「朝鮮の分断の悲劇は彼の地にリンカーンやガンジーのような国を一つにするような人物が現れなかったことが根底にある原因」、と前記事でえらそうに書きました。
実際、何故そのような人物が現れにくかった(今でも現れない)のだろう。
その要因として
①中国によって500年間もの間、冊封体制に置かれた国(例:貢女)だったこと
②身分制度に縛られた社会(科学が庶民の中に無かった、庶民には文字の読み書きなどの教育の機会すら与えられなかった)
③不健全な精神風土(例:障碍者差別、女性差別)
なども要因と思われる。
朝鮮半島は中国がモンゴル民族によって支配されていた元の時代頃から中国の王朝に支配を受ける冊封体制に置かれていた、実質中国の属国だった。
1392年に高麗の武将李成桂太祖 (女真族?)が高麗王(恭譲王)を廃して、自ら権知高麗国事(高麗王代理、実質的な高麗王の意味)になり即位を自称したことで成立したのが、李氏朝鮮。
李成桂は翌1393年に中国の明から権知朝鮮国事(朝鮮王代理、実質的な朝鮮王の意味)に正式に封ぜられた (冊封体制)
中国の王朝が明から清に変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は1894年まで中国王朝の冊封体制下にあり、李氏朝鮮は成立から併合されるまで、政治的な派閥抗争が常に絶えなかった。
冊封体制下の朝鮮
①中国への「貢女」=地域社会、国全体の幸福が損なわれていた
朝鮮半島には「貢女」といって、主に明や清の時代の約500年間の李氏朝鮮時代、中国の王朝の冊封体制下にあったため、「若く健康な美しい女性」を献上品として中国の皇帝の使いに差し出さなければならなかった。
「貢女」WIKIより
中国本土の使臣によって私的に連れて行ったケースを含めると、朝鮮半島から献上された貢女は数えきれないほどの数にのぼると言われている。中国から貢女を選抜する使臣が訪れると、朝鮮では選抜機関を設置して、巡察使が各地を物色したが、民衆は激しく抵抗し、貢女候補になるや、娘の顔に薬を塗り傷を付けケースや出家させるケースもあり、幼児を嫁がせることまであったという。そのため、李氏朝鮮時代には「12歳以下の女子については婚姻を禁ずる」法令を下した。
李氏朝鮮王の太宗8年には、処女30人が選抜されたが、中国の使臣は「美しい女がいない」として罰しようとし、娘たちも指名を避けるため、障害があるかのように装い、太宗は「処女を隠した者、針灸を施した者、髪を切ったり薬を塗ったりした者など、選抜から免れようとした者」を罰する号令を下した。韓国で英雄視される世宗も「国内の利害のみならず、外国にも関係することなので、ただ(中国皇帝の)令に従うのみ」と述べ、(名君どされる)世宗の時代に最も貢いだ女性の数が多かった。朝鮮日報によるとその史実は韓国国内では全く知られていない。
この歴史こそが、「旧日本軍による慰安婦の強制徴用」という虚構のベースになっている朝鮮半島の哀れな歴史なのだ。
■「貢女」~中国の王朝による優れた遺伝子の簒奪
貢女(朝鮮語: 공녀、コンニョ)は、一般に女性を朝貢品の1つとして献上することで、帰国が出来た女性は国内でも還鄕女(朝鮮語: 환향녀、ファンヒャンニョ)として蔑視・差別待遇を受けた、とあります。
現在でも朝鮮語・韓国語で女性を節操のない女だと罵倒して卑下する言葉として用いられるファニャンニョン(화냥년)の語源のようです。
5世紀に高句麗・新羅から中国の北魏に(女性を)送ったという記録があるそうですが、朝鮮半島から貢女の献上が最も盛んに行われたのは高麗後期から李氏朝鮮時代にかけてだったそうです。
迎恩門
宗主国である清の皇帝の使者を三跪九叩頭の礼で迎えるためにつくられた迎恩門。漢城の西大門にある敦義門のすぐ外、義州を経て北京に至る街道に建てられていた。日清戦争後、清からの独立後の1896年に柱だけ残して撤去され、代わりに京城(現在のソウル)に「独立門」が建てられ、というのが正しい。
②「李氏朝鮮」時代、李氏朝鮮時代後の、(下関条約でようやく日本の支援によって清から独立して出来た)「大韓帝国」は、社会をみてみると差別の凄まじい身分制度に縛られた国家であった。「両班」という貴族階級に属していない多数の国民には「文字を学ぶ」という最低限の教育を受ける機会すらほぼ与えられていなかった。
数学、土木工学、農業、その他の科学などは民衆に根付くはずもなく、木を曲げて車輪すらつくれなかったので、モノを運ぶときは人力で頭上や背中にしょって運んでいた。(労働の非効率、生産性の低い社会だった)
③非人道的な病的精神風土
病身舞(ピョンシンチュム、병신춤)などがあった
韓国慶尚南道密陽地方発祥の伝統舞踊で、ハンセン病患者、小人、身体障害者、背むしなど病身の人々の様相を真似たものである。旧暦の7月中旬を作男の日(モスムナル、머슴날)と定め、作男達をもてなして、様々な踊りと土俗的な遊びをした。
病身舞(ピョンシンチュム、병신춤)などがあった
韓国慶尚南道密陽地方発祥の伝統舞踊で、ハンセン病患者、小人、身体障害者、背むしなど病身の人々の様相を真似たものである。旧暦の7月中旬を作男の日(モスムナル、머슴날)と定め、作男達をもてなして、様々な踊りと土俗的な遊びをした。
日本には「弱いものをいじめてはなりませぬ」という教えと古より「女性への敬意」があった。
東アジアの中の近い国であっても精神性が全く異なるのだ。
朝鮮では逆で、障碍者は徹底的に差別されていた、今でも塩田労働者として奴隷のように働かさている事例などみつかっているし、女性差別も凄まじいから性的虐待事例なども多く、韓国の外交官によるセクハラは世界中で告発事例が多い。
日本の外交官が現地でセクハラ犯罪を行ったという話は殆ど聞いたことがないし、このように韓国外交官においての事例が多発するのは病気?としか思えない。
NZでの事件
チリでの事例
駐チリ韓国外交官の未成年者セクハラ映像が公開
駐チリ韓国外交官の未成年者セクハラ映像が公開
米国での事例
記憶に新しいソウル市長の事例
日本における事例
虚構の「慰安婦問題」は行きつくところまで行きついた感がある。
このようなものをつくるのは非礼で、幼稚で、精神勝利をしているつもりでも、韓国人や北朝鮮の人々にとって本当に解決すべき問題は自国の中にあることを認めるべきなのだ。
嘘とわかっていてやっている感もあり、要するに、やくざが家の前で隣近所に響く大声で騒ぎたてて強請り続けると同じ手口ということ。
こんな像は問題解決に何の役にも立たないし、日本人の嫌韓感情が更に悪化するだけで、自国にとり、亡国だということに気づかない、「自国の歴史を正しく知らない、言語を正確に反映させる文字を持たず、歴史を失った実はとても哀れな人々」が韓国・朝鮮人達なのだ。
「江原平昌郡大関嶺面の韓国自生植物園に慰安婦少女像に向かって土下座で謝罪する永遠の贖罪像」なのだそうだ
しかも、韓国政府はいまだに撤去する気がないらしい。
むこう千年くらい、半島には「丁寧な無視」を続けつつも、世界に向けては正しい情報発信をすべき。
日本のために戦った英霊達にも申し訳なく、未来の日本人の子供達まで虚構の汚名を着せられることになり、現在進行形においても在外邦人の子供らが不利益を被ることになる。
日本政府もいつまでも「大人の対応」などと悠長なことをいっていないで、とるべき態度で、やるべきことをやってほしい、
そこには根深いものがありますね。
理屈を言っても介さない人々なので、植物園の像を撤去するまで猛烈に非難して欲しいですね。情報の質より、圧倒的な発信量が重要だと思います。
本来ならば政界・経済界やメディアが強く抗議すべきなのに日本の外交は、事なかれ主義の典型のようで不甲斐ないです。結局外務省もメディアもダメなので日本国民が叫ぶしかありません。
コロナ禍で唯一良かったのは、今回のことで日本のとるべき道をしっかり選択することを迫られたという点ですね。
先日はとうとうアメリカのCSISが名指しで今井尚哉首相補佐官や二階幹事長を中国の工作員だよと指摘されていましたが、これは氷山の一角です。重要ポストにいる経産省出身の元大阪府知事のあの人もそうだし、名指しされなかった大本命の首相候補こそ警戒すべき人物です。あの人物が総理になったら日本はおしまいなので、流石にここにきて米国が警告しているのだろうなと思いました。阻止する方法はないものかと思うのですが・・
Stone breakは最悪でしょう。
習近平の来日の賛否がわかりやすい判断基準になります。
歯切れのいいコメンテーターで弁護士の元大阪府知事もその基準ではちょっと危うい感じです。
歴史上、朝鮮半島の国々はChinaの属国で全く頭があがらず、それが染みついているようで現代でもそれが続いているのですね。
元大阪府知事の弁護士さんは日本の中に別の「都」をつくろうとしているような危険人物だし、私はむこう側の人だと思っております。