被爆72年の今年。
国連で「核兵器禁止条約」が成立し、真の核廃絶に向け運動を加速する「転機の夏」となった。
今週のしんぶん赤旗(日本共産党機関紙)日曜版は、この動きを詳細に伝えている。
1面では、長崎市長・田上富久さんと被団協事務局次長・藤森俊希さんのインタビューが、6・7面では、インタビューの続きと原水爆禁止世界大会のスケジュールや全世界の核兵器の現状等が特集されている。
特に、藤森さんは、ご自身の被爆体験もお話になっている。
1歳4ヶ月の藤森さんは、爆心地から2.3kmで被爆した。吹き飛ばされ、身体中包帯でぐるぐる巻きにされ、やがて死ぬとみられていたという。
疎開していた兄姉4人は無事だったが、13歳の姉は爆心地から400mの建物疎開に動員されていて被爆、遺体は不明のままだった。
こうした生き地獄のような中から被爆者は、「核廃絶」の声を上げ続け、それが72年後の今年、「核兵器禁止条約」となって結実した。これを力に、条約への署名、批准を行い得る政府に変えねばと決意を新たにしていると言う。