今ならわかる。
そもそも俺は仏に人生を捧げようなんて、これっぽっちも思っちゃいなかったんだ。
俺は俺以外の何者かになるために仏に近づいただけだった。
【空に舞い上がるビニールシート】
ふと、自分の過去を回顧。
一瞬でも 自分はここで生きて、ここで死ぬのだと奮起して誓ったとしても
その前段階での 自分の動機がどうなのか。
俺以外の何者かになりたくて、縋っていたのではなかろうか。
今の、俺に満足せず、不満だらけで違う自分になりたくて、ここから救い出してほしくて、縋って行ったのではなかろうか。
だれでも、何かに誰かに「寄って」行った先にみえてくるのは、こういった自問だはないだろうか。
そこで、はたと気づく人、
気づかない、そんなことはないと断言する人が出てくる。
でも大概、そこから抜け出したくて 縋る人が多いのではないかしら。 違うものを見たくて寄るのでは、、、。
無論、それの良し悪しとは関係なく。