神に帰る生き方

せっかく生まれてきたのだから、心平安に生きていきたい!と思う。

神様に感謝をしよう! その2

2017-11-10 08:15:50 | 宗教

前回は
「神様に感謝をする」
とは、どういうことであるのか、
というところで終わりました。


こんにちはファーティマ松本です。

神様は聖典クルアーンの中で、このようにおっしゃっています。

『たとえ彼の(アッラーの)恩恵を数え上げても
 あなた方はそれを数えられないであろう。』
  (クルアーン 14:34)

私は、神様からの贈り物って、数えられるんじゃないかなあ
と愚かにも思っていた時期がありました。

目でしょ、足でしょ、手でしょ? みたいな感じで。
「頑張れば数えられるんじゃない?」
なーんて思っていたんですね。
しかし、それはあまりにも愚かな考えでした。

神様の恩恵(または贈り物)って、そうやって数えるものじゃないんですよね。

では、どうするのか。

”手を洗う”
という行為を例にとって、考えてみましょう。

「手を洗う」には まず、、、

手がなければできません。
それから、
手を洗おう!と思う意識があること。
手を洗いに行く足があること。
目が見えること。
これらすべて
全部、大事です。
全部、神様からの恩恵(贈り物)です。

それから、お水がないと洗えません。
お水を得るためには、
雨が降ってくれないと困ります。
そして、
お水が出て来るためには、蛇口がないといけません。
きれいなお水が、蛇口から出てくるには、
国が、浄水場を造ってくれなければいけません。
浄水場を造っても、それがちゃんと家庭に届くよう
水道管等も配置してくれなければいけません。
いろいろと、国に文句もあるでしょうが、
やはり国がやってくれていることって、ありがたい事 多いです。

また、
汚い汚れを落とすには、石鹸が必要。
石鹸を作ってくれる会社、
それを店まで運んでくれる会社、
それを売ってくれる店。
石鹸を買うことができるお金。
お金を稼いできてくれる人がいること。
または、自分が働けること。
などなど。
上記のもの 全てが恩恵(贈り物)です。

手を洗うだけでも、たくさんの恩恵がありますね。
もうちょっと考えれば。
きっともっともっと考えられると思います。

私たちは、何気なく毎日手を洗っていますが、
「手を洗う」こと一つをとってみても
”感謝”をすべきことが、たっくさんあって
数え切れません。

「手を洗う」
という、そんな日常的な行いが
ものすごい”感謝に値する行為”
であることが わかると思います。

私たちはその「感謝に値する行為」を1日に一体何回行っているでしょうか。
私は主婦ですから、1日に何度も、何度も手を洗います。

その度に、神様に感謝をしているか、と言ったら
正直、、していないですねえ。(反省)

でも、シリアやミャンマーの悪政から逃れてくる人たちにとっては、
この「手を洗う」ということさえも
決して楽ではないという事実を考えると、
やはり
「手を洗う」度に、たくさん感謝をすべきである、と思います。

続いて、、

「目が見える」

ということはどうでしょう?
目が見えない、、なんてちょと想像しただけでも、、、
、、、辛いですよね。

もし、目が全く見えなくなってしまったら、
きっと、全財産をはたいてでも「治して欲しい」って願うのではないでしょうか。
そんな高価な贈り物です。
それを”タダ”で、頂いでいるんですね、私たちは。

「目が見える事」
これはもう、本当に大きな大きな、神様からの恩恵です。

このブログを読んでくださっている読者の方々の目が
いつまでも いつまでも見えることができますように。アーミーン!
(アーミーンとは、神様へお願いをした後に言う言葉ですが、その意味するところは、
 ”どうか私の願いに応えてください” といった感じの言葉です。)


さて、
産まれてから、今の今まで
自分の目で見てきた ”もの” は、すべて神様からの恩恵(贈り物)です。

大好きな作家の小説の一文字、一文字。
両親の顔や、子供たちの顔とか。
嫌々ながらも、勉強した教科書の全ページとか。
好きなアニメや映画の、全シーンとか。
何しろ、ぜーんぶです。

一体誰が、それらを全て数え上げることができるでしょうか。
絶対に無理ですよね!

目があってちゃんと見える事。
それがどれだけすごいことであるかは
誰もが なーんとなくは分かっていると思います。
しかし
そのことに対しても、大抵の人はしっかりと感謝をしていません。
失った時に、その恩恵の凄さを実感しても もう遅いでしょう。
神様からの贈り物が手元にある時に(使わせてもらっている時に)しっかりと感謝をしたい!
そう思います。

神様からの贈り物って、上記のように
目に見えて認識しやすいものと、
それから、
目に見えなくて、認識しずらいものがあるんです。

前回書きました”食べ物”や”お水”
などは、目に見えるので、比較的認識しやすい贈り物ですね。
そして今回ふれた「手を洗うこと」や「目が見えること」
なども、目に見えて認識しやすい贈り物だと思います。
(認識しやすいからといって、決して感謝をしているわけではありませんが、、。)

神様からの贈り物って
目に見えず、認識しにくいものもたっくさんあります。

一つだけ例をだしてみましょう。

こんな経験はありませんか?

転んでカバンの中の物が飛び出してしまった。
「あー、転ばなかったらあの信号渡れたのに。」
なんて口惜しい思いをしながら、拾っていると
ちょうど信号のところを、車が猛スピードで右折してきたのが見えた。(左折でもいいか)
信号を渡っていたら、あの車にぶつかっていたかも!
なーんて、ちょっとヒヤッとしたことってありませんか。

私はあるんですねえ。
そういう時は、普段感謝の足りない私でも
心から神様に感謝をしましたよ。

アッ、でも
これって もしかすると
”目に見えて認識しやすい贈り物”、、、、、かな?

まっ、、、
、、とにかく、、、、(汗)
たっくさん、たっくさん、ある!ということです、ハイ。

私たちの知らないところで、
私たちは、神様からのプレゼントを(たくさん)いただいているわけです。


「神様に感謝をする」というのは、数ある善行の中でも
かなりレベルの高いものですので
ネタが尽きません。

ということで、、、

神様への感謝については次回も続きます。



今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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※5星レビューが、ナント!5件にもなりました。(o^^o)*

レビューを書いてくださった方々 貴重な時間を割いてくださってありがとうございます。
皆様方にたくさんの良いことがありますように! アーミーン

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