みなさんの地元にはどんな歴史がありますか?
今日は東京の真ん中、日本橋箱崎近くを散策してみました。
日本中には多くの神社がありますが、稲荷神社も多くありますが、ここ、箱崎にもありました。
この稲荷神社ですが、江戸時代、徳川家の船手組持場でしたが、宝永年間(1708年)の元旦に下役の神谷喜平次という人が見廻り中、川岸に首級が漂着しているのを見つけ手厚く埋葬したそうです。
また、日本銀行(通称、日銀)の発祥の地も、ここ箱崎だそうです。
(ちなみに、現在の日銀の本店は、同じ日本橋の本石町にあります)
東京は、平野も多いですが、多くの川が存在し、昔はその運搬・流通によって栄えました。また、それと同時に、多くの橋が存在し、永代(えいたい)橋や豊海(とよみ)橋もそんな中の一つです。
永代橋は、元禄十一年(1698)に隅田川の第四番目の橋として、現在の永代橋の場所よりも上流約のこの付近に架けられていました。当時、橋の左岸を永代島と呼んでいたことから「永代橋」と名付けられましたが、一説には五代将軍綱吉の五十歳を迎えた記念として、その名を付けられたとも伝えられています。
豊海橋の現在の橋は、震災復興事業により、昭和2年に復興局が架設したもので、形式名はフィーレンデール橋だそうです。
また、この名前は考案者のフィーレンデールの名をとったものだそうです。
これは、船員教育発祥の地の碑で、政府の自主的な海運政策を進めるにあたり、船員教育の急務を提唱し、三菱会社長岩崎彌太郎に命じて、明治八年十一月この地に商船学校を開設させた事に、由来するそうです。
みなさんも、地元のちょっとした歴史を探してみるのも、おもしろいと思います。
※詳細につきましては、こちらのサイト(http://www.viva-edo.com/kinenhi/reiganjima/REIGAN.html)をご参照ください
今日は東京の真ん中、日本橋箱崎近くを散策してみました。
日本中には多くの神社がありますが、稲荷神社も多くありますが、ここ、箱崎にもありました。
この稲荷神社ですが、江戸時代、徳川家の船手組持場でしたが、宝永年間(1708年)の元旦に下役の神谷喜平次という人が見廻り中、川岸に首級が漂着しているのを見つけ手厚く埋葬したそうです。
また、日本銀行(通称、日銀)の発祥の地も、ここ箱崎だそうです。
(ちなみに、現在の日銀の本店は、同じ日本橋の本石町にあります)
東京は、平野も多いですが、多くの川が存在し、昔はその運搬・流通によって栄えました。また、それと同時に、多くの橋が存在し、永代(えいたい)橋や豊海(とよみ)橋もそんな中の一つです。
永代橋は、元禄十一年(1698)に隅田川の第四番目の橋として、現在の永代橋の場所よりも上流約のこの付近に架けられていました。当時、橋の左岸を永代島と呼んでいたことから「永代橋」と名付けられましたが、一説には五代将軍綱吉の五十歳を迎えた記念として、その名を付けられたとも伝えられています。
豊海橋の現在の橋は、震災復興事業により、昭和2年に復興局が架設したもので、形式名はフィーレンデール橋だそうです。
また、この名前は考案者のフィーレンデールの名をとったものだそうです。
これは、船員教育発祥の地の碑で、政府の自主的な海運政策を進めるにあたり、船員教育の急務を提唱し、三菱会社長岩崎彌太郎に命じて、明治八年十一月この地に商船学校を開設させた事に、由来するそうです。
みなさんも、地元のちょっとした歴史を探してみるのも、おもしろいと思います。
※詳細につきましては、こちらのサイト(http://www.viva-edo.com/kinenhi/reiganjima/REIGAN.html)をご参照ください
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