稽古場に「歳月不待人」の掛け軸がかけられています。
これを見ると、残された日数では、とても年初に設定した目標を達成できないと、毎年のように思います。
ところで、陶淵明は「及時當勉勵 歳月不待人」(時に及んでまさに勉励すべし 歳月人を待たず)と詠んでいるので、掛け軸の言葉も「時の流れに負けないように刻苦勉励しなさい」という警句のように解されます。しかし、詩の全体を読むとまったく違う意味であることがわかります。
得歡當作樂 嬉しい時は大いに楽しみ騒ごう
斗酒聚比鄰 酒を用意して、近所の仲間と飲み明かすのだ
盛年不重來 血気盛んな時期は、二度と戻ってこない
一日難再晨 一日に二度目の朝はないのだ
及時當勉勵 楽しめる時はおおいに楽しもう
歳月不待人 歳月は人を待ってはくれないのだから
ここで言う「勉励すべし」とは、「刻苦勉励」の語から連想されるような、勉学に励むことを指すのではなく、目の前にある営みに勉め、励みなさいという意味になります。文脈からすると、「酒席をおおいに楽しもう」となるわけです。
つまり、この詩はスケジュール帳をながめて眉間にしわを寄せている様子ではなく、まさに酒宴を始めようとしているときを詠ったものです。忘年会の乾杯の前の一言に、この「うんちく」を混ぜると趣きがあるかもしれない、などと思います。
それはさておき、これが酒を好む隠遁詩人、陶淵明の享楽的な詩にとどまらないのが、興味深いところです。前掲の句が収められている『雑詩其一』の最初の四句には、こうあります。
人生無根蒂 人生は木の根や果実のヘタのような拠り所が無い
飄如陌上塵 まるで、あてもなく舞い上がる路上の塵のようだ
分散逐風轉 風のまにまに吹き散らされて
此已非常身 もとの身を保つこともおぼつかない
人生の無常の姿を写しておいて、その哀しみを反転するような爆発的な歓びを、詩の後半で表すのです。
無常であることを、骨身に染みるほど味わい、その寂しさを誰にも代わってもらえないことを思い知らされて初めて、人は深いところで人とつながり得るのだと思います。そうやってつながり得た人との楽しいひと時を、どうして疎かに費やすことができるだろうか。
そう読むと末尾の「時に及んでまさに勉励すべし、歳月人を待たず」は、重たい言葉として響いてきます。