ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

シスター・ルシアの手記の日本語訳  III. ジャシンタの病気と死(続き)聖母からの訪問を受ける 5~6

2017年07月08日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第一の手記

III. ジャシンタの病気と死




5. 聖母からの訪問を受ける

もう一度、聖母マリア様はジャシンタを訪問して、ジャシンタに新しい十字架と犠牲が待っているということを教えて下さいました。ジャシンタはそのニュースを私にこう教えてくれました。
「マリア様は、私がリスボンへ行って別の病院に行くことになるだろうって、もうルシアちゃんと会えなくなるって、お父さんともお母さんとも会えないって、たくさん苦しんだ後ひとりぼっちで死ぬんだって、教えてくれたの。でもマリア様は、恐れてはいけませんよって、何故ならマリア様が私を天国に連れて行くためにいらっしゃるからって言ったの。」

ジャシンタは私に抱きついて泣きました。
「私、もう二度とルシアちゃんと会えない!ルシアちゃんは私のところに来てくれないの。ねぇ、お願い!私のためにたくさんお祈りして。たったひとりぼっちで死ぬんだから!」

ジャシンタはリスボンに発つ日まで極めてひどく苦しみました。彼女は私から離れずにすすり泣いて言いました。
「私、もう二度とルシアちゃんと会えない!お母さんとも会えないの!お兄さんたちとも!お父さんとも!もう二度と誰とも会えないの!それから、ひとりぼっちで死ぬの!」

ある日私はジャシンタにアドバイスしました。
「そのこと考えるのやめなさい。」
「そのこと考えさせて。考えれば考えるほど、私、辛いの。イエズス様への愛のために、罪人たちのために、苦しみたいの。でも、大丈夫。マリア様がそこで私のもとに来て、天国に連れて行って下さるから。

時折、ジャシンタは十字架像に接吻してそれを抱きしめました。そしてこう叫ぶのです。
「ああ、イエズスよ、御身を愛し奉る!御身を愛するために苦しみたい。」

ジャシンタが「あぁ、イエズス様!これは本当に大きな犠牲だから、今、多くの罪人たちを回心させることができます!」と何度たびたび言ったことでしょうか!

時々、ジャシンタは私にこう尋ねました。
「隠れたイエズス様を受けずに、私、死ぬのかな?マリア様が私を迎えに来られるときに、マリア様がイエズス様を私のところに持ってきて下さるなら良いのに!」

ある日、私はジャシンタにこう聞きました。
「天国でジャシンタちゃん何するの?」
「私ね、イエズス様をたくさん愛するの。聖母の汚れなき御心も愛するの。ルシアちゃんのためにお祈りする。罪人たちのために、教皇様のために、お父さんやお母さんやお兄さんやお姉さんたちのために、お祈りしてって私にお願いした人みんなのために、お祈りする。」

彼女の母親がこの子供があまりにも病気なのを見て悲しんでいると、ジャシンタは良くこう言いました。
「お母さん、心配しないでね。私、天国に行くの。天国でお母さんのためにたくさんお祈りするから。」

或いはこうも言いました。
「泣かないで。私、大丈夫だから。」

もしも何か必要なものがあるかと聞かれると、ジャシンタはこう答えました。
「ありません。ありがとう。」

彼らが部屋を出て行くとジャシンタはこう言うのです。
「私、喉が渇いた。でも飲みたくないの。イエズス様に罪人たちのためにお捧げしているの。」

ある日、私の叔母が私にたくさんの質問をしました。ジャシンタは私を自分のところに呼んでこう言いました。
「ルシアちゃん、誰にも私が苦しんでいるって言わないでね。お母さんにも言っちゃだめよ。お母さんを怒らせたくないの。」

別の機会には、ジャシンタが聖母の御影を胸に押しつけてこう言っているのを見つけました。
「あぁ、私のとっても愛する天国のお母様、私、ひとりぼっちで死ななければならないの?」

かわいそうなこの子は、孤独のうちに死を迎えるという考えに非常に恐れをなしているようでした。

私は、ジャシンタを力づけようと試みてこう言いました。
「ジャシンタちゃんが一人で死んだとしても、一体何で怖がるのよ。マリア様がお迎えに来て下さるんでしょう?」
「本当ね。怖がることないね。ホント。何でか分からないけれど、私、時々マリア様がお迎えに来て下さるって言うこと忘れちゃうの。私、ただルシアちゃんが私の近くにいなくて死んでしまうって事だけを思い出すの。」


6. リスボンへと発つ

ついにジャシンタがリスボンへと行かなければならない日がやって来ました。[注22]それは心の張り裂けそうな別れでした。長い間、ジャシンタは腕を私の首の周りに回して離れませんでした。すすり泣きをしながら「私たちはもう二度と会えないね!私が天国に行くまで、私のためにたくさんお祈りして。そしたら天国で、ルシアちゃんのためにたくさんお祈りする。秘密を誰にも言っちゃダメ。たとえ殺されてもダメ。イエズス様と聖母の汚れなき御心をたくさん愛して、罪人たちのために多くの犠牲をして。」

リスボンから、ジャシンタは私に、聖母がリスボンでジャシンタに会いに来られたと言ってよこしました。聖母はジャシンタに何月何日のいつ死ぬかを教えてくれた、と。それからジャシンタは私に、いつも良い子でいるように、言ってくれました。

[注22]1920年1月21日、ジャシンタはリスボンに連れて行かれ、エストレラ通り17番にあるゴディニョ修母による経営の孤児院に入院した。2月2日、ジャシンタはドナ・エステファニャ病院に連れて行かれ、そこで1920年2月20日午後10時30分に死亡した。


第一の手記の結び

私は今、司教様にあてた、ジャシンタの生涯の思い出について書き終わりました。天主様が、この従順の行いを受け入れて下さいますように祈ります。それは、イエズスとマリアの聖心に対する愛の炎を人々の心に灯すためです。

私は司教様に、一つのことをお願いしたいと思います。もし、司教様が、私が書いた物から何かを出版する場合に[注23]、貧しいみじめな私が書いたものだとは、何も言わないようにそうして下さることをお願いしたします。また、司教様がこれを読みすらしないでこれを焼き捨てたということを私が知るようになったとしても、私は大変うれしく思う、と告白いたします。何故なら、私は、司教様のはっきりした御旨を通して私たちに知らされた天主様の御旨への従順のためだけにこれを書いたからです。

[注23] ルシアのこの第一の手記にある思い出は、ヨゼフ・ガランバ・デ・オリヴェイラ博士により使われて、1938年5月、「ファチマの花、ヤシンタ」という題で出版された。

シスター・ルシアの手記の日本語訳  III. ジャシンタの病気と死(続き)4. アルジュストレルへ戻る

2017年07月06日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第一の手記

III. ジャシンタの病気と死

ジャシンタとフランシスコの両親と兄第たち

4. アルジュストレルへ戻る

ジャシンタはしばらくの間、両親のいる家に戻りました。ジャシンタの胸には大きく開かれた傷が一つあって、毎日治療を受けなければなりませんでした。しかし彼女は不平を言うことなく、イライラすることを少しも見せずにこれを耐えていました。彼女を最も苦しめたものは、彼女を見たがる多くの人々からの頻繁な訪問と質問でした。ジャシンタはもうこれらから逃げ隠れすることができなくなってしまったからです。

「私、この犠牲も罪人たちの回心のために捧げているの。」
ジャシンタはこうあきらめて言いました。

「私たちの大好きな場所カベソまで行って、そこでロザリオを祈ることができるなら、何だってあげちゃう!でももうそれもできないの。ルシアちゃんがコヴァ・ダ・イリヤに行くとき、私のためにお祈りして。私もうそこに二度と行くことができないの。考えてみて!」
そう言ってほほに涙を滴らせました。

ある日、叔母は私にこう頼みました。
「ジャシンタに何を考えているのか聞いてみて。あの子両手で顔を覆って長い間ずっと動かずにじっとしてるのよ。私あの子に聞いてみたんだけど、でもあの子ったらニコってするだけで答えないのよ。」
そこで私がジャシンタに質問しました。

「私、イエズス様のこと、マリア様のこと、罪人たちのこと、それから○○○(ここでジャシンタは秘密のある部分のことを言いました)のことを考えているの。考えるの好きなの。」

叔母はジャシンタがなんと答えたかを尋ねました。私はただほほえみました。このことのために叔母は母に、この出来事を話しました。
「この子供たちの生活、私には謎だわ。私には理解できないわ!」
叔母はこう叫んだのです。

すると母もこう付け加えました。
「ホントね。あの子たちだけになるとあの子たちったら早口にベラベラ話すのに、どんなに一生懸命に聞こうとしても一言も言ってはくれないんだから。本当に分からないわ。全くの神秘だわ。」

(続く)


シスター・ルシアの手記の日本語訳  III. ジャシンタの病気と死(続き)3. オウレムの病院にて

2017年07月05日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第一の手記

III. ジャシンタの病気と死



3. オウレムの病院にて

ジャシンタが病院に行く日が来ました。[注21] そこでジャシンタは本当にたくさん苦しみました。彼女の母がジャシンタを見舞いに行った時、ジャシンタに何かほしいものがあるか尋ねました。ジャシンタはルシアと会いたいと言いました。これは叔母にとって簡単なことでは決してありませんでした。しかし、叔母は良い機会が来るとすぐに私を病院に連れて行きました。ジャシンタが私を見るなり、喜んで私に抱きつき、母親に自分と私とだけにしてほしいと頼みました。ジャシンタの母はそこで買い物に出かけました。

[注21] これはヴィラ・ノヴァ・デ・オウレムにある聖アウグスチノ病院だった。ジャシンタはそこに1919年7月1日に連れて行かれ、8月31日にそこを去った。

二人きりになると私はジャシンタに、たくさん苦しんでいるの?、と尋ねました。
「うん、たくさん。でも私は罪人たちのために、聖母の汚れなき御心への償いのために、全てを捧げているの。」

そこで、ジャシンタは熱烈な感情でいっぱいになり、イエズス様とマリア様についてこう話しました。
「あぁ!イエズス様とマリア様のために、お喜ばせするためだけに、どれだけ多く苦しみたいと思っていることか!イエズス様とマリア様は、罪人たちの回心のために苦しむ人々をとっても愛しておられるの。」

許された訪問時間は、早くも過ぎてしましました。叔母は私を家に連れて帰るために戻ってきました。叔母はジャシンタに何かほしいものがあるか尋ねました。幼子は母親に懇願したことは、次回ジャシンタを訪問するときに私を一緒に連れてきてほしいと言うことでした。そこで良い私の叔母は、自分の幼い娘を喜ばせることを望み、次回も私を連れてきてくれました。

私はジャシンタがかつて無く喜んでいるのに、天主様を愛するために、聖母の汚れなき御心を愛するために、罪人たちのために、教皇様のために、喜んで苦しんでいることに気がつきました。これがジャシンタの理想でした。ジャシンタには、それ以外の何ものも話すことができませんでした。


(続く)

シスター・ルシアの手記の日本語訳  III. ジャシンタの病気と死 1~2

2017年07月03日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第一の手記

III. ジャシンタの病気と死


1. ジャシンタの病気

私たちの主がジャシンタと兄のフランシスコとにインフルエンザを送って病床の身になるまで [注19] 、以上がジャシンタがどうやって過ごしたかです。病気になる前の晩にジャシンタはこう言いました。
「私、頭がとっても痛いの。それから喉も渇いているの。でもお水は飲まないの。罪人たちのために苦しみたいから。」

[注19] ジャシンタは1918年10月に病気になり、そのすぐ後フランシスコも病の身となった。
学校と私に与えられた小さなお仕事の他に、私は自由時間になるといつも私の小さなお友達と一緒に過ごしました。ある日、通学の途中、ジャシンタは私にこう言いました。
「ねぇ!隠れたイエズス様に私が大好きだって言ってね。本当にイエズス様のことをすごく愛しているの。」

別の機会にはこう言いました。
「イエズス様に、私の愛を送るって、イエズスに会いたいって言ってね。」

私がジャシンタのお部屋を訪問するとジャシンタはこう言うのを常としました。
「じゃあ、もうフランシスコのところに会いに行ってね。私ここで一人でいる犠牲をするから。」

別の機会には、ジャシンタの母親はジャシンタに牛乳を一杯持って行き、これを飲むように言いました。
「お母さん、飲みたくないの。」
こうジャシンタは答えて、小さな手でコップを遠ざけました。
私の叔母はそれでも少し強要して、こう言いながら部屋を出ました。
「どうやってあの子に飲ませたらいいか分からないわ。あの子食欲がないんだから。」
私たちだけになると、私はジャシンタに聞きました。
「なんでお母さんそうやって不従順になることができるのよ、私たちの主にこの犠牲を捧げたくないの?」
ジャシンタがこの言葉を聞くと、涙を少し流しました。私はそれを拭いてあげるとジャシンタはこう言いました。
「今、私そのこと忘れちゃったの。」
ジャシンタは母親を呼び、赦しを求め、母が望むものは何でも食べるし飲むと言いました。
ジャシンタの母親は牛乳を一杯持ってきて、ジャシンタはそれをすこしもイヤそうな顔をせずに飲み干しました。後に私にこう言いました。
「あれを飲むのがどれほど辛かったか、もしルチアちゃんが知っていたら!」

別の機会には、ジャシンタはこう言いました。
「牛乳を飲むのがますます難しくなっているの。でも何も言わないの。私たちの主を愛するために、私たちの愛する天国のお母様である聖母の汚れなき御心を愛するために、私は全部飲むの。」

またの機会には、私はジャシンタに尋ねました。
「元気になった?」
「ちっとも良くならないの。胸がとっても痛いの。でも私何も言わないの。罪人の回心のために苦しんでいるの。」

私がジャシンタのところに来ると、彼女はこう尋ねました。
「今日、たくさんの犠牲を捧げた?私、たくさんしたの。お母さんが外出したから、私も行ってフランシスコに会いたいとたくさん思ったけど、行かなかったの。」


2. 聖母のご訪問

それでもジャシンタはすこし回復しました。起きることもできるようになり、フランシスコのベッドに座って時を過ごすこともできるようになりました。ある時には、ジャシンタは私に、すぐに自分のところに会いに来るように誰かを送ってきました。私は走って行きました。ジャシンタはこう言いました。
「マリア様が私たちに会いに来たの。マリア様はすぐにフランシスコを天国に連れて行くためにいらっしゃるって私たちに言ったの。それから私にもっと多くの罪人たちを回心したいかって聞いたの。私が、ハイって答えると、マリア様は、私が病院に行ってたくさん苦しむだろうって、私は罪人たちの回心のために、聖母の汚れなき御心に対しておかされる罪を償うために、イエズス様を愛するために、苦しまなければならないって、おっしゃったの。私が、ルチアも私と一緒に行くかって聞いたら、ルチアは行かないんだって。それが一番辛かった。マリア様は、私のお母さんが病院に連れて行ってくれて、私はそこでひとりぼっちでいなきゃならないんだって教えてくれた。」

この後、ジャシンタは少しの間考え込んだようになって、こう言いました
「あぁ、ルチアちゃんが私と一緒にいることができたらなぁ!ルチアちゃんと一緒に行けないのが一番辛いな。きっと病院って大きな暗い家で、何も見えなくて、ひとりぼっちで苦しまなければならないんだよね!でも、いいの。イエズス様を愛するために苦しむから。聖母の汚れなき御心に償いをして、罪人たちの回心のため、教皇様のために苦しむの。」

ジャシンタの兄が天国に行くときがやって来ました。ジャシンタは彼に次の最後のメッセージを告げました。[注20]
「イエズス様とマリア様に私の愛を全て伝えてね。それからイエズス様とマリア様がお望みのまま、罪人たちの回心のため、聖母の汚れなき御心に対する償いのために、私は苦しみたいって言ってね。」

ジャシンタは兄が亡くなると深く苦しみました。彼女は深く考えこんでいました。だれから彼女に何を考えているのかと尋ねると、こう答えました。
「フランシスコのこと。フランシスコともう一度会うためなら、何でもする!」
そういって目を涙で潤わせました。

ある日、私はジャシンタにこう言いました。
「ジャシンタちゃんが天国に行くのは、もうすぐじゃない。私は一体どうなるのよ!」
「かわいそうに!泣かないで!私、天国に行ったらルチアちゃんのためにたくさんたくさん祈るわ。ルチアちゃんにとって、それがマリア様がお望みのことなの。もしもマリア様がそれを私にお望みなら、喜んでとどまって罪人たちのためにもっとたくさん苦しむ。」

[注20] フランシスコは1919年4月4日に死亡した。


(続く)

シスター・ルシアの手記の日本語訳  Ⅱ. 御出現の後(続き)聖なるクルズ神父様 3~5

2017年07月01日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第一の手記

II. 御出現の後




3. 聖なるクルズ神父様

ある日、今度は、クルズ神父様[注18]が、リスボンからやって来て、私たちに質問しました。彼は質問を終えると、私たちに聖母が現れた場所を見せるように求めました。私たちは神父様の両側を歩いていましたが、神父様は、足がほとんど地面に着くような小さいろばに乗っていました。私たちが歩いている途中、神父様はたくさんの射祷を教えてくれました。ジャシンタは、その中の二つの射祷を自分のものとして、それ以後何度も終わりなく繰り返して唱えました。
「ああ、我がイエズスよ、我、御身を愛し奉る!聖マリアの甘美なる御心よ、我が救いとなり給え!」
ある日、ジャシンタが病気にかかった時、彼女は私にこう言いました。
「イエズス様に、御身を愛し奉るって、言うのがとっても好き。何度もイエズス様に言うとき、心の中に火が燃えるように感じるの。でもこの火は私を焼かないの。」
別の時は、ジャシンタはこう言いました。
「私、私たちの主と聖母をとても深く愛している。御身を愛し奉るってイエズス様やマリア様に何度もいっても全然飽きないの。」

[注18] フランシスコ・クルズ神父(Francisco Cruz)、イエズス会士で(1859-1948)天主のしもべ、現在列福調査中。


4. ジャシンタを通して受けたお恵み

私たちの村の近くに、一人の女の人がいました。彼女は、私たちに出会うといつも私たちを罵りました。ある日、彼女がお酒よりも何かもっと悪い酒場から出てこようとすると、私たちに出会いました。その時は、私たちを罵るだけで満足しないで、もっとひどいことをしました。彼女がそれを終えると、ジャシンタはこう言いました。
「私たちは、 この女の人の回心のために、聖母に祈って犠牲をしなきゃ。あの人はあんなにもたくさんの罪のことを言ったので、告解に行かないなら地獄へ落ちちゃうわ。」

数日の後、私たちがこの人の家の前を走って通った時、ジャシンタは急に立ち止まり、振り向いてこう言いました。
「ねぇ、貴婦人と会いに行くのは、明日よね?」
「そうよ。」
「じゃあ、これ以上遊ぶのをやめよう。私たちは罪人の回心のために、この犠牲を捧げましょう。」

誰かが自分のことを見ているかもしれないということに気がつかず、ジャシンタは両手を上げ天を仰いで祈り、この犠牲を捧げました。この間、例の女性は、家の鎧戸を通して、眺めていました。彼女は、その後、私の母に、ジャシンタがしたことは自分の心を深く打ったと言いました。御出現の現実を信じさせるには、他の証拠は必要ではなかった、と。

その時から私たちを罵ることをやめたばかりでなく、自分の罪が赦されるように、聖母に祈ってくださるようにと、私たちに頼みました。

またある時、恐ろしい病気にかかったかわいそうな女の人が、私たちに会いました。
泣きながら、ジャシンタの、前に跪き、自分の病気が治るように聖母に祈ってほしいと願いました。

ジャシンタは、自分の前に跪いた彼女を見ておどろき、手を震わせながら彼女をたちあがらせようとしました。けれどもこれが自分の力を超えることだと分かり、ジャシンタもひざまずいてこの女性と一緒に天使祝詞を三度となえました。そこで、ジャシンタは女性に立ち上がるように頼み、聖母が彼女を直して下さると確証しました。

その後、ジャシンタは毎日この女性のために祈りをつづけました。数日の後、彼女は全快したことを聖母に感謝するために戻ってきました。

別の機会には、子どものように泣いた一人の兵隊がいました。彼の妻は病気で寝ており、三人の小さい子供がいたにも関わらず、彼は前線に出征する命令を受けていました。

彼は、妻の病気が治るか、あるいは出征がとりやめになるか祈っていました。ジャシンタは彼といっしょにロザリオをとなえるように招き、こう言いました。
「泣かないでください。聖母はとても良いお方です。聖母はあなたが願っているお恵みを必ずくださいますから」と彼を慰めました。

ジャシンタは、そのときからこの兵隊のことを忘れませんでした。ロザリオの終わりに彼のために必ず天使祝詞を一回付け加えました。数か月後、彼は妻と三人の子供を連れて、自分が受けた両方の恵みを感謝するために現れました。
話によると、彼は出征出発の前日に高熱を出し、兵役が免除になり、妻は聖母によって、奇跡的に全快したというのです。


5. もっともっと多くの犠牲

ある日、とても聖なる方で、人々の心の奥底を悟ることのできる一人の司祭が私たちを訪ねに来ると聞きました。これはこの司祭が私たちが真理を言っているかそうでないかを言うことができると言うことでした。ジャシンタは喜びにあふれて、こう叫びました。

「この神父様はいつ来るの?もし本当に心の中を見ることができるなら、私たちが本当を言っていって分かってくれるね。」

ある日、私たちは前に話した井戸のところで遊んでいました。その近くに、ジャシンタの母親のブドウ畑がありました。ジャシンタの母親はブドウの房を取って私たちに食べさせるように持ってきました。でもジャシンタは自分の罪人たちのことを決して忘れませんでした。
「私たちはこれを食べないで、罪人のためにこの犠牲を捧げましょう」と言い、道で遊んでいる他の貧しい子供たちのところにブドウを持って走って行きました。ジャシンタは私たちのかわいそうな子供たちを見つけて彼らにブドウを上げて、喜んで帰ってきました。

もう一度は、私の叔母が、自分が家に持ってきたイチジクを食べるように、私たちを呼びました。それは実に美味しそうでした。ジャシンタは喜んで、イチジクの籠のそばに私たちと一緒に座って、最初の一つを手にとって食べようとしました。突然、犠牲をすることを思い出して、こう言いました。
「あれっ、本当だ!今日、私たち、 罪人の為に一つも犠牲をしていないんだった。これを犠牲にしなきゃあ。」

ジャシンタは、イチジクを籠の中へ戻して、その犠牲を捧げました。私たちも罪人の回心のために籠にイチジクを戻して食べませんでした。ジャシンタがこのような犠牲を何度も何度もしていましたが、ここに全てを書くことはできません。そうでないと私の話はいつまでも終わらないでしょう。

(続く)

シスター・ルシアの手記の日本語訳  Ⅱ. 御出現の後 カベソにおける祈りと犠牲 1~2

2017年06月24日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第一の手記

II. 御出現の後




1. カベソにおける祈りと犠牲

私の叔母は、自分の子供たちに話をしたいと求めて来た人々を喜ばせるために、子供たちを家に呼び戻すために誰かを続けて送らなければならないことに疲れ切っていました。そこで、叔母は羊の群れの世話を自分の別の息子ジョアン [注15] に委ねました。

この決定は、ジャシンタにとって二つの理由で非常に苦痛でした。第一に、ジャシンタを探しに来た全ての人々に話をしなければならなかったから、第二に、ジャシンタはもう私と一緒に一日中過ごすことができなくなったから、です。ジャシンタはあきらめなければなりませんでした。しかし、この招かれない訪問者たちから逃れるために、ジャシンタとフランシスコは、私たちの小さな家に向いている丘の上にある岩に開いた洞窟 [注16] によく行って隠れました。丘の上には、風車小屋がありました。東に向いた坂にあったので、この隠れ場は雨からも焼くような太陽からも彼らを守ってくれる理想的なところにありました。特に、これは多くの樫の木とオリーブの木とによって保護されていました。ジャシンタはそこで私たちの愛する主にどれほど多くの祈りと犠牲とを捧げたことでしょうか!

斜面にはどこかしこに数え切れないほどの種類の花々が育ちました。それらの中には多くのアヤメがあり、ジャシンタは特にこれを愛しました。毎晩、ジャシンタは私が家に帰るのを道で待っており、私のために摘んだアヤメや、もしもアヤメが見つからないときにはその他の花を手にしていました。ジャシンタにとって、花びらを一枚一枚摘まんで私に吹きかけるのが本当に喜びでした。

[注15] ジョアン・マルト、ジャシンタの兄弟、2000年4月28日没
[注16] この丘はカベソと呼ばれ、この坂にある洞窟は「カベソの場所」Loca do Cabeço と言われる。

私の母は、私がどこで羊を牧するかを毎日決定することを、しばらくは満足していました。何故なら、私を探しているときに私がどこにいるか知っていたからです。場所が近いときには、私はジャシンタたちにそれを言い、私のところにすぐにやって来ました。ジャシンタは私を見つけるまで走ることを止めませんでした。私を見いだすと、疲れて座り込んで私を呼び続け、私がそれに答えてジャシンタに会いに走って行くまで止めませんでした。


2. 迷惑な質問攻め

ついに私の母は、私の姉妹が私を呼びに来きて私の代わりに羊の番をして時間を無駄にしているのを見るのに疲れ、土地を売ることを決断しました。母は、そこのことを叔母と話をし、二人とも私たちを学校に通わせることに同意しました。休憩時間にはジャシンタは御聖体訪問をよくするのを愛していました。
ジャシンタはこう言いました。
「あの人々はきっと分かっているのよ。私たちが教会に入るやいなや、人々の群れが私たちに質問をしにやって来るのだから!一人っきりでずっと、隠れたイエズス様と一緒にいてイエズス様とお話ししたかったのになぁ。でもそうさせてくれない。

その通りでした。単純な田舎の人々は私たちを決して一人にはさせてくれませんでした。全くの単純さで、彼らは私たちに彼らの必要や彼らの問題を教えてくれるのです。ジャシンタは極めて大きな同情を示しました。それが罪人に関する時は特にそうでした。
「私たちは私たちの主に祈り犠牲を捧げなければならないわ。この人が回心して地獄に行かないように!かわいそうな人!」

このことに関して、ここである出来事をお話しするのが良いかと思います。これはジャシンタが自分を探しに来た人々からどれほど逃げようとしていたかを示しています。
私たちはある日ファチマへと行くところでした。 [注17]主要道路に近づくと馬車から淑女と紳士のグループが降りてくるのに私たちは気がつきました。私たちには、全くの疑いもなく、彼らが私たちを探しに来ていたことを知りました。逃げることは不可能でした。何故なら、彼らは私たちを見いだすからです。私たちはそのまま道を歩き続け、私たちが誰かと知られずにそのまま通り過ぎることを期待しました。婦人たちは私たちに近づいてきて、聖母がお現れになった幼い牧童たちを私たちが知っているか尋ねました。私たちは「はい」と答えました。
「その子たちがどこにすんでいるか知ってる?」

私たちはご婦人たちに正確な行き方を教え、走ってそこから離れて、畑の中に隠れました。ジャシンタはこの作戦の結果にとても嬉しそうで、こう叫びました。
「人々が私たちの顔を知らない時は、いつもこうしなくっちゃ。」

[注17]このことは1918年から1919年の間に、御出現の一年後に起こった。


(続く)

シスター・ルシアの手記の日本語訳  Ⅰ. ジャシンタの性格(続き) 教皇様への愛 11~14

2017年06月21日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第一の手記

I. ジャシンタの性格


11. 教皇様への愛

私たちのところに質問に来た二人の司祭たちは、私たちが教皇様のためにお祈りすることを頼みました。ジャシンタは、教皇様とは誰かと聞きました。その良い司祭たちは、教皇様が誰かを説明し、教皇様がどれほど祈りを必要としているかを話しました。これがジャシンタに教皇様に対する愛を与えました。ジャシンタがイエズスに犠牲を捧げるときいつでもこう付け加えていました。「そして教皇様のために」と。ロザリオの終わりには、ジャシンタはいつも「めでたし」を三回、教皇様のために付け加えました。時にはこう言いました。
「教皇様とお会いしたいなぁ!ここにはたくさんの人々がやって来るけれど、教皇様は来ないのね。」[注12]
ジャシンタの子供っぽい単純さで、教皇様が他の人々のように簡単に旅に出ることができると思ったのです。
ある日、私の父と叔父 [注13] とが私たち三人と一緒に、翌日に行政官 [注14] の前に出頭するように知らされました。
叔父はこう答えました。
「私は子供たちを連れて行かない。子供たちを裁判所に引き出すなんてまっぴらだ。何故って、そりゃ、うちの子らは自分のしたことに責任を持てる年でもないし、ヴィラ・ノヴァ・デ・オウレムまでの長い道のりを堪えることなんかできないからだ。」
私の父は別の考え方をしました。
「うちの子は、連れて行くね。うちの娘に自分で答えさせるよ。俺はこれが何んのことなのかさっぱり分からんから。」
ともあれ、家族の者たちはこの機会を利用してできる限りいろいろな方法で私たちを脅しました。翌日、私たちは叔父の家の近くを通りかかるとき、父はすこし叔父を待っていなければなりませんでした。私はジャシンタに別れを告げに走って行きました。ジャシンタはまだベッドにいました。もう一度会うことができるかどうか分からなかったので、両腕をジャシンタの周りに回して抱きました。涙にむせんでかわいそうなジャシンタは泣き声でこう言いました。
「もしも、殺されそうになった、フランシスコと私もあなたと同じだって言ってね。私たちも死にたいの。私はフランシスコと一緒に井戸のところに行くわ。一生懸命あなたのためにお祈りする。」
「私が夜遅く帰ると、私は井戸のところに走って行きました。すると二人とも跪いて、井戸の脇に寄りかかって、頭を両手に埋めて、激しく泣いていました。二人が私を見るやいなや、ビックリしてこう叫びました。
「あなた、帰ってきたの?何故って、あなたのお姉さんがここに水を汲みにやってきて、私たちにあなたは殺されたって教えてくれたのよ!あなたために私たちずっとたくさん祈って、泣いていたの。」

[注12] 1967年5月13日にパウロ六世が、1982年5月13日、1991年5月13日、2000年5月13日にはヨハネ・パウロ二世が、2017年5月13日には教皇フランシスコがファチマに来た。

[注13] ルシアの父親の名前は、アントニオ・ドス・サントス(António dos Santos)であり、1919年に死亡した。ルシアの叔父はマヌエル・ペドロ・マルト(Manuel Pedro Marto)で、フランシスコとジャシンタの父親である。1957年に死去した。

[注14] 行政官はアルトゥール・デ・オリエイラ・サントス(Artur de Oliveira Santos)、1955年死去。


12. オウレムの牢獄

後に、私たちは投獄された時、ジャシンタが一番苦しんだことは、自分の両親から捨てられてしまったと感じたことでした。涙をほほに垂らしながらこう言いました。
「あなたの家族も、私の家族も私たちに会いに来ないわ。私たちのことなんかもうどうでも良くなったの。」
フランシスコはこう言います。
「泣くなよ、僕たちこれを罪人の回心のためにイエズス様に御捧げできるじゃないか。」
そう言うとフランシスコは目と手を天に上げて、こう御捧げしました。
「あぁ、イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人の回心のためです。」
ジャシンタはすぐにこう付け加えました。
「そして教皇様のため、それから聖母の汚れなき御心に対しておかされる罪を償うためです。」

しばらく私たちは離ればなれになった後、牢獄の別の部屋で一緒になりました。牢獄の看守たちがすぐに私たちを生きたまま油で揚げるためにすぐに戻ってくる、と言った時、ジャシンタは脇に行って窓から家畜の市場を眺めていました。最初、私はジャシンタが外を眺めて気晴らしをしようとしているのだと思いました。
しかし、すぐに、私はジャシンタが泣いているのに気がつきました。ジャシンタのところに行って、私の方に抱き寄せて、何故泣いているのか尋ねました。
「だって、私たち、お父さんともお母さんとももう会えずに、もうすぐ死んじゃうんだもの。」
ほほを涙でぬらしながら、ジャシンタはこう言いました。
「少なくとも、お母さんと会いたい。」
「それじゃあ、この犠牲を罪人の回心のために捧げたくないの?」
「捧げたい、そうする!」

顔は涙でグショグショにしながら、ジャシンタは両手を合わせて目を天に上げて捧げました。
「あぁ、イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人の回心のため、教皇様のため、聖母の汚れなき御心に対して犯される罪を償うためです!」

この場面に居合わせた囚人たちは、私たちを慰めようとしました。
「あなたたちがしなければならないことは、行政官に秘密を言うことだよ。貴婦人があなたたちに何を望もうが望まないが、そんなのどうでも良いんだよ!」

ジャシンタはきっぱり答えました。
「イヤです!そんなことなら死んだ方がまし。」


13. 牢獄でのロザリオ

次に、私たちはロザリオを唱えることを決心しました。ジャシンタは首に掛けていたおメダイを外して、壁の釘にそれを掛けて欲しいと或る囚人に頼みました。
このおメダイの前で私たちは跪いて祈り始めました。他の囚人たちも私たちと一緒に祈りました。つまり、もしもロザリオの祈り方を知っていたのなら祈り、少なくとも跪いていました。ロザリオが終わると、ジャシンタは窓の方に行って泣き始めました。
「ジャシンタ、この犠牲を私たちの主に御捧げしたくないの?」
「うん、御捧げしたい。でも、お母さんのことをずっと考えているの。どうしても泣いちゃうの。」

聖母が私たちに、祈りと犠牲を聖母の汚れなき御心に対して犯される罪を償うために捧げるように言われたので、私たちは、一人一人が、これらの意向のうちの一つを選ぼうということになりました。一人が罪人の回心のために、別の一人が教皇様のため、もう一人が聖母の汚れなき御心に対して犯される罪を償うために御捧げするのです。このことをみんなで決めてから、ジャシンタにどの意向を選ぶのか尋ねました。
「私、この意向全部のために御捧げする。だってこれみんな好きなんだもん。」


14. 最後に、ダンス

囚人たちの中にはアコーディオンを上手に弾く人がいました。私たちの注意を引くために彼は演奏を始め、他の人々が歌い始めました。彼らは私たちが踊ることができるか尋ねました。私たちは「ファンダンゴ」と「ヴィラ」の踊りを知っていると答えました。

ジャシンタの相手は一人のかわいそうな泥棒でした。ジャシンタがあまりにも小さかったので、彼はジャシンタを人形のように抱き上げてダンスをしました。私たちは、聖母が彼を憐れんで、彼の霊魂を救ってくださることだけを望みました!

司教様、司教様はきっとこうおっしゃることでしょう。「殉教するために、何と素晴らしい心構えなのだろう!」と。その通りです。しかし、私たちはまだ子供でしたから、これを超えるようなことを少しも考えていませんでした。ジャシンタはダンスがとても好きで特別な素養がありました。

戦争に行った兄達の一人が戦死した知らせを受けた時、ジャシンタがどれほど悲しんで泣いていたかを、私は覚えています。私は彼女の気を紛らわせるために、ジャシンタの二人の兄弟と一緒にダンスをしました。ジャシンタは頬に流れる涙を拭きながらダンスをしました。

それほど、ダンスが好きで、一人の羊飼いの笛の音を聞くだけで、一人でダンスをしました。それにもかかわらず、カーニヴァルの時、或いは洗者聖ヨハネの祝日が来ても、こうつげました。
「私、もうダンスに行かないの。」
「何で行かないの?」
「だって、私たちの主にこの犠牲を捧げたいから。」

(続く)

シスター・ルシアの手記の日本語訳  Ⅰ. ジャシンタの性格(続き)10 家族の反対

2017年06月20日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


第一の手記

I. ジャシンタの性格



10. 家族の反対

その間、何が起こったかというニュースが広がっていました。母は心配し始めました。そこで私が言ったことを、私が否定するように、何が何でもそうさせようとしました。

ある日、羊と出かける前に、母は私が嘘を言っていると告白させようと決意していました。この目的のために、母は宥めたり脅したり、ホウキで叩いたり、全てをしました。これらを全てしても、母は私の沈黙しか受け取りませんでした。或いは、私がすでに行ったこと全てが本当だということしか聞きませんでした。母は私に羊を連れて行きなさいと言い、母が決してどんな子供にもどんな小さな嘘さえも許したことがない、しかもこの種の嘘は決して許さない、ということを一日中よく考えなさいと言いました。

母は、これから毎晩、私を連れて私がだました人々のところに、全て嘘だったと告白し謝りに行かせると警告しました。私は羊を連れて家を出ると、その日は私の小さな仲間はもう既に私を待っていました。私が泣いているのを見ると、彼らは走ってきて私に何が起こったのかを尋ねました。私は起こったことを全て言い、こう付け加えました。
「ねえ、私は何をしたら良いの?お母さんは、何でもかんでも、私が嘘ついてるって言わせたいの。私、どうしたら良い?」

するとフランシコはジャシンタに言いました。
「ほうらね!みんなおまえのせいだよ。なんでこの話をいっちゃったんたんだよ。」

かわいそうなこの子は涙を流して跪いて両手を合わせて私たちの赦しを乞い願いました。
「私が悪かったの」と涙を流して言いました。
「でも、もう決して誰にも言わないわ。」

司教様は、一体だれがジャシンタにこのような謙遜な態度を教えたのかと不思議に思われるかもしれません。私も分かりません。きっとジャシンタは、自分の兄たちや姉たちが聖体拝領に行く前に両親に赦しを乞うのを見たのでしょう。或いは、私の思うには、ジャシンタは聖母から聖寵のより大きな溢れをうけ、天主と聖徳のより良い知識を受けていたのでしょう。

小教区の主任司祭が後に私たちのところに質問するために送られてきましたが[注11]、ジャシンタは頭を下げていたので、ジャシンタから一言二言を言わせるのがやっとでした。外に出た後、私はジャシンタに聞きました。

[注11]1917年5月の終わりに主任司祭がした最初の尋問のこと。

「ねぇ、なんで神父様にお返事しなかったの?」
「だって、私、もう誰にも何もしゃべらないってあなたに約束したんだもん。」

ある日、ジャシンタは質問しました。
「罪人たちのために犠牲を捧げなければならないってあの貴婦人が私たちにおっしゃったって、なんで私たちは言っちゃだめなの?」
「そうしたら、人々はどんな犠牲を私たちがしているのかって尋ねないようになるから。」

私の母は、出来事が大きくなるにつれてますます怒ってきました。このために私が嘘をついたと告白させようと別の試みをしました。ある朝早く、母は私を呼んで、主任司祭のところに私を連れて行くと言いました。
「ルシアちゃん、着いたら跪いて神父様に嘘をつきました、って言って謝るのよ。」

私たちが叔母の家を過ぎ去ろうとすると、母は数分の間叔母の家の中に入りました。このチャンスにジャシンタに何が起ころうとしているのかを説明しました。すると私がカンカンに怒っているのを見て、涙を流してこう言いました。
「フランシスコを起こしに行ってくるわ。ルシアちゃんのために井戸のところで二人でお祈りするから。戻ってきたら、そこに来てね。私たちそこにいるから。」

私は戻るときに走って井戸のところまで行きました。二人が跪いて祈っていました。二人が私を見るやいなや、ジャシンタは私のところに走り寄って抱きついてこう言いました。

「ほぅらね!私たちは何も怖がってはダメよ!あの貴婦人が私たちをいつも助けて下さるから。あの方は私たちのとってもよいお友達なのだから!」
聖母が、私たちにイエズス様に私たちの犠牲を捧げることを教えてくれたあの日以来、苦しまなければならない何か、或いは犠牲をすると同意した何かがある時はいつでも、ジャシンタは尋ねました。
「ねぇ、イエズス様にこれはあなたへの愛のためですってもう言った?」

もしも私がまだ言ってないというと、ジャシンタはこう答えました。
「じゃあ、私がイエズス様に言うわ。」
両手を合わせて、ジャシンタは目を天にあげて言うのです。
「イエズス様!これは御身への愛のためです、そして罪人たちの回心のためです!」と。


(続く)

シスター・ルシアの手記の日本語訳  Ⅰ. ジャシンタの性格(続き)9 罪人の回心のため

2017年06月19日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008



第一の手記

I. ジャシンタの性格



9 罪人の回心

ジャシンタは、罪人の回心のために犠牲を捧げるというこのことを心に良く思い留めていました。そのためどんな小さな犠牲の機会も決して逃しませんでした。その当時、モニタ[注10] には、その子供たちが家から家へと物乞いをしてまわる二件の家族がありました。

[注10] その当時、御出現の場であるコヴァ・ダ・イリヤの北、約1キロのところにあった小さい村。

私たちはある日、私たちの羊と一緒に移動しているときに、この子たちと会いました。ジャシンタは彼らを見るやいなや、私たちにこう言いました。
「罪人たちの回心のために、私たちのお昼のお弁当をこのかわいそうな子供たちにあげようよ。」

そしてジャシンタはお弁当を彼らに持って行くために走りました。その午後、ジャシンタはお腹が減ったと私に言いました。近くにトキワガシの木や樫の木がありました。樫の木の実はまだとても青かったのですが、私はジャシンタにこれを食べることができると言いました。フランシスコはトキワガシに登ってポケットを木の実でいっぱいにしました。しかし、ジャシンタはその代わりに樫の木の実を食べることができると思い出して、苦い木の実を食べて犠牲を捧げようとしました。そこでその午後は、私たちはこの美味しい食事を!楽しみました。ジャシンタはこれをいつもの犠牲の一つとしました。そしてよく樫の木やオリーブの木から実を取っていました。
ある日、私はジャシンタにこう言いました。
「ジャシンタちゃん、それ食べちゃダメよ。苦すぎるから!」
「でもね、苦いから私食べてるの。罪人の回心のために。」

私たちが断食したのは、このときだけではありませんでした。こんな貧しい子供たちと出会ったらいつでもこの子たちに私たちのお弁当をあげるという約束をしていたのです。子供たちはそのようなものをもらうのは、とても喜んでいました。そこで私たちとよく会おうとしました。この子たちは道ばたでよく私たちを待っていました。私たちといえば、彼らを見るやいなや、ジャシンタは彼らのところに走って行って、あたかもそれをジャシンタが全く必要としないかのように喜んで、私たちが持っていたその日の食べ物をみんな彼らにあげました。

そのような日は、私たちの唯一の栄養物は松の実です。それから黄色い花の草の根に実を付けるオリーブの実のサイズの小さな木の実やブラックベリー、マッシュルーム、あるいは松の木の根元に見つける他のものです。その名前をなんと言ったかもう今では思い出せません。もしも両親の庭にある果実があればそれも食べました。

ジャシンタの犠牲をしたいという渇きは、癒やすことができないように思えました。ある日、ある隣人が私の母に私たちの羊のためのよい牧草地を提供しました。それはとても遠いところにあり、真夏でした。極めて寛大な提供を母は受け入れ、私をそこへ送りました。母は私に、群れが行って飲むことができる池が近くにあるから、木陰で昼寝をするように、と言いつけました。道の途中、私たちは例の親愛なる貧しい子供たちにあいました。ジャシンタはいつもの施しを与えるために走りました。とても素晴らしい天気でしたが、太陽は燦然と輝き、乾いて、石だらけの、荒れ地でした。全てが太陽で焼け焦がれているかのように思われました。私たちは喉が渇き苦しみましたが、私たちが飲む水は一滴もありませんでした。最初は、寛大に罪人たちの回心のためにこの犠牲を捧げていましたが、お昼を過ぎるともう我慢できませんでした。

近くに家があったので、少し水をもらってくると仲間に提案しました。二人はこれに同意し、私は行ってドアを叩きました。背の低いお婆さんが水入れにいっぱいのお水をくれたばかりかパンもくれました。私は喜んでそれを頂きました。私は走って行って小さな仲間と分けるために戻りました。私が水入れをフランシスコに差し出して、飲むように言うと、
「僕、飲みたくない」と答えました。
「なんで?」
「罪人の回心のために、僕、苦しみたいから。」
「ジャシンタ、飲みな!」
「でも、私、罪人の回心のためにこの犠牲を捧げたいの。」

そこで私は水を岩の穴に注ぎました。羊が飲むことができるようにです。それから水入れを持ち主に返しに行きました。暑さはますます厳しくなりました。虫の鳴き声と近くの池の蛙の鳴き声とが混ざり合い、ほとんど我慢することができないほどでした。ジャシンタは体が弱いので、水と食べ物を摂らずにますます衰弱していました。私に、ジャシンタは生まれつきの単純さでこう言いました。
「虫とカエルに静かにしてちょうだいって言って。頭がきりきりするの。」

するとフランシスコはジャシンタにこう尋ねました。
「罪人たちのために、この苦しみを捧げたかったんじゃないの?」
かわいそうなジャシンタは、小さな手で頭を抑えながら、こう答えました。
「そうよ。捧げたいの。歌を歌いましょう。」


(続く)

シスター・ルシアの手記の日本語訳  Ⅰ. ジャシンタの性格(続き)6~8

2017年06月08日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008




第一の手記

I. ジャシンタの性格



6 小さい羊飼いのジャシンタ

私は羊のお世話する年になりました。うちの母は子供たちが私と同じ年頃になると、みんなに羊の番をさせました。姉カロリナ[注9] は、もう13歳になったので、外へ働きに行く年齢でした。 それで母は、私に群れの世話をする責任を負わせました。私はこの知らせを私の二人の友だちに告げ、もう一緒に遊ぶことができないと言いました。しかし二人は私から離れることができず、自分達も私と一緒に羊の所へ行かせてほしいとすぐに願いに行きましたが、彼らの母親は許しませんでした。
私たちは仕方がなく、別れねばなりませんでした。その時から、彼らは毎晩、私が家に帰る時迎えに行きました。私たちは、ちょっとの間一緒に走ってから、聖母と天使たちのランプが大空に現れるまで待って、その明かりが私たちを照らすように窓の上に置きましょうと言い合いました。月の出ない夜は、マリア様のランプのために油がないんだと言い合いました。

[注9] カロリナは1994年に死去した。

ジャシンタとフランシスコは、私が一緒にいないのに慣れることが出来ませんでした。そこで何度も私の手伝いをすることを許してくれるように母にねだりました。ふたりはまだ小さかったのに、私の叔母(彼らの母親)は、二人の子供があまりにもうるさく願ったので、彼らがあまりにも幼かったにもかかわらず、自分たちの羊の群れの世話をとうとう許しました。ふたりは晴れやかな顔をして、良いニュースを知らせに走って来て、毎日どこで羊を一緒に牧することができるかを相談しました。
それがどこであろうと彼らの母親が決めたところで、私たちはそれぞれ自分の群れの囲いを開き、バレイロに最初に着いた子が誰でも別の群れが来るのを待つことになっていました。バレイロというのは、丘の麓にあった沼の名前です。私たちがこの沼で会うと、その日、どこで一緒に羊を牧するかを決めました。そこで私たちはそこに出かけるのですが、あたかもお祭りに行くかのように嬉しく喜んで行きました。

では司教様、これからジャシンタの羊飼いとしての新しい生活を書きます。私たちは羊たちと私たちのお昼のお弁当を分けて羊の友達になりました。
これが意味することは、私たちは牧場に着くと、好きなように遊ぶことができたということです。何故なら、羊たちが私たちから離れて迷子にならないことが確かだったからです。
ジャシンタは自分の声のこだまを谷間で聞くのが好きでした。そのため、私たちの最も好きな遊びは、岡のいただきに登り、私たちが見つけることが出来る大きな岩の上に座って、色々な名前を声高く叫ぶことでした。一番良く反響した名前は「マリア」でした。
時々ジャシンタは天使祝詞をこんなふうに全部唱えていました。まず初めの言葉を言って、その反響を聞いてそれが響きやむと次の言葉を叫んで、天使祝詞を全部唱えました。私たちは歌うことも好きでした。
私たちは、なんと言うことでしょうか!、たくさんの世俗の歌を知っていました。そのなかで、ジャシンタのお気に入りだった歌は、‘Salve Nobre Padroeira’ (めでたし、高貴な保護の聖女よ), ‘Virgem Pura’, (清き童貞女), ‘Anjos, Cantai Comigo’, (天使たちよ、私と一緒に歌え)などでした。
また私たちはダンスをすることも好きでした。他の羊飼いたちが演奏するどんな楽器の音を聞いてでもすぐに踊りました。ジャシンタはあんなに小さかったのにダンスをする特別な才能を持っていました。
昼食を食べてから、ロザリオを唱えるように命令されていましたが、私たちの遊びのために時間が足りませんから、すぐにロザリオを唱えてしまう方法を考えました。それは「めでたし聖寵」とだけ言って、ロザリオの珠をくるのです。一連が終わったら、ちょっと黙って、「天にまします」と言うと、瞬く間に終わります。
ジャシンタはまた幼い白い子羊を抱くのが好きでした。座ってその膝の上に置き、また膝の上に乗せ、ほおずりをしてかわいがりました。夜になると子羊を肩に乗せて家まで連れて行きました。それは子羊が疲れないようにするためです。ある日彼女は家に帰るとき羊の群れの中に入って歩きました。
「ジャシンタ、羊たちの中で何をしているの?」と聞くと、
「頂いた御影のイエズス様のようにしたいの。イエズス様はこのように羊の真ん中にいて、一匹をその胸に抱いていたのよ」と答えました。


7. 最初の御出現

これで司教様、かの1917年5月13日までジャシンタが最初の7年をどう過ごしたかを多かれ少なかれお知りになったことでしょう。かの日、もしも御摂理において偶然などと言うことがありうるのなら、偶然に、私たちは、コヴァ・ダ・イリヤ私の両親の土地で羊の群れを牧することを選びました。私たちは、バレイロでいつもするように牧することを選びました。これが意味することは、私たちはそこに行くには荒れ地を通り越していかなければならなかったということです。これは道のりを二倍に長くしました。私たちは羊たちが着いてくることができるようにゆっくり行かなければなりませんでした。そこで私たちが着いたときにはもうほとんどお昼でした。その日何があったのかをここで司教様にお話しして、話を長引かせるつもりはありません。何故なら司教様はそれを既によくご存じだからです。ですからそれは時間の無駄となるでしょう。ただし従順のためということを除いては、私がこれを書くのは私にとっても時間の無駄のように思えます。何故ならこれから司教様がどんな善を引き出すことができるのか私には分からないからです。ただし、これで司教様がジャシンタの罪のない生涯をよく知ることができるということを除いて。

司教様にジャシンタの生涯のこの新しい時期について覚えていることを書き始める前に、私はこのことを認めなければなりません。それは聖母の御出現のいくつかの観点は、私たちが誰にも知らせてはならないと同意したいくつかがあると言うことです。しかし、今、私は、それらについて私は話さなければなりません。それはジャシンタがイエズスに対する愛、苦しみに対する愛、罪人の改心のため、彼らの救いのために自分を寛大に献げたことを説明するためです。

司教様は、彼女がその喜びを抑えることが出来ずに、出現の沈黙を守る約束を破ったということをご存じありません。

その日の午後、私たちがまだ考え深く夢中になっていた時、ジャシンタは熱をこめて香叫び続けました。、
 「なんと美しい貴婦人でしょう」
 「私には一体何が起こるか分かるわ。あなたはこのことを誰かに言ってしまうでしょう」と言いますと、
 「いいえ、絶対話さない。心配しないで」と答えました。

翌日、フランシスコは私のところに走ってやって来て、妹のジャシンタがどうやって夕方に家でそれを全部話したかを、知らせてくれました。ジャシンタは一言も言わずに黙って、告発を聞いていました。私は彼女に
 「ほらね。やっぱり私が思った通りのことが起こっちゃった」と言いました。
彼女は涙を流しながら
 「私の心の中で何かがあって、静かにしていられなかったの」と答えました。
 「分かったわ、もう泣かないで。それから、貴婦人が私たちに言ったことを、誰にも言っちゃだめよ。」
 「でも、もう全部話しちゃったの。」
 「何って言ったの?」
 「貴婦人が、私たちを天国へ連れて行く約束をなさったって。」
 「そんなことまでも言っちゃったの?」
 「赦して。もう誰にも決して話さないわ。」


8. 地獄のことを考えて

あの日、私たちが牧場へ行った時、ジャシンタは、岩の上に座って深く考え込んでいました。
 「ジャシンタ、遊びに来なよ」と私は言いました。
 「今日は遊びたくない」
 「なぜ?」
 「何故って、私は考えることがあるのよ。あの貴婦人は、私たちにロザリオを唱えることと、罪人の回心の為に犠牲をすることをお願いしたわ。私たちは、これからはロザリオを唱える時、天使祝詞と主の祈りを全部唱えなければいけないのね。そして、どんな方法で、犠牲をしたらよいでしょう?」
すぐにフランシスコは、よい犠牲を思いつきました。
 「僕たちの弁当を羊にあげよう。そうすれば、空腹の犠牲を捧げることができるから」と。
数分の間で、弁当を羊にみなあげてしまいました。そこで、その日は、私たちはカルトゥジオ会の修道士たちの最も厳しい断食のように、断食を守りました。
ジャシンタは深い黙想をしながら、岩の上にまだ座って、こう尋ねました。
 「あの貴婦人は、多くの霊魂が地獄へ落ちるとおっしゃったけれど、地獄とはどんなところかしら?」
 「野獣が住む深い大きな穴のようで、その中に大きな火があり、 -- いつも母がそうやって地獄のことを私に説明してくれていました -- 罪を犯して告解しない人々がその中に落ちるのよ。落ちた罪人は、いつまでもその中で燃やされるのよ!」
 「そこから二度と出る事は出来ないの?」
 「できないの。」
 「長い長い年月の後でも出られない?」
 「出られないの、地獄は終わりがないから。」
 「天国も終わりがないの?」
 「天国へ行く人は、いつまでもそこにいるのよ。」
 「でも地獄に入った人は、もう出られないの?」
 「天国と地獄は、永遠なの。分からないの?終わりがないのよ。」

これが、私たちがどうやって初めて地獄と永遠について黙想したかでした。ジャシンタは永遠という考えに最も心を奪われたので、遊んでいる間でも、それをやめてこう尋ねました。
 「でもね、ちょっと!地獄って長い長い年月の後にも終わりがないの?」
あるいは、
「地獄で焼かれている人々は、死なないの? 灰にはなってしまわないの?
もし人々が罪人らのためにたくさん祈っても、私たちの主がかれらを彼らは地獄から出してくれないの?もしも犠牲をしてもダメ?
かわいそうな罪人たち。私たちは、彼らのために祈らなければならないし、たくさんの犠牲をしなければ。」
それから続いてこう言いました。
 「あの貴婦人は、なんと良いお方でしょう。私たちを天国へ連れて行くと既に約束をなさったのだから。」

(続く)

シスター・ルシアの手記の日本語訳  Ⅰ. ジャシンタの性格 1~5

2017年06月06日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


第一の手記

I. ジャシンタの性格


1. ジャシンタの生まれつきの性格

司教様、
1917年に御出現の前には、私たちが親戚であったという絆を除いて、
私はジャシンタとフランシスコの2人を仲間として、他の子供たちよりも特別な愛情があったわけではありません。それどころか、時々、ジャシンタと一緒にいるのは、彼女が非常に感じやすい気質のために、私は嫌になりました。
子供たちの間で小さな争いをした時、彼女は泣きべそをかいて場を去りました。子供たちは上手に可愛がってなだめるのを知っていたのに、彼女を遊びに戻らせることはできませんでした。そこで子供たちは 彼女に遊びと自分の好きな相手を選ぶことを許しました。しかし、彼女のこころは良いものでした。天主は彼女に優しい親切な性質を与えたので、彼女は瞬く間に愛嬌のある可愛らしい子になりました。

理由は知りませんが、ジャシンタとその兄フランシスコは私のことを大変好きでしたから、遊びたい時いつも私を探しに来ました。ふたりは他の子どもたちと一緒に遊ぶことは喜びませんでした。私の家の庭にある井戸のところへ彼らと一緒に行くようにいつも私を誘いに来ました。一度、私たちがそこに来ると、ジャシンタは私たちのする遊びを決めました。ジャシンタが一番好きだったお遊びは、普通は「小石遊び」と「ボタン遊び」でした。これを私たちは、オリーブの木と二本のスモモの木の木陰で、井戸を覆っている石版の蓋の上に座って遊びました。

「ボタン遊び」をするとしばしば私は悲しくなりました。何故なら、家のものが食事をするように私を家の中に呼ぶと、私の服のボタンが少なくなっていたからです。非常にしばしばジャシンタはボタンを全て勝ち取ってしまったので、母が私を厳しく叱りました。そこでボタンを急いで縫い付けなければなりませんでした。

しかし、ボタンを返してくれるようにどのように頼んでも、ジャシンタは仏頂面の上に欲張りだったので消して返しませんでした!彼女は次の遊びのために、私から勝ったボタンを持っていたかったのです。何故なら、そうするなら自分の服のボタンを取らないですむからです。そこで私はもう一緒に遊ばないと脅して、やっと私のボタンを返してもらいました!

私は何度も私の小さな友だちの心を満足させることができませんでした。私の姉たちの一人は機織り、もう一人は裁縫して1日中家にいました。すると近所の人々は畑仕事に行く時、小さな子供を私の家に預けに来ました。子供たちは私と一緒に家で遊びました。その間、姉たちが私たちに目を見張っていました。二人の姉の仕事の邪魔になり、長い時間の無駄になりましたが、母はいつも子供たちの世話を引き受けました。

それで私は子供たちと庭で一緒に遊び、井戸の中に落ちないように気をつけて面倒を見るのは私の勤めでした。三本の大きなイチジクの木は熱い太陽から子どもたちを守りました。私たちはその枝を使ってブランコ遊びをして、脱穀場の床で食事をしました。

私が子供と一緒に遊ぶとき度々ジャシンタは兄フランシスコと一緒に来て私に好きな所へ行きましょうと誘いました。母は子供の面倒を見るように私に命令したので、いけないのといつも答えました。すると二人の小さい子友だちはがっかりして、仕方がないので私たちの遊びに加わりました。午後のお昼寝の時、母は特に四旬節が近づいたとき、自分の子供たちに公教要理を教えました。そしてこう言いました。
「主任神父さまが復活祭の時あなたたちに教理のテストをしても私が恥ずかしくないように今勉強しましょうね。」
すると子供たちはみんな母の許しで私と一緒に教理を学びました。ジャシンタとフランシスコもそこにおりました。


2 感じやすい気質

ある日、子供たちの一人が悪い言葉を言い、そう言った子供を別のある子が、母に訴えました。母はこの子供を厳しく叱り
「誰でもそのような言葉を言ってはいけません。罪ですから。幼いイエズスに嫌われますよ。あの悪いことをする人は告解しないなら地獄に落ちます」と言いました。
小さいジャシンタはこの教えを忘れませんでした。子供たちが私の家に来た時ジャシンタは、
「あなたのお母さんは、あなたが私と一緒に遊びに行くことを許してくれるかしら?」と聞いたので、
「ダメよ」と私は答えました。
「それなら、フランシスコと一緒に自分の家の庭へ行くわ。」
「どうしてここにいたくないの?」
「私の母は、他の子供たちがここにいるとき、私たち二人がいるのが嫌なの。母は家の庭で遊ぶように言ったの。私が悪いことを覚えるのが、母は嫌いなの。それは罪だし、幼きイエズス様が好きでないから。」
それから彼女は私に耳にささやいて、
「もしね、あなたのお母さんが許すなら私の家に来る?」
「うん、行く。」
「じゃあ、許しを頼んでみて。」
そしてジャシンタは兄フランシスコの手を取って一緒に家に帰りました。

ジャシンタの好きな遊びについて話すと、その中の一つは負けた相手に罰を与えるゲームでした。司教様もきっとご存じの通り、そこで負けた人は勝った人の言うことを聞いて実行しなければなりません。ジャシンタは負けた人に蝶を取りに行って、自分のところへ持ってくるようによく言いました。ある時は、ジャシンタは自分の選んだ花を摂ってくるように要求しました。
ある日、私たちは私の家でこの罰ゲームをして遊んでいましたが、私が遊びに勝ちました。そこでジャシンタに何をすべきか言いました。私の兄がテーブルに向かって何か書いていました。私はジャシンタに兄を抱きしめてキスするように言いました。ジャシンタはそれを断って、
「それは嫌よ!他の別のことを言って。何で、あそこの私たちの主イエズスを接吻するように行けと言ってくれないの? 」
壁には十字架像がかかっていました。
「いいわよ。椅子へあがり、十字架をとってここに持ってきてちょうだい。それから跪いて3度イエズスを抱きしめ接吻して。一回目はフランシスコのため、もう一つは私の為に、もう一度はあなたのためよ。」

「私の主イエズスになら、いいわ! あなたの望むまま何度でもするわ!」といってすぐに十字架を下ろしました。彼女は十字架に熱心な接吻をし、それを抱きしめたので私はそのことを忘れません。彼女は十字架を見つめながら、
「なぜ私たちの主はあのように十字架にクギづけられたの?」と尋ねました。
「私たちのために死なれたのよ」と私は答えました。
「どうしてそんなことになったのか教えて。」


3 十字架に付けられた救い主へのジャシンタの愛

晩になると、母はよくお話をしてくれました。父と姉たちは、私たちに、魔法とか金と王の服を着た王女さまなどのおとぎ話をしてくれましたが、母は主の御苦難と洗礼者ヨハネと、などのエピソードを物語ってくれました。そのおかげて私は主の御受難の話を知るようになりました。
私はお話を1回聞くだけで、その全ての細かい点まで覚えて他の人に話すことができたので、私の小さい友だちに「私たちの主の物語」と私が呼び習わしていたものを一言一言、詳しく繰り返し話しました。
ちょうどその時、私の姉[注6]が通りかかり、私たちが十字架像を手に持っているのに気がつきました。[注7] 姉は、私たちから十字架をとって私たちを厳しく叱りました。
「あなたたちはこのような聖なるものに触れてはいけません。」
ジャシンタは立ち上がって私の姉に近づきこう言いました。
「マリアお姉さん、ルチアを叱らないで。私がやったの。これからは決してしません。」
姉はジャシンタを抱きしめて、私に外で遊ぶように言いました。何故なら、家の中をめちゃくちゃにしてしまったからです。私たちは外の井戸の所へ行って主の物語を続けました。それは栗と、積み重ねた石で囲まれ、ちょうど隠れたところだったので、数年後、私たちは親密に話したり、熱心に祈ったり、全てのことを話し、涙を流す、しかも時には深い悲しみの涙のために、この静かな場所を選びました。私たちは、この同じ井戸の水に私たちの涙を混ぜ、そこから水を飲みました。この井戸は聖母マリアのイメージではありませんか?何故なら、私たちはその汚れなき御心おいて私たちの涙を乾かし、そこからもっとも清い慰めを飲むのですから。

しかし私たちの話に戻りましょう。私が主イエズスの苦しみの話を聞くと、ジャシンタはいつも涙を流すほど感動しました。その時から彼女は私に主の御受難を何度もはじめから話すように願いました。ジャシンタは涙を流して慟哭してこう言うのです。
「私たちの可哀想な主!私はもう罪を犯しません。主イエズスがこれ以上苦しむのを望みません」と言いました。

[注6]マリア・ドス・アンジョス(Maria dos Anjos)、ルシアの一番の姉、1986年に死去。
[注7]この十字架像は今でもルシアの旧家にあり、訪問者は今でも見ることが出来る。


4 ジャシンタの繊細な心

ジャシンタは日がとっぷり暮れる頃、家の近くにある脱穀場へ行く事も好きでした。彼女はそこで美しい日没と瞬く星でいっぱいの空を眺めたりしていました。彼女は綺麗な月夜に心を奪われました。私たちは誰が最も多くの星を数えることができるかと互いに競争しました。そして星は天使たちのランプ、月は聖母マリアのランプ、太陽は主イエズスのランプと呼びました。ジャシンタはこう言いました。「私は聖母のランプが一番好き。それは私たちの主のランプのように私たちを焼かないで目をくらませないから。」実に夏、ファチマでは太陽の光が強いので、ジャシンタは暑さのために非常に苦しみました。


5. ジャシンタは見て学ぶ
私の姉が小教区のイエズスの聖心会に加入していたので、子どもたちの盛大な初聖体式が来ると、必ず私の初聖体を更新するように私を教会へ連れて行きました。ある時私の叔母は、儀式を見にジャシンタを連れて行きました。するとジャシンタは天使の服装をした女の子が行列の時ご聖体の前で花を撒き散らしていることに心をうばわれました。その時から私たちが遊んでいると彼女は時々私たちから離れてエプロンにいっぱい花を摘んで一つ一つ私たちに投げかけました。
「ジャシンタ、なぜそんなことをするの?」と聞くと
「教会で小さい天使がしたようにするの。あなたたちに花を撒き散らしたいの」と答えました。

毎年、大祝日には、おそらくご聖体の祝日に、姉はご聖体行列でご聖体に花をまき散らす天使の衣装をつける女の子たちのために白衣を準備していました。この子供たちは、天蓋の横を歩いて花びらをまき散らします。私はいつもこの子供たちの中に選ばれました。ある日、姉が私のドレスの着付けをしてくれた後、私はジャシンタに来る祝日のこと、どうやってイエズス様の前で花びらをまき散らすかなどを教えました。
ジャシンタは、「私も行列に出るようにお姉さんに願ってください」と言ったので私たち二人は一緒に願いに行きました。姉は承諾し、ジャシンタに服が合うか試しました。練習の時、姉は幼きイエズスの前で私たちがどうやって花をまかねばならないかを説明しました。
「私たちはイエズスを見るでしょうか」と小さいジャシンタが聞くと姉は
「そうですよ、主任司祭はイエズス様を持って行きます」と簡単に答えました。

ジャシンタは喜び踊りました。そして私たちがこの祝日をどれだけ待たなければらないかをいつも尋ねました。
長い間待っていた祝日がとうとう来たので、この小さい女の子は、あまりの喜びに我を忘れていました。私たち二人は祭壇の近くでした。後に、行列の時は、私たちは天蓋の顕示台の横を、一人ずつ一つのカゴいっぱいの花を持って歩きました。姉が私たちに花を撒き散らすように合図するとどこででも、私はイエズス様に花を撒き散らしましたが、小さいジャシンタは私の合図にもかかわらずひとつも花をまきませんでした。彼女は行列のあいだじゅう、司祭をじっと見つめていました。それしかしませんでした。式が終わってから姉は私たち聖堂の外に連れて行きこう尋ねました。
「なぜあなたは、イエズス様に花をまかなかったの?」
「だって、イエズス様が見えなかったから。」

ジャシンタはそこで私にこう尋ねました。
「けれども、あなたには幼きイエズス様が見えたの?」
「もちろん見なかったわ。ホスチアの中の幼きイエズス様のお姿は、見ることができないって知らなかったの?イエズスはご聖体の中に隠れておられるのよ。イエズス様って、私たちが御聖体を拝領する時、頂くお方なのよ。」
「じゃあ、あなたは聖体拝領の時イエズス様に話しするの?」
「うん、お話しするわ。」
「それじゃあ、どうしてイエズス様が見まないの?」
「だって隠れておられるからよ。」
「私、お母さんにご聖体を拝領させて頂くように願いします。」
「主任神父様は、あなたが10歳になるまで、初聖体をいただくことをお許しませんよ。」[注8]
「でも、あなたは、まだ10歳にならないのに聖体拝領をしてるじゃないの!」
「私は公教要理をよく勉強したからよ。でもあなたは、まだそれを知らないでしょ。」

その時から、私の二人の友だちジャシンタとフランシスコは私に公教要理を教えて欲しいと頼みました。私は教理の先生となり、ふたりは熱心にそれを学びました。
けれども、私はジャシンタの質問には全て答えることが出来ましたが、公教要理を教えるとなると、わずかのことしか思い出すことが出来ませんでした。
このためにジャシンタは私にある日こう言ったのです。
「私たちにもっと他の事を教えて。私たちはそのことは全部知っているわ」と。
私は質問されたときならいろいろなことを思い出すことが出来ると認めなければなりませんでした。そこで、「あなたが公教要理の勉強をもっとしたいなら、お母さんに教会へ連れて行ってほしいと願ってください」と勧めました。
「隠れたイエズス」と彼らが名付けたご聖体を熱烈に拝領したかった二人の子供は、母親に願いに行き、許しを受けました。しかし彼女はたまにしか二人を教会へ連れていきませんでした。
「教会までの道のりはここからとても遠いから、あなたたち二人はまだ無理です。どうせ、主任司祭は10歳になるまで初聖体を授けませんよ」と言いました。
しかしジャシンタは、隠れたイエズスについて質問するのをやめませんでした。ある日私にこうやって質問したのを覚えています。、
「どうして同時に多くの人々が小さな隠れたイエズス様を拝領できるの?一人一人のためにイエズス様は小さく分けられているの?」と。
「そうではないの。ほら、たくさんのホスチアがあるのが分からないの?それぞれのホスチアにひとりの小さいイエズス様がいらっしゃるの」と答えました。
その時、私はきっとなんと多くの愚かなことを言ったのではないかと思います。

[注8]ジャシンタは1910年3月11日生まれだった。


(続く)

シスター・ルシアの手記の日本語訳 【序言】

2017年06月04日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳


ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008




第一の手記

序言 

1 祈りと従順

J. M. J.(イエズス・マリア・ヨゼフ)
司教様 [注1]、
イエズスと聖母の栄光にならないことは一つも書かないように、それだけのために、イエズスと私たちの優しいおん母マリアの至聖なる聖心の守護と、聖櫃[のご聖体]の下で光と恵みとを願い求めて、今、私はこの仕事に取りかかります。私は嫌気を感じるにもかかわらず、書きます。何故なら惨めな自分について直接にあるいは間接的に触れずに、ジャシンタについて話すことがほとんど出来ないからです。
しかし、私は、司教様の御旨に従順に従います。なぜなら司教様の御旨は私にとって私たちの天主様のみ旨だからです。イエズスとマリアの至聖なる聖心がこの仕事を祝福してくださることを願いつつ、これを始めます。ジャシンタが寛大に身を犠牲にして哀れな罪人の回心のために献げたように、この従順の行為を憐れな罪人らの回心を求めるために使うために、書き始めます。
司教様は私がどれほど無能でふさわしくないかを知っておられるので、私から良く書かれた報告書を期待していないと知っています。天主の恵みによって私はジャシンタの一番親しい友だったので、この霊魂について覚えている事を司教様に話しします。私は彼女の聖性をきわめて高く評価しており、彼女を非常に尊敬しその思い出を懐かしく思っています。

[注1] Dom José Alves Correia da Silva, 1872-1957, ファチマが属するレイリア司教区の再設立後の最初の司教。


2 秘密を守る
私は司教様に従順する意志を持っていますが、司教様は私とジャシンタとに関係ある特別のことについて、言い表せないのを許してくださると信じます。なぜなら私が永遠の生命に入る前にこれらのことが読まれるようにしてほしいからです。またある秘密とその他のことを永遠にとっておかなければならないことを、司教様に漏らさないことを変に思わないでください。何はともあれ、聖母こそが、私にこのような沈黙を守る手本をお示しくださったのではないでしょうか 。福音書は聖マリアが全ての事をご自分の心に思い巡らしていたかを、私たちに示しているではありませんか?[注2]
この聖母の汚れなき御心よりも一体誰が天主の御憐れみの秘密を私たちに明かすことが出来たでしょうか? それにもかかわらず、聖母は、あたかも閉ざされた花園にあるかのようにそれらをご自分のために秘して、天主たる王の宮殿に自分と一緒にそれを持って行かれました。

[注2]Luke 2,19-51

その上、私がまだ11歳だった時、1人の聖なる司祭から聞いた言葉を思い出します。多くの人と同じように、彼は私に質問をしましたが、その中でも、話したくないことについて尋ねました。山のような質問が終わった時、このことについて満足できるような返事を得ることに成功せず、デリケートすぎる内容に関することだとおそらく理解されたのでしょう、この良い司祭は私を祝福してこう言いました。
「わが子よ、あなたは正しい。王の娘の秘密は、自分の心の奥に隠しておくべきです。」
その時私は神父様の言った言葉の意味を悟りませんでしたが、後に彼は私のとった行動のやり方を認めて下さったのだと理解しました。私は神父様の言葉を忘れませんでした。そして、今ではその意味が分かりました。この聖なる司祭はその時
トレス・ノヴァスの助任司祭でした。[注3]
彼がこのわずかの言葉によって私の心にもたらした偉大な善を、神父様はほどんどご存じありません。それゆえ私は感謝の心を尽くして彼を思い出します。
しかし、ある日、そのような内容について私が秘密を守ることについて、ある1人の聖なる司祭の序言を私は求めました。何故なら、聖母はほかにも私に何かをおっしゃったのかと人から尋ねられたとき、一体何と答えて良いか分からなかったからです。
当時オリヴァルの助任司祭だったこの神父様[注4]は、私たちにこう言いました。
「我が子らよ、天主とあなたたちの間の、あなたたちの霊魂の秘密を守るのは良いことです。人々があなたたちにその質問をする時、あなたたちはただこう答えなさい。『はい、聖母は他の事もおっしゃいましたがそれは秘密です』と。もし人々がこの主題について質問をし続けるならばこう言いなさい。『聖母は誰にもそれを話さないように言われました。この理由で私たちはあなた方に何も言えません』と。そうすればあなたたちの秘密を聖母の御保護のもとに守ることができます。」
私はどれほどこの聖なる年老いた司祭の説明と指導とをよく理解したことでしょうか!私は、これらの前置きにあまり多くの時間を取り過ぎてしまいました。司教様は一体これら全ての目的は何だろうと不思議に思いになることでしょう。私にジャシンタの障碍で思い出すことが出来るお話を始めることが出来るかやってみなければなりません。私の自由になる時間が全くありませんので、イエズスとマリアの至聖なる聖心が私に思い出すことを望む全てを、思い出して、私の裁縫の下に隠しておく紙と鉛筆の助けで書き留めるために、沈黙のうちに働く時間をほとんど使わなければなりません。

[注3]アントニオ・デ・オリベイラ・レイス神父は当時トレス・ノヴァスの主任司祭で、1962年に死去。
[注4]ファウスティノ・ホセ・ジャシント・フェレイラ神父、1924年死去。


3. ジャシンタへの祈り
この世を通って、あなたは飛ぶように素速く行った、最愛のジャシンタ、
苦しみの最も深みで、イエズスを愛しながら、
私の願いとあなたへの祈りを忘れないでね、
いつも私の友でいてね、童貞マリアの玉座の御前で、
白く輝く百合よ、光る真珠よ、あそこ天国で、あなたは栄光のうちに住む、
愛のセラフィムよ、あなたの弟と一緒に、師の足元で
私のためにお祈りしてね。

Ó tu que a terra Passaste voando,
Jacinta querida, Numa dor intensa,
Jesus amando, Não esqueças a prece
Que eu te pedia.
Sê minha amiga Junto do trono
Da Virgem Maria. Lírio de candura,
Pérola brilhante Oh! lá no Céu
Onde vives triunfante,
Serafim de amor,
Com teu Irmãozinho
Roga por mim
Aos pés do Senhor.

(続く)