ファチマの聖母の会・プロライフ

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同性愛の傷の癒し

2017年06月29日 | 罪の傷の癒し
(ポーランドのカトリック雑誌「Miłujcie się!」(/ 互いに愛し合いなさい)から)
護教の盾からの引用)


ポーランドのカトリック雑誌(互に愛し合いなさい)


同性愛の癒し

2358 かなりの男性や女性が、同性愛の根強い傾向を持っています。この傾向は、客観的には逸脱ですが、彼らの大部分には試練となっています。したがって、同性愛的な傾向を持つ人々を軽蔑することなく、同情と思いやりの心をもって迎え入れるべきです。不当に差別をしてはなりません。これらの人々は、自分の生活の中で神のみ旨を果たすように、キリスト信者であれば、自分のこの傾向から生じる困難をキリストの十字架の犠牲と結び合わせるように、と呼びかけられているのです。

2359 同性愛的な傾向を持っている人々は貞潔を守るよう招かれています。内的自由を培う自制の徳によって、時には友人の献身的な助けのもとに、祈りや秘跡の恵みによって、少しずつではあっても確実にキリスト教的完全さに近づくことができるし、またそうしなければなりません。

──カトリック教会のカテキズム

同性愛の傾向を持つ人々は、ほとんどの場合、彼らの生育環境からの悪影響によってそのような傾向を持つに至ったので、愛と思いやりを以って扱われなければなりません。私たちは、彼らを責めるのではなく、彼らが霊的にも心理的にもどれほど深く傷ついているかを想像しようとしなければなりません。同性愛からの癒しは、その全体の中で治療的なカウンセリング(下記の推薦資料を参照のこと)が必要とされる場合もあるかも知れませんが、しかし根本的には、そのような癒しを可能にするのは神の愛です。神の愛のみが、人々を寂しさと悲しみから救うことができ、また彼らに、自分はいつ如何なる時も無条件に愛されている[管理人注2]と気づかせることができます。同性愛的な人たちは、自分の関心の目を、自分のセクシュアリティの問題からイエズス・キリストの愛の方へと戻さなければなりません。

[管理人注2]   この「無条件に愛されている」という言い方は、よくお目にかかるもので、そして私なども、心が傷つき、“必要な基本的自尊感情” さえあまり持てなくなり、何かにつけて「私なんか. . . 」と思うようになってしまっている人(私自身、そうかも)のためには必要な言い方であると思うのですが、しかし、それにもかかわらず、常に危うさを伴った言い方です。ここに「言葉」というものをあまりに単純に考える人が居て、「神様は私のことを無条件に愛しているということはつまり、私の罪のことも大して気にしておられないということだ」と考えたとしたら、マズイことになります。

同性愛の欲望に苦しんでいる人々は、この癒しの愛を十分に受けるためには、その行為、態度、邪悪な影響によって自分の逸脱に貢献したすべての人を許す必要があります[管理人注3]。祈りの中で、怒りと悲しみを神に捧げなければなりません。神に、自分が許すことができるよう、恵みを求めなければなりません。この、人を心から許すということが、自分の心を神の癒しの恵みに対して十分に開くための必要条件となります。また、ここには、ゆるしの秘跡と御聖体の秘跡の頻繁な受領も伴っていなければなりません。

[管理人注3]   ここで思い出すのは、以前見たデボラ・バーさんの言葉です。「そして神は、遠い昔に私を傷つけた人のことを私が赦すことができた時、私の心を癒して下さいました。」しかし私たちは、親子関係でも何でも、意外と「恨み」的な感情を、意外としつこく自分の心の内に保存していたりするものではないでしょうか(私も. . . )。しかしこの記事の筆者は「あなたがあなたを傷つけた人のことを心から許さない限り、あなたは、神からあなたへの恵みの通路を “自ら塞ぐ” でしょう」と言っているようです。(しかし、私たちは大抵、自覚がありません. . . )

貞潔への復帰は、頻繁で苦しい失敗によって特徴づけられる長く困難な旅です。この嵐の期間に於いては、忍耐こそ、何にも増して大切です。精神的また感情的な傷が癒えるにつれて、やがて、同性愛の欲望は弱まり、そして多くの場合、完全に消える可能性があります。

キリストに於いては、解決策を見出せない状況、などというものはありません。あまりに罪深くて、あまりに穢れていて、あまりに傷ついていて、癒されることなど無理である、などという人は一人も居ません。同性愛行為をしがちな人も、キリストを完全に信頼し、以下のステップを踏めば、癒されるあらゆるチャンスを手に入れます。

  - 同性愛に関する教会の教えを受け入れること。そして、貞潔に生きる努力をすること

  - 毎日の祈り、黙想、ロザリオの祈り、聖書を読むこと、ゆるしの秘跡と御聖体の秘跡の頻繁な受領などを通して、生活全体をキリストに深く傾倒させること

  - 同性愛行為の罪を誘発するかも知れないすべてのものとキッパリ手を切ること。本やビデオなど同性愛関連のものを捨て、同性愛的な環境の全てと手を切ることが特に大事です。ここにはバーや公衆浴場を避けることも含まれます。

  - 異性愛の男女と時を過ごすあらゆる機会を利用すること。Courage International のような、良い解決策を提供するかも知れない組織の保護の下、教区祈祷グループや自助グループに参加することは、良い解決策になるかも知れません。そのようなグループに属することから生ずる連帯感は、貞潔に反する誘惑から身を守るために非常に役立ちます。[管理人注5]

[管理人注5]  LGBT CJ は「そのようなグループ」には含まれません(少なくとも今のところ)。何故なら、そこには「LGBT には何の問題もない」と主張する人たちが居るからです。参加者の中から「あなた方はそう言うけれど、私たちとしては LGBT の傾向から脱出する道も模索してみたいのです」という声が挙がれば、また別です。もし LGBT CJ が Courage International のようなものに変貌したら、私だって、躍り上がってお祝いします。

同性愛的傾向からの癒しは、真の霊的な回心が行われた場合にのみ可能です。ここには、キリストに対する完全な信頼と、全生涯をキリストと共に歩もうとする意欲的な努力が必要とされます。この霊的な刷新は、すぐには起こらないかも知れません。人格の成熟も、そんなに速くは進まないかも知れません。人生の完全なコントロールを取り戻すには時間がかかります。その間、確かに厳しいかも知れません。しかし、イエズス様への集中的な祈りと信頼が、同性愛の強い誘惑を防ぐことに於いて、あなたを助けるでしょう。イエズス様は、私たちがイエズス様が示し給うた “人生を確かなものにする諸原則” に従うことに同意した時にのみ、私たちの傷ついた感情を癒して下さいます。


イエズス様の癒しの力に対する信頼を失う時、私たちは、同性愛は先天的な傾向であり、人間のセクシュアリティの自然な「もう一つの(alternative)」表現である、と主張する同性愛者グループのプロパガンダに惑わされます。


ヨハネ・パウロ二世教皇様が述べられたように、信者が最も辛い苦難の中にあってさえ神の聖なる法を守るための恵みと力を見出すのは、常に、イエズス様の救いの十字架の下、聖霊の恩寵の中、贖い主の御わき腹の御傷から湧き出た秘跡(聖ヨハネ福音書 19:34)に於いてなのです。(ヴェリタティス・スプレンドル — 真理の輝き 103)

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