JR羽越本線は97年夏の北海道第1次遠征の際に特急白鳥を乗り通して乗り潰しを達成している。その遠征の帰りもトワイライトに乗っているので1往復したことになる。但し、どちらも暗闇の中の道中となり、しばらく昼間の羽越線に乗ることはなかった。
久しぶりに羽越本線に乗ったのは、2003年末の東京新潟東北遠征の時で、新潟から白新線経由で新発田へ出て、新発田から羽越本線で坂町まで行って、米坂線の乗り潰しをしている。この区間は直流電化区間だが、村上にデッドセクションがあるため、そこを通過する電車は交直両用電車が必要となる。特急はそれに対応するため485系を使用しているが、普通は高価な交直両用車は贅沢ということか、気動車が走っている。私が乗った列車もキハ110系を使用していた。この時は羽越本線はついでに乗った程度だったが、次の2005年末の遠征時は東北遠征の乗り潰しがメインではあったが、羽越本線にもかなりお世話になっている。
2005年夏の東北・北海道遠征では帰りに秋田から日本海2号に乗っているが、すっかり日が暮れた後の道中で、なおかつB寝台下段が取れたものの、合席となった年配の旅行グループンのおばちゃんに上段が怖い云々言われて席を交換せざるを得ない事態となったため、秋田から大阪まで上段寝台にこもりっきりの道中となってしまった。夜とは言え景色が全く見えない道中程厳しいものはないと痛感してしまった。
2005年末遠征では急行きたぐにで新潟まで出向いて、新潟から白新線経由で新発田まで行き、新発田から羽越本線に入って鶴岡まで乗っている。新潟から村上まで115系普通で直通し、村上で羽越本線気動車列車に乗り換えている。この時はちょうど直前に羽越本線でいなほが脱線事故を起こしており、鶴岡~余目間が不通となっていた。目的は余目から陸羽西線の乗り潰しをすることだったので、不通区間は代替バスに乗って余目まで行った。雪と鶴岡駅の折り返し線不足などから列車は1時間以上遅れて、代替バスも列車よりもかなり時間がかかり、陸羽西線で予定していた列車には乗れなかった。こんな時期に予定を立てたのが悪かったのだが、改めて列車が通常通り走るありがたさが身にしみた。この後、陸羽西線~陸羽東線と渡り歩いて、北上に宿泊して、翌朝北上線の乗り潰しをして、横手から奥羽本線を北上して秋田へ至っている。秋田から再び羽越本線に乗って、今度は南下していき、羽後本荘から由利高原鉄道の乗り潰しをしている。同鉄道乗り潰しの後も羽後本荘~秋田間で羽越本線ローカル列車の旅を楽しんでいる。かつての羽越本線は50系客車列車の天下だったようだが、今は見る影もなく701系が大きな顔をして走りまわっている。沿線は海沿いを走るところでは防風対策が各所に見られ、脱線事故が起きてもおかしくはない環境のところを走っているのがよくわかった。