2018/3/6(火) 午後 2:10
約10年前に福岡で身体障碍者の女性が我が子を絞殺した事件が起きたことをご記憶の方もおられると思いますが、以下のような事件でした。
=2008/09/24付 西日本新聞朝刊=
福岡市西区の小戸(おど)公園で内浜小1年富石弘輝(こうき)君(6つ)が殺害された事件で、殺人容疑などで逮捕された母親の富石薫容疑者(35)が、体が不自由なため弘輝君にトイレ介助を頼んだ際「何もしてくれないのにお手伝いばかりさせられる、と言われて絶望的になった」と動機を供述していることが23日、分かった。関係者が明らかにした。
関係者によると、薫容疑者は病気のために手足が不自由で、1人で立ち上がることも容易でないという。弘輝君は情緒障害で特別支援学級に通っており、薫容疑者は十分に子育てができないことを悩んでいたという。
薫容疑者は18日午後、公園の身障者用トイレ内で、弘輝君の首をひも状のもので絞めて殺害し、トイレ裏に遺体を捨てた疑いで22日、逮捕された。
薫容疑者はこの際、園内の遊具コーナーで遊んでいた弘輝君に「トイレに行くから助けてね」と介助を求めたが、弘輝君にトイレ内で反発されたため「絶望して、もうどうなってもいいと思った」と話しているという。
県警はトイレ内で衝動的に殺意を抱いた疑いが強いとみて、経緯を調べている。薫容疑者は遺体を遺棄した理由については「雑木林の方に歩いていったが、限界がきてトイレ裏に置いた」と供述している。
一方、薫容疑者が首を絞めるのに使った凶器は、持参したひも状のものである疑いが強いことも判明。関係者によると、薫容疑者には自殺願望があり「いつでも死ねるように持ち歩いていたゴムホースを使った」と話しているといい、県警が裏付けを進めている。
この事件はこの子供さんにとって痛ましい悲劇的な事件でしたが、つまり、
①身体障碍者が自分の介助に日常的に幼い我が子を使うという構造が出来ていた
②「介助を拒まれた」ことが我が子殺害の直接の動機になりうる(「絶望した」という身勝手な動機)
この2点が言えます。
殺された子はまだ6歳の子供で、本来まだ自分が保護されるべき立場。つまり、
③身体障碍者が子育てをすることを支えるような社会的な福祉環境や福祉予算は当時も、そして(老人医療費が膨らむ一方の)今の日本にも残念ながらない、という実情が見えてきます。
(例えば目の前の「子供の貧困の問題」の方が緊急に取り組むべき課題でしょう)
旧優生保護法をめぐっては、日弁連が優生手術を受けた2万5千人のうち、1万6500人については、知的障碍者や精神疾患の患者などに対する不当な手術であり、審査管理がずさんであったとして、集団訴訟を起こす構え。(大部分はカルテなどの記録が既に存在しないそうだ。カルテの保管義務は5年)
今日の毎日新聞に出ていた「優生保護法のせいで不妊手術を受けた」となげく60歳の富山県の障害者の女性(この人の場合は集団訴訟の対象外)のように「子供を生みたかった」という悲しみを感じるのは女性としてわからなくはないが、子育ての苦労を味わったこともなく、常に保護を受ける側の彼らの中には、先の福岡の例ではないが、(子供にも人格はあるからやりたくないことをやらされることを正直にいやだというのは、ある意味仕方ないのに)肉親だからと言って子供を「永久に親身に介助してくれる相手」だと考えている人も、中にはいるかもしれない、と思える点も正直いって否定できません。
もちろん障害者を取り巻く環境が、今よりもむしろノーマライズしていくことは大変良いことだと思いますが。(ちょうどもうすぐパラリンピックですが)
しかし、この女性のように、自ら申し出て優生手術を受けたのなら、それは自分の意志であったわけだしその他の、実際に日弁連が「不当な手術だった」と言い切って、集団訴訟を起こそうとしている1万6500人の知的障碍者や(遺伝性)精神疾患の患者が、かりに優生手術を受けず、子供を授かっていたとして、その子供にとっても本人にとっても上の福岡の悲劇のような結果にならずに、本人もしくは周囲の親類縁者がきちんと子育てが出来たという保証などどこにもない。精神病患者の中には自傷他害行為を起こす可能性があって措置入院するケースもあるわけで。
知的障害者や(遺伝性)精神疾患の患者でなくても、生みっぱなしでの嬰児遺棄(昔、コインロッカーベビーというのが一時期多かった)鬼畜のような幼児虐待の悲劇だって多いのだし。
司法制度改革で食えない左派系「人権派」弁護士が増え過ぎたのか、最近の弁護士は変なのが多すぎ。「審査が甘かった」のではなく、狡猾にこの制度を悪用する人々がいた、と考えるべきだろう。また、世の中には「必要悪」があることも事実。
このような行政を相手取っての不毛な泥仕合になるような集団訴訟以外にもっとやるべきことが他にないのか、と思ってしまいます。やるならば、行政(国)相手ではなく個別の案件として、制度を悪用して当時その手術を違法に行った医療機関か、その人に手術をすすめた本人の親類縁者(手術に同意した身体障碍者の保護責任者)を訴えるべきでは。
<旧優生保護法>「私も産めたのに」脳性まひ女性 今も悔い
https://mainichi.jp/articles/20180306/k00/00m/040/143000c
約10年前に福岡で身体障碍者の女性が我が子を絞殺した事件が起きたことをご記憶の方もおられると思いますが、以下のような事件でした。
=2008/09/24付 西日本新聞朝刊=
福岡市西区の小戸(おど)公園で内浜小1年富石弘輝(こうき)君(6つ)が殺害された事件で、殺人容疑などで逮捕された母親の富石薫容疑者(35)が、体が不自由なため弘輝君にトイレ介助を頼んだ際「何もしてくれないのにお手伝いばかりさせられる、と言われて絶望的になった」と動機を供述していることが23日、分かった。関係者が明らかにした。
関係者によると、薫容疑者は病気のために手足が不自由で、1人で立ち上がることも容易でないという。弘輝君は情緒障害で特別支援学級に通っており、薫容疑者は十分に子育てができないことを悩んでいたという。
薫容疑者は18日午後、公園の身障者用トイレ内で、弘輝君の首をひも状のもので絞めて殺害し、トイレ裏に遺体を捨てた疑いで22日、逮捕された。
薫容疑者はこの際、園内の遊具コーナーで遊んでいた弘輝君に「トイレに行くから助けてね」と介助を求めたが、弘輝君にトイレ内で反発されたため「絶望して、もうどうなってもいいと思った」と話しているという。
県警はトイレ内で衝動的に殺意を抱いた疑いが強いとみて、経緯を調べている。薫容疑者は遺体を遺棄した理由については「雑木林の方に歩いていったが、限界がきてトイレ裏に置いた」と供述している。
一方、薫容疑者が首を絞めるのに使った凶器は、持参したひも状のものである疑いが強いことも判明。関係者によると、薫容疑者には自殺願望があり「いつでも死ねるように持ち歩いていたゴムホースを使った」と話しているといい、県警が裏付けを進めている。
この事件はこの子供さんにとって痛ましい悲劇的な事件でしたが、つまり、
①身体障碍者が自分の介助に日常的に幼い我が子を使うという構造が出来ていた
②「介助を拒まれた」ことが我が子殺害の直接の動機になりうる(「絶望した」という身勝手な動機)
この2点が言えます。
殺された子はまだ6歳の子供で、本来まだ自分が保護されるべき立場。つまり、
③身体障碍者が子育てをすることを支えるような社会的な福祉環境や福祉予算は当時も、そして(老人医療費が膨らむ一方の)今の日本にも残念ながらない、という実情が見えてきます。
(例えば目の前の「子供の貧困の問題」の方が緊急に取り組むべき課題でしょう)
旧優生保護法をめぐっては、日弁連が優生手術を受けた2万5千人のうち、1万6500人については、知的障碍者や精神疾患の患者などに対する不当な手術であり、審査管理がずさんであったとして、集団訴訟を起こす構え。(大部分はカルテなどの記録が既に存在しないそうだ。カルテの保管義務は5年)
今日の毎日新聞に出ていた「優生保護法のせいで不妊手術を受けた」となげく60歳の富山県の障害者の女性(この人の場合は集団訴訟の対象外)のように「子供を生みたかった」という悲しみを感じるのは女性としてわからなくはないが、子育ての苦労を味わったこともなく、常に保護を受ける側の彼らの中には、先の福岡の例ではないが、(子供にも人格はあるからやりたくないことをやらされることを正直にいやだというのは、ある意味仕方ないのに)肉親だからと言って子供を「永久に親身に介助してくれる相手」だと考えている人も、中にはいるかもしれない、と思える点も正直いって否定できません。
もちろん障害者を取り巻く環境が、今よりもむしろノーマライズしていくことは大変良いことだと思いますが。(ちょうどもうすぐパラリンピックですが)
しかし、この女性のように、自ら申し出て優生手術を受けたのなら、それは自分の意志であったわけだしその他の、実際に日弁連が「不当な手術だった」と言い切って、集団訴訟を起こそうとしている1万6500人の知的障碍者や(遺伝性)精神疾患の患者が、かりに優生手術を受けず、子供を授かっていたとして、その子供にとっても本人にとっても上の福岡の悲劇のような結果にならずに、本人もしくは周囲の親類縁者がきちんと子育てが出来たという保証などどこにもない。精神病患者の中には自傷他害行為を起こす可能性があって措置入院するケースもあるわけで。
知的障害者や(遺伝性)精神疾患の患者でなくても、生みっぱなしでの嬰児遺棄(昔、コインロッカーベビーというのが一時期多かった)鬼畜のような幼児虐待の悲劇だって多いのだし。
司法制度改革で食えない左派系「人権派」弁護士が増え過ぎたのか、最近の弁護士は変なのが多すぎ。「審査が甘かった」のではなく、狡猾にこの制度を悪用する人々がいた、と考えるべきだろう。また、世の中には「必要悪」があることも事実。
このような行政を相手取っての不毛な泥仕合になるような集団訴訟以外にもっとやるべきことが他にないのか、と思ってしまいます。やるならば、行政(国)相手ではなく個別の案件として、制度を悪用して当時その手術を違法に行った医療機関か、その人に手術をすすめた本人の親類縁者(手術に同意した身体障碍者の保護責任者)を訴えるべきでは。
<旧優生保護法>「私も産めたのに」脳性まひ女性 今も悔い
https://mainichi.jp/articles/20180306/k00/00m/040/143000c