青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

昭和~令和の “興亡史” ~大阪池田線

2024-01-01 | 昭和・懐かしい北摂の風景

新年明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

              2024年 元旦

 

1年で1番道路が空いていて走りやすい、それが元旦!18歳で自動車免許を取得して以来、必ず元旦は車かバイクで走っていますが、本当にいつでも道路がこうならいいのに。目的地まで、下手したら普段の半分の時間で行くことが出来ますから。

でも、今日思ったのは昭和から令和へと移り変わって、世の中は右肩下がりなのでは?ということ。

ここは大阪池田線と阪神高速11号池田線。「餃子の王将」の中で、来店客数と売上が日本一の空港線豊中店を少し南下した、現在のペットショップ「空港ドッグセンター」辺りから南を臨んだ、昭和49年(1974年)の写真です。まだまだ自動車も少なかった時代でした。そこから高度経済成長を経て常に渋滞する道路だったのですが・・。

今では普通に走れる道に。そうです、自動車の数が明らかに減少しました。僕が1番働いた昭和~平成時代は、本当に車の数が多く、常に渋滞していたのに・・・。

こちらは大阪中央環状線と中国道。左端、坂道の上に見えるのは大阪大学の理学棟と正門です。この中環は堺から八尾、東大阪、門真、万博公園を経て池田まで走る主要地方道で、内環、外環と共に大阪府の環状軸を成しています。これは昭和52年(1977年)撮影。ここでも当時は自動車が少ない。

平成9年(1997年)になると、ここに大阪モノレールが架設されました。この辺りが「待兼(まちかね)」と呼ばれる地域で、マチカネ・ワニの化石が出たのもここだし、JRAの馬主である細川益男氏が自らの所有馬にマチカネという冠を付けたのも、この地名にちなんだからです。(細川氏の卒業高校である旧制浪花高等学校が、ここ待兼にあったから。)

こちらも今は本当に空いています。車が増え、道路沿いにいろいろなお店が出来て町が栄えましたが、車が減った今、いろんな道路沿いのお店が消え去り、町から活気が失われて行きます。再び人口が増えて、車が増えて町が賑やかになって欲しいのですが、「結婚しないの?」「子供はまだ?」というような、僕が若い時には頻繁に聞いた単なる声掛けが問題になる社会では、もう望むことも無理なのだろうと感じてしまいます。

昔は当たり前だった言葉が、今では使わないように「指導」もしくは「強制」される。理由・理屈を付けられても、納得できないことです。そういう言葉で不快感を感じる人がいるのは分かります。しかし、常に「いろんな少数派に多様な価値観と言いながら配慮」することで、大切なものが崩壊している気がしませんか?日本という国の構造が、「何者かによって弱体化させられているのでは?」と感じるのです。

失われた時代の思い出を、本年も更新して参りますので、皆さま本年もよろしくお願い申し上げます。



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