都合のいい時間帯に行こうとすると「字幕付き」の回だった。字幕付き、聴覚障害の方に向けてのものかと思ったら文字があったほうが理解しやすい特性の方もいるそうで、いろんな方が楽しめる配慮だった。
とはいえ、予め分かっていたとはいえ、画面に少し早く全文が出るのに戸惑っているうちに慣れた。そんなもんか。
予告で見たときは子どもが痛い辛い目に合うのは見たくないと思って鑑賞予定に入れなかったがどうやらそれを超えておもしいらしい。予定変更。
同じ出来事を視点を変えて、三回トレース。視点が変わると観客が見ていたものが変わり、一度味わった感情が不確かなものになっていく。
子どもは残虐だし、ウソをつく。
予告でも印象的に使われていた「怪物、だ~れだ」は、子ども二人のヒミツの遊びのときのもの。観客は怪物を探そうとして見るのだが、視点を変えて描かれることで自分の判断も危うさも知るという。
ところでカンヌでとった脚本賞はクィア映画としての賞だったらしい。LGBTのあとに続くQ。説明されてもよく分からない。でも、その分からなさがQなのかも、と言ってみたりして。
そして、ふたりの男の子の同性愛的な部分はことさら強調されてない。
わたしは相手が彼だから「好き」なのではないか、はっきり性自認しているのか分からないな、と捉えていたら以下のようなインタビューがあった。
「あの年齢(11歳)の子たちが、例えば自分がゲイであるとかトランスジェンダーであるという自認、もしくは他認をするということはまだ早い段階なので、『そういう特定の描写をむしろ避けた方がいいのではないか』というアドバイスをいただいて、極力というか、そういう描写を脚本から少しカットした」
ラストの解釈については分かれるとこみたいで、そのまま裏なく受け止めたいけど、直前にあった虐待児の描写がすっきりしない。体力回復した?短期間に?
先生とお母さんはどこに?とか。
ふと「銀河鉄道の夜」みたいだな、とシュチュエーションをトレースしてたら、監督はそこも意識していたみたい。まんまと術中にハマってるやん。
そういえば、境界線に立つ子どもって授業で習ったよな。あの授業は……そうだ「宮沢賢治論」だ。
ラストはオープンエンディングなんだと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます