青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

北大阪急行「会場線」

2021-05-05 | 昭和・懐かしい北摂の風景

1970年の日本万博博覧会。行かれた方はどうやって会場まで行かれましたか?「会場から電車に乗って、梅田回りで豊中に・・」と、学生時代の80年代に友人に話すと、「万博から電車は出ていない」と笑われたものでした。

僕の記憶には鮮明に、現在の中央環状線に垂直に駅があり、そこから電車やバスが出ていました。今でこそ、大阪空港からモノレールが出ていて、「万博記念公園」駅がありますが、モノレール以前はバスか自動車で「エキスポランド」に遊びに行ったものでした。

確かに電車で万博に行った・・僕の話を誰も覚えていないし、もう1つ言えば、今現在の阪急電車・大阪梅田駅は、僕が小学生の時は今とは違う場所にあった・・こう言っても「同じだよ」と言われたものです。(梅田駅のホームの場所は、昔は現在の阪急百貨店前の目抜き通り・グランドビル前の通りのある所でした!)

この写真は貴重です。僕の記憶が正しいことの証明です。中央環状線を電車が走っていたことを覚えている人が、一体どれだけいるでしょう?現在はモノレールが走っている所を、電車が走っている写真です。

向こうに見えるのは、「万国博中央口駅」。電車の正体は、千里中央駅と万博会場を結んだ北大阪急行「会場線」で、1970年万博開催前の2月に開業、終了後の9月に廃止となった路線です。

駅下に階段が数本あるのは、バス乗り場。僕の家からわずか数分の、阪神高速空港線沿い・豊中市立蛍池小学校裏門近くにバス停があり、そこから座って万博会場までバスで行くことが出来ました。電車はバスが混雑して乗れない時、万博会場からの帰路に使いましたが、梅田回りになるので、時間は掛かるし立たないと駄目だし、超満員だしで疲れたのを覚えています。

万博の時に、電車が走っていたと言うと信じない人がいますが、これが証拠です。

よくご覧頂かないと分かりませんが、写真の左上の土手に見えるのは植え込みではなく、人の凄い行列です。これぞアメリカ館に並ぶ長蛇の列です!アメリカ館に入場するのに5時間待ちなんて、当時普通でしたから。アメリカ館とソ連館に入場するのは、当時の子供の万博での夢というか、難しい目標でした。両方に入った人は、何度も万博に行ったことのある僕の友人にも少なかったです。



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