イスラム教徒としての長期目標は
「天国に入る事」
そして、その目標を達成するために必要な事は
「神様の事をいつも想っていること」
であると前回は書いてみました。
(これは2019年8月に発行されたメルマガ記事を転送したものです。)
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こんにちはファーティマ松本です。
『うまくいっている人の考え方』という本にの中に
”長期的な目標を立てる”
という章があることを前回紹介しました。
(以下引用)
目標は私たちを目的地まで案内してくれる。
目標を達成するには、次のステップが必要になる。
1、達成したいことを決める。
2、それを達成するために必要なことを決める。
3、それを実行する。
そういえば、、、
このメルマガの発行当初、
「目的地を決める」ことの大切さを書いていましたねえ。
目的地を決めなければそこには到達できないと、
そしてその目的地とは、
「神様のもとに帰ること(天国)である」
というようなことを書いていました。
なんだか、随分と立派なことを書いていたものです。
そうですね。
イスラム教徒である私が「達成したいこと」
それは、やはり
「天国に入る事」だと思います。
続いて次に
「それを実行するために必要なこと決める」ですが、
この答えも
「神様のことを常に想う、考える」で
いいのではないいだろうかと思います。
どうしてそんなにはっきりと言えるんだ?
と言われれば、、、
それは、
預言者ムハンマドさん(彼の上に平安あれ)がそうおっしゃったから!なんです。
昔、ある人が預言者さん(平安あれ)に聞きました。
「何が一番良い行いなんでしょうか」と。
イスラム教には宗教的行為って結構たくさんありますよね。
例えば、礼拝や断食、巡礼、等々。
それプラス、両親によくしろとか、悪口言うなとか、といった
ちょっと俗っぽい(?)ことに関する教えもいっぱいあります。
「んじゃあ、そんなたくさんある行為の中で何が一番なのよおお?」と
フツーに思っちゃうわけですよね。
で、上記の質問に対する預言者さん(平安あれ)のお答えがなんと!
「あなたの舌が常にアッラーを讃えているようにすることです。」
とおっしゃったらしいんです。
どういうことかと言いますと、、
常に
アッラーフアクバル(アッラーは偉大なり)とか
ラーイラーハ イッララー(アッラー以外に神はなし)とか といった
ちょっとお決まりのお言葉をしょっちゅう言って
神様を想いましょう、讃えましょう。
ということです。
もちろん、口に出して言わなくても
心の中で静かに唱えていてもいいんですよ。
口でいくらアッラーアクバルとか言っていても
頭の中では、「今日は何を食べようか」とか考えていては
あまり意味ないですからね。
もちろん、アラビア語でなければいけないわけでもないです。
日本語で「神様ってすごいなあ」でもいいわけです。
神様のことを心の中で思ったり、
口に出して讃えたりすることをアラビア語では
”ズィクル”と言います。
このズィクルがなんでそんなに大事であるかと言うと
すべての宗教儀式は、この”ズィクル”を行うためにあると言っても
過言ではないからです。
例えば礼拝。
1日5回ある礼拝も神様のことを思い出したり、想ったりするためにあるものなんですね。
「なんで5回もあるの?3回くらいでいいんじゃない?」と
不届き者の我が家の娘は言いますが、
「何を言うか!
あの礼拝というのがなかったら、あんた神様のことなんて想わないでしょ?
思い出さないでしょ?
考えもしないでしょ?
頭をかすめもしないでしょ?
神様は、私達人間が創造主であられる神様を思い出し、
そして感謝をするために
わざわざつくってくれたのが、礼拝。
あんたには1日5回だって足りないくらいだよ」
と、、、、、
言いたいですねえ。
実際、礼拝って最初は5回でなく50回だったって
ご存知ですか?
このお話はすごく大事なのですが、ちょっと軽く書いてしまいます。(汗)
神様が預言者さん(平安あれ)に
「これこれをするように」と命じられる時は、
いつも天使を介して伝えられていました。
なのに「礼拝」に関してだけは違っていたんです。
「礼拝」をご命令になった時は、なんと
わざわざ預言者ムハンマドさんをご自分の近くまで呼んで
直接命じられたんです。
それだけ重要!ということですよね。
何しろ、最後の審判の日に、最初に聞かれることは
この「礼拝」らしいですし。
この礼拝がちゃんとできていれば、
後は結構”楽勝”らしいですよ。(だといい!)
礼拝については、またいつの日かちゃんと書いてみようと思いますが、
今は、何しろめちゃくちゃ大切とだけ書いておきましょう!
前述しましたように、神様は預言者さん(平安あれ)に
礼拝を1日に50回行うよう命じられました。
それだけ、礼拝(神様を想うこと)が大切なわけです。
もう、しょっ中していなければいけない、ということでしょう。
”1日50回の礼拝”
預言者さん(平安あれ)的には、50回でも100回でもきっとしっかりと
こなせるのだと思います。
(実際、50ラカート(礼拝の単位)を毎日やっていらっしゃったそうです!!)
しかし、
一般の信者さん達にとって、、、
50回の礼拝なんて、、、、できると思います?
無理っす、、よね?
だって、1日に50回って、、、
もうしょっ中礼拝しているようなものですよ。
夜8時間ぶっ続けで寝るなんてできませんもん。
そこで、預言者さんは神様に頼んで50回を5回にまで
下げてもらった、わけです。
おかげで、夜もゆっくりと寝られるようになりました。
しかし、優しい神様は1日5回礼拝すれば、
50回したとみなす、とおっしゃってくれましたんです。(ありがたい!)
”神様を想うこと”は、何しろ
めちゃくちゃ大切である、ということなのですが、
詳しくはまた来週に続きます。
今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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という章があることを前回紹介しました。
(以下引用)
目標は私たちを目的地まで案内してくれる。
目標を達成するには、次のステップが必要になる。
1、達成したいことを決める。
2、それを達成するために必要なことを決める。
3、それを実行する。
そういえば、、、
このメルマガの発行当初、
「目的地を決める」ことの大切さを書いていましたねえ。
目的地を決めなければそこには到達できないと、
そしてその目的地とは、
「神様のもとに帰ること(天国)である」
というようなことを書いていました。
なんだか、随分と立派なことを書いていたものです。
そうですね。
イスラム教徒である私が「達成したいこと」
それは、やはり
「天国に入る事」だと思います。
続いて次に
「それを実行するために必要なこと決める」ですが、
この答えも
「神様のことを常に想う、考える」で
いいのではないいだろうかと思います。
どうしてそんなにはっきりと言えるんだ?
と言われれば、、、
それは、
預言者ムハンマドさん(彼の上に平安あれ)がそうおっしゃったから!なんです。
昔、ある人が預言者さん(平安あれ)に聞きました。
「何が一番良い行いなんでしょうか」と。
イスラム教には宗教的行為って結構たくさんありますよね。
例えば、礼拝や断食、巡礼、等々。
それプラス、両親によくしろとか、悪口言うなとか、といった
ちょっと俗っぽい(?)ことに関する教えもいっぱいあります。
「んじゃあ、そんなたくさんある行為の中で何が一番なのよおお?」と
フツーに思っちゃうわけですよね。
で、上記の質問に対する預言者さん(平安あれ)のお答えがなんと!
「あなたの舌が常にアッラーを讃えているようにすることです。」
とおっしゃったらしいんです。
どういうことかと言いますと、、
常に
アッラーフアクバル(アッラーは偉大なり)とか
ラーイラーハ イッララー(アッラー以外に神はなし)とか といった
ちょっとお決まりのお言葉をしょっちゅう言って
神様を想いましょう、讃えましょう。
ということです。
もちろん、口に出して言わなくても
心の中で静かに唱えていてもいいんですよ。
口でいくらアッラーアクバルとか言っていても
頭の中では、「今日は何を食べようか」とか考えていては
あまり意味ないですからね。
もちろん、アラビア語でなければいけないわけでもないです。
日本語で「神様ってすごいなあ」でもいいわけです。
神様のことを心の中で思ったり、
口に出して讃えたりすることをアラビア語では
”ズィクル”と言います。
このズィクルがなんでそんなに大事であるかと言うと
すべての宗教儀式は、この”ズィクル”を行うためにあると言っても
過言ではないからです。
例えば礼拝。
1日5回ある礼拝も神様のことを思い出したり、想ったりするためにあるものなんですね。
「なんで5回もあるの?3回くらいでいいんじゃない?」と
不届き者の我が家の娘は言いますが、
「何を言うか!
あの礼拝というのがなかったら、あんた神様のことなんて想わないでしょ?
思い出さないでしょ?
考えもしないでしょ?
頭をかすめもしないでしょ?
神様は、私達人間が創造主であられる神様を思い出し、
そして感謝をするために
わざわざつくってくれたのが、礼拝。
あんたには1日5回だって足りないくらいだよ」
と、、、、、
言いたいですねえ。
実際、礼拝って最初は5回でなく50回だったって
ご存知ですか?
このお話はすごく大事なのですが、ちょっと軽く書いてしまいます。(汗)
神様が預言者さん(平安あれ)に
「これこれをするように」と命じられる時は、
いつも天使を介して伝えられていました。
なのに「礼拝」に関してだけは違っていたんです。
「礼拝」をご命令になった時は、なんと
わざわざ預言者ムハンマドさんをご自分の近くまで呼んで
直接命じられたんです。
それだけ重要!ということですよね。
何しろ、最後の審判の日に、最初に聞かれることは
この「礼拝」らしいですし。
この礼拝がちゃんとできていれば、
後は結構”楽勝”らしいですよ。(だといい!)
礼拝については、またいつの日かちゃんと書いてみようと思いますが、
今は、何しろめちゃくちゃ大切とだけ書いておきましょう!
前述しましたように、神様は預言者さん(平安あれ)に
礼拝を1日に50回行うよう命じられました。
それだけ、礼拝(神様を想うこと)が大切なわけです。
もう、しょっ中していなければいけない、ということでしょう。
”1日50回の礼拝”
預言者さん(平安あれ)的には、50回でも100回でもきっとしっかりと
こなせるのだと思います。
(実際、50ラカート(礼拝の単位)を毎日やっていらっしゃったそうです!!)
しかし、
一般の信者さん達にとって、、、
50回の礼拝なんて、、、、できると思います?
無理っす、、よね?
だって、1日に50回って、、、
もうしょっ中礼拝しているようなものですよ。
夜8時間ぶっ続けで寝るなんてできませんもん。
そこで、預言者さんは神様に頼んで50回を5回にまで
下げてもらった、わけです。
おかげで、夜もゆっくりと寝られるようになりました。
しかし、優しい神様は1日5回礼拝すれば、
50回したとみなす、とおっしゃってくれましたんです。(ありがたい!)
”神様を想うこと”は、何しろ
めちゃくちゃ大切である、ということなのですが、
詳しくはまた来週に続きます。
今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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アマゾンから電子書籍発売中!
「イスラム的現世の歩き方」
http://www.amazon.co.jp/dp/B01HQB2VPW/
イスラム的な人生の処世術!
あなたは何のために生まれ、何をして生きていけばいいのでしょう。
人生の目的は?
せっかく生まれてきたのです。
神様に守られた平和な現世を歩きたくはありませんか。
そして来世では、天国に入って
”永遠に” ”幸せ” に暮らしたくはありませんか。
方法はとてもシンプルです。
今まで知らなかったイスラム教に出会える本です。
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