これは駐韓中國大使館の写真です。 2009年着工された建物は駐韓外国大使館の中で断然最大規模で地下2階、地上24階で建物は延面積が1万7,199㎡に達するとあります。これを事実上の、現代の「朝鮮総督府」と揶揄する声もあるようです。
朝鮮戦争で韓国のために米兵延べ22万3000人を投入し、3万6000人もの米国人の命を落として戦った同盟国である米国の大使館は下の様な建物です。
中國大使館とちがって高層建築ではありません。高さ制限のため、現在の場所での建て替えを断念しているようです。
こちらが駐韓日本大使館跡地です。やはり建築許可がおりず、建て替えが出来なかったため、地面が更地になったままなのです。
■2年後に移転が決まった駐韓米国大使館
駐韓米国大使館のある場所は光門広場に近く、この場所では韓国の文化財保護法で新しい建築物は高さ14mまでの制限を設けられており、現在の駐韓大使館の建て替えが同じ場所では出来ず、1968年から現在まで古い建物のままのようです。
駐韓米国大使館の壁をよじ登る韓国の大学生たち
少し前のことになりますが、今年の6月に「駐韓米大使館が龍山に移転、光化門時代に幕下ろす」というタイトルで、駐韓米国大使館移転の記事が韓国のメディアで報じられていました。
「駐韓米国大使館は1968年からあった現在の場所から、以前在韓米軍基地が運営する龍山駐屯地の一部で、両国間の取り決めで米国によって所有されており、龍山区龍山洞1街1-5番地 の龍山公園北への移転計画案が正式に通過。そこに高さ55メートル以下最大12階建ての建物の建設が可能になった」のだそうです。
現在の駐韓米国大使館は1968年から使用されてきたもので、米韓両国の間で龍山区(よんさんく)に移転することが2005年に原則的に合意。
ソウル市政府と大使館が2011年以来、建物、新しい道路、その他の施設の建設を含む、プロジェクトのサイトの地区単位計画について話し合っていた。現場での実際の建設は、建物建設の承認を含むフォローアップの行政手続きから約2年後に開始予定」とあります。
引用元:
グーグルマップで調べるてみると、下の地図のような位置関係で、現在の位置が上の印で、2年後の移転先の米国大使館予定地が下の印です。
ソウルの中心に近い光門広場近くから、ソウル特別区の龍山区への移転が決まったわけです。肝心の米国大使はまだ未定のようです。
日系米国人でアジア太平洋軍司令官という経歴の前駐韓米国大使であったハリー・B・ハリスJr.大使の後任の駐韓米国大使は不在状態のようです。
但し、駐日大使のレイモンド・グリーン(臨時代理大使)も「臨時代理大使」ということで、就任日もつい先月の 2021年7月17日でした。
(「バイデン政権」というのは果たして米国を代表している政権なのでしょうか?)
■日米の駐韓大使へのいやがらせは常態化
駐韓日本大使館が受け続けているのと同様、米国大使館前の様々ないやがらせデモや大使館の敷地内への住居侵入などといった「ウィーン条約違反」を通り越し、「違法行為」「駐韓大使への暴行傷害事件」などまで発生しました。
駐韓中國大使館や大使に対しては絶対起こらないようなことが、日米に対しては、とても友好国とは思えない所業が大使館や大使に対して繰り返されてきたようです。
韓国で起こったハリー・ハリス前駐韓米国大使への抗議デモの様子
朴槿恵前政権下の2015年3月15日リッパ―ト駐韓大使に対する襲撃事件。ソウルにある「世宗文化会館」での朝食会の席で、スピーチする前の大使に対して、刃物を持った韓国人の男が襲撃。右あごの上に約11cm、深さ約3cmの傷と左腕を貫通する重症だったそうです。リッパ―ト大使は大変親韓的人物だったそうなのですが・・
「無届のデモが定例開催される在韓日本大使館とは異なり、長らく在韓米大使館周辺の集会やデモは、「集会及び示威に関する法律第11条4項」を根拠にし、警察側が半径100m以内の開催を徹底的に禁止してきたが、2016年12月、市民団体が起した米国大使館前での集会禁止通告処分取り消し訴訟で、裁判所が市民団体の訴えを認めたため、以後、禁止の程度が緩和され大使館前で合法的な集会やデモ活動が許される道が開かれた」とあります。
近年では
2019年6月25日、40代の男性がブタンガスを積んだレンタカーで米国大使館へ突入を試み正門に衝突。ソウル鍾路警察署は、男を特殊器物損壊容疑で逮捕。
2019年10月18日、大使公邸前でデモを行っていた親北朝鮮団体メンバーの男女17人が梯子を使って公邸の石塀を乗り越えて侵入。公邸の建物の玄関前を占拠した。大使と家族は外出しており無事だった、などの事件も起こっているようです。
このリッパ―ト大使事件のあと、トランプ政権発足から約1年余り、在韓米国大使はなかなか決まりませんでした。
ただ、これは韓国だけの話ではなく、実はドイツやオーストラリア、ベルギー、エジプト、ヨルダン、サウジアラビアといった国々も大使が不在で、その数は40カ国以上だったようです。
これは旧駐韓日本大使館の写真です。既に解体されてなくなっています。
後ろにあるのは現在の駐韓日本大使館が間借りして入居しているツインツリータワーという高層建造物です。「文化財保護法」施行以前に建てられたのだそうです。
つまり韓国の「文化財保護法」というのは日本が駐韓日本大使館を建て替えるのを邪魔するためにつくられたかのような法律なのです。
駐韓日本大使館の位置を表示したのが下の地図で、現在の駐韓米国大使館は近所なのですが、2年後にあちらは移転が決まったということです。
駐韓日本大使館は、1965年6月22日東京で日韓基本条約が調印されたのを受けて、同年6月30日在ソウル在外事務所が開設されたのが始まりだったそうで、地下1階、地上5階のレンガ色の建物は建築から40年近く経ち、日本政府が2012年に建物を取り壊し、新大使館を作ろうとしたが、建築許可が下りなかったそうです。
日本大使館周辺には既に50~60メートルを超えるビルがあったそうなのですが、日本大使館の建て替え申請の直前の2010年12月に「文化財保護法」(注)が発効されて、高さ14m以上の建物の建造を禁止。
(注)韓国の文化財保護法:光化門前にある朝鮮時代の官庁「議政府」の跡地(議政府址)が文化財指定され、光化門広場~世宗路の昔の六曹通りにあった主要官庁のうち、唯一痕跡が残っている場所であるとしてソウル市が「議政府址」1万1300平方メートルを国指定文化財の史跡に指定。
引用元:
建築許可が下りなかったことで、日本政府は旧駐韓日本大使館跡地に日本大使館の建設計画を放棄して、現在はソウル特別市鍾路区栗谷路6という場所の ツインツリータワーA棟 に賃貸料を払って大使館を置いているという状態。
このビル内の賃貸料の他、在留邦人向けの施設などどで、「朝鮮日報」によると、日本政府は3カ所の賃借料と管理費で毎月3億ウォン(約3000万円)年間36億ウォン(約3億5000万円)以上払っているそうです。
旧本大使館の敷地は現在地面がむき出しになった状態で、建築許可も取り消された状態で放置されており、高い壁とつる植物が絡み付いた有刺鉄線で囲まれており、まさに現在の日韓関係そのものを表しているようです。
■対照的に、駐日韓国大使館(南麻布)や、韓国文化院(四谷)は好きなだけ高層化され、その他日本全国に多く韓国総領事館があります。
これは南麻布にある韓国大使館(上)です。新宿の四谷には韓国文化院(下)という高層建造物まであります。
日本には、1965年の日韓基本条約と当時に交わされた在日コリアンに関する「地位協定」で1世と2世の在日韓国人に対しては「特別永住許可」が付与されておりその人々の子孫とされる3世、4世の方々なども大勢暮らしてます。
在日外国人のうち、韓国・朝鮮籍の人々は独立行政法人統計センター発表の統計によれば、2020年12月末現在で45万4,122人。そのうち韓国籍は42万6,908人、朝鮮籍は27,214人とされ、その内の韓国・朝鮮籍の特別永住者は30万0789人となっているそうです。
この人々が韓国へ帰国せずに、在外国民登録(4世、5世などの)、パスポートの発行その他の業務を行っているのが、在日韓国総領事館で、札幌、仙台、新潟、名古屋、横浜、神戸、大阪、広島、福岡など全国の主要都市に韓国領事館があるようです。
■駐韓日本大使館は常態的に「ウィーン条約違反」状態
大使館前では毎週「水曜デモ」を行うという「ウィーン条約」(第22条・接受国は(中略)公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止するため適当なすべての措置を執る特別の責務を有する)に違反する状態が続いてきました。
「水曜デモ」と称して日本大使館前に設置された「慰安婦像(少女像)」の周りで1992年1月8日から毎週水曜日に抗議集会を行い続けており、今年の7月14日で1500回に上っているそうです。
このように嫌がらせはどんどんエスカレート。
■現在では日本企業なども韓国からは次々と撤退しているようです。
昨年の日本製品の不買運動によって韓国から撤退を余儀なくされた日本企業は日産自動車(2020年6月1日に韓国市場からの撤退発表)オリンパス、オンワード、デサント、ファーストリテイリング傘下のGU、アサヒビール(2021年2月、韓国撤退 全社員に希望退職実施)とあります。
昨年の日本製品の不買運動によって韓国から撤退を余儀なくされた日本企業は日産自動車(2020年6月1日に韓国市場からの撤退発表)オリンパス、オンワード、デサント、ファーストリテイリング傘下のGU、アサヒビール(2021年2月、韓国撤退 全社員に希望退職実施)とあります。
この背景にあるのは韓国の官製不買運動があったことも事実ですが、もっと大きな問題は、日韓基本条約によって解決済みであったはずの「徴用工」の請求権問題。
日本政府は請求権問題が1965 年の日韓請求権協定で解決済みとの立場ですが韓国最高裁は、2018年10月30日に、日本による朝鮮半島統治時代に「強制労働させられた」として、元徴用工の韓国人4人が新日鉄住金(旧新日本製鉄)に損害賠償を求めた訴訟の差し戻し上告審で、韓国最高裁は30日、同社に賠償を命じた2審判決を支持して同社の上告を棄却し、原告請求の全額の計4億ウォン(約4千万円)の賠償支払いを命じる判決を確定。
韓国での戦後補償訴訟で日本企業への賠償命令が確定したのは初めてだったそうですが、これはそれまでの韓国政府の立場でも、請求権協定は解決済みの立場であったからです。
しかし「自称徴用工」問題で、徴用工訴訟の対象となっている日本企業は三菱重工業、不二越、日立造船など70社を超えているそうです。一人当たり1000万円で請求してきた場合どうなるかといえば、
最大で、1000万円×22万人=2兆2千億円という巨額の資金を日本企業の資産を差し押さえて、違法に奪取しかねないのが今の韓国という国です。
引用元:
韓国には45664人もの在留邦人がまだ暮らしているようです。韓国籍の相手と結婚し、そのまま在留している邦人はやむ得ないでしょうが、日本企業の撤退も今後は加速しており、なるべくなら早く日本に帰国するのがよいのではないでしょか。
それでも残らざる得なくなった場合、半島有事のときには日本の自衛隊は韓国に直接助けに行くことは出来ませんので、帰国出来なくなることも、覚悟して頂く必要がありそうです。
日本の海上自衛隊のP1哨戒機への「火器管制レーダー」照射事件以来、日韓に軍事同盟関係は事実上破綻しているようです。双方の合同軍事演習はおろか、相互の観艦式への参加なども行われていません。
これが、現在の日韓の状況です。
日韓基本条約で請求権協定は日本側は半島に残してきた官民の財産約19兆円を放棄する一方、合計5億ドルもの資金が韓国政府に一括で渡されています。
韓国政府は日米によって、朝鮮半島の唯一の国家承認された政府であったたため、その金額には当然ながら北朝鮮の「徴用工」の分も含まれているはずです。
現在の韓国政府の対応はあまりにも酷すぎますし、このままの状態が続き、韓国最高裁の判決が実行されるのであれば、日本の民間人が放棄した半島に残してきた資産を請求し返すと同時に、在日コリアンの子孫だけを特別扱いで「特別永住許可」を無制限に認めるのではなく、他の外国籍の人々と同等の扱いで一本化してよいのではないでしょうか。
「自虐史観」で洗脳され続けてきた大人しい日本国民の血税から、それこそ山の様なODAの数々や、多くの技術援助、技術移転など行なってきましたが、日本はあまりにも韓国に対して一方的に大きな代償を払い過ぎました。
「普通の二国間関係」に今後は戻して、対等な関係を保つので十分なのではないかと思います。