午前7時半、 職場のメンバーで、毎年恒例となっている年頭祈願に行ってきました。
無病息災を祈願し、 お祓い、宮司様から祝詞をあげていただきました。
その後、宮司さんから、加藤神社の鳥居の下の看板の言葉
↓
『日本人よ、今だからこそ 大義にして愚直なる人となれ』
について説明をいただきました(貴重なお話でした)。
難しい言葉ですが・・・
『大儀』 とは ☞ 『人間として踏み外してはならない、人としての根本的に正しい筋道のこと』
『愚直』 とは ☞ 『馬鹿正直、正直でかけひきがないこと』
熊本城(日本三名城のひとつ)を築いた加藤清正公は、常に『正直者』を引き立てていたそうです。組織は「人」です。良い仕事をするため、良いものを作るためには、それを行う「人」が重要です。正直者は要領も悪く、時間はかかるかもしれないが、組織には最も大切です。
正直ものがバカをみる世の中は、長く続かない。偽善がまかり通る世の中は、長く続かない。最後に認められるのは愚直の人。誠実さは、なんどきも失ってはいけない。
ちなみに、「松下幸之助さんの短編随想集『道をひらく』に”愚直の人”があります。(以下、引用します。)
「愚直の人」
あまりにも正直すぎて、おろかなほどにまでひたすらで、だから機転もきかないし融通もきかない。
世俗の人から見れば、どうにももてあますような人。
そんな人はいつの時代にもいるもので、これも人間性の一面であるのかも知れない。
しかし、正直すぎるのはいけないことなのか。
そんな人はいつの時代にもいるもので、これも人間性の一面であるのかも知れない。
しかし、正直すぎるのはいけないことなのか。
ひたすらいけないのか。
機転がきかなくて融通がきかないのはいけないことなのか。
よく考えてみれば、どれ一つとして非難すべきことはない。
むしろ、りくつばかりまくし立てて、いわゆる賢い人ばかりが多くなったきょうこのごろ、
機転がきかなくて融通がきかないのはいけないことなのか。
よく考えてみれば、どれ一つとして非難すべきことはない。
むしろ、りくつばかりまくし立てて、いわゆる賢い人ばかりが多くなったきょうこのごろ、
こんな愚直の人は珠玉のような人であるとも言えよう。
古来、祖師といわれるような人は、ほんとうは愚直の人であったのかも知れない。
だから、世俗には恵まれなかったとしても、そのひたすら真実は、
今日に至るもなお多くの人の胸を打つのであろう。
愚直またよし。
この波瀾(はらん)の時にこそ、自分に真実な道を、正直にひたすらに、そして素直に歩んでみたい。
古来、祖師といわれるような人は、ほんとうは愚直の人であったのかも知れない。
だから、世俗には恵まれなかったとしても、そのひたすら真実は、
今日に至るもなお多くの人の胸を打つのであろう。
愚直またよし。
この波瀾(はらん)の時にこそ、自分に真実な道を、正直にひたすらに、そして素直に歩んでみたい。
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