来月の炉開きに向けて、西新商店街まで小豆を買いに行きました。師匠のお宅でぜんざいをいただく、その小豆を調達する係なのです。旧暦十月の亥の日に炉開きをし、この時ぜんざいをいただくのは、陰陽五行の「陰」の日に、「陽」の小豆を食し、陰陽の調和を図るという意味があるのだそうです。
老舗の豆屋「上野商店」には、二十種類以上の豆が木箱に入れられて並べてあり、それを量り売りで販売するという昔ながらの方法をとっています。「パンダ豆」という大粒の豆の半分が白、半分が黒という珍しい豆が置いてあったので、店主に聞くと、お客さんの注文で取り寄せたのがきっかけで生産農家と付き合いが始まり、ようやく最近一定量を卸してもらえるようになったという話をしてくれました。煮豆にすると黒い部分が薄茶色に変わって、あっさりとした食感なのだそうです。豆そのものの珍しさもさることながら、豆のひとつひとつについて、説明をしながら対面販売する形態が残っているのも珍しく、嬉しい驚きでした。
風炉の最後の月の薄茶の稽古では、玄々斎好みの「徳風棗」使いました。実りの秋に使われる道具です。徳風棗には蓋の表に「一粒万倍」の文字が、蓋裏に籾が九粒描かれています。一粒の籾からいくつもの稲穂が育ち、籾は万倍に増えていくという、子孫繁栄の思いを込めたもので、描かれた籾の九は「陽=奇数」の最大数です。
枝を張って葉を繁らせ無限に分化する働きは「陽」であって、その分化・派生をひとつにまとめ、活力を蓄える働きが「陰」なのだとすると、「徳風棗」という呼び名は、陰陽調和の姿を表しているように思います。
徳風棗の名前の由来は、論語「君子の徳は風なり」で、君子の徳は風のように人々を統べるという意味です。活力あるものを統べる「徳風」を道具の名前とすることで、ひとつの道具のなかに陰と陽の調和を生み出そうとしたのだと考えました。
お茶の世界には陰陽の話がよく出てきます。あまり感心して聞くことはなかったのですが、小豆を買った豆屋のご主人と重ね合わせてみると、味わい深く感じます。たくさんのつやつやした豆を店一杯に並べ、それを愛情深くあつかう豆屋のご主人も、「統べる力」を醸し出していました。そして、豆店には確かに調和が息づいていました。