自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★七尾湾のゲストブック

2009年07月19日 | ⇒トピック往来
 地図を眺めると、能登半島が大きな口を開け、食べようとしているのが能登島である。そんな風に見える。能登島は周囲72km。口の部分を七尾湾と呼び、島で3つの支湾に仕切られる。南湾に加え西湾、北湾を総称して七尾湾と言う。かつて、能登半島の地図を眺め、その奇妙なカタチに興味を抱いて七尾湾を訪れた外国人がいた。

 今からちょうど120年前の明治22年(1889)5月、東京に滞在していたアメリカの天文学者パーシバル・ローエル(1855-1916)は能登半島の地形とNOTOという地名の語感に惹(ひ)かれ、鉄道や人力車を乗り継いで当地にやってきた。七尾湾では魚の見張り台である「ボラ待ち櫓(やぐら)」によじ登り、「ここは、フランスの小説でも読んでおればいい場所」と、後に著した「NOTO: An Unexplored Corner of Japan」(1891)で記した。ローエルが述べた「フランスの小説」とは、当時流行したエミ-ル・ガボリオの「ルコック探偵」など探偵小説のことを指すのだろうか。ローエルの好奇心のたくましさはその後、宇宙へと向かって行く。

 1893年に帰国したローエルはアリゾナ州に天文台を創設し、火星の研究に没頭する。その成果である「Mars(火星)」を発表し、火星の表面に見える細線状のものは運河であり、火星には高等生物が存在すると唱えた。ローエルの説は、H・G・ウエルズの「宇宙戦争」などアメリカのSF小説に影響力を与えていく。ローエルは1916年に海王星の彼方に惑星Xが存在と予知し、他界する。その弟子クライド・トンボーが1930年にローエルの予知通りに新惑星の発見し、プルートー(冥王星)と名付けた(2006年の分類変更で「準惑星」に)。初の冥王星探査機、NASAのニュー・ホライズンズは2006年1月に打ち上げられ、2015年7月14日に最接近する。

万葉の歌人、大友家持も七尾湾を船で訪れている。家持は29歳の時、当時、都があった平城京から越中国(現在の富山県と能登半島)へ、国守として赴任してきた。赴任3年目の天平20年(748)に能登を巡る。春に農民に種籾(たねもみ)を貸し出し、秋になって貸した分と利息分を合わせて徴収する、いわゆる公出挙(くすいこ)のため。七尾湾では、「香島より熊来(くまき)を指して漕ぐ船の楫(かじ)取る間なく都し思ほゆ」(「万葉集」巻17-4027)、「鳥総(とぶさ)立て船木伐(ふなきき)るといふ能登の島山今日見れば木立(こだち)繁(しげ)しも幾代神(いくよかむ)びそ 」(「万葉集」巻17-4026)と詠んでいる。「鳥総」の歌は、七尾湾周辺で当時、造船が行われていたことが読み取れる。

 七尾湾に今、珍客が訪れている。北湾の通称「カタネ」と呼ばれる地域の入り江に、野生のイルカ(ミナミハンドウイルカ)がファミリー5匹でコロニーを作って生息している。観光ツアーの遊漁船や漁船が近づくと伴走してくれる。その様子は陸からでも観察することができる。石川県水産総合センター水産部能登島事業所の永田房雄さんによると、もともと島原半島の南端にある有明湾のコロニーにいたペアがやってきたのではないか、という。

   能登には、さまざまな客人を引き寄せ、その客人の才能を開花させるような、土壌がある。それがその地に住む人々なのか、自然なのか、あるいは地勢なのか定かではない。ひょっとすると三位一体となった、創発的な不思議な仕掛け=システムなのかもしれない。

 【お知らせ】七尾湾を船で周遊し、海の生物多様性を考察する「能登エコ・スタジアム2009」を8月2日実施します。野生イルカのコロニーも訪ねます。詳細は7月16日付の読売新聞石川版で記事紹介されました。

⇒19日(日)朝・金沢の天気  くもり 

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