愛子さまの動静はほとんど表に出てこない。そうしたなか実現した伊勢神宮参拝。ご一家が見せた晴れやかな笑顔は、希望につながるものなのか。
今回の参拝で、宮内庁関係者が注視したのは愛子さまのほうだった。というのも、愛子さまの初参拝は、秋篠宮家のお子様方よりだいぶ遅かったからだ。「秋篠宮家がご一家おそろいで伊勢神宮を初参拝したのは2002年。10歳の眞子さまと7歳の佳子さまのご成長を報告する私的な訪問でした」(宮内庁関係者)
06年にも秋篠宮さまは「どうしても、親子で参加したい」と、眞子さまと一緒に伊勢神宮を訪れ、法被姿で式年遷宮のお木曳(きひ)き行事に参加。眞子さまは09年、11年にも参拝をした。
「悠仁さまも6歳を迎えた12年秋に奈良県の神武天皇陵を参拝。昨春には伊勢神宮を初めて参拝し、幼稚園卒園の報告をなさった」(同)
皇祖神へのご報告だけではない。「曽祖父母」へのお墓参りもしかり。
このように、かなり辛辣にマスコミは愛子さまの伊勢神宮ご参拝が「遅かった」と指摘していたのである。
1999年(平成11年)秋篠宮佳子様4歳1か月
佳子様の生年月日は1994年12月29日
2006年(平成18年)愛子様4歳1か月 愛子様の生年月日は2001年12月1日。
大変失礼ながら、佳子様の4歳のときと愛子様の4歳のときのご様子はこれほどまでに差があったのだ。発達というものは人それぞれで、愛子様はゆっくりと成長発達されるタイプの方だったようで、小学生の頃の不規則登校なども、やはりそうしたことが影響しておられたのだと思う。
■愛子様のこれまで
2004年頃から海外のメディアでは「愛子様は自閉症児」などと指摘されるなどし、皇太子ご夫妻は一人っ子の愛子様のご教育には大変、お気を使われておられた。特にこの頃の雅子さまは、ほぼ愛子さまにかかりっきりだった。
神宮での野球観戦をなさった愛子様。相撲のほか野球もお好きなのだそうだ。
2008年3月、学習院幼稚園をご卒業なさった愛子さま
学習院初等科入学後、愛子さまを心配なさっていた雅子様は、学習院幼稚園の園長を定年退職した小山久子女史を 2008年4月1日から内親王の養育専任としては初めて敬宮愛子内親王付の東宮女官に就任させるなど、平成天皇ご一家のご長女で内親王紀宮清子様とは全く異なる育て方、特別な配慮をなさっている。
2010年3月5日に宮内庁東宮職東宮大夫からの発表で明らかにされた学習院初等科での「いじめ事件」後、雅子様がほぼ1年間、愛子様につきそっての登校をなさっておられ、初等科4年時の2011年9月11日~14日の宿泊を伴う山中湖校外学習にも雅子様が警護の車列を引き連れてのご同伴をなさったこともあった。当時の羽毛田宮内庁長官が木曜定例会見で(雅子の付き添いのために)通常の校外学習でない姿になっていることは心配している」とまで述べていた。
一人っ子の愛子さまは雅子さま同様動物がお好きで、赤坂御所では犬の「まり」「ピッピ」「由莉 」、猫の「ニンゲン」「ミー」などいつも動物をお傍におき、かわいがられておられると聞く。
愛子さまが抱っこしておられるこの犬は柴犬ミックスの「由莉」。横顔がお美しい愛子さま。「由莉」は2009年生まれで、動物病院で保護されていた犬を生後2カ月の時に譲り受けたものだったそうだ。
下の写真は2012年、11才頃。上品なワンピースをお召しになり、ご両親に囲まれて(赤坂御所の玄関前?)緊張されておらず、微笑みをうかべておられる。
前髪をおろしておられるお写真。
このお写真の愛子さまは天皇陛下より7cmくらいは低くみえる。雅子様は5㎝のヒールを履いておられ、愛子さまとは10㎝位の身長差があるようにみえる。ということは雅子さまが164cmなので155㎝前後の身長ということであろうか。
表情が大人びてきておられる。
左の膝小僧にバンドエイドを貼っておられる。運動会の練習に励まれておられるご様子で、学校生活や同級生に溶け込んでおられるご様子。
2013年3月学習院初等科をご卒業、この頃に伊勢神宮と武蔵野御陵をご参拝なさった。すっかり背が伸びておられる愛子さま
■中学ではやはり不規則登校が目立っておられた
しかし2014年秋学習院女子中等科ご入学後も二学期に入り“午後登校”を繰り返されるなどの不規則な登校状況が続き、特に学習院関係者の間で、愛子様が1か月近く“毎週金曜日は午後に登校される”という実態が暴露されていた。
その理由として、金曜日の時間割が1眼目HR、2限目 数学、3限目 理科、4限目 数学となっており、理数系、特に数学が苦手と伝えられてきた愛子さまが金曜日の午前中はその苦手な科目がずっと続くために午後からの登校になってしまわれている、などと指摘されなどていた。そしてこのとき二学期の期末テストの3日間8教科分を全て欠席なさったと報じられている。
この頃中等科の制服姿で、このように大きな犬を抱っこしておられる。
この大きさの犬を抱きかかえるというのは少々違和感はあるのだが、ご健康そうなご様子はなによりである。
以下は 愛子様が14歳(中学2年生の頃)女性セブン2016年10月27日号の記事をネットから拾ってきた。
「長期欠席の愛子さま 将来への夢への葛藤が理由との声も」愛子さまの欠席は、3週目に突入した。だが、病院で検査を受けられても「特段の問題はなし」。体調面だけでなく精神面でも不安を囁く声が増えている。実は、長期欠席の前日、愛子さまは「お忍び」で、ある場所に足を運ばれていた。「小学校時代のいじめ問題、中学校に入ってからの不規則登校の時でも、2週間以上も続けて学校を休まれたことは一度もありませんでした。宮内庁側は大きな心配はないと喧伝していますが、これは尋常ならざる事態が起きていると考えざるをえません」(皇室記者)9月26日から2週間以上、愛子さまは学習院女子中等科を欠席された。10月6日には、雅子さまに連れられて宮内庁病院で検査を受けられた7日の小田野東宮大夫の記者会見では愛子さまについて矢継ぎ早に質問が飛びました。最近見るからにおやせになった愛子さまの健康面に何か重大な懸念があるのか、学校生活への不安や、何かしらお心に大きな負担を抱えられているのではないか。それでも大夫の説明は、ふらつきや胃腸の弱まりといった症状はあるものの、“特段の問題はなし”。原因は夏休みの宿題の提出や運動会の練習による『お疲れ』の一辺倒でした」(前出・皇室記者)本稿締切日の10月11日にも、愛子さまが姿を見せられることはなかった。お休みは、3週目に入った。それにしても、同級生たちはいつも通りに登校しているし、中学生が「疲労」を理由にして2週間以上学校を休むとは普通は考えられないことだ。長期欠席に入られる直前、愛子さまの周辺で何か重大な事態が起きていたのではないか──宮内庁関係者が明かす。「実は、お休みに入られる前日の9月25日、愛子さまは皇太子さまと雅子さまとご一緒にお忍びの行動をされていたんです。お出かけされた先は、ホテルニューオータニ(東京・千代田区)でした」その日、同ホテルで開かれていたのは『日本臨床獣医学フォーラム』(23~25日)だ。フォーラムには全国から「獣医師」や「動物看護師」ら約6500人が集まって、動物を対象にした医療や、アニマルセラピーなど人間が対象の医療活動について活発に意見が交わされた。「愛子さまは居合わせた人に小さく手を振ったり、丁寧にお辞儀をしていらっしゃいました。終始笑顔で、お疲れの様子や顔色がすぐれないということはなかったように思うのですが…」(フォーラム関係者)皇太子ご夫妻は毎年このフォーラムに行かれ、動物医療に携わる人の話を聞かれたり、会場にいる動物たちと実際に触れ合われてきた。(中略)だが、お元気な姿を見せられていたはずの愛子さまは、この翌日から長期欠席に入られてしまう。皇室ジャーナリストは、次のように指摘する。「獣医師の仕事を間近に見聞きされた愛子さまが、ご自身を取り巻く『皇族』としての状況を考え、少なからず影響があったのではないでしょうか。雅子さまもそんな愛子さまの胸中をお察しになっているのでしょう」今から2年前、中学1年生の愛子さまは《私は看護師の愛子》という書き出しで始まる短編小説を書かれたことがあった。とある診療所で働く愛子は、ある日、片足をけがした1羽のカモメを手当てする。翌日には元気に飛び立っていったカモメ。するとその後、けがをした海の生き物たちが次々と訪れるようになり、愛子の診療所は生き物たちにたくさんの勇気と希望を与えていく──。「学習院女子中等科・高等科の生徒に昨秋配布された『生徒作品集』に綴られたものでした。もちろん架空の物語です。ですが、愛子さまが動物を相手に奮闘される姿を描いたような内容に、将来、獣医師になることを夢見ていらっしゃるようにも感じました」(学習院関係者)中高一貫教育の学習院女子中等科では、中3の2学期に進学の意思確認が行われる。まさに今の愛子さまがその時期にあたる。「ほとんどの生徒は他校を受験することなく、そのまま進学しますが、より専門的な分野の勉強を希望する場合には、別の高校を受験する生徒もいます。この時期には将来の夢や目指す職業が生徒同士の間で話題にのぼることも多いんです。愛子さまも、ご自身の将来の職業、そこに至るプロセスに思いを馳せることもあったのではないでしょうか」(前出・学習院関係者)ただ、「皇族のための学校」である学習院を、愛子さまがそう簡単に離れることはできない。「秋篠宮家の眞子さまと佳子さまは国際基督教大学へ、悠仁さまはお茶の水女子大学附属小学校に通われるなど皇族方の学習院離れは進みました。ですが、東宮家の子女である愛子さまはやはりお立場が違う。別の高校へ進学というのはやはり現実的ではないと思います」(別の宮内庁関係者)それだけにとどまらない。現行の皇室典範では、女性皇族は将来結婚すれば皇籍を離脱し、その先の人生を一般人として歩むことになる。「愛子さまも例外ではありません。ご結婚後、一社会人として働きに出ることもあるでしょう。その選択肢の1つには、獣医師になる未来もないわけではないのです」(前出・皇室ジャーナリスト)だが、天皇陛下の「生前退位」報道、それに続く「お気持ち」表明以降、愛子さまの“明日”は不透明な状態になったといっていい。「陛下に限って退位を認めるのか、皇室典範を改正するのか。それと同時に、皇室を安定的に存続するための議論も深めていかねばなりません。その中には“愛子さまを天皇に”という『女性・女系天皇論議』も含まれるでしょう」(政治記者)もし愛子さまが天皇ということになれば、当然「獣医師の夢」は固く閉ざされてしまう。「周囲が大いに夢を語っている。自分にも夢がある。でも、もしかしたらその夢は叶わないかもしれない…。愛子さまは、ご自身の立場やご自身を取り巻く状況を充分に理解されています。ですがそんな思いが巡っている時に、フォーラムで獣医師の仕事に触れることになった。頭では理解できていても、憧れや希望をそう簡単に押さえ込むことはできない。ご自身の宿命をお察しになり、それが体の不調として表出してしまったのかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)愛子さまに、また弾けるような笑顔が一刻も早く戻ることを願ってやまない。
引用元:
この頃の不安定さからも「愛子さまを女性天皇に」という声がいかに愛子さまにとってみれば大きな負担でしかないことがわかる。
2016年3月 学習院女子中等科をご卒業
高校生になった愛子さま2016年4月
2016年8月1日「水を考えるつどい」にて両親の皇太子様(当時)、雅子様と共に出席。学習院女子高等科にご進学なさった高校1年の夏休みのころ。
■高校1年生の夏休み明けの9月から再び異変がおきた。
16年の9月、高校1年の夏休み明けに「加速する“激ヤセ”、高校進学後は留年・中退の可能性も」などといった報道が女性誌で飛び交っていた。その後も体調不良などを理由に学校を欠席されることが目立っていたのだ。
学習院女子高等科2年生の2017年2月17日、当時皇太子様の誕生日に先立ち、東宮ご一家の写真が記者に配られ、そこに写っていた愛子さまのあまりのやせ方にマスコミの間で驚愕が広がり、世間でも愛子様のあまりの激やせぶりに心配の声が上がっていた。
2017年2月、皇太子さま(当時)のお誕生日の際のご家族写真
愛子さま15歳、高校1年の冬頃。
このお写真の愛子さまは驚くほど痩せてしまわれている。
痛々しいほどのお痩せになったお姿で。高校2年生の通学途中の愛子様(後ろにSPがいる)をとらえた写真。当時「長期欠席、会見紛糾、深刻な理由明かされず」などと報道されていた。
学校を長期欠席なさり、期末試験なども全て欠席なさったと報道されていた。
女性誌(女性セブン)の2017年3月16日号では「愛子さまが昨秋以降の激やせによって、18キロ体重が減少した」という宮内庁関係者の証言を報じており、「その後本来の体形に近づいたのであれば、愛子さまは約半年で15キロ近く体重が増えたとも推測」「拒食症の後に過食症となったのではないか」などと心配する声も上がっていた。
皇太子ご夫妻の一人っ子のご長女で、同じ内親王さまでも紀宮様の頃とは注目度が大変違い、この当時、子供の愛子さまがどれほどのご重圧を受けておられたことか。男の子を授からなかったことで雅子さまがどれほど、苦悩され傷つかれていたことか。
「天皇」の果たす役割は大変負担が重く、安易に「愛子さまを女性天皇に」という声は、むしろ愛子様にとって負担が重すぎることを理解するべきなのではないだろうか。
以下は当時の週刊誌記事よりそのまま引用。
昨秋の長期欠席に続き、12月1日の15才のお誕生日に際してのお写真、さらに今年2月の皇太子さま(57才)のお誕生日のご一家写真での愛子さま(15才)の変化に、衝撃を受けた人は少なくないだろう。あまりの面変わりに、「摂食障害」を危惧する声も叫ばれた。
しかし、最近では一時期の激やせの頃に比べると、急激に体型が戻られているとのこと。回復のステップを着実に踏まれているような印象も受ける。だが、そう楽観視はできないようだ。
「お元気そうな様子が見受けられる半面、高校入学後も授業を欠席することが多く、1学期のあいだ中、『まだら登校』のような状態が続いています」(学習院関係者)
本誌・女性セブンが確認する限り、愛子さまは高校入学後のガイダンスが行われた4月11日と12日を欠席。通常授業初日だった13日まで3日連続で欠席された。17日から19日も同様に3日連続でお休み。24日の欠席は、「翌日の球技大会に向けて大事をとった」という。5月8日から12日には、天候不順による風邪を理由に5日連続でお休み。さらに翌週の15日もお休み。6月に入ってからも、第4週は出席できたのが22日の1日だけ。期末テスト直前の6月29日と30日には、「テスト勉強のお疲れ」を理由に学校を休まれた。だが、これはあくまで本誌が確認できている範囲で、さらに欠席が多い可能性もある。増え続ける欠席日数は、愛子さまの不安定な状況が続いていることを物語ってはいないか。
「東宮大夫の会見で、記者から“授業の半分も出ていないんじゃないか?”“本当に大丈夫なのか?深刻な体の異常があるのではないか?”と質問が飛んだこともありました。体形が戻った上で、しっかりと日々学校に通われているのなら一安心とも思えるのですが…」(皇室記者)
愛子さまの変化を示す5枚の写真(2016年5月、8月、2017年2月、4月、7月)を見て、精神科医の片田珠美氏は次のように警鐘を鳴らす。
「あまりにも劇的に体形が変化しすぎているように感じられます。昨年5月のお姿は、これまでの愛子さまのイメージに近いですが、8月には全身が少し華奢になったように映ります。その後、昨秋のお休みを経て、今年2月のご一家での写真はかなりやせ細っている印象です。それから5か月ほど経った7月の写真では、一気に昨年5月の頃まで体形が戻っています。約1年2か月の間にここまで上下動があるのは、愛子さまが拒食と過食を順に繰り返したからではないかと危惧せずにはいられませんつまり、愛子さまは体形が元に戻ったのではなく、過食による体重増加の途上なのではないか、という不安が募るのです」
俗にいう「拒食症」と「過食症」は、摂食障害という一本の軸の違う状態にすぎず、しばしば交互に出現する。ベスリクリニック院長で心療内科医の田中伸明氏が解説する。
「ある時期は拒食症になって食べ物を体に入れなくなったり、食べても嘔吐したり下剤をのむなどして一切の栄養を摂らなくなる。またある時期になると過食症になって大量に食べ物を摂取するようになります。摂食障害の患者の半数には再発傾向があり、拒食、過食、その後にまた拒食、と、繰り返してしまうケースが多くあります」
本誌・女性セブンは2017年3月16日号で、「愛子さまが昨秋以降の激やせによって、18キロ体重が減少した」という宮内庁関係者の証言を報じた。そこから考えると、もともとの体形に近づいたのであれば、愛子さまは約半年で15キロ近く体重が増えたと推測できる。はっきりとした因果関係はわからないが、別の学習院関係者は愛子さまのこんな様子を目撃していた。
「4月16日に学習院目白キャンパスで『オール学習院の集い』というイベントが行われ、愛子さまはお友達と体験乗馬会に参加されるなど笑顔を見せられていました。愛子さまは大学食堂でお昼を召しあがったんですが、カレーライスをかなりのスピードでぺろりと完食。食後にはバニラアイスの『ビスケットサンド』をデザートに召し上がっていました。今思えば、かなりの食べっぷりだったな、と」
引用元:
2019年新年 高校2年生の愛子さまと天皇ご一家。
2019年秋篠宮家 本来仲の良い素晴らしいご家族であるのに、眞子様のご結婚問題で、秋篠宮家の苦悩ぶりと世間の風当たりのなんと強いことか。
■令和となって劇的に変化
令和となり、それまでと打って変わった高校3年の頃の愛子さまのご様子を伝える新聞記事をそのまま引用
「愛子さま充実の高校3年生へ」新天皇陛下が1日、皇太子から即位された。30年余り続いた「平成」が終わり、「令和」に改元。新陛下は59歳で、戦後生まれの初めての天皇になった。前天皇陛下は4月30日限りで退位し、上皇となった。(中略)新天皇、皇后両陛下の長女愛子さま(17)は今春、学習院女子高等科3年生になった。学芸会でチェロを演奏するなど充実した学校生活を送っている。また、国際派の新両陛下の影響もあり、英国での海外研修プログラムに参加するなど、海外に強い関心を持っている。今年3月中旬、学習院女子高等科で開かれた卒業生の送別学芸会。2年生全員が参加した演劇では、愛子さまが場面に合わせてチェロを演奏する一幕も。準備のため、友人と一緒に熱心に練習した成果だった。昨年7月下旬には、学校の海外研修プログラムの一環で、英国の名門私立イートン校のサマースクールに2週間強参加した。同級生と寮生活を送り、英語や英国文化を学んだ。このほか、高校では、球技会で初等科時代にクラブ活動で経験があるバスケットボールの試合に出たり、文化祭でダンスを披露したりしたこともあった。新両陛下と一緒に記念式典や展覧会などに足を運ぶ機会も増えてきた。海外の王族と同席した際、英語が堪能な新両陛下と一緒に、英語で会話を交わす場面もあった。
引用元:
高校3年生の頃の愛子様
ご学友から「かなりの食べっぷり」といわれるほどの食欲が功を奏したのか、ふくっらとなさっておられ、健康を取り戻した愛子様、高校3年生ごろ。
2019年12月に撮影された2020年1月1日に公開された天皇ご一家の動画
2020年3月学習院女子高等科をご卒業なさった愛子さま。新型コロナの感染拡大のため、マスク姿でおひとりで卒業式にご出席。
子供の身長予測という計算式によれば、
女子= (両親の身長の合計-13)/ 2+2
浩宮様163cm 雅子様164cmで計算すると
愛子さまの予測身長は159㎝。
引用元:子供の身長予測
コロナの影響で、学習院大学文学部ご入学後の初登校は10月になってしまわれた。しかし、愛子さまの足取りは颯爽としており、お元気そうなご様子がなによりである。
愛子さま、学習院大学ご入学後の初登校の日の映像
2020年12月1日、宮内庁が発表した愛子さま19歳のお誕生日映像。
ときには雅子さまの献身的な支えによって小学校時代を乗り切り、もしかしたら例えば「獣医師」になりたいという夢をかなえることが難しいお立場であるがゆえに、大変悩まれた時期もおありだったのかもしれない。
紆余曲折を経て現在お元気になられたご様子ではあるが、愛子さまにとって、「天皇」という重い責任を負うことは、おそらく子供のころからの「帝王学」などがなければというよりも、どちらかといえば内向的とお見受けするお人柄からいって、あまりにも過酷であろう。
また、内親王殿下としてのご活躍を過度に期待するよりも、のびのびとお元気なお姿を時折、国民に見せて頂ければそれで充分であるように思う。
2020年12月1日、にっこりと微笑まれる19歳の愛子さま
それから、秋篠宮家のご夫妻を誹謗中傷するのは、ご両親を疲弊させて事実上次の天皇におなりになる悠仁様にとっても決して良いことではないのだから、眞子様のお気持ちが変わらぬ以上は、国民が小姑のように小室氏のご親族への不信感や怒りを秋篠宮ご夫妻にぶつけるのではなく、ここは黙って静かに見守り、眞子様のご決意が裏切られずにお幸せになることを祈りたいとたい思う。
それで、もしお心に反して、良いご縁ではなかったと思われたときには、幼い日に「うみへびがいるよねぇ、おとうさま、どうしてうみへびつるの」と無邪気に叫ばれた愛娘の眞子様に対して、秋篠宮家に戻るところをちゃんとつくっておいて差し上げるべきかと思う。
葉山海岸「うみへびいるよねー」動画
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9A%87%E5%90%8E%E4%B8%80%E8%A6%A7
「44代元正天野は文部天皇の皇后」は「44代元正天皇は文部天皇の擬似的皇后」でした。
文武天皇には夫人と嬪はいるものの、なぜか皇后はいません。一方、元正(氷高皇女)は文武より三歳年上の姉で独身のままです。通説にはなっていませんが文武と元正は擬制的夫婦ではなかろうかと思います。
悠仁様がおられ、愛子さまが女性天皇にならなければならない必然性もないですし、そうした意見が声高に出されるのはおかしいと思います。何か、怪しいですよね。
そもそもKKの図々しさは確信犯的ですね。KKは「女性宮家」がつくられた場合、眞子様と共に(上皇、上皇后様が転出されたあとの)高輪皇族邸に住みたいと主張しているそうです。あのKK母と共に。女性宮家がつくられても、KKが準皇族になるのは勘弁してほしいですね。
一般国民が心配しなければならないようでは何をやっているのかと批判されるのは当然でしょう。女性天皇を議論する前に、やるべきことをやれといいたいです。
古代の女性天皇の例について政治家はよく理解する必要があると思います。
33代推古天皇は敏達天皇の皇后、
35代皇極天皇は舒明天皇の皇后、
37代斉明天皇も舒明天皇の皇后、
(皇極と斉明は同一人物とされます。)
41代持統天皇は天武天皇の皇后、
43代元明天皇は草壁皇子の妃、
44代元正天野は文部天皇の皇后、
つまり、43代元明天皇以外は、皆、皇后なのです。その元明の夫、草壁皇子も天武天皇の跡継ぎとされた皇太子です。
ですから、古代の女性天皇は、天皇若しくは将来の天皇の妃なのです。
ちなみに神功皇后を天皇とする説もありますが神功皇后の場合も、もちろん第14代仲哀天皇の皇后ですね。
したがって、前例を重視すれば愛子様は女性天皇になりえません。前提を無視して何でもありで報道する姿はフェイクに近いです。
女性天皇は原則として皇后であるという点に政治家は十分に注意を払うべきでしょうね。
その上万が一、お世継ぎのお子様が授からなければ授からないで、叩かれるのでしょうから。
言論の自由は、倫理の範囲内で行うべきもので、相手を思いやる気持ちが大切で、何でもありというのは人間としてやってはいけないです。節度が重要です。
ましてや天皇の男系皇位継承は日本の伝統ですから、「愛子さまを女性天皇に」という声が愛子様を精神的にも肉体的にも追い詰めたとすれば、それは身勝手なメディアや反伝統組織などの責任ですね。
皇位継承は、男系男子でその順位は決められていますので、それを無視してまで声高に女性・女系天皇を主張するのは、一種の反社です。