ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

偉大な母、偉大な息子、偉大な夫、偉大な妻

2020年10月30日 | 生命の美しさ・大切さ
Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの、「助産婦の手記」をご紹介します。
※この転載は、 Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたの小野田神父様のご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のためアップしております

「助産婦の手記」13章「この教育のお蔭で、私の結婚生活が、とにもかくにも、太陽に満ち、そして私たち二人が喜ばしく、幸福であるということを、私は母に感謝しているのです。」をご紹介します

カトリックの家庭は、家庭の王をイエズス・キリストとして、家長である父親は家族を愛し、善に向かわせ、家族は家長である父親を敬い愛し従うはずではなかったでしょうか?両親は生まれた子供を天主へ善へ向かわせるために、教育をする義務がありますが、もしもそれを怠った場合に悲劇が起こりうることを教えているのではないでしょうか?

以下、Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの記事を転載させていただきます。
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子供のころから、節制を実行し、寛大であること、賢明に純潔を守ることは、天主に助けを祈り求めることで可能になるのですね。それを子供に教える母親の大切さを感じます。お互いを隠れて助け合う、いたわりあう良き夫婦のお話です。彼らの賢明な忍耐力は謙遜な祈りによって得られます。悲劇は遠ざかり、天主から祝福された、家庭の本当の幸福が訪れるのですね。

「助産婦の手記」13章  「この教育のお蔭で、私の結婚生活が、とにもかくにも、太陽に満ち、そして私たち二人が喜ばしく、幸福であるということを、私は母に感謝しているのです。」

『小さな幼いキリスト様が、私のところへお出でになるんですよ。リスベートさん! どうか、その時のために、忘れないように私のことを書きつけて置いて下さい!』 と、或る土曜日のこと、私がちょうど校舎を自転車に乗って通り過ぎたとき、教頭の奥さんが私に呼びかけた。

私は自転車から飛びおりて、庭の垣根のところにいる彼女のもとへ行った。私が世紀の変り目に、一台の自転車を買い求めたことは、この村での最先端を行ったものである。この村の女で自転車に乗ったのは、私が初めてだった。初めのうちは、子供も大人も、すべての人々が道に立ちどまって私を眺めた。あたかも私が、時々村を引っぱられて通る歳の市の駱駝か、踊りを仕込まれた熊ででもあるかのように。男たちは、もうよほど以前から、自転車に乗って他所から工場に通っている。『今日では、もう我々の村にないようなものはないね、』と人々はからかった。『今に赤ちゃんは、自転車に乗っかって生れて来るよ。』



そんなことは、私には何ともなかった。他人が、このことを面白がるのは勝手だ。私にとっては、この新式な乗物は、非常に実用的だった。私は、時間を大へん節約した、そして必要なところへ早く行くことができた。合理的な事物に関しては、人は、どうして時代と共に進んで行ってはいけないだろうか?

電燈もまた、引き入れられた。ただ、それを全部の人々が使っていたら、どんなによかろうに! とにかく、あの粗末な、悪い臭いのする石油ランプを用いてするよりも、全く違った仕事ができる。実に、赤ちゃんというものは、特に好んで、夜分に生れて来る奇妙な習慣をもっているから。
で私は自転車から飛びおりると、全く驚いて叫んだ。

『それは、ほんとですか、教頭の奥さん?』
『ほんとじゃありません。これは日曜日の冗談なんですよ。宅の主人は、このことをまだ全く知りません。あんたは、もうお家へ帰るんですか? それなら、暫らく内へおはいりになりませんか? コーヒーを一緒に飲みましょう。我々婦人たちは、そんなものは、いつでも用意がありますからね。』

そこで、私は朝の十時半というのに、コーヒーを飲みながらの無駄話をするために、校舎の中にはいりこんだ。一体、私はこういうことは、しない主義にしている。私が一年中、 婦人たちを利用して、お八つを食べていて、人々が私を必要とするときには探し廻らねばならぬ、というような陰口は、私のある一人の同僚に対してならいざ知らず、私に対しては、してもらいたくないのである。とにかく人は好ましい主義に関しても、場合によっては自由に取捨することができるようでなければならない。風呂水と一緒に赤ちゃんを流し捨てるように、何でもかでも捨てしまってはならないのである。もし赤ちゃんの母親が、ある特別な喜びを持つのであるなら、なぜ私も一緒にそれを喜んではいけないであろうか? 私たち助産婦は、ある意味では、すべての赤ちゃんの母である。

お産は、まだやっと七月になってからのことである。しかし、裁縫台の上には、もうその幼いキリストが使うことのできるとても可愛らしい小さな物が載っていた。『お産が近づくまで、とても待っていられないんです。すぐもう今朝から、全部作って置こうと取りかったんですよ……』
『あなたは、もう二回も難産だったのですから、心配しはしませんか?』

『そんなことは考えませんよ! お産のときの母の苦しみぐらい早く忘れてしまうものは、一つもありません。その苦しみは早く過ぎ去ってゆきます。それなのに、赤ちゃんは残っています。その上そんなにちっちゃな物は、全くこの世の中で一番美しいものですね。』
そこで、私は救世主のお言葉を再び思い出した。『女は、その苦しい時間が来たときには悲しむ。しかし、子供を生み終ったときは、女は一人の人間がこの世に生れて来た喜びのために、その悲しみを、もはや思い出さないのである。』と。救世主は、いかによく女というものをお知りになっていたことであろう! 今までもう何度も、私は、そのことを考えざるを得なかった。

『そうです。人は時々、母親たちをどこかへ連れていってしまいたいと思うぐらいです。』
『ウイレ先生は、七ヶ月の終りには、出産を起させることができるだろうと、おっしゃいました。その頃には、もう子供は生きる能力があるそうです。しかし、私はそんなことはしない方がよかろうと思います。もし子供を、あまり早く無理やりに、その温かい小さなベッドから、もぎ離すなら、それは子供に害を与えはしないかと、私は心配なのです。そこで、私は子供に害を加えるよりも、むしろ二三時間のつらい時間を自分で引き受けたいと思うんです! ――多分、子供の一生のために。』

どの社会にも、実に素晴らしい母親がいるものである。教頭のお宅では、いま子供が二人である。一人は八つ、も一人は四つだ。奥さんは、いつも非常な難産で、殆んど止めどもない出血をした。『二三時間』では、それは実際、済まなかった。それは、いつも生死に関し、そして長い病弱がそれに続いた。それなのに、彼女は再びそれを敢えてしようとしているのだ……

『私は、よい夫を持っています、リスベートさん。こんな人は、あまり多くいませんわ。最初の子のとき、医者は言いました。「あまり早く次の子が出来てはいけません。あなたは、奥さんが健康を回復するまで、よくいたわって上げねばなりませんよ。」
「先生の御指定の期間中は、」と主人は直ぐ言いました。お医者さんと主人は、隣りの部屋にいました。そして私が寝入っていると信じて、そのことについて自由に腹蔵もなく話し合っていました。
「このことは、あなたのお年で、そんなに若い御結婚では、さぞや、つらいことでしょう。しかし、そうせねばいけないのです。そこで、他の事柄は……」
「先生、その話は止めましよう。私は、そのことを決して妻に要求しないつもりです。ところで、ほかに何か御注意をいただくことはありませんか?」
「そうですね。ニコチンとアルコールは大いに差し控え、肉食は少量にし、強い香辛料は避けるようにされたいものです。そして特にできるだけ気を外らすことです。ほかの事柄に興味を向けてゆくこと、例えば何かの試験のために勉強するとか、音楽に没頭するとか、そのほか、あなたのお好みになることをすることです。庭の仕事とか、総じて肉体的に疲労させることを、忘れてはいけません。

そして、特に特に、教頭さん、妄想を支配し、そして行きつくところまで行く惧れのある情事は、避けることです。真に断固たる決心を要するような場合には、いささかでも譲歩してはいけません。このようにすれば、より確実に、そして、よりたやすく、目的が達せられます。
ただ正しい全き人だけが、必要な期間中、自分の力を保存し、それを他のエネルギーに転換できるのです。そして、もし我々の力が足りない場合には、力をお与え下さる一人のお方が、なお我々の上にいらっしゃるのです。」

リスベートさん、あなたは非常に沢山のお家へ行かれるんです。そこで、私は、私たちのような結婚生活が、ほかにまだもっとあると思いますし、子供が暫くの間、生れて来てはいけないことが、しばしばあろうと想像できます。ですから、私はあなたにこの話をしたのです。あなたは、それでもって、ほかの人たちを助けてお上げになることができるでしょう。』

『ただ、残念なことには、大抵の人は、すべてを自然のままにして置くべきだと信じており、そして、もしも都合よく行かないと、忽ちあきらめてしまうのです。その人たちは、自分勝手なことをし、自分自身に対して、何の予防策も講じないのです。そして、いと高い所からの力を、もはや信じようとはしないのです。』と私は言った。

『こんな苦しい時代というものは、天主からのお助けがなければ、うまい具合には過ぎて行きませんね。私の宅でも、残念ながら、つらい時がありました。すると、篤と考えて、お互いに言いました。さあ一緒にお祈りしましようと、すると嵐はいつも衰えて行きました。』
『そのことを、人々に再び教え込むことができねばいけませんね。天主の力に対する信仰と、それを求めるための祈りとを。もう何度、私はそのことを考えねばならなかったことでしょう。』と、私はそれに対して言った。

『でも、私たち人間としても、合理的なことをせねばなりませんね。私は、お医者さんの勧めを、こっそり聞き、そしてそれに協力できたことが大変嬉しかったのです。このことは、非常にいいことでした。私は、それを知っていたということは、主人にちっとも言いませんでした。男の人というものは、そのような事柄にしては、非常に敏感で、自分の腹の中を読まれることを好まないのです。主人も、今後どういうようにするということは、私に何も言わなかったのです。

ところが、お産から三週間後に、こう言いました。夜分、君と子供の邪魔になるといけないから、当分のうちまだ別室に寝ることにするよ、と。私は献立表を変え、そして言いました。乳呑児のある母親のためには、野菜を多く、肉を少なくし、そして香辛料はほんの少しにして料理するのがよいのですと。それから私たちは、主人が肥満の傾向があるため、何か作業をせねばならないということを確かめたので、宅の庭にそえて、さらにわずかばかりの庭地を借り受けました。そして私たちは、おのおの相手に気づかれないで、相手を助ける喜びを持ったのでした。

産後、たっぷり一年経ってから、私は医者のところへ行きました。希望に充ち満ちて。しかし、医者は言いました。「いえ、もっとお待ちにならなければいけません。」と。その晩、私は大へん泣きました。「あなたは、私と結婚なさってお気の毒でしたね、」と、私は夫に言いました。「自分の妻から全く何も得られないで――ほかの男の方とは違って。」

「それだからこそ、僕は君を今までと同じように愛するのだよ。君は、本当に自分の健康を、僕によって子供のために、失ったのだ。我々の腕白のために。もし僕が、君だけに子供を持つことに対する償いをさせたとしたら、僕はどんな馬鹿者であろうか! 我々の生活も、子供があるために、非常に豊かで、美しいものじゃなかろうか?」

出産後、三年たってから――とうとう医者は、満足しました。それから一年後に、私たちのマインラードが生れました。その子は、あなた御自身よく御存知です。ところが、私たちは、またもや最初のときと同じことをせねばなりませんでした。それなのに、いま私たちは、三番目の男の子が生れるのを待っているのです……』

幼いキリストは、クリスマスの前夜生れた。今度も非常な難産であった。しかし、生れた。そしてそれは本当に、男の子であった。母親がその子を抱いたとき、彼女は夫に言った。『あなた、四年後には、女の子が生れるに違いないわ。これで私たちも、老後に、支えを持つわけですね。』
『そう、僕の可哀そうなハセール、そうなるのを待つこととしょう。まず何よりも、健康を回復して丈夫になることだね。」



家の外で、医者が言った。『どちらの方が、偉大なのか判らないですね、あなたの自制力か、奥さんの勇気か。』
『そりや、家内の方ですよ、』と教頭が考えもしないで答えた。『私としては、それはあまりつらいことはありませんよ。このことは、私は母から教わったのです。自制、克己――いつもいつも変わることなく。「お前はいつかは一人前の男にならねばならないのですよ、女々しいものになるのではないよ。そしてお前は、そうなることができるにちがいない、フランツ。」

もう三つ四つになったとき、私はこう言われました、「お前、砂糖なしコーヒーを飲まないの? バターのつかないパンを食べないの? 待降節だからね。(または四旬節だからね。) お前は、何度それがやり通せるか、まあ試して御覧。そしてお前がそのようにして節約して貯めたものを、この貧しい病人にやりなさい……」と。

後に、学校時代には、「お前のお金をポケットに入れて、歳の市の仮小屋のところへ、トルコ蜂蜜屋などのところへ行って来なさい。自分のためには何も買わないで、三グロッシェンを、あす、ヤコプか、またはゼップへ贈りなさい。本当の男の子というものは、自分の希望に対して否と言い、そして喜ばしそうな顔をして、口笛を吹くことができねばいけないのだよ。」 と。
母自身も、その通りにして来たのでした。

我々腕白が喧嘩をしたとき、母が言いました。「お前、ミヘルをもう、あすはなぐるんじゃないよ。あれは、ほんとに嫌な悪い子だよ。でも御覧、あの子を正しく教育するものは、あの子の家には誰もいないのだからね。お前は自分のやるべきことをして、あの子には何も手出しをしないようになさい。どんな馬鹿な若者でも、ただワァワァののしり騒ぐことはできるものだ。でも、自分を制することは、遙かにむずかしいものですよ……」

そして、その後も、やはりその通りでした。「娘たちと一緒にぶらつき廻って、みんなと同じようなことをするのは、たやすく、また安っぽいものだよ。そんなことは、一番馬鹿なおしゃれでもできるよ。しかし、いつまでも、お前は純でなければならない。どんな娘に対しても、ちょうどそれがお前の姉妹ででもあるかのように、清いつきあいをなさい――でも、お前が結婚してしまうまでは、どの娘とも愛情が濃やかになってはいけない。お前がいつかは結婚して、ほんとうに健康な、そして十分値打ちのある子供を作ることができるように、お前の父親としての力を濫費してはいけないよ。男というものは、自分自身の信念に従って、自分の道をまっ直ぐに、しっかりと、進んで行くものですよ。意志の弱い人は、無人格なルンペンの大群と一緒に走るようなものですよ……」

御覧下さい、この教育のお蔭で、私の結婚生活が、とにもかくにも、太陽に満ち、そして私たち二人が喜ばしく、幸福であるということを、私は母に感謝しているのです。私は、今日でも、私の希望に対して否ということができるのです。しかし、子供のとき、それを学ばなかった他の人々は、それがどうしてもできないのです。道德的な力を養うこともまた、長くかかる骨の折れる仕事ではありますが、人々に教えこまねばなりません。
このようにして、男の人も純潔を保ち、純潔のままで結婚し、忠実に結婚生活をつづけることができるのです。困難な時代においても――もし、そうしようと思うならば。』

親の義務-教育を怠った悲劇

2020年10月28日 | 生命の美しさ・大切さ
Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの、「助産婦の手記」をご紹介します。
※この転載は、 Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたの小野田神父様のご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のためアップしております

「助産婦の手記」の第7章をご紹介します

カトリックの家庭は、家庭の王をイエズス・キリストとして、家長である父親は家族を愛し、善に向かわせ、家族は家長である父親を敬い愛し従うはずではなかったでしょうか?両親は生まれた子供を天主へ善へ向かわせるために、教育をする義務がありますが、もしもそれを怠った場合に悲劇が起こりうることを教えているのではないでしょうか?

以下、Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの記事を転載させていただきます。
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肉屋のヘルマンの宅では、初めての子が生れるのを待っていた。彼は金持ちであり、しかも腕がよい。そのことは、また誰よりも彼自身がよく知っていた。もっとも、彼の経営方法は、一番評判がよいというわけではなかった。しかし、本当に自由自在に働き廻りたいと思うほどの若者たちは、ヘルマンのところへ行った。業をしていると、時々奇妙なことが起るそうである。

とにかく人々は、どんな種類の家畜でも、そう、死んだのでさえも、ヘルマンのところへ持ち込めば、何とかなることは確かであった。その代り、彼はまた、その腸詰商品を遠方の都会へ送るのであった。腸詰の中には何がはいっているか、判ったものではないと、見習の若い衆が言っていた。

しかし、ヘルマンが金持になったのは、右に述べた一切のことによるのではなく、むしろ彼の手広い家畜売買によるのであった。近所のどこかで、一匹の家畜でも売り出されると、彼はそれに手を出した。東はポーランドから、西は西プロシャまでも、彼は剛毛のある動物、特に豚や、そのほか食用の四足動物の取引をする。この大規模な経営による汚い取引によって、彼はこの村の成金王となったのである。

かようなわけで、この肉屋の親方ヘルマンの宅で、初めての誕生が待ち受けられていたのである。すでに三週間前から、私は毎日その奥さんを見に行かねばならなかった。彼女はまだ一人も子がなかったためであろうか、いつ私を必要とするか、その時期がよく判っていなかった。

バベット婆さんも毎日訪問に来て、お八つのために、腸詰を一本もらっては喜んだ。彼女が、まだしょっちゅう、妊婦たちのところへ行くのは、私にとっては大へん迷惑な話であった。というのは、彼女が私に害を与えるからではない。すでに婦人たち自身が、その憐れな婆さんは、もはやその職業には全く堪えられなくなったことを認めていたのであった。

もう三度も、ヘルマンは、私を夜分に呼びつけた―― もちろん、無駄であった。奥さんは、少しでも具合が良くないと、早くもマテオ聖福音書の最後の章になった。すなわち、もう終りだ、駄目だと信じるのであった。もし、私の見立てが間違っていないとするならば、まだ四週間も間があったのである。

とうとう有難いことには、万事は、いつかは終りになる。ヘルマン奥さんの妊娠も、そうである。すなわち、とうとう、私が五回も夜訪問し、八週間お每日見に行き、二十四時間もその家に留めて置かれたことが三回もあった後に、やっと男の子が生れた。全く正常なお産だった。初産は大抵そうであるように、やや長くかかった。それは全く大騒ぎであった!

ああ実際、もし母親というものが、そのようにして、子供をもうけるのであるなら、私はもう助産婦は止めてしまいたいと思う。そのときの奥さんの有様といったら! ほかの母親なら歯を食いしばって笑うような、少しばかりの陣痛が起ると、もう彼女はわめき散らし――呪った――。彼女が呪いの言葉を発するときには、私は『イエズス・キリストは讃美せられ給え』という祈りを、そんなに早口に唱えることは全くできなかった。

二度、ヘルマンは、医者のところへ走って行った。私は、この夫婦が、家庭医学叢書の中で、一体何を読んだことがあるのか知らない。出産のときの麻酔のこととか、産科鉗子の助けのこととか……? ウイレ先生が見えた。容態を見て――そして帰られた。『自然の成行きを待たないで、必要もないのに手出しをしないことですね』と先生は言われた。『万事好調ですよ。全く結構な正常な状態です! よい具合にゆくよう、お祈りします!』

とうとうお産を終えることができた。その幸福が果して誰にとってか、母親にか、私にか、そのどちらにとって、より大きかったか、私は知らない。父親は嫡男が生れたので、すっかり、はめを外して喜んだ。彼の店の前を通って行った子供たちは、みんな腸詰を一本ずつもらった。王子様がお生れになったのだ!  人々は、カイゼルの誕生日と同じように、それを祝わなければならなかった。――

しかし、この小さな息子は、前に母親がそうだったと全く同じように、泣きわめいた。私は、そんなに良くない子供を取り上げたことは稀であった。あたかも、父母の我儘と憤りとが、全部その子供の中で出会ったかのように思われた。始めからその子は、家庭の暴君であった。日中、その子は寝ようとした。そして夜分には、その子を泣きわめかさないために、女中が抱いて家中をグルグル歩き廻らねばならなかった。私は、それに対して抗議した。

『子供は、合理的に育てるものですよ。この赤ちゃんは、生れながらに、善くない或るものを持っているのですから、早めに従順と自制と秩序の習慣をつけるようになさいよ。』
『とんでもない、子供には我儘をさせなくちゃいけませんよ。以前、人々がやったように、子供の意志を抑えつけるのは、全く誤っていますね。』
『確かに子供は、正しい意志を持たねばなりませんわ。それを、私たちは保護し、伸ばしてやるべきです。でも、我儘と、怒りは、理性的な意志とは、別なものですよ。子供の希望と熱望を、全部無制限に叶えさせていると、ゆくゆくは、子供を刑務所に入れるようなことになりますよ。』
『子供が物心つきさえすれば、自分の不行儀をなおすでしょうよ。私は、子供に教育の自由を与えてやらねばならないんです。子供の人格的個性を保護してやらねばならない……』

こういうような有樣で、理性をもってしては、彼等を説得することはできなかった。彼等は、当世新流行の誤った考え方に陥っているので、私の勧めはすべて無駄であった。ところで、子供の教育ということは、結局、私の仕事ではなく、私にその責任はない。善意の忠告を受け入れようとしない人は、自分自身で後々のことを見なければならない。たぶん私たちは、そんな判りきった愚かしさに対しては、完全に黙っていることができないだけだ――子供たちのために。子供たちは、私たち助産婦にとっては、常に幾分かは、自分の本当の子である。

私の骨折りの報酬として、肉屋の親方は、豚を半分、送ってよこした。私たちは、この脂肪の匂いのする慣れないお礼の品物を、どう処分してよいか殆んど判らなかった。親方は、けちけちしようとしなかった。

約一年後、私がその家の前を通って行ったとき、ヘルマン奥さんは、私にまあお入りなさいと呼びかけた。彼女は、またもや妊娠したと信じこんでいた、そしてまた、その通りであった。そこに、ちょうど、坊やのハインツが部屋のテーブルの真中に坐っていた。母親の大きな鋏(はさみ)を手に持って、自分の玉座の上を、窓に取りすがって、あちこちと歩きながら、花の咲いた草木から葉と花をつみ切っていた。

『まあ、後で皆さんは、そこで昼御飯をお上りになるのに』と私は言わざるを得なかった。
『私、どうしましょう? あの子は窓のところへ行くことができねば、ほかの場所にはどうしても座っていないんですよ……』
私は、その腕白の手から鋏を取り去った。『ヘルマンの奥さん、もしも坊ちゃんがこれで自分の眼を突いたらどうなさるの……』
すると、そのお馬鹿さんは、顔を真赤にし、両手で拳を握り、手足をバタバタさせて泣きわめいたので、全く大騒ぎであった。

『そうだ』と父親は笑った。『この坊主の体の中には、何か潜んでいるんだね。この子は刃物のほかは、何も気に入らないんだ。大きくなれば、きっと……』そして母親は、言い訳をした。『この子は、欲しいものを何でも与えられない限りは、いつまでも泣き叫んでいるんです。どうすることもできません……泣き止めさせるために、何でもやるんです。……この子が物心つきさえすれば、すぐ変わって来るでしよう、まだそんなに小さいんですもの……』

私は、その腕白を、なにも言わずに、少し強くおむつの上からつかんで、その玉座もろとも地上に引き下ろした。『静かにして遊べないの……』そして、その子をジッと見つめた。身動きもせずに、黙ってその子はそこにうずくまり……ホッと深い溜息をし、……このような慣れない取扱いに対して、もはや不平をよう言いもせずに……助けを求めるように、父母の方を見まわした。しかし、彼らもその子と全く同じように、非常に圧せられていたので、どういう処置をとっていいか判らなかった。そしてただ顔を見合せていた。それが驚きであったか、怒りであったか、私は今日になってもまだ判らない。

そして、その腕白がやっと立ち直って、静かに母親のスカートにすがりついたとき、彼女は言った。『あなたは、お子さんがないですからね。そうでなければ、子供をあんな風には取扱えないでしょう。この子は、まだとても小っちゃくて、物事がよく判らないのですよ……』
私はよほど、それでは、そのお子さんは、あなたにお似合いですよ、と言いたかったのであるが、黙って立ち去った。馬鹿につける薬はない。

後に、その腕白の小さな妹が生れたとき、家族たちは、ほかの居間の食卓に坐っていた。『食べたくない!』とハインツが叫んで、スープのはいった皿を高く振り上げて、床へ投げつけた。
父親は笑った。『いつも元気だね、お前! 今じゃお前は、この家ではもう独りではないんだから、男の子の権利を護らねばいけないよ。』ハインツは、椅子から滑りおりた。父親がその子をつかまえようとすると、子供は出て行って、ドアをバタンと閉めて叫んだ。『つかめるかい……』そこで、父親は身をゆすぶって笑った。



彼は、寝室にいる私たちのところに来た。『あれが聞えたかね? あのハインツは、全くどえらい奴だ……』
ああ、実にハインツは、どえらい子であった。そして日増しにひどくなった。彼が街路に現われると、ほかの子供たちは、みんな走り逃げた。あるときは、彼は山羊の車に乗って、小さな動物を殴りまわった。あるときは、一匹の子羊を縄で引きずり殺したため、とうとう憲兵から注意を受けた。
そうかと思うと、彼は、鶏の雛の脚と羽を引き抜いた。『ああ、そんなものは、たかが家畜だ! なぜ子供を喜ばせてやってはいけないのかね?』と老ヘルマンが言った。すべてこれらのことは、最も憎むべき動物虐待であることを、彼の荒んだ感情は、理解できなかった。

ハインツの後から生れて来た二人の妹は、非常に利巧ではあったが、二三年のうちに死んだ。そのために、医者のマルクスが、この家に出入りした。ヘルマンのお宅には、私としては、もはや何の仕事もなかった。『子供が一人しかないということは、いいことだ、面倒なことがなくてよい。』と、ヘルマンは今や言った。

ハインツは、学校へ入学した。彼は強情な、狡猾な校友であって、そのずるい策略の前には、誰も安全ではなかった。もっとも学校では、彼は無法ぶりを公然と発揮するわけには行かなかったので、陰ではそれだけますます狡猾になった。教師は、その子を感化教育に附することを繰り返し提言した。しかして、誰も敢えてヘルマンの御機嫌を損じようとするものはなかった。そのため、それも沙汰止みとなった。

ある献堂記念日の日曜日に、その父親と息子が喧嘩をした。というのは、この十三歳の乱暴な子は、すでに午前中に店の銭箱の有り金をすべて使ってしまったので、彼はお昼に金庫の鍵に手を出した。このことは、流石の老ヘルマンにとっても、あまりにもひどいことに思われた。『この金庫は、わしがこの家の主人である限り、わしのものだ。判ったか!』そこで、その若者は怒って用の斧をつかんで、父に打ちかかった。仕損んじた。

しかし、ヘルマンは、電光に撃たれたように茫然と立っていた。そのとき、彼の眼は一度に開けた。そして同時にまた、抑え難い怒りが、彼をとらえた。始めて彼は、息子をつかまえて殴りつけた。もちろん、我を忘れ、止めどもなく。もしも、母親や職人や下女たちが仲にはいらなかったなら、彼は恐らく息子を殴り殺したであろう。

ヘルマンは、青と黒の打撲傷をつけて、家中を走りまわった。ハインツは、何週間も床に就いた。父親は、思い切った仕打ちをした。しかし、それは遅すぎた。父親のこの突然の変化は、その若者の中に眠っていた復讐心、詭計および粗暴といったようなものを、すべて表面に呼び出したに過ぎなかった。

数ヶ月の後、その息子は、父親を本当に用の斧をもってたたき殺した。狡猾にも、待伏せていた隠れ場から出て来て……
村中は、恐ろしい大騒ぎであった。こんなことは、前代未聞の出来事であった。しかし……しかし……すべての人々は、その父母が自らその禍(わざわい)を呼び起し、そして今その禍が、彼らを打ち砕いたのであるということを見、かつ感じたのであった。近頃は、多くの親たちは、次のように考えるようになった。すなわち、子供の教育は、一つの重要な課題であるということ、そしてそれゆえ親たちは『子供がまあ物心がつくまで……』待っていてはいけないということである。

親たちが、子供に対する誤った教育により、または全く教育しないために、子供を不幸にするのみでなく、自分自身の上にも不幸を招いたという、親の愚かさについて、私などは本を幾冊も書くことができる。以前には、家庭には、まだ或る種の習慣があって、それに従って教育が行われていた。子供たちは、この慣習を見、そしてそれを親から引き継いで来た。

今日では、この教育上の伝統は、その他の多くのものと一緒に、家庭から消え去った、それは一部分は、変化した経済上の事情にも因るのである。今や新しい母親たちは、自分の子供たちをどう取り扱ってよいのか、全く判らぬことがしばしばある。そして彼らの頭の中は、新しい流行語で一杯にはなっているが、何かを始めようとする場合には、この新しいものによるべきか、または、まだ保存されているところの――しかし、彼等のもとからは、消えてしまったところの――旧(ふる)いものによるべきかを知らないのである。結婚する前に、子供の教育に必要な知識を持っているという証明書を要求することは、痛切に必要なことであろう。

善き天主は、被造物を通じて、私たちに多くの善を与えることになさいました 「第四戒」

2020年10月26日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理 第百講 第四戒について



前回まで一枚目の石板の戒を見てきました。つまり、第一と第二と第三の戒のことです。これらは、天主に関する戒であって、天主に対する義務を記す三つの掟です。今回から、二枚目の石板に刻まれた戒を見ていきましょう。第四から第十までの戒です。隣人と自分自身に対する義務に関する掟です。
天主への義務に続いて隣人への義務を見ていきましょう。
最初に第四の戒から紹介しましょう。一番一般的な題目は次のようになっています。

第四 なんじ、父母(ちちはは)を敬うべし。

私たちは天主よりすべてを賜ることは言うまでもありません。存在も生命も天主より賜っています。しかしながら、善き天主はこれらの多くの善を私たちに与えるために二次的な原因を使うことになさいました。言いかえると、善き天主は創造し給た被創造物を通じて、生命を与えたり、恩恵を与えたり、存在し続けられるように、また我々が統治できるように、善い物事を与えたりすることになさいました。

これらを踏まえたうえで、私たちの創造主に対する義務の次に、私たちの創造に協力してくれた人々に対する義務を見ていきましょう。私たちに生命を与えるために、創造主の道具となった人々、創造主の御業に協力した親・先祖に対する義務です。
実は、第四戒は我々の親のみを対象とするのではなく、その範囲はより広いです。

第四 なんじ、父母(ちちはは)を敬うべし。

といいますが父母という表現は親を指すだけではなくて、私たちの命を成り立たせるすべての人々も含まれています。
要するに、第四戒の「父母」には次の人々が含まれています。まず、自分の父母、即ち親があります。つまり、生命を頂いた親と先祖です。

それから、生物的な側面からの生命ではありませんが、、知識や秩序という側面からの生命を与えてくれる師匠・先生・上司などの人々も含まれています。
それから、国家も含まれています。国家は社会的側面からの生命と政治的側面からの生命を与えてくれる存在として、私たちの完成化を助けてくれます。
それから、宗教上の長上も含まれています。霊的な生命、聖なる生命、内面的な生命を与えてくれる宗教的側面からの長上たちも含まれています。

ですから、この第四戒はかなり広い範囲に及びます。要約すると、第四戒の内に次の義務が規定されています。
■親と先祖に対する義務。
■世俗界のもろもろの(広義の意味での)上司に対する義務。
■そして、霊的な長上に対する義務。

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このようにして、第四戒の「父」とは私たちに対して権威を持つすべての人々が含まれています。では下の者から上の者への義務とは何ですか?
一般的にいうと、これに属する義務は「孝行」という徳の一環となります。



孝行というのは、社会的な政治的な存在である人間であるがゆえに、下の人が上の人に返すべき恩を返すことを意味する徳なのです。
では、第一に、親に対する子供の義務とは何でしょうか?親に対する子供の第一の義務とは親を愛することです。当然といえば当然ですが、そもそも生まれてきたのも愛による行為の結果であり、また親しく世話もされたことに対する恩返しということで、親を深く誠実に愛すべきです。
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ですから、親への愛を拒絶するような行為は罪となります。例えば、親に対して悪意をもった行為、あるいは親に対して怒りの念を抱く時、最悪の場合、憎しみの念を抱くのは罪となります。また、例えば、親の弱点と欠点を他人に明かしたり、あるいは人前で親を誹謗したりすることは罪となります。誹謗するというのは、嘘あるいは誤っていることをあえて誰かについていうということです。また、親に何か悪いことが起きるように望むようなものも罪です。まとめると、親に対する子供の第一の義務は親を愛するということです。

第二の義務は親を敬うことです。言いかえると、親を尊敬して、また親を崇敬するということです。
具体的にいうと、このような崇敬は親に話す時の口調における丁寧さを通じて表されています。つまり、親に話す時、友達に話す時と違うわけです。つまり砕けた口調あるいは不作法に厚かましく親に話すのではありません。言葉は内面的な態度と意図を外に表すものとして、親に話す時、出来る限り丁寧に敬意をこめて話すべきです。

このように、外面的に親に返すべき恩を表さなかったら孝行に背くことになります。例えば、極端な例ですが、親を打つとかは孝行にもとるのです。荒っぽくあるいは侮蔑的に親に話すことは孝行に背く行為です。砕けた口調で親に話すことでさえ、親に払うべき尊敬に背く行為です。そういえば、尊敬という義務は愛という義務から来ます。誰かを愛している時、必ず敬うようになるからです。



そして、愛と尊敬に加えたさらにもうひとつの義務は従順です。当然といえば当然ですが、子供は親に従うべきです。従順という徳は何ですか?親は子供が善へ歩むように子供の意志に命じる時、自分の善のために子供が積極的に従うことを意味します。つまり、従順には、まず権威からの命令という行為があります。ここでは親から子供への命令ですね。このように命じるという行為は子供の意志を対象にしています。そして、子供の場合、善悪の区別もまだよく把握していないし経験も少なく、具体的に何をすべきか決められないことが多いので、親は子供に命じざるを得ません。

ここでの「命じる」というのは善い意味での命令です。いわゆる、秩序づける命令、善に向かわせるとしての意味の命令です。ですから、親は子供に命じます。そして、親は子供に命じることによって、子供を善へ動かすのです。そして、当たり前ですが、子供はそれに従う義務があります。要するに、子供の従順というのは、親からの正当なる誠実なる命令に従うということです。

そして、親に対する子供の義務はもう一つあります。親への援助の義務です。言いかえると、子供は親のために必要となる身体上と霊魂上の援助を施すべきです。

当然ながら、親は子供に生命を与えました。また住食衣を子供に与えます。また教育をも与えます。これらの多くの恩を頂いた分、子供は恩返しすることですね。つまり、親は年を取って、病気になる時、晩年になって死後の裁き、臨終が迫っている時、子供は親を援助する義務があります。必要に応じて物質的な援助はもちろんのことです。病気あるいは事故などがあったら、子供は親への援助義務があります。それには、精神上の援助も含まれています。霊的な援助のことです。親は死に近づく時、子供はできる限りあらゆる手段を尽くして、親が臨終に近づいてよく備われるように援助すべきです。いわゆる敬虔の内に、聖の内に臨終を迎えるための準備。具体的には勇気をもって親に臨終のことを話したり、告解と聖体拝領に与れるように神父様を呼んだりするのがよいでしょう。
以上は親に対する子供の義務でした。

つづいて、親に対する子供の義務をなぞった、同じく生徒対先生、臣下対君主(市民対正当なる権威者)、そしてカトリック信徒対教会の正当なる権威者。ここでの「正当」というのは、「善に導く限りにおいての権威者」という意味です。

このようにして、生徒は先生に対して従順になること。フランス語では「Docilité」といって、ラテン語の「教わる」という意味ですが、これはよく教えられる状態に自発的に心境を整えるという意味があります。また先生には親しみをもって接するべきです。先生を愛するときこそ、教えられる側の生徒がよく学び得るという現象は興味深いです。そして、先生に対して感謝するという義務もあります。先生といった時、師匠、上司、上の権威者なども含まれています。教わったことによって承った多くの知識と賜物への感謝の表明。あるいは上司から鍛えられた徳に対する賜物への感謝の表明。



感謝することは最近では忘れがちであるかもしれませんが、必要であり、義務です。

次には大きくいって「国家」に対して以上の義務を類推して適用することができます。感謝することも必要です。正当なる権威者に対しての義務ですが、残念ながらも、現代ではこのような正当なる権威者はめちゃくちゃです。具体的な例を挙げませんが、本来ならば、政治上の権威者は、例えば元首が共通善のために働くべきですが、現代、共通善のためにあまり働かないのですから、服従の徳、あるいは「忠」を果たすのも難しくなります。

また以上と同じように、正当なる聖職者には信徒は従うべきです。ここでの正当は今回、政治上の共通善に沿う権威者というのではなく、信仰に沿っての聖職者を言います。つまり、信仰を教えて伝えて、また秘跡を預ける聖職者に対して信徒はこれらの霊的な次元において正当なる権威者として従うべきです。秘跡とは霊魂の救いのために与えられた手段であり、必要な手段です。

駆け足で紹介しましたが、親に対するほかの義務もこのようにしてそれぞれの場合(国家、教会など)に援用できます。たとえば、忠と孝のような区別を細かくできることができますし、それぞれの場合、徳の名前などはちょっと違ったりしますが、大きく言ってその基礎、その根本は共通しています。まとめると、子供、市民、カトリック信徒としての上の者への従順の義務。社会と教会において下の者としての立場のゆえに生じる義務です。

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さて、第四戒について一つ大事なことを指摘しておきましょう。前述したように、第四戒の中心は「上」の者に対する「下」の者の義務なのです。つまり下の者は上の者に対してどうすべきかを規定する掟です。

しかしながら、第四戒にはもう一つの大事な側面があります。この側面は現代で忘れがちですから強調しておきましょう。実は現代ではこの側面を無視することが殆どです。現代人は本来の政治的な感覚を失ったからでしょう。政治的な感覚という時、本来の政治の意味で使っていますので、家、社会、教会ににわたり妥当します。



「下」の者は「上」の者に従うべきだというのは簡単ですが、大事なことを忘れないでおきましょう。つまり、従うことというのは二人の間の関係を前提にしているということです。つまり、「従順」あるいは「服従」の義務があるという時、暗に上下の間に一定の関係性が想定されているのです。それはある命令に従うために共通善に沿う命令が想定されているということであり、つまり、下の者が上の者に従うべきだという前提には、まず、必ず、上の者が共通善に従っているという前提があるのです。順番でいうと、下の者は上の者に従う義務以前に、まず、上の者は共通善に従う義務があるということです。この前提を忘れてはいけません。

ですから、第四戒は下の者(子供、臣下、生徒、信徒)に対する上の者、即ち権威者たち(父、君主、師匠、神父などなど)の義務をも含まれています。この中に、部下に対する上司の義務もあるし、つまり、指揮を執っている人々の義務も含まれています。もちろん、司教と教皇との義務も含まれています。

このようにして、上下関係は関係なのですから、あえていえば、相手は尊敬に値する時にこそ、本当の意味で相手を尊敬することはできるという前提があります。つまり、だれかを客観的に尊敬するためには(これはいわゆる気持ちとしての主観的な尊敬ではなく)、その人が客観的に尊敬に値する必要があるということです。つまり具体的な物事があって、尊敬に値するから実際に相手を尊敬するということです。つまり、権威者が形式的に任命されて権威がある場合では、まだ十分ではなくて、完全な尊敬の対象になれません。いや、正当な権威を善く振るってこそ初めて、より高度な尊敬の対象になれます。

ですから、下の者として、上の者は上の者だから、つまり権威があるから、下の者が機械的に跪いて崇敬することはだめです。上の者はは、善く権威を振るうべきです。つまり何もしない、あるいは共通善にために権威を使っていない権威者は尊敬に値しません。

ですから、上の者は重い責任のゆえ、重い義務を負います。上の者に対する下の者の義務よりも、下の者に対する上の者の義務はより重く重大です。つまり、上に立つ人々は下に立つ人々に「命じたから従え。理由を聞くな。私が上の者だから黙れ。私が好き勝手に決めたから従え」というような態度はだめです。全くその逆です。共通善のためにだけ、共通善にそってだけ、命じることは許されています。つまり、共通善に従ってだけ、命令が正当となります。

このように上下関係を考えると、現代は困難な時代であることを感じてもらえるかと思います。現代は政治上の上下関係だけではなく、あらゆる社会上の関係において、ある種の全体主義的な、ある種の独裁主義的な、ある種の権威主義、ある種の人格主義的な空気になっています。つまり、上の者は共通善を下の者に課するよりも、「自分自身」の人格を下の者に押し付けるような時代になっています。いわゆる「私が言ったから、不正であっても従え」そして「従わなかったら強制的に押し付けるぞ」というような時代になっています。

そして、上の者は下の者が従わない場合、本来ならば悲しむのですが、なぜか悲しむかというと、共通善に反するからです。しかしながら、現代の空気では、上の者は下の者が従わないと上の者が怒るが、共通善が傷つくからではなく、自分自身に対する侮辱であるとか思うからです。これはまさに、共通善が殆どの場合、忘れられているという意味です。

たとえば、親は子供を愛する義務があります。そして、子供は愛の行為から生まれますが、そのあとでも生きている間に、ずっと親からの愛情の対象であるべきです。これは自然だと言ったら自然です。母はどうしても産んだ子を愛して、最後まで産んだ子を愛し続けるように、人間の本性に織り込まれた自然な愛情だと言えます。しかしながら、それは単なる自然な愛情だけではなく、実践的な愛にならなければなりません。
実践的な愛というのは、例えば親の場合、教育の実践において現れます。真にそっての教育、善にそっての教育、美に沿っての教育。いわゆる真善美を嗜むように育っていくこと。また学問を通じた、知性の教育、意志の教育、いわゆる徳を実践するための教育ですね。

ですから、親の立場は子供の教育のために、教師と学校を選ぶときには非常に慎重に子供を想い、任せる必要があります。親が教育の責任を負っていますから。つまり、深い考えもなく、自分の子供を悪い先生あるいは邪悪な先生に任せたら深刻な罪を犯します。

現代の殆どの学校は残念ながら、悪いことを子供に教え込むのですから気を付けましょう。特に最近、学校に登場した「性的な教育」を見ると明瞭でしょう。これは文字通りにスキャンダルなのです。不祥事なのです。厳密にいうとスキャンダルは「他人を罪に落とさせる行為」だから、まさに「性的な教育」はスキャンダルです。

また親のもう一つの大事な義務があります。子供を罰する義務があります。この義務は現代で否定されがちです。いわゆる「児童の権利」とかを取り上げて、罰してはいけないという空気になります。しかしながら、善悪をよく分別していない子供の「権利」とはどういうことでしょうか?つまり、子供は自分で本当の意味で基本的に選べないから、子供にとっての「選択の自由」は意味をなさないでしょう。



そこで親は子供に対して罰する義務があるということになります。どういう意味でしょうか?そもそも「罰する」という言葉はフランス語で「糺す」ということでもあって、また「直す」という意味があります。まさに罰するということは、誤った行為を糺すために、つまりより良い子になるように子供を助けるということです。つまり、徳を身につけるために子供を罰するのです。徳というのは善の内に常に行為していく習慣を身につけるということです。ですから、「罰する」ことは大事で、親の義務です。

また前述したとおりに、子供の義務になぞらえて、部下・生徒・信徒・臣下などの義務も考えられます。同じように、子供に対する親の義務も、上司・教師・神父・君主の義務になぞらえます。例えば、先生は生徒を愛すべきです。そして、先生は真善美を教える義務もあります。また、生徒の誤りを正す義務があります。同じように、社会における社長、元首なども下の者を善へ導く義務があります。

そして、同じくして、教会の指導者たちも同じような義務があります。つまり、司教たちと教皇は信徒たちを善へ導く義務があります。
「私の羊を牧せよ」「私の子羊を牧せよ」 という聖書の句があります。私たちの主、イエズス・キリストは聖ペトロに「私の羊を牧せよ」「私の子羊を牧せよ」と仰せになりました。

それは文字通り、羊と子羊を牧場につれていって、おいしい草が食べられるようにしてくださいという命令ですね。それになぞらえて、牧者たちの信徒に対する義務はよくわかるでしょう。ですから、牧者が不誠実になる時、指導者たちがその使命に不誠実になるとき、信徒も部下も不正な命令に従わなくてもよいのです。この場合、従う義務はありません。

なぜかというと、このような場合に限っては、元首あるいは牧者は、その使命から外れて、その範囲外に動くことになりますので、牧者あるいは元首の権威を振るえないのです。つまり、牧者はその使命に従わないで命令するとき、牧者として行動しないので、従わなくてもよいのです。つまり、このような場合は、その地位の分を越えて、ある種の権威主義になるというか、権威を濫用した、まさにいわゆる横暴あるいは僭主政治なのです。

以上から、どれほど下の者の義務は上の者の義務と密接につながっているかがわかるでしょう。その逆ではありません。ですから、現代では上の者は下の者を強いる前に、自分自身を顧みて反省するのがよいはずなのですが。

以上第四戒をご紹介しました。この誡は幅広い誡なのですから、すべてを紹介できなかったですが、多くの義務が含まれています。
下の者の義務もあれば上の者の義務もあります。まあ、下の者の義務のみを見がちですが、これはいわゆる歴史に照らして上の者の義務よりも下の者の義務を取りざたすることが多いからでしょう。しかしながら、同時に上の者も下の者に対する義務もあることを忘れてはいけません。

日曜日はミサに与る義務がありますが、ただ与るだけではありません_第三戒

2020年10月16日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理 第九十九講 第三戒について



第一と第二の戒めに続いて、第三の戒めについてみていきましょう。

第三 なんじ、安息日を聖とすべきことをおぼゆべし。

天主を奉仕するよう、この戒めは命じます。第一と第二の誡めでは、天主を知るよう、それから、天主を愛するよう、天主を畏怖するよう、という掟でした。そして、この第三の掟は、行為をもって実際に天主を奉仕しなければならないというものことです。つまり、内面的に天主を讃えるだけでは足りないということでありのです。前述したように、具体的な行動において、また習慣化した形で、つまり徳になって、天主への崇拝が実践されなければならないということ第三の掟です。

天主への崇拝を具体的に表すために、天主ご自身はどうすればよいか十戒においてお示しになり、そして、公教会はそれを踏襲しました。

第三 なんじ、安息日を聖とすべきことをおぼゆべし。

この掟はそれほど単純ではないのです。なぜかというと、この掟の一部はが自然法に属しているものの、自然法に属していない部分もあるからです。言いかえると、この掟には自然法的な部分の他、制定法的な部分もあるということです。こういった二重性がは第三の戒の難しいところです。

第三 なんじ、安息日を聖とすべきことをおぼゆべし。

旧約聖書の出エジプト記脱出の書出エジプト記において、天主は次のように仰せになりました。

「六日の間、働いて、自分の仕事をせよ。七日めは、天主なる主の、安息日である。どんな仕事もするな。おまえも、息子も、娘も、しもべも、はしためも、家畜も、家にいる他国人も同じことである。」

このように天主は命じました。この第三の戒には自然法に属する部分があります。つまり、人間なら皆、天主への崇拝を捧げるべきだということに関して、自然法の一つの掟です。そして、さらにその上、制定法に属する部分もあります。天主はが特定の日を制定するという意味において掟こととして、制定法であり、。追加法でもあるのです。厳密にいうと、自然法を明示する追加法といえます。
そして、旧約聖書にはよると、天主はこの特定の日を明示なさいました。「七日め」という日です。
「六日の間、働いて、自分の仕事をせよ。七日めは、天主なる主の、安息日である。」
あるいまたは、「六日の間は仕事をする日であるが、七日めは、主のために全てく休みとする日である。」



要するに、週の最初の六日はあえて言えば、人間のための日だと言えます。そして、最後の日、七日めの日は天主のための日であるということです。聖なる七日めだからです。本当に「聖なる」日なのです。天主ご自身が「聖なる日」だと仰せになったからです。また、天主は安息日を祝福し給うたのです。つまりこのように、天主は週の七日めを天主への礼拝のために特別に割り当てられた一日なのです。旧約聖書では、ヘブライ語民では、「サバト」と呼ばれており、それは安息日という意味です。休む日を意味する「サバト」です。
~~
では、天主はなぜ安息日を制定したのでしょうか?

まず、天主を礼拝することは必須要不可欠だからです。人間の一つの義務です。そして、当然ながら、毎日のように人々が働いているのなら、いずれすぐ、その挙句のはてに天主への礼拝を捧げることを忘れて、礼拝を怠る羽目に必ず陥ることになります。現代社会を見るとこの現象は著しいです。そして、天主を礼拝しなくなると、人間の霊魂は堕落していきます。残念ながら、現代において、これも深刻に確認できる現象なのです。

第二の理由は、天主はこの上なく善い天主だからです。つまり、天主は自然をお創りになって、自然の巡りを決定なさったので、自然の巡りにそって安息日を制定されしました。つまり、我々の身体を休むませる必要があると同じように、我々の霊魂をも休ませるむ必要があるので、善き天主は霊魂の休みのため、安息日を制定なさいました。

第三の理由は、安息日を活かすことによりして、我々は天主のことを深く勉強するように天主がお望みになられたからでした。要するに、我々は、善き天主からの恵みをどれほど頂いているかを、定期的に改めて認識し、天主への報恩の念を深めるために安息日は与えられたのでもあります。

旧約聖書の時代、ヘブライの民はエジプトからの脱出を成就なさった天主の多くの恵みを黙想していましたが、それは安息日があればこそでした。天主を讃えるため、天主からの多くの恵みと恩恵を思い出すための日でもあります。

新法では、新約では、つまり、新約聖書では、天主への崇拝の義務の実態は変わりませんが、安息日はもはや土曜日ではなく、日曜日となりました。日曜日は週のはじめの日となります。旧法では安息日は週の最後の日でしたが、新約聖書によって週のはじめの日となりました。つまり、安息日の日にちが変えられました。

なぜでしょうか?思い出しましょう。サバトという安息日は天主の制定法によって命じられたのです。というのは、制定法、あるいは実定法なのですから、追加法という性格を持っていますので、自然法ではないということです。従って、制定法であるがゆえに、その制定法を改定する権限、権威をもった者によって、改定可能の掟となっているのです。

そして、実際には、使徒たちは安息日の日程を改定しました。なぜできたかというと、使徒たちは天主より与えられた権限があったからです。その権限を使って改定しました。使徒行録には次のとおりに記されています。

「週のはじめの日、私たちはパンを裂くために集まった。翌日出発するはずだったパウロは、彼らと語り合い夜半まで語り続けた。」
そして、使徒たちは安息日の日にちを変えました。なぜでしょうか?法自体が変わったからです。つまり、旧法でなくなり、新法の時代になりました。もはや旧約はなくなり、新約が結ばれました。そして、新法において、旧法に比べて特に何が変わったでしょうか?

私たちの主、イエズス・キリストはこの世にいらっしゃって、人類の贖罪を全うなさったのです。ですから、十字架上の私たちの主の生贄を境に、決定的にいろいろ変わりました。そして、旧法と違って、聖なる日はもはや週の最後の日、創造した後の休みの日、七日めの日ではなくなりました。新法では、安息日は週のはじめの日であり、創造の最初の日であります。要するに、ご復活に合わせて私たちの主が私たちを再創造したもうた日が聖なる日となりました。



このように理解しましょう。
公教会は週のはじめの日を聖なる日にすることによって、まず、万物の創造主と万物の維持者(保全者)として、全能なる御父なる天主を讃えるのです。また、ご復活をもって悪魔と罪への隷属から我々を解放し給うた我々の救い主として、天主の御一人子、イエズス・キリストを讃えるのです。

私たちの主は日曜日に蘇りました。それから、公教会は週のはじめの日を主の日にすることによって、我々の霊魂において成された新しい創造、つまり、恩寵において創り直された霊魂を産みたもう聖霊をも讃えるのです。そういえば、神父がミサを捧げる際、ミサの奉献文の一つの祈祷にはこの新創造が「最初の創造よりもいとも素晴らしい」と唱えます。聖霊によって、罪という「無」から引っ張り出された霊魂たちは、聖霊降臨の際、新しい生命の息吹を賜り給いました。そして聖霊降臨も日曜日にあった出来事です。

ですから、使徒たちは新しい主の日を週のはじめの日にすることを決定しました。サバトと違って週の最後の日ではなく、週のはじめの日です。強調しますが、現代人はつい、日曜日は週の最後の日だと思いがちですが、週のはじめの日であることを忘れてはなりません。とはいえ、使徒が形式的に決定したものの、イエズス・キリストご自身がはそうするようにすべてを明示なさいました。復活という出来事も、聖霊降臨と出来事も日曜日に行われたのですし、そして御父なる天主を讃えることによってもお示しになりました。

ですから、週のはじめの日を聖なる日にする根拠は非常に強くて重いのです。繰り返しますが、週の最後の日である土曜日ではなく、週のはじめの日こそがは新しい聖なる日となりました。旧約聖書と違って、日曜日での礼拝のお陰によってこそ、明確に三位一体を讃えられるのです。日曜日という日は、創造という御業において、父なる天主を讃えて、復活によって我々にもたらされ齎した救いにおいて、子なる天主を讃えて、そして、人々の霊魂の再創造において、聖霊を讃えるのです。



繰り返しますが要するに、日曜日は週のはじめの日です。つまり、日曜日とはまさに、このお陰で、この新しい週のために新しい生命を流すように、週のはじめの日にあたる安息日ということになります。それはいわゆる、単なる「安息日」にとどまらずだけではなく、使徒の霊魂に聖霊が降臨したように、聖霊による新しい息吹をも毎週、私たちに降臨することとなるのです。
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第三 なんじ、安息日を聖とすべきことをおぼゆべし。

以上の掟をみると、またかなり一般原則であるというか、まだそれほど明確なものとはいえ特定化されていません。

第三 なんじ、安息日(主の日)を聖とすべきことをおぼゆべし。

前述したように、主の日は日曜日です。つぎは、日曜日には具体的に何をすべきでしょうか?
言いかえると、「主の日を聖とすべきこと」とは一体何を意味しているのでしょうか?

これについても公教会はその中身を明示しました。旧約聖書にある掟などを踏襲しました。つまり「仕事をするな」という掟を踏襲した上に、追加である掟を制定しました。これは「ミサに与ること」という掟です。

つまり、日曜日を聖とするために、二点があるということでります。ひとつはいわゆる主に肉体労働をしないことです。もうひとつはそれから、ミサに与ることです。肉体労働あるいは現代風にいうと金儲けするための仕事をしてはいけないこと。これは旧約聖書から引き継がれました。

思い出しましょう。旧約聖書には、ある人はサバトの日に、家の炉のために薪を拾いに行ってきたという話があります。そして、以上の事件をモーゼに報告されて、どう対応すべきかをモーゼに尋ねられています。そして、モーセは天主にどうすべきかをお伺いした聞いた結果、天主から峻烈な答えを頂きました。「投石に処せよ」と天主が仰せになりました。そして、犯罪者は投石の死刑に処されました。このようにわかるように、天主を軽んじて馬鹿にしてはいけません。

そういえば、ラ・サレットで聖母がご出現された際、日曜日に対する尊重の重大性を改めて想起されて、その重要性について特にいろいろ仰せになりました。

現代、日曜日に対する一般となってきた侮辱を見て、どれほど現代社会が堕落しているか、また、「日曜日に労働するように勧められている政策」を行う我々の指導者と為政者をみると、かれらの責任はどれほど重いか、どれほど天主のみ前にその責任が大きいかがわかるでしょう。
このような責任はいずれ問われることになります。個人としてだけではなく、指導する社会としても人前で裁かれる時がいずれきます。日曜日に労働を許可して勧めることによって、人々は罪を犯す機会が増えてしまうので、彼らの責任はその分、より重いのです。
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日曜日には「肉体労働をしてはならない」という掟があると言いました。では何を意味するでしょうか?それは、霊魂よりも身体の方が重んじられる仕事を日曜日にしてはいけないという意味です。厳密にいうと、「奴隷的な仕事」との意味の「肉体労働」とは「精神より身体の方が第一になる」というような仕事です。
つまり、一般的にいうと、霊魂の善よりも、身体の善のためにする仕事だということです。つまり、例えば、奉仕人がいれば、奉仕人にやってもらうような仕事です。または奴隷にやってもらうような、労働者にやってもらうような仕事なのです。

つまり、霊魂よりも身体のためにある仕事なのです。つまり、おもに知性によって行われる「無償」の働きではない「肉体労働」であり、または現代風にいうと、金儲けのための仕事です。

例えば、農業での野良仕事、あるいは企業に関係する作業、機械づくり、あるいは労働的な仕事などなどがあります。日曜日にはこのような仕事をやってはいけません。霊魂より身体が中心となる仕事だからです。というのも、日曜日は主の日であるから、我々の霊魂を聖化するための日なのです。また、司法にかかわる仕事も(裁判、判決執行、捜査などなど)日曜日には禁止されています。また、市場の開き、それから売買という仕事なども日曜日には禁止されています。以上は「肉体労働」という大枠に属するいくつかの仕事です。

当然ながら、公教会は我々の母なので、生活に必要不可欠な仕事は日曜日でも許されていまるのです。例えば、家族のために主婦が引き続き子供の世話をしたり、料理をしたりすることのは必要不可欠です。このような仕事は「肉体労働」として認められていないのです。また、例えば、移動する、あるいは狩りをする、あるいは漁するなどといった働きは許可されています。要するに、日常に必要不可欠となっている活動などは「肉体労働」としてみなされず成り立たなくて、日曜日にも許可されています。しかしながら、いわゆる「余分」の肉体労働は、必要不可欠の義務を越えた労働としては禁止されています。

それから、日曜日を聖にするために、ミサに与るように公教会は信徒に要求します。
つまり、日曜日に天主を礼拝するために、この上なく相応しい秘跡であるミサを荘厳に公教会は捧げて、キリスト教徒の参席を義務付けています。
ミサに与ることは義務なのです。そして精神上に与ることも義務です。



つまり、身体をもって参席する上に、霊魂を以て与るということです。つまり、実際に足を運んでミサに与ることは必要です。つまり、中継でも、家のソファに座っているまま、ミサを見ていることは十分ではありません。これだけでは、身体をもってミサに与ることにならないので、義務は果たされていません。

身体を以てミサに与るために、ミサが捧げられている場所にいるか、そのすぐ近くにいるかということが必要です。例えば、ある教会が満席になって、中に入れなくて、教会の門前でミサに与る場合は、大丈夫です。つまり、身体上にいうと秘跡からある程度の至近の短距離であれば大丈夫です。

それから、霊的にもミサに与るべきです。言いかえると、霊魂をもってミサに与るという意味です。また、ミサに与ろうとしている意志がなければなりません。つまり、例えば、ある人は教会にはいって座ってミサに与っても、ミサ中にずっと読書しているのなら、ミサに与る義務を果たされていないことになります。そしてそれは重い深い罪を犯すことになります。また、例えば、ミサはつまらないと思うから、ミサに集中するよりも何かの小説を読んだらだめです。その人は「ミサに与った」と思っても、形式に留まっており、霊魂をもって与らなかったから、義務を果たさなかったことになるのですります。

そして、ミサに与る義務を果たすためには、ミサへの参席は身体を以て、霊魂を以て、その上に、継続的に参席する必要があります。つまり、ミサの最初から最後まで与る必要があるという意味です。最初から最後までというのは具体的に何でしょうか?

狭義のミサ実態の構造は三部からなっています。奉献の部。聖変化の部。拝領の部。その中に一番大事なのは、聖変化と拝領であることはいうまでもありません。ですから、ミサに与るために、最低限、奉献の部と聖変化の部と拝領の部に与る必要があります。それは最低限の最低限です。
最低限なので、非常でもはないのに、もしも一人が最低限の要求にとどまって十分に義務を果たさないのなら、今度は、不敬という罪を犯すでしょう。

それは当然と言ったら当然ですが、天主への礼拝をぞんざいに片付けるようなことですので、すくなくとも不敬にあたりますね。天主に対する侮辱のようなもので、天主に対する罪です。宗教の徳に対する罪でもあり、天主への不敬を表す行為なのです。第一から第三の戒は天主への愛に関する掟なので、天主への礼拝をぞんざいに片付けるのは天主の愛徳に対する罪でもあります。当然といったら当然ですが。



それはともかく、奉献の部、聖変化、拝領の部のいずれにも与らない信徒は義務を破って、大罪を犯すことになります。このように不可能ではない限り、非常ではない限り、日曜日にミサに与ることは義務です。

ミサに与る義務は大事です。制定された掟として公教会は定めたのですから、分別がついた人々を対象にしています(一般的に、6-7歳以上)。そして、この義務は制定法の一種なので、つまり実定法の一種なので、その義務から免除されることはあり得ます。また、免除される事情があります。

繰り返しますが、忘れないでおきましょう。制定法、つまり実定法、言いかえると、追加法である限りにおいて、どうしてもいつでもどこでも適用されるのだということはありません。非常に重い支障がある場合、その義務から免除されます。例えば、病気で、あるいは不自由で、移動できない人。あるいは感染しやすいような病気の人は免除されます。あるいは、ミサ会場は遠いから、飛行機に乗らないとミサに与れないような人。このような場合は、身体上の差し支えがあるゆえに、ミサに与る義務から免除されています。当然ながら、この場合、出来ないから、無理してミサに与らなくてもいいですし、ミサに与らなくても、この場合、罪にならないのです。7歳以下の子供はミサに与る義務はありません。分別はまだないので義務の対象者外です。

また、愛徳の施しのためにミサに与らない場合、罪になりません。例えば、医者、看護士婦、消防士などが愛徳の施しを行う時、あるいは主婦が病気の子供を看病している時、ミサに与ることは免除されます。また、例えば、両親の高齢化で一人でいられなくなって、傍にいなければ身の危険がある場合でも義務から免除されています。



このようにしてみると、愛徳というのは一つしかないことが見えてくると思います。すでに説明したことですが、隣人への愛と天主への愛は一致しています。要するに、隣人への愛を実践する場合、ミサに与る義務から免除されることがあります。どうしても、このようにやむを得ないことがあって、日曜日にミサに与れない時に、その代わりに、できるだけ、何かの祈祷なり、崇拝なりを捧げることに超したことはありませんが、ミサに与る義務自体から免除されています。

それから、公教会はいくつかのことをお勧めしています。お勧めなので義務でも何でもありませんが、一応簡単に紹介します。つまり、日曜日は主の日だと言います。ですから、ミサ以外にも日曜日の用事・活動などは霊的であると何より善いことです。例えば、日曜日を機に、何か霊的な読書をするか、あるいは何か霊的なことを勉強するか、あるいは、何かの形で天主に自分の身をよりよく奉献するような活動。日曜日はそのためにあります。日曜日は主の日なのです。

残念ながら、現代では、殆どの場合、日曜日は人間への崇拝の日になりがちです。なんか、人々は休みの日だから、スポーツあるいはショッピングあるいはスターの出る番組(コンサート?)?になったりして嘆かわしいですね。スターにとんでもない金を払って、単なる身体上のショーを日曜日に挙げて嘆かわしいです。永遠の栄光は何もならないのに、嘆かわしいです。これは悲惨なことです。天主への畏怖と報恩の念を失わせた近代社会はかわいそうです。

イエズスのみ名は全能_地獄は揺らぎ跪かざるを得ないほど恐れ多い

2020年10月12日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理 第九十八講 第二戒について



第二 なんじ、天主の名をみだりに呼ぶなかれ。

これは、第一戒の帰結だと言えます。天主は礼拝されるべきです。そして、天主を愛するということは天主にかかわるすべてを愛することを意味します。ですから、天主のみ名を尊重することは自然で当たり前のことです。

一般的にいうと、名前というのは名前を持つその存在のことを言い、またその存在を想起させるものです。例えば、私たちは、自分の苗字と名前の意味を直感的に知っており、そして誰かが自分の名前を呼ぶときは、自分の心にどんな響きが跳ね返ってくるかを皆経験しているなど、名前はそれにすぎるものではないことを知っていますね。天主のみ名に関しても同じです。名前を尊重するのは、その名前を持つ存在を尊重することを意味します。当然といえば当然ですが、天主への礼拝の一環として、天主のみ名への崇拝があります。

み名にかかわる祝日は二つあります。公教会が制定した「いと聖なるイエズスのみ名の祝日」と「いと聖なるマリアのみ名の祝日」です。特に、イエズスのみ名ですが、イエズスのみ名が響きわたるだけで「全地獄は揺らぐうえに、膝をおらざるを得ないほど恐れ多い」と書かれているほどにイエズスのみ名は全能なのです。また、イエズスで呼ばれるキリストを尊敬すべきであるゆえに、その名前を尊敬すべきであるのです。



そして、第二戒は虚しいようなあるいはおとしめるような意図で天主のみ名を唱えることを禁じている戒です。
このように濫りに天主のみ名を扱うやり方はおもに四種類があります。厳密にいうと、み名だけではなく、み名とその名誉に対する不適切な扱いをも含んでいます。

第一、天主のみ名の悪用。
第二、天主に対する冒涜的な言葉であり、よく知られている罪です。
第三、少し第二戒から外れるように見える罪かもしれませんが、「偽りの宣誓」というものもあります。簡単にいうと、天主のみ名を利用して、実現させる気持ちが乏しいあるいは弱い約束などを通して、天主のみ名に対して侮辱を与え、あるいはその名誉を傷つけるような罪です。そして、もちろん、天主のみ名を侮辱するということは、天主ご自身を侮辱することになります。
第四、「誓願を破ること」です。誓願とは、天主の前に何かを誓うことであり、それはとりもなおさず、天主のみ名を誓いの保証として唱えることになります。したがって、誓願を破るということは、天主のみ名の名誉を傷つけることになります。

以上が第二戒に対する主な罪です。これを次に詳細に見ましょう。

第二 なんじ、天主の名をみだりに呼ぶなかれ。

第一、聖なる天主のみ名の悪用の実際を見てみましょう。み名の悪用というのは、とるに足りないことであったり、重要はない時に天主のみ名をわざわざ持ち出すようなことです。つまり、根拠もなく、適切な畏怖も持たないまま、天主のみ名をあえて持ち出す時に天主のみ名の悪用となります。深い考えもなく、天主のみ名をことさらに言い出すようなかたちの悪用です。これは、天主のみ名を踏みにじるような扱いとなりが、不注意での悪用であり、ほとんどの場合、小罪となります。



また、天主のみ名だけではなく、天主のみ言葉、つまり、聖書の言葉を軽々しく用い、悪用するときも該当します。
例えば、道徳に反する目的のためにみ言葉を用いる時、あるいは異端を正当化させるために用いる時、大罪となります。この場合、天主のみ言葉を歪曲することになるので、涜聖の罪となるからです。
以上は実際の聖なる天主のみ名の悪用でした。

次に、冒涜的な言葉があります。これは第二誡に対する一番中心となる罪です。み名を汚す罪です。具体的には、天主を侮辱するような言葉で天主をののしる罪です。これには聖人や宗教に対するののしりも含まれます。「冒涜的な言葉」とはギリシャ語で「名誉を傷つける」という意味です。冒涜的な言葉は天主、それから宗教、それから聖人の名誉を傷つける言葉であり、言葉をもって侮辱することになります。「言葉」といった時、もちろん口頭あるいは文章の両方を指すのですね。この罪は深刻です。非常に深刻です。ことに天主に対して直接に向けられるとき、なおさらです。つまり、天主のみ名を馬鹿にすることは、天主を馬鹿にするということになるのです。

旧法では、つまりモーゼの法では、冒涜的な言葉に対する刑罰は死刑でした。レビの書には「主の名を汚す者は、死罪に当たる。」 とあります。
そういえば、ユスティニアヌス法典にも、また革命以前のフランス刑法にも、冒涜的な言葉という罪は厳しく罰させられていました。なぜでしょうか?冒涜的な言葉というのは、天主の復讐を招く罪だからです。当然ながら天主は馬鹿にされるのは大嫌いです。聖書には「神を侮ってはならない。人はまくものを収穫するからである。」 とあります。これは、天主のみ名をみだりにつかってはならない、あるいは軽々しく扱ってはならないということを意味しています。

一つ注意しましょう。昔、冒涜的な言葉として認識していた表現でも今になっては冒涜的な言葉として用いられなくなった例もあります。たとえば、現代になって、この冒涜的な意味は忘れられたか、あるいは用いられたとしても冒涜的な意味としては誰もとらまえられなく場合があります。



具体的にはフランス語独特の「Morbleu」があります。もともと「Morbleu」とは「Mort de Dieu(天主の死)」から転じた言葉であり、本来の意味は忘れられているような表現です。現代では、殆どの場合、これらが使われても本来の意味が知られていません。もちろん、もしも、本来の意味を知って、わざとその意味で使うなら、罪です。しかしながら、このような言葉の意味を知らない時、つまり冒涜する意図もなくて、また冒涜する同意もない場合、罪とはなりません。ただし、曖昧にだけ知りながら使うと、小罪となります。当然ながら、意味が忘れられたとしても、天主のみ名であることに関して変わりがありませんので、これらの古い表現を避けた方が良いです。

以上、冒涜的な言葉についてでした。加えて、冒涜的な言葉に並んで、「呪い」「「呪詛」があります。つまり、怒りあるいは憎しみをもって、隣人あるいは自分自身に対する加害を望む言葉です。「呪い」がなぜ天主のみ名に対する罪の一つになるかというと、「呪い」の前提には「悪を言う」ということがあるからです。ちなみに呪いのラテン語の語源は「(誰かの)悪(いこと)を言う」という意味であり、「呪う」時、その害悪をもたらすのは天主だと望む罪なのです。つまり、隣人に対して弊害を望むだけではなく、天主がその弊害を及ぼすことを望むことだからこそ罪は重いのです。一方で、「祝福」するというラテン語の語源は「善を言う」、「誰かのために善いことを言う」という意味です。つまり、祝福するとき、天主のみ名を唱えて、天主の善が祝福される対象に及ぶように願うということです。



ここで、福音のある場面を思い出すことにしましょう。それは、私たちの主、イエズス・キリストが使徒に二人ずつ、宣教せよと命じてあちこちの町に使徒を送り込む場面です。そして、使徒ヨハネと使徒ヤコブはイエズスの下に戻ります。そして、ある町に行って宣教してみたのですが、何の成果はなかったという報告をします。二人の使徒はちょっとガッカリして、いらいらしながら報告に上がるという感じの場面です。

「主よ、この町をごらんください、だめですよ。この町に天の火を投げていただきたいくらいです」といったような。これはまさに呪いですね。これはまさに「害悪をもたらすことを主に頼んでいる」のです。そして、われらの主、イエズス・キリストは二人の使徒を「雷の子よ」という呼び名を使うほど厳しく叱ります。つまり、「このようにやってはいかん」と主が叱るわけですね。

もちろん、天主ご自身はいくらでも「呪う」ことはできます。全能なる天主なので、あらゆる物事の主(あるじ)であるのですから、いくらでも「呪う」ことはできます。【この場合、「創造主として裁いて罰して」というような意味ですね。】一方、人間は呪ってはならないということです。以上、呪いあるいは呪詛についてでした。

第三、「偽りの宣誓」という罪があります。まず、「宣誓」とは何ですか?「天主を証人にたてて、行っていることが真であることを断言する」という定義です。言いかえると、ある真実を断言したいとき、ある約束をするとき、ある行為を行うことを約束するとき、天主を証人としてそれに巻き込むということです。もちろん、善い宣誓、正しい宣誓はあります。しかしながら、偽りの宣誓もあります。

宣誓という制度の存在理由はある誓い、ある言葉の誠実さを保証するためにあるのです。ですから、場合によって正当な宣誓もあります。ことに、非常に大事な誓いと言葉、それに関わる重要な事実と真実の時にはまさに宣誓が正当です。簡単にいうと、宣誓正当であるための条件を述べてみましょう。まず、疑いなく、真理・真実・真に関する宣誓でなければなりません。つまり、悪いことについてや真ではないことのために宣誓するのは必ずしも正当ではなく、やるべきではありません。このような宣誓はされたとしても何の価値もありません。

旧約聖書には、ある士師(判事【注・天主によって選ばれたユダヤ人のリーダー】)が戦争から帰った時、勝利したゆえに誓ったことがあります。このように天主に誓っていました。それは「これから、遭遇する最初の人を天主に生贄として捧げることを約束します」という宣誓でした。そして、最初に遭遇した人は判事の娘でした。この宣誓にはそもそも価値がなくて拘束力がありませんでした。というのも、宣誓の中身自体が何もよいことではなかったからです。

要約すると、宣誓が正当になるためには、中身が真であり、また正しく、そして何よりも慎重な判断に基づかなければならないということです。つまり、深刻なことについて、また必要不可欠の時にのみ宣誓するという条件です。これらの条件が満たさなければ「悪い宣誓」となります。あるいは「偽りの宣誓」、あるいは「軽率な宣誓」あるいは「無用な宣誓」となりします。このばあい、天主のみ名を冒涜することですから、悪い宣誓はよくありません。悪い宣誓、あるいは偽りの宣誓は言うまでもないのですが、軽々しく宣誓することもよくありません。
以上、第二戒に対する第三の罪でした。



最後、第四の罪を手短に説明しましょう。デリケートな罪なので、簡単に説明してみます。「誓願を破ること」という罪です。自分が約束した誓願を破ることです。誓願という厳密な意味は「宗教上の行為」です。つまり、「ある人はより良い行為をやるように天主に約束する」ということです。天主に誓願を立てることはよいことです。また、天主を讃えるために良いことを行うことを望むこともよいことです。それは当然です。

誓願が成り立つには、条件が四つあります。まず、約束が必要です。それから、約束を破ったら、罪になることを了知することです。そして、よりよい善のために誓願することです。そして、慎重に熟考の結果、誓願を立てることです。つまり、軽々しく誓願を立ててはならないということです。また、誓願を立てるには、必ず聖職者、あるいは司祭、あるいは相応しい上位のだれかの相談を得なければなりません。非常に重いことですから、勝手に軽々しく行うようなものではありません。

誓願を破ることがなぜ深刻で重いのでしょうか?
それはは宗教を侮辱して、宗教に対する罪になるからです。つまり、直接に天主に反対する行為です。ある意味で、わざわざ天主に約束したのに、それを蔑ろにしているような行為です。また誓願を破る時、誓いに背くことになります。宣誓違反になります。要するに、誓願が成り立つためには、熟考が必要であること、よりよいことを約束し、破ったら罪になるということを承知することが必要だということです。(つまり単なる約束ではないのですね。)

これと違って、小さなことで、天主に何か約束しても、これは誓願にならないので、「破ったら罪になる」というようなことはありません。繰り返しますが、誓願を立てるということは、破ったら罪になることをあえて承知した上に約束することになりますので、重い約束です。
もちろん、誓願は非常に善いことで、秀でています。修道士は誓願を立てています。司祭たちも誓願を立てています。助祭に叙階される場合、司祭は貞潔の誓願を立てます。修道士の場合、明らかにはっきりと「従順、貞潔、清貧」の誓願を立てます。これは非常によいことで値すべきです。そして、この三つの誓願のゆえに、修道士の生活はその上なく聖なるものになります。しかしながら、その分、修道士が誓願を破った場合、それは宣誓違反になり、大罪になるのです。ですから、誓願というのは軽いものではありません。誓願を軽々しく立ててはなりません。

誓願を破るということは、自分が誓ったことを破るだけではなく、天主に誓われたものですから天主に背くことになります。つまり、誓願の内容を天主に直接に宣誓して約束したのに、これを破るということは自分がした宣誓を馬鹿にして、天主を侮辱することを意味します。加えて、誓願というのは、天主との契約のような性格があり、契約であるがゆえに、誓願を立てる側と天主にも義務が生じます。要するに、誓願を破ることは契約反となります。そして、天主に誓われた宣誓違反は、天主のみ名を侮辱して、天主の名誉を傷つけることにもなるのです。
以上は、第二戒に対する罪でした。

母親と父親の小さな生命への愛は、12人目であっても変わらない!

2020年10月09日 | 生命の美しさ・大切さ
Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの、「助産婦の手記」をご紹介します。
※この転載は、 Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたの小野田神父様のご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のためアップしております

「助産婦の手記」の第3章をご紹介します

12人目の子供の出産、拷問のような難産の後でもその母親は自分の体を忘れ、生まれたばかりの息をしていない赤ちゃんを見捨てないように懇願します。リスベートはできうる限りの手当てをします。母親以外の誰もが窒息している赤ちゃんを諦めかけたとき、赤ちゃんは息を吹き返します。母親の我が子への愛ゆえに、また家計が苦しくなっても授かった生命を大切にしようとする父親の愛ゆえに、その祈りは天主が聞き入れ給うたのではないでしょうか?
またリスベートは先代の老いた産婆にも寛大です。本物のカトリック信者ですね!

以下、Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの記事を転載させていただきます。
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「助産婦の手記」3章『リスベートさん、何とか子供の手当を! 私はまだ死んだ子供を生んだことはないんです…この十二人目も生きているに違いありません』

私は、自分のなし遂げたことを非常に誇りながら、日曜日の朝、家へ帰って来た。うちの人たちは、ちょうど揃って朝のコーヒーを飲んでいた。『お前、ほんとにうまくやれたのかね?』……これが母の最初の言葉であった。『そう、もちろんよ、お母さん。しかも、同時に二人なの。男の子と女の子と。』 私たちが一緒に教会へ行ったときには、もうこの噂は、早くも村中に伝わっていた。到るところで、まるで私がその二重の慶びについて責任があるかのように、質問されるやら、からかわれるやらした。

そこで、私は負けていないで、言い返してやった。『これで私が、自分の仕事をよく勉強して来たことが、お判りになったでしょう。あなた方は、まだ半分しか私を信用していらっしゃらないんです。』 こういう具合に、とてもうまくやってのけて、私は味方を作ったのであった。

二、三日後、ブランドホーフの百姓が午前三時頃にやって来た。『おやまあ何でしよう?』と、私の母は、呼リンが夜中に鳴らされたので、 恐ろしさに我を失った。
『ああ、それは私への用事なんでしよう、お母さん、こんな事が起きても、直ちに慣れっこになって下さらなくちゃいけないわ。』 私は、布をまとって、窓から外をのぞいた。
『リスベートさん、一緒に家內のところへ来て下さい。』

まだ夜中であった。空には小さな星が一面に輝いていた。かつてマリア様とヨゼフ樣とが、御誕生の間近い嬰子(みどりご)のために、お宿を探されたとき、ベトレヘムではさぞやこの通りだったに違いないと私は思った。それから私たちが、一緒に歩いて行く道すがら、ブランドホーフの百姓は言った。
『リスベートさん。私は全く不愉快なんですよ――実はバベットさんが、もう来てるんです。それは、こういうわけです。私は子供のマリーを夕方村へやりました、「お前行って、リスベートさんに、来て下さいと言いなさい」と。ところがあの馬鹿者は、バベット婆さんを連れに行ったんです。

で私がそれに気がついて叱りつけると、あの子の言うことには、だって、リスベートさんは、一度に赤ちゃんを二人も家へ持って来るんだもの。あたしたちは、もう一人だけでたくさんだと。……おむつの洗濯や、泣き叫ばれるんで、一人でたくさんだとね。全く、子供にかかっちゃ、とてつもない突飛なことにお目にかかれるというものですよ……』

こんなことが起るのは、私が赤ちゃんを持って来るというような、そんな馬鹿げた事柄を人々が子供たちに話すことから来るのだと私は思う。しかし、私は、百姓に言った。『そうですね、 ブランドホーフさん、でも 助産婦が二人いるということは、まずいですね。ところで、バベットさんは、どんな様子ですか……』

『ああ、あの婆さんは、 ストーヴのそばに坐って、鼠のように寝ていますよ。婆さんが来たときには、全然酒気がなかったようではなかったんですがね。婆さんはまずお八つを食べたが、私のところの新しい果物酒は、よくきくものだから、ストーヴの後ろに寝こんでしまったんですよ。家內は十ぺんも大声で呼ぶし、私もゆすぶったんです――それなのに、婆さんは、一向はっきりしないんですよ。

そこで家內が、こう言いました。ヤコブ、どうかリスベートさんを呼んで来て下さい。あの憐れな婆さんが、あんなに眠りこけているとすると――私は安心して頼っていられないんです。今度はいつもと様子が違うのですから、と。』

『ただ助産料のためだけなら――それは、どんなことをしても。家內は私にとっては、それよりももっと大事なものですからね。』と、その百姓は、考えこんでいる私に言った。『だから、この次の市の立つ日には、子牛を一匹売らなくちゃならない……』――

ブランドホーフのお上さんの言ったことは、残念ながら間違ってはいなかった。今度は、ほんとに、正常の状態ではなかった。胎児は、位置が違っていた。しかし、私がそれに手を出すには遅すぎた。お産はもう非常に進行していたので、何一つ変更できなかった。

『ブランドホーフさん、あなたは医者を呼んで来なくちゃいけませんよ。鉗子分娩をさせるのです、今が一番大事な時です。もっと早く私を呼んで下さればよかったのに。』
『年寄りのウイレ先生は、もう今では夜分には往診しないし、息子さんは旅行中だし。だから、私は、マルクス先生を呼ばなくちゃならない。確かに――あの先生なら雑作なく来てくれるでしょう……』

マルクスは二年前に引越して来た医者である。多くの人の話では、彼は以前刑務所にはいっていたことがあるそうだ。私は当時は、まだそれがどういう事情だか知らなかった。私たちの主任司祭は、私にこう言っておられた。あの医者には、妊婦はもちろん、婦人は一切、かからせてはいけない、と。しかし、生きるか死ぬるかの今としては、私たちは選択の余地が無かった。

医者のマルクスがやって来た。忌々しげに、だらしなく洋服を着て、髮はかきむしったようであり、そして汚い手をしていたので、彼はまず手を洗う必要があった。もし、私が極力そう言わなかったなら、彼は多分洗わなかったであろう。それから彼は、軽蔑したようにジロリと見まわした。

『成程、賢婦人が二人――非常な賢婦人が二人も揃っていらして――鞍褥(くらしき)をよう取り出しもしないで……』【注:鞍褥とは馬具の一つで、鞍(くら)の上、或いは下に敷く布団を指す。ここでは赤ちゃんのことを侮辱して呼んでいる】これが彼の最初の言葉だった。

私は、よほど彼の横っ面を張ってやりたかった。母親が死と取っ組み、子供の命のために闘っているその面前で、そんなことを言えたものであろうか?……とにかく彼の人間全体が、とてもだらしなく見えた。確かに、それは夜分ではあった――しかし、それにしても……私は人間の外観からして、その人の內面を、その心の持ちようを、おしはかるのである――

その百姓のお上さんは、大変に気丈夫ではあったが、しかし苦痛は、これに堪えようとするあらゆる意志よりも、さらに大きかった。百姓と私は、母親が余り激しく身を動揺させて子供と自分自身とを一層危険に陥れることのないように、彼女を支え、抑えつけて置かねばならなかった。そして彼女は、そのように束縛されていると、苦しみは倍になるように見えた。母親のうめきとすすり泣き、拷問にかけられているような体のもだえと揺れること以外には、何のはいる余地もなかった。

私は、後になってたびたびこう思わざるを得なかった。もし若い人たちが、お産のことを破廉恥にも、けがらわしいことのように言うのなら、彼らは一度、この苦痛を自分で経験して見るべきだ!  そうすると彼らは、人間の生れることと、自分の母親とを、違った眼で見るようになるであろうと! 陣痛の嵐が、一つ衰えたかと思うと、またすぐ新しい陣痛が起った。――

引っ張りと足掻き、辛抱、うめきと流血の下で、やっとのことで、子供が母胎から出て来た……引き裂かれ、出血しながら、死んだように疲れ果て、この憐れな女は褥(しとね)に横たわった――。

『どうしようもない……』と、医者の無慈悲な声が、今まで持ちこたえて来た恐怖の沈黙がまだ続いているその部屋の静けさを破ってひびいた。彼は、紫色に曇って恐らく窒息していた子供――女の子――を、ぞんざいに傍らに置いた。

私が素早くその子の上に身を屈めて、緊急洗礼を授けたとき、彼は嘲るようにつけ加えた。『ただ水をブッかければいいんだよ! だが、何にもなりはしない。だから、あんたのナザレトのイエズスを呼んで来なくちゃ駄目だろう、そのお方は死人でも生き返らせるんだから……』

一気に母親は、苦痛も危険も忘れて、褥(しとね)の上に坐った。今なお彼女自身がその中に漂っている危険をも打ち忘れて……

『静かに静かに!』と医者は叫んだ。そして彼女を抑えつけようと試みた。母親は叫んだ。『リスベートさん、何とか子供の手当をしてやって下さい! 取りかかって下さい……よく試して見て下さい……確かにまだ死んではいませんよ。私は、まだ死んだ子供を生んだことはないんです……十一人も生きている子を生んだのです…この十二人目のも、生きているに違いありません……』

『何ですって、十一人も生きたのを! 奥さん、十一人の子供! 気を慰めなさいよ! もうその上、一人もつけ加わらない方がいいでしよう……』

『でも私は、死んだ子供なんか欲しくありません……さあリスベートさん、取りかかって下さい……試して見て下さい……カールのときも、誰でもあの子は死んでいると思ったのですが、ウイレ先生が生き返らせて下さったのです……』

『ですが奥さん、私は医者として鞍褥(くらしき)ばかりは、何とも仕様がないということをよく知っているんですが――それは、もう生きる力はないんですよ。』

『それじゃ、私が出来るだけやって見なくちゃなりません―――どうしても、その子を生き返らせるんです……』私は、次の瞬間には、その母親はベッドから飛び出すだろうと思った。そうすれば、彼女は死んでしまったであろう。
『そのままにして見ていて下さい、奥さん、私が出来るだけのことはしますから……』

多くの期待は、私自身持っていなかった。しかし、私は、そんな場合になし得るかぎりの手当を、子供に加えようと取りかかった。ゆすぶるやら、人工呼吸をさせるやら、温水浴と冷水浴とを交互にやらせるやら……私がかつて助産婦学校で見ていたことを応用した。

『奥さん、まあお聞きなさい、このことについては、また明朝お話をしなけれやなりません。十二人の子供なんて、聞いたことはありませんよ。それはあなたの健康を損なうだけですよ。だから、何か替えなくちゃいけません。あなたが将来この負担からのがれられるのは、ほんのちょっとしたことをすればいいんです。きょうのお産がすんだら、もう二度とこんなことになってはいけませんよ……』

『私の子供を助けて下さい。私は、死んだ子供は欲しくないんです……子供が十三人になろうと、十四人になろうと、私には同じことなんです…』

もう一語も言わずに、医者は器具を取りまとめて、帰って行った。子供に対しては、もはや一顧すら与えなかった。その子は、彼にとっては、もはや片づいてしまったものだった。『死人の蘇らせに御成功を!』と彼は、部屋の戸の下で、私になお呼びかけた。

百姓は、拳を固めた。『あいつに番犬をけしかけてやりたいものだ……ああウイレ若先生がいて下さりさえしたら! あいつは、もう一度、きっと刑務所へ入れられるよ……』

ああ、それはほんとに無駄な骨折りのように思われた。天主様、どうかこのことで、私たちを後で嘲ける喜びを、あの馬鹿者のマルクスに与えないで下さい……どうか、この母親のために、この憐れな母親をお憐れみになって、その子を蘇らせ給え……

私が疲れて止めてしまおうとするたびに、母親の心配に満ちた哀願するような眼が、私を見つめた。彼女は、寝入らなかった……疲れ果ててはいたが。子供のための心配が、彼女を目覚ましていたのであった。子供はまさか死んではいまい……子供は多分……

私は、もう少しのことで、希望を捨てようとした。このとき……ほんとにその小さなものは、呼吸しはじめた……微かで殆んど認め得られないようであるが―――しかし――しかし――私は殆んど私の眼を信用できなかった……突然、一声の叫びが空気を震わした……子供は生きている!

『ああ私の子!』……嬉しげに母親は、子供に腕をさしのべて、キッスをし、祝福した。父親も走り寄って、その小さな奇蹟を見守った。二時間もぶっつづけて苦労した揚句―――もっとも、その間、父親は時々私と交替せねばならなかったが――その子供の生命は、ほんとうに救われたのだ。実は、私自身、医者の言うように、蘇ろうなどとは信じていなかった。ただ母親の願いを拒む気になれなかっただけであった。

医者が再びやって来たとき、彼は、小さい手足を揺り動かしている子供を入れた籠の前で、言葉もなく、つっ立っていた。『信ぜられないね、こんな霊妙な力……』

その当座というものは、私は普段よりも少し鼻を高々としていた。この職業の全く大きな喜びが、私の上にやって来た。お産を助けることが出来るということは、素晴らしいことであった。母と子のために尽くすということは、素晴らしい!

私の仕事の滑り出しもまた、私を非常に元気づけるものであった。また、それがうまく行かないかも知れないなどということは、当時私は少しも考えることはできなかった。『お母さん、わたし産婆だったこと、 とても嬉しいの。古いボ口を縫い合わすのとは丸っきり違うんですもの! 生きた命を保護し、地上の市民を作る手助けをするんですから……』

バベット婆さんは、もちろん、村中を悪口をたたいて廻った。自分があのお産の間中、寝て過ごしたことなどは棚に上げて。もっとも、婆さんがその子供を洗礼に連れて行くことができて、代父と代母から、当時の習慣となっていた贈物をもらったときには、すっかり満足した。

その子の母親は、私がその子をバベットに連れて行かせたことが全く気に入らなかった。私も、実はそうであった。というのは、それは贈物のためではなくて、私は「私の」子供たちと一緒に洗礼に行くのが大好きだったからである。

そうだ、私が教会へ連れて行く赤ちゃんは、つねに幾分かは私の子供である。しかし平和を保つためには、こうしたことも差控えるわけだ。それに、バベット婆さんは憐れな女である。二、三枚のマルク銀貨と洗礼のコーヒーは、彼女を喜ばすのである。