現在は~市町村合併で佐世保市に編入されています。
世知原は~炭鉱の町でした。飯野炭鉱があり町は活気があったように思います。
今の~世知原は お茶 が有名な様で全国的なコンクールでも入賞しているそうです。
わたしの父も世知原の炭鉱で働いていました。
線路がありますよね~ここに石炭を運ぶ蒸気機関車が入って来ていました。
写真中央に見える三角の山が~ボタ山です。ボタ山~って知っていますか?
ボタ山は~石炭を採掘した残りカス(石炭ではない土?)を捨てる場所です。
昭和30年~40年頃は石炭産業は九州各地で隆盛を誇っていました。
しかし~次第に斜陽産業となり次々と山が閉山に追い込まれていきました。
世知原の飯野炭鉱もその流れを止める事は出来ず~昭和45年に閉山となりました。
そしてその後~父の仕事の関係で倉敷へと引っ越して来る事となりました。
昭和30年代~40年代 日本は高度成長時代・奇跡の20年間と言われる時代でした。
でも~今の暮らしと比べるとまだまだ貧しかったと思います。
世知原時代・物心ついた時には~家に確かテレビは白黒ですがあった記憶があります。
洗濯機・冷蔵庫もあった様な?でも自家用車は持っていませんでした。
銭湯に行っていたので~家にお風呂は無かったのかも? いや~小さなお風呂はあったかな??
でも~当時の写真を見るとやっぱりお世辞にも豊かな感じはしませんよね。
戦時中・予科練への入隊~戦後の混乱期~高度成長期~炭鉱の閉山~故郷を離れる決断・倉敷への転居。
新しい職場での再出発~70歳で母との死別~そしてここ6年間はパーキンソン病との闘い。。。
父は~口にはしませんでしたが苦労をしてきた人生ではなかったかと思います。
その父が先日~84歳で人生の幕を閉じました。我が家にとって慌ただしい時間が流れました。
最後はずっと~病気との闘いでしたのでやっと楽になれたかなとも思います。
病気療養中~胃瘻や気管切開などわたしもいろんな決断に迫られました。
その頃~父はもう自分自身での判断能力がなかったのでわたしが判断をしましたが
父が生きる為に~そう言う事を本当に望んでいたのか?どうかは分かりません。
もしかしたら逆に辛い思いをさせてしまったのかもしれません。その事は一番の心残りです。
また時期を見て~故郷・世知原を父を偲びながら訪ねて見たいと思っています。
昭和40年頃~父が一生懸命生きた町・我が家が暮らした町の風景をゆっくりと眺めて見ようと。
ありがとう~親父。あなたが生きて来た人生に合掌。。。
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マスター☆
MAY
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