JR相模線には04年12月30日に乗車している。関東圏ではJRすら乗り潰しができていない線区がたくさん残っていた時期で、ブルトレの廃止が再開した時期でもあり、たびたび関東に遠征していた時期だ。午前中にブルトレの撮影と神奈川の臨海地区のJR路線を乗り潰し、午前中遅い時間に茅ヶ崎入りして相模線乗り潰しに取り掛かった。オリジナルとは大きく前面デザインが異なる相模線専用の205系が待ち受けるホームへ。JRというより営団地下鉄の車両じゃないかと思うような前面デザインだが、乗ってみると山手線などで走っている205系と同じだった。相模線は関西で言えばと置き換えて想像してもそれに見合う路線が見当たらない。強いて言えば桜井線か和歌山線ぐらいだろうか?奈良線では少々都会過ぎるし、桜井線や和歌山線とは少しイメージが異なる。関西にはないような路線といったところだろうか?沿線はさすがに東京圏というには少々長閑な雰囲気があったが、海老名では小田急線や相模鉄道と連絡しており、都心へ向けてのフィーダー路線の役割も果たしていそうだ。八王子直通に乗ったので、橋本から横浜線にそのまま乗り入れて行ったが、全列車が直通するわけでもなく、直通電車も橋本で時間調整をするところは頂けない。関西ならもっと運転頻度を高めてサービスアップに努めてもよさそうな路線であるが、関東ではこう言った路線が結構悠長な運転頻度になっているのは、せっかちな関西人から見ると改善して欲しいと思ってしまう。
今日は加古川まで0系こだまの撮影に出向いていました。クルマで行くつもりにしていましたが、上りこだまを諦めれば電車でも行けることが判明したので、昨日3DAYチケットを購入して山電で加古川橋梁まで行くことにしました。高砂にレンタサイクルがあることを確認して現地に赴きましたが、朝の8時前では店も開いておらず…というか日曜日は閉店なのか?よくわかりませんが、歩いてでも行けそうだったので高砂から徒歩で加古川橋梁へ移動。程なく到着。徒歩でも十分です。堤防には3人ほど先客がおり、0系通過時には5人ほどになりました。堤防は広いので収容人員は相当あり、最終日にここを使うことも検討しようかなと思っております。しかし、ブルトレの廃止では大騒ぎするファンも新幹線に関しては結構静かな印象です。加古川まで足を延ばすのは億劫なのかもしれませんが、走行中の写真を撮るにはうってつけの場所だけにもっと人がいるかと思っていたので拍子抜けです。
ほとんどの人が0系で撤収し、一人二人ほど撮影している人はいましたが、その人たちも立ち去り、私だけが10時30分過ぎに通過する下り500系のぞみまで粘っていました。肌寒い中だったので体調を崩しそうですが、粘った甲斐があり、流し撮りを中心にかなりの枚数を撮り、自己満足して帰途に着けました。帰りがけの駄賃に山陽の加古川橋梁でもちょい撮りして帰りました。昔は山陽の隣に国鉄高砂線が走っていましたが、今は遊歩道として整備されており、何となく線路があったんだなと思わせる形になっており、廃線跡を散策するのも面白いかなと思います。0系、500系ともに残された時間が少ないのでまた行けるかどうかわかりませんが、時間を作ってもう一度加古川へ行きたいと思っております。
京急大師線には05年1月10日に乗車している。この日は大井町のビジネスホテルに泊まり、早朝から意気込んで大井町のホーム端でブルトレ撮影をして、地震の影響で遅れた銀河や出雲、あさかぜなどを撮影し、川崎ではやぶさ・さくらを撮って、京急川崎から京急大師線の乗り潰しに取り掛かった。京急川崎は本線は2面4線の高架駅だが、大師線は高架下から発着しており、それまで京急本線に乗ってもその姿を見ることはなかった。高架下のホームに行き、お大師さんへ向かう人波に少し驚いた。関東ではお大師さん参りはメジャーらしく、正月三箇日もとおに過ぎたこの日も参拝者が多いようだった。このため大師線も増発が図られており、乗り潰しするのはいつもより容易だった。終点の小島新田まで乗り通す人は少なく、駅前には貨物線が通っており、京浜工業地帯の真っただ中にいる様相だ。ここから羽田方面へ延長する計画などもあるようだが、そうでもしないと利用者は頭打ちになるだろう。ただ、空港アクセス列車を走らせるには少々カーブがきつく、決して本線級とは言えない線形が足を引っ張るような気もする。工場地帯にぽつんとたたずむ終点の小駅で折り返して京急川崎へ引き返した。
JR御殿場線には2度乗車している。1度目は沼津から特急あさぎりに乗って、新松田まで御殿場線、そのあとは当然ながら小田急線に入り新宿まで行っている。指定席が満席だったので、奮発して生まれて初めてグリーン車に乗ったのを思い出す。新松田~国府津間は未乗車のまま放置していたが、乗り潰しを本格的に考えるようになって、小骨が喉につっかえた状態が続いていたので御殿場線制覇の計画を立て、根府川で富士を撮影してから御殿場線乗り潰しに挑む計画を立てた。御殿場線といえば113系というイメージがあったが、私が乗車した05年1月10日には既に313系が稼働しており、ほとんど(全部だったか?)が313系に置き換えられていた。
西鉄貝塚線は私が乗った当時は西鉄宮地岳線だった。西鉄新宮以遠津屋崎まで路線が延びており、私は津屋崎まで乗り通して、西鉄福間まで戻って徒歩でJR福間駅まで移動した。この時は天神から地下鉄で貝塚まで来て、貝塚から西鉄に乗り換えて津屋崎へ向かったが、利用者は少なく、津屋崎に向かうにつれてどんどん利用者が減っていくのを実感した。当時はまだはっきりと廃止が取り沙汰されてはいなかったが、これでは途中系統分離などがあってもおかしくないなという状態だった。系統分離というのは貝塚方では地下鉄乗り入れに対応し、ローカル区間は従来通りの2両編成の列車で運行するという私なりの構想(妄想)だが、そうはならず、いきなり廃止になってしまったので面喰った覚えがある。今後残った路線で貝塚からの地下鉄乗り入れも模索していくものと思われるが、貝塚線が発展していくには地下鉄との直通は不可欠と言える。
05年1月3日に西鉄甘木線を乗り潰して西鉄久留米まで出て、久留米で少し撮影などを楽しみ、一旦下車してから西鉄太宰府線の乗り潰しをするため西鉄二日市へ。2000系急行に乗り、かつての特急車の走りを堪能して西鉄二日市へ。西鉄二日市にて天神大牟田線及び太宰府線の撮影をしてから、太宰府線の乗り潰しへと向かった。大宰府への初詣の参拝客輸送のため太宰府線は増結、増発が図られており、西鉄福岡から直通の臨時急行の運転などもあり、普段とは違う様子を窺うことができた。しかし、参拝客が非常に多く、通常の利用動向がどうなのかはよくわからなかった。2000系普通で終点の太宰府へ到着。とりあえず学問の神様にお参りして、再び西鉄に戻る。普段は閑散としているであろう駅構内には人が溢れ、ホームには2000系6連が2本停まっている。1本は折り返し運用の普通、もう1本は福岡直通の臨時急行。西鉄二日市でスイッチバックして西鉄福岡へ向かう臨時急行に乗って西鉄福岡へ。もう少し西鉄の撮影などをしてからと思っていたが、朝からの疲れが出たこともあり、その後は地下鉄を乗り継いでもうひとつの西鉄路線の乗り潰しへと向かうことに…。
今日も昨日に続いてお家で写真整理。体調不良もありますが、早めに0系を撮っておきたかったのに…来週から0系中心に鉄活動していきたいと思います。今日は1日京阪の写真整理をしつつ、古い写真の整理も…05年夏に遠征した北海道での写真を整理してみました。それ以来北海道には行っていないので、まだ3年程度だからあまり変わっていないだろうと思いながら写真を見ているとご当地ではなつかしの日本海になってしまった24系日本海とこちらも貴重になっている485系白鳥の並びの写真がありました。日本海は大阪ではまだ健在ですが、北海道から撤退して2年ほど経ちます。この当時はまだ元気に函館まで乗り入れていたのかと思うと…。写真を整理していると北海道に行きたくなりますね。もう少しうまく撮れたやろとかもっといい画を撮れなかったのかなどと思っていると、ついつい行かねば!!という気になります。私鉄乗り潰しがひと段落したら行ってみたいと思いつつ、いつになるのやらと思ってしまいます。
昨日も京阪詣でに行ってきました。最近毎週京阪を訪問しています。午後からの活動だったので、京都方面から入って、中書島で初撮影。ダイヤの関係で、上下列車がかち合うためいい画にはなりませんでした。中書島から快速急行で移動して香里園で区間急行に乗り換え、大 和田、古川橋にて撮影。大和田は午後は逆光となるので撮影者はほとんどいてませんでした。秋の臨時が出る頃にはまた撮影者で一杯になるでしょうが、ここしばらくは落ち着きを取り戻した感があります。1900系が動く時にもカメラマンがずらりと並ぶことでしょう。逆光の中3000系快急を撮りましたが、影があるのが鬱陶しい以外は案外撮れます。最近のデジ一は逆光や夜の撮影に強いですから、悪い条件と思い込んでいるとシャッターチャンスを逃してしまうことになります。とにかくシャッターを切るというのが一番だなと改めて思いました。京阪快速急行は前回訪問した時には昼間から一般車が走っていましたが、今回は3000系だけの運用のようでした。編成数が少ないのでやりくり次第では今後も一般車による快速急行も見られるでしょうが、基本は3000系による運用と見るのが正しいのでしょう。
西鉄甘木線には05年1月3日に乗車している。甘木鉄道の乗り潰しを終えて、同鉄道甘木駅から徒歩で移動して西鉄甘木線に乗り換える。中途半端な近さだが、両線を乗り換える人は鉄っちゃんぐらいのものだろうから別に駅が近くてもあまりメリットはなさそうだ。どちらかが甘木より先東へ延びていれば甘木での乗り換えの利用もあるだろうが、甘木から東は峠があるだけで都市がないので、延長しても赤字を吐き出すだけの路線となる。甘木から新鋭の7000系ワンマン電車に乗り、一路久留米へ。途中宮の陣で天神大牟田線と合流するが、ホームは個別に設けられており、宮の陣から先同線へ直通する電車が多い。正月三が日とはいえ、都市部へ向かう流れとなるため利用者は多かった。