ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

童貞なる聖母マリア様の行いに倣った職業

2020年09月05日 | 生命の美しさ・大切さ
Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの、「助産婦の手記」をご紹介します。
※この転載は、 Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のためアップしております

「助産婦の手記」の第1章をご紹介します

リスベート・ブルゲル(Lisbeth Burger)は三十歳の娘の時に、カトリック司祭の勧めで助産婦となりました。
神父様は助産婦という職業を説明します。童貞マリア様が実践なさった、出産のために母子をお助けするという、いわば天主の助手となる名誉ある職業であると。
リスベート・ブルゲル自身もカトリックであり、助産婦となった四十年間を、助産婦という天職の尊厳性、幼児のしつけ、青年男女の貞操、出産前後の夫婦の心得、夫婦愛などのあらゆる問題をカトリックの教義の視点から書き記しています。

以下、Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの記事を転載させていただきます。
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「助産婦の手記」1章 神父様『リスベートさん、私はあなたと真面目な話を一寸したいのですが…』

私が三十になろうとした頃、私たちの村で何事かが起った。それが何であつたかは、私は知らない。当時は、そのような事柄の上には、神秘的な厚いヴェールが被いかぶせられていて、未婚の上品な娘と見なされたいと思うものは、誰一人として、このヴェールを取り払おうとあえてするものはなかった。私の知っていることは、ある妊婦がお産のとき死んだということ、そして私たちの村の助産婦に、その責任が負わされたということだけであった。

この助産婦は七十六になるお婆さんで、見たところ体が少々ふるえていた。彼女は自分の子供を十人も育て上げ、しかも数年前までは、一生涯中大酒飲みで仕事は殆んど何一つしないような夫を養わねばならなかった。今では、もうその夫は死んでおり、そして子供たちも家から巣立って、それぞれの道を歩んでいる。この老母の世話をする人は、誰もいない。多くの人たちは、この婆さんも死んだ夫にならって適量以上の酒をたしなんでいるのではないかと知りたがっていた。とにかく、彼女は全く変になって来た。そこへもって来て、今また、一人の母親が死んだその責任を問われるという不運が起ったのであった。こんなことは、彼女としては初めての失策ではなかったであろうが、それ以外の失策は、大目に見のがされて来たに過ぎなかった。

とにかく、この村の医者たちや医監は、誰か新しい若い助産婦が養成されねばならないと非常に強く主張するようになった。隣り村の助産婦は結婚していて、毎年、自分自身で産褥についているというような始末であり、しかも私たちの村でその助産婦に用があるときには大抵そうなのであった。新しい工業がまた開始された結果、私たちの村はますます人口が増えることとなった。そこで婦人たちは、一体誰がこの村の助産婦になろうとするのかと、非常に熱心に話し合っていた。しかし、彼女たちの間からは、この重荷を背負おうとするものを見いだすことはできなかった。

私の父はかつて教員をしていたが、残念なことに、チブスが流行したとき、まだ大変若いのに死んでしまった。で、当時、私の弟は神学校に入っており、そしていつも病身な妹は家にいた。その頃、この村ですることのできる唯一の職業は裁縫だけだったので、私はそれを稽古して、乏しい恩給を補おうとした。しかし、そうしてもわずかに「酸っぱい一切れのパン」が得られるに過ぎなかった。というのは、この村には、もうすでに三人も古い縫手がおり、しかも村の女たちは、何十年も着つづけた衣服をまだ着ているという有様であり、そして普段着は、大抵の女は、自分で作ったからである。仮縫いの四つはぎのスカートや、前掛や肩掛を作るには、大した技術も要らなかった。

さてある日のこと、主任司祭が、私たちの家へお見えになった。神父様は、まるでこの家にお葬らいでもあるかのように、とても厳かな様子に見えた。
『リスベートさん、私はあなたと真面目な話を一寸したいのですが…』

おや、まさか縁談ではあるまいに!と私は思った。私は大分前から熟考したすえ、結婚はすまいと思っていた。しかし、神父様は、私にそう長くは気を揉ませなかった。

『あなたは、この村で新しい助産婦が必要だということを、もう聞いておられるでしよう。で、私はきょう、村会で、助産婦学校にあなたを入れるべきだと言ったのです……』

『まあ、神父様……』これはまさに、私が怖れていたこと以上に、いやなことであつた。私のような娘が助産婦になるなんて……

『費用はいらないんですよ。助産婦学校の学費は、村で負担しますから。で、 この村では、一年に大抵、八十件ぐらいお産があります。しかも、助産料金は、今日では十二マルクですから、大した収入になります――もっとも貧乏な女では、そんな大金は、ちょっと勘定できないでしようが。裁縫では、一杯の薄いスープに塩を入れるほどの稼ぎにもなりますまい。』

『誠に御もっともなお話です、神父様』と、私の母が言葉をさしはさんだ。『でも、私はリスベートをそういう風には育てなかったのです……そうです、全くそうなんです!この娘は、いつまでも、きちんとしていなければなりません!――それなのに、助產婦は、まともな娘のする仕事ではありません。』

『きちんとしたですって、奥さん……きちんとしたというのは、どういうことなんですか? 助産婦は全然きちんとしたものではないとでもおっしゃるのですかね? 御婦人たちを、苦しいお産のときに助けるのですよ。あなた方御婦人は、信賴できるきちんとした人が、そばについていてくれるとしたら、いつもどんなにか心丈夫でしように――それとも違いますか? そして赤ちゃんが生れて来る手助けをするんです! 自分が母親でない御婦人にとっては、お産のときに母子を助け、保護することより以上に、美しい職業は恐らくないでしよう。そして素晴らしく真面目な職業です! いつも母親と子供の二人の人間の生命を握っているんです。もし私が女であって、結婚もせず、子供もないとしたら、これ以上に望ましい、より美しい職業は、よもやほかにはなかろうと思うのですが。』

『でも、それは、まともな娘に適した仕事ではありません。結婚しないうちは、そんな事柄については、何一つ知るべきではありません………』

『ですが、奥さん、お宅のリスベートさんは、もう子供ではありませんよ。間もなく三十になるんです。もし、ほかの人たちのように早く結婚していたら、子供が四人も出来たことでしよう。』

『でも、あの娘はまだ子供がありません――そんな事柄とは、全く無関係なのです。そうです、私は娘がそんな事にたずさわるのには堪えられません……』

『あなたはやたらに、そんな事……そんな事と言いますね。奥さん』と老神父様は、本当に怒り出した。こんなに怒られたことは、珍しい。

『では、正しい結婚で赤ちゃんが生れて来るということは、罪悪だとでもいうのですか? それとも、私たちの天主様は、そういうようにはお定めにならなかったとでも言うのですか? 天主の御業は、善いものです、常に善いものです。悪いのは、ただ人間の考えのみで、従って人間のする業もまた悪いのです。今こそ我々のうちの善人は、天主の全き祝福が与えられるように、助産婦になるべきです。独り身の人は、その職業に一層よく専念することができます。そういう人は、母親としての義務や家事などで束縛されることもないし、殊にお宅のように、ほかに女手があるような場合には、なおさら、そうです。リスベートさんは、全く自由に他人のために働くことができるのです。』

『でも、それはどうしても適していません……』

『それでは、なぜ童貞マリア様は、山を越えて、従姉妹(いとこ)のエリザベト様のところへ行かれましたか?
これは、ただ、何か珍しい噂さ話を持ちこむためだけだったでしょうか? いえ、従姉妹のお産の苦しい時に、お助けしようと思われたからです。で、もしもこのことが、マリア様に――最も純潔な処女に――適していたとするなら、今日でもそれはやはりふさわしいことでしよう。まさに純な人々にとって、純潔な手と純真な心は、そのような責任のある職業に適しているのです。そして、どんな雑事によっても乱されず、また愚かな考えのひそまない明晰な頭脳。そして最後に、沈黙をよく守り、かつ万事において、心を正しく持つ婦德もまた必要なのです。



とにかく、奥さん、私はもう村会で、リスベートさんは勉強に行くと言ってしまったのです。ですから、どうか私を村中の笑いものにして下さいますな。村長はもうすでに、娘さんが十月から授業を受けられるようにするために、助産婦学校へ向けて出発されました。というのは、この村の生活改善は、焦眉の急を要するからです。もし、そうしなければ、また一年経ってしまいます。もし、この間のような事が起ったとしても、あなたは、その責任を負うことは全くできないでしよう。』

『では、もし私の娘が堕落したら、どなたがその責任を負うて下さいますか?』

『私が負います、奥さん。私は、リスベートさんが本当に立派な助産婦になることを保証します――すべての婦人や子供たちを幸福にして――そして助産婦をすることによって、心身に害を受けるというようなことは全くないのです。では、一週間以內に準備をして下さい、分りましたか?』

『はい、でも神父様――私は神父様のおっしゃることは、すべて正しいとかねてから信じています……しかし、私は助産婦というものは、一体何をするものなのか、ちっとも存じませんもの……』

『ああそうですか、それは、赤ちゃんが無事に生れ、そしてお母さんに何の別状もないように手助けすることです。そして赤ちゃんをきちんと整え、世話をすることです――ですが、赤ちゃんは、おむつと一緒に天から降りて来るのじゃありませんよ……』

『でも、私はちっとも知りませんもの、どういうように……どういうように……』

『どういうように何をするかということは、間もなく教わるでしよう。あなたは、在学中いつも一番だったのですから、そんなこともまた解るでしよう。それに、あなたのお母さんが、直きに何か話して下さるでしよう……』

『そんなことは、誰も話しはしませんよ、神父様。私の母もそうでした。』 と、母は言葉短かに言った。そして私は、もう一つ最後の異議をあえて申し述べた――というのは、私は、これから引きずりこんで行かれねばならないその神秘的なものに関して、とても不安で心配でたまらなかったから。

『でも、それは罪悪です――私のような者にとっては……』

『いえいえ、あなたは私のところの「公教要理」の勉強で、そんなことを教わったことはありませんよ!
で、もし、かりにそう教わったとしたなら、あなたを助産婦にならせようなどと私がすると思いますか? 子供が、どのようにして生れて来るかということを知ることは、成長した人なら、誰でもが持つ権利です。天主の御業は、それを理解できる年齢に達した人なら、誰でも知ってよいことです。そして、そういう場合に、手助けをし言わば天主の助手となるということは――一個の人間にとって大きな名誉です。罪というのは、自分の知識をあらゆる不正な事柄に悪用することだけです。このことは、あなたは間もなくよく理解し、区別することができるでしょう。』

私たちは、なお暫らく、あれやこれや話し合った。そして結局母は、どうしても承知しようとはしなかったが――私は一週間後には、助産婦学校へ向けて出発した。母も私も、その土地は不案内であったので、その町出身の教頭の奥さんが、私を連れて行って下さった。

私たち新入生は十四名で、三人ずつ小さな部屋に起居することとなった。そして晚になると、私たちは夕食の食卓を囲んだが、何を話し合ってよいか分らなかった。翌朝、教室で私たちは、アルファベット順に並ばされたので、私は一番目の席についた。校長先生は、この職業の厳粛なことについて一場の講話をされたので、私はすっかり気分が重くなってしまった。すると校長先生は、私にお尋ねになった。

『あなたは、もうお子さんがおありですか?』
まあ……こんなことを尋ねるなんて。一体、私のことを何と思っているんでしょう……全く狼狽して、私はどもった。
『いいえ……私の村の神父さんは、おっしゃいました……子供を持っている必要はないんですと……』
幾たりかが笑った。しかし、校長先生は大変まじめに、断固として言われた。

『全くその通りです。 この職業を正しく理解し、正しく行うには、その必要は全くありません。私は、処女たちが、母と子のために全力をつくして下さるなら、ほんとに嬉しいのです。』

しかし、私たち処女は、わずか三人だけであった。大抵の人は、既婚婦人であり、しかもそのうちの四人は、正式の結婚によらぬ母であった。そこで私の母が、どうして私を助産婦にならせたがらなかったかというわけについて、ほのかな光がごくおもむろに私にさして来た。老校長先生は、私たち三人のために、一般の授業が始まる前に、特別な講義をして下さった。このことについては、私は今日でもなお感謝している。校長先生は、私たちの知らないことを大変はっきり言って下さったので、私たちは、愚か者ながら、後になって、さほど大きな困難には全く会わずにすんだ。

しかし、当時私は、時々こう考えていた。私たち娘が成人した暁には、母親は娘たちをブラブラ遊ばせておくことはよくないことである。正式な結婚をして子供を儲けることは、ほんとに好ましいことであって、このことは、天主様が人間にそうさせるために、新たに霊魂をお造りになり、そしてこれを母親の胎內に宿らせ給うのであるということを考えて見れば判ることであると……

私たちは、昼も夜も一生懸命に勉強しなければならなかった。時は、非常に速く過ぎて行った。当時は、授業期間はわずか五ヶ月であり、それから試験があって、私たちは免許状を授けられた。これよりさき、私の村の村会は、私に最新式の器具を買って帰るようにと依頼して来ていた。そして私は三月の上旬に、ちょうど小さな椋鳥(むくどり)が初めて春のおとずれをするかのように故郷へ帰った。

私の母は、駅に出迎えに来ていた。そして私たちが一緒に村を通って行くと、どこでも好奇心に満ちた眼が庭の後ろからも、窓の中からも覗いていた。婦人たちは、不信な面持ちで。というのは、未婚の娘が、彼女たちの助産婦になろうなどということは、よく了解できなかったことだから。娘たちは、驚いて、彼女たちは、私の新知識をとても羨んだ。子供たちは、無邪気に喜んだ。

『ワーイ、新らしい助産婦さんが来るぞ!』と一人の腕白が友達仲間に叫んだ。『あの人、知ってるかい、どこへ赤ちゃんを持って行くか知ってるかい!』
『違うよ、あの人が持って来るんじゃないよ! こうの鳥が持つて来るんだい!』
『でも、あの人が来て、赤ちゃんをこうの鳥から取らなくちゃならないんだよ……そうしないと、こうの鳥がお母ちゃんの足に噛みつくんだ……』
『ちがうよ、こうの鳥が赤ちゃんをお母ちゃんのところへ持って来て、それからお母ちゃんが、それを黒い袋に入れて家の中に運ぶんだよ……』
幸福な子供の無邪気さよ……


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