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ポンシオ・ピラトの前で 【公教要理】第四十講 贖罪の玄義[歴史編]

2019年04月11日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第四十講  贖罪の玄義・歴史編・その八・ポンシオ・ピラトの前で



【ローマ総督ポンシオ・ピラトの前で】
大司祭カイアファとサンヘドリンによって、私たちの主イエズス・キリストは死刑を宣告されました。ところが、前回に見たとおり、カイアファには死刑を宣告する権力はありませんでした。従って、現地のローマ総督であるポンシオ・ピラトに告訴することになりました。ポンシオ・ピラト総督の公邸に私たちの主は連れていかれて、そこでポンシオ・ピラトが裁くのです。それは死刑宣告を下される権限のある人は、総督であるポンシオ・ピラトしかいなかったからです。

ところが、ユダヤ人たちは公邸の内部に入りませんでした。なぜかというと、過越し祭を控えて、異教徒の公邸に入ってしまうと律法上に汚れを負うことになってしまうので、入らないのです。過越し祭の食事を食べるには、律法上、清い状態でなければならないということになっていたからです。そこで、私たちの主は公邸の中へおそらくローマの兵士たちに引き取られました。

そこで、どういった事件になっているかを知る為に、ユダヤの律法を認識しているポンシオ・ピラトはユダヤ人たちに聞くために公邸から出ざるを得ませんでした。

ポンシオ・ピラトの前にイエズス・キリストが連れていかれたところ、ユダヤ人たちに向けて「で、何をやってほしいのか」と聞いたということです。

聖ルカによれば、ユダヤ人がこう答えます。「私たちはこの男がわが国民を乱し、チェザルに税を納めることを禁じ、また、自ら王キリストといっているのを聞きました」と訴えました 。「チェザルに税を納める」という文句に関しては、ピラトは騙されはしなかったのです。数日前に、「チェザルのものをチェザルに返せ」 という私たちの主イエズス・キリストの発言を耳にしたからです。だから、ピラトにとって、税のことは出鱈目だと知っていました。そういえば、その後にユダヤ人たちはピラトに向けてはっきりと明かした場面があります。ピラトが「あなたたちはこの人について、何を訴えるのか」 と聞きましたが、ユダヤ人たちがこう答えました。「その人が悪者でなかったなら、あなたに渡さなかったでしょう」 と。まさに自明でしょう。つまり「我々は彼をすでに裁いたので、その理由を知らなくても良い。だから、死刑宣言をせよ」といわんばかりです。

そこで、聖福音に記されていますけど、ピラトは明白にユダヤ人へこう言いだしました。
「この人を引き取って、あなたたちの律法に従って裁け」 と。



ユダヤ人たちは「私たちは死刑を行う権限がありません」 と答えました。
以上で見るとおり、ユダヤ人たちには殺意の意志があったことと、私たちの主は抵抗せずに子羊のように死に行かせてもらったことがよく見受けられます。

そこで、ユダヤ人の起訴の起因として、税のことはすぐさまに却下されましたが、王だという起因に関して、ピラトは気になります。ピラトの耳に入って、非常に気になります。ピラトにとって、王が一人しかいないからです。皇帝のチェザルです。したがって、私たちの主にこう質問しました。「あなたはユダヤ人の王か」 と。
イエズス・キリストは 「あなたは自分でそう言うのか。あるいは、他の人が私のことをそう告げたのか」 とお答えになりました。
「すると、ピラトは「私をユダヤ人だと思うのか。あなたの国の人と司祭長たちがあなたを私に渡したのだ。あなたは何をしたのか」と聞きました」 。
それで、イエズス・キリストはこうお答えになります。真理を語るので私たちの主のお答えはいつも美しくて立派です。当然といったら当然ですが、確かに綺麗な言い方でもあります。

「イエズスは答えられた、「私の国はこの世のものではない。」

要するに、ピラトに向けてイエズスが「別の王が現れることを恐れるのか。チェザルという王にたいして、私がユダや国民を煽って反乱を起こす恐れがあるのか。それなら安心せよ。私の国 はこの世のものではないからだ。」という意味です。

つづいて、こう仰せになります。「もし私の国がこの世のものなら、私の兵士たちはユダヤ人に私を渡すまいとして戦っただろう。だが、私の国はこの世からのものではない」。」

続いて、「ピラトが「するとあなたは王か」と聞いたので、イエズスは「あなたの言う通り私は王である。私は真理を証明するために生まれ、そのためにこの世に来た。真理につく者は私の声を聞く」と仰せになりました」 。

つづいて、「ピラトは「真理とは何か」といった」 。

それから、話は変わります。残念ながら、ピラトは真理を受け入れようとしませんでした。。だから、その質問に対して私たちの主は答えませんでした。

しかしながら、ポンシオ・ピラトは困ります。私たちの主イエズス・キリストに対して死刑宣告をする理由をどこも見出さないからです。ユダヤ国民を煽ってローマ人に反逆させるようなことは、私たちの主は全くしなかったからです。
主の「国はこの世のものではない」と仰せになったし。ポンシオ・ピラトは「どうすれば良いか」で悩みまました。彼にとって困ったものですね。
そこで、ポンシオ・ピラトはこの困った事件を片付けるために、「イエズス・キリストを別途の裁判に譲ることにしよう」と思いつきました。

それはそうでしょう。厄介な事件にあう時に、その事件に取り関わって解決しないで、先ず「なんか別の人に譲れないのではないか」と考えるものです。従って、ピラトが「あなたはガリラヤ人か」と尋ねてみました。確かに、私たちの主は、ガリラヤ人です。地元はナザレトですから。

それに気づいて、ピラトが「なら、この事件はわたしの管轄外である」ということを思いつきます。ガリラヤ地方の総督の管轄下にある事件になるからです。そういえば、ガリラヤ地方の総督はヘロデであって、「幸いに」 その時エルサレムにいたということで、ピラトがヘロデへ、事件を譲ろうとしました。

過越し祭の時にエルサレムに総ての首長が集まっていたからです。要するに、ピラトがこの困った事件を避けようと思って、ヘロデのところへ私たちの主を送りました。「私の管轄外なので、ヘロデの前に送れ」といわんばかりです。

それで、その後、ヘロデの前に私たちの主を連れていきました。人間の裁判所を、また不正なる人間による裁判所をこれほど多く被ってしまって、天主である私たちの主にとってどれほど侮辱であるかは自明でしょう。

先ずアンナの裁判、それから、夜中と昼間との二回ほどのカイアファの裁判、また一回目のピラトの裁判、ヘロデの裁判。

そしてこれからご紹介しますが、ピラトの裁判にさらにもう一度連れていかれました。裁判所から裁判所へ相次ぎに完全に強盗者扱いされてしまいます。

【ヘロデ王の前に連れていかれる】
そこで、ヘロデは現世欲を好む人なのでした。肉欲の人で、霊的な人ではありませんでした。だから、ヘロデは、私たちの主を前にして、魔法めいた奇跡を期待していたのです。言い換えると、超自然次元の奇跡でも恩寵でもなく、肉体的な魔法を私たちの主に求めたのです。「奇跡が見たい」だけでした。つまり、王がおどけ者にして、笑わせてもらうように、私たちの主に笑わせてもらいたいに過ぎなかったのです。


しかしながら、私たちの主はヘロデへ一目さえやらなかったのです。ヘロデへ一言でさえ発しなかったのです。ヘロデはがっかりし、イエズスを酷く虐めた上にピラトのもとに送り返しました。送り返す前に、ヘロデは私たちの主を虐めます。「華やかな服」を着せたりしたのです。侮るために、あざ笑うためにそうしました。
私たちの主はピラトのもとに戻りました。

~~

【イエズス・キリストは再びポンシオ・ピラトのもとに立つ】
ポンシオ・ピラトは改めて私たちの主を見て、ユダヤ人に向けてこう言いました。「お前たちこの男を、民を扇動する者として、私の前に引いてきた。お前たちの前で調べたが、訴えることについて、この人には何一つ咎めるところがなかった。」 と。

明白な証言でしょう。ピラト自身が認めたことです。聖福音に記されている通りです。また続いて、ピラトが「なおヘロデもそう思ったから、この男を我々に送り返してきた」 と言ったと聖ルカは記しました。

要するに、ヘロデはイエズスには咎めるところを見つけなかったのです。
続いて、ピラトは「見る通りこの男は死に当たることを何一つしていない。だから、こらしめてからゆるすことにする」といった」 。

要するに、これからポンシオ・ピラトは彼の力が許す限りに、あらゆる手段を使って私たちの主を死刑宣告せずに解放させようとしました。

【鞭打ち】
第一の手段は鞭打ちという手でした。「鞭打ちを命令したら、ユダヤ国民の心を動かすだろう」とピラトは思ったのでしょう。従って、私たちの主に対して冷酷なる鞭打ちの刑を命令しました。御存じの通り、その鞭のひもには多くの細かい鉛玉が付いていました。なぜかというと、ひもが肉についたら、鉛玉が肉にくっ付いて、鞭打ちを実行する兵士によってひもが引っ張られたら、くっ付いた肉もはぎ取られるために用意された鞭だったのです。鞭が打たれる度に、背中に皮膚がずたずたにされ、それよりも深い傷が開けれて流血になるのです。冷酷な極刑を受ける給う私たちの主は、口を一度も開けずに受け入れ給たのです。



【茨の冠】
イエズス・キリストを嘲笑うために、茨で冠を編みました。具体的にいうと、半球形となっているある種の帽子で、冠とはいえ実際に半球形の帽子という形になっていて、木材からなってかなり長い棘で編まれています。その茨の冠を私たちの主の頭皮に叩いて差し込みました。鞭打たれ、茨の冠を被っているまま、ピラトが私たちの主をユダヤ人の前に出しました。彼らの心を動かすためでした。イエズスは苦しんでいたし、惨めな姿になっていたからです。
ピラトは「これをユダヤ人たちが目にしたら、彼らを満足させて、死刑を宣告しなくても済むだろう」と思ったでしょう。ポンシオ・ピラトは同時に二つの事をやろうとしました。

 


一方、正当な判決を下そうとするものですが、もう一方にユダヤ国民を満足させようとしました。残念ながらも、ユダヤ人たちは、私たちの主を見た瞬間に、より大きい声で次のように叫び出しました。数日前に「天主の御子にホサンナ!」 と叫んだ同じユダヤ人たちなのに、今回は「彼は死に当たる」 と。「殺せ」 と。



【イエズス・キリストか、バラバか】
ポンシオ・ピラトにとって、無罪の人を死刑にするのは非常に困ったことでした。それを避けるために第二の手段を使ってみました。慣例的に、毎年の過越しの祭の際に、囚人の一人を総督は解放していました。ピラトはこう思いました。当時の囚人の間にバラバという一人の有名な反乱者がいる、と。

そういえば、天主様が選び給う名前や状況などは不思議なことが多いです。すべてが天主に依存することが確かに確認できる事実でもありますが、「バラバ」という名前は「父の子」という意味です。私たちの主はまさに「永遠なる聖父の御子」ではありませんか。

兎も角、バラバは強盗者であるだけではなくて、殺人者でもありました。だから、ピラトはこう思ったのです。「ユダヤ人たちにバラバを解放することを提案したら断るだろう。殺人者であるし、暴動して国民を乱したし、国民が彼を解放したくもないはずだろう。平和の内に過ごしたいはずだから」と。
だからピラトはこう思いつきました。「ユダヤ人よ、今年の解放候補者として、バラバか、イエズスか、と提案しよう」との考えです。
「イエズスは無罪である一方に、バラバは殺人者であるから、きっとユダヤ人はイエズスを解放してもらって、バラバを死刑にしてもらうだろう」とピラトが思っていたでしょう。

残念なことに、非常に残念なことに、ユダヤ人たちが「その男を殺せ、バラバを赦せ」 と叫び出しました。ポンシオ・ピラトは、それを受けて、しかたなく「水を取って民の前で手を洗い」 ました。この仕業は「私は関係ない。責任ないぞ」ということを象徴するためでした。
しかし責任がないわけではありません。ピラトこそが判決を下さすので、それで責任を負うしかありません。にもかかわらず、自分の手を洗って、十字架刑にさせるためにイエズスを兵士たちとユダヤ人に渡しました。

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【ピラトの妻】
裁判の途中に、ポンシオ・ピラトは自分の妻の使者の訪問を受けました。彼女は「あの義人に関わりを持たないでください。私は今日夢の中であの人を見。たいそう苦しい思いをしました」 と。にもかかわらず、ピラトは妻の警告を無視して、イエズスを解放しませんでした。


【ユダヤ人らの叫び】
一方、ユダヤ人が叫び叫び喚きつづけました。「十字架につけよ。十字架につけよ。」これに対して、ピラトは「「この人を連れていって十字架につけよ。私はこの人に罪を見つけない」といった。ユダヤ人は、「私たちには律法があります。律法によれば、彼が死にあたる、自ら天主の子と名乗ったからです。」と答えた」 のです。

それから、ピラトはもう一度イエズスに質問をしましたが、イエズスは黙っておられてもう何も答えませんでした。

そこで、ユダヤ人たちも、狡い手段を使いました。
「もしもあの人を赦すのなら、あなたはチェザルの友ではない。自分を王だという者はチェザルの反逆者です」 とユダヤ人たちが言いました。その時、ピラトは恐れを抱きました。自分の地位とのその出世に対して恐れました。
ピラトは「これがお前たちの王だ」 と言い出しました。
ところが、ユダヤ人たちはより大きい声で「十字架につけよ」と叫んで、ピラトは「私がお前たちの王を十字架につけるのか」 といいました。どちらかというと、ピラトは主がこの世の王ではないことを、よく認識していました。そこで、ユダヤ人たちは偽善的な返事をするのです。
「私たちの王はチェザルの他にありません」 と。
十字架につけさせるために、ピラトはイエズスを彼らに渡してしまいました。



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