能登半島地震への寄付金について、林官房長官は23日の記者会見で、台湾政府が民間から募った25億円以上の寄付金に謝意を表明した。「多大なる支援をいただき、深く感謝する。台湾の日本に対する友情の証しだ」と述べた。 地震発生直後に台湾政府から受けた6千万円の義援金にも触れ「台湾との間では、これまでも自然災害や新型コロナウイルス禍において相互に支援してきた」と強調。支援金を有効に活用するため調整する考えを示した(23日付・共同通信Web版)。
台湾から驚くほど多額な寄付金が寄せられたのは単なる「友情の証し」ではないような気がする。台湾の人々の石川県、そして金沢に寄せる思いは別の数字でも表れている。石川県観光戦略推進部「統計から見た石川の観光」(令和3年版)によると、コロナ禍以前の2019年の統計で、兼六園の日本人以外の国・地域別の入場者数のトップは台湾なのだ。数にして16万4千人、次は中国の4万4千人、香港3万7千人、アメリカ3万人の順になる。なぜか。その理由で一つ言えるのは、台湾での石川県、金沢の知名度が高いのだ。それにはある歴史がある。
台湾の日本統治時代、台南市に当時東洋一のダムと称された「烏山頭(うさんとう)ダム」が建設された。不毛の大地とされた原野を穀倉地帯に変えたとして、台湾の人たちから日本の功績として今も評価されている。このダム建設のリーダーが、金沢生まれの土木技師、八田與一(1886-1942)だった。烏山頭ダムは10年の歳月をかけて1930年に完成した。ただ、日本国内では1923年に関東大震災があり、八田にとっては予算的にも想像を絶する難工事となった。(※写真は、台湾・烏山頭ダムを見渡す記念公園に設置されている八田與一の座像=台北ナビ公式ホームページより)
ダム建設後、八田與一は軍の命令でフィリピンに調査のため船で向かう途中、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃で船が沈没し亡くなった。1942年(昭和17年)5月8日だった。終戦直後、八田の妻は烏山頭ダムの放水口に身投げし後追い自殺する。
2021年5月8日、八田與一の命日に、ダム着工100年を祝う式典が現地で営まれ、蔡英文総統をはじめ首相に当たる行政院長や閣僚などの要人が出席している。式典では蔡総統は「ダムと灌漑施設の水は100年流れ続けている。台湾と日本の友情も双方の努力によって続いていくことだろう」と、功績をたたえた。台湾の民主化を成し遂げ、哲人政治家としても知られる元総統、李登輝氏(2020年7月死去)が2004年12月に金沢に来て、八田に関する展示と胸像がある「金沢ふるさと偉人館」を訪れている。
その八田與一のふるさとが激震に見舞われた。台湾でも1999年、最大震度7の地震が襲い、2500人以上の死者を出す甚大な被害があった。歴史的なつながりと災害体験の共有が台湾の人たちを寄付行為へと駆り立てたのかも知れない。
⇒25日(木)午後・金沢の天気 くもり
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