2018年
イタリアひとり秋旅
7日目
パルマ
ピロッタ宮殿
ファルネーゼ劇場
切符売り場から階段を上っていくと
上はヴィチェンツァ のオリンピコ劇場をモデルにした
ヨーロッパ最古の劇場の一つで有名な
ファルネーゼ劇場の入り口になります。
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この大きさ、圧倒されちゃいます !!

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パルミジャーノ作は<階段のマドンナ>
<トルコの女奴隷>
門で圧倒されて、中に入って気絶〜 !!!
ってなわけないでしょ?!
でも気絶したくなっちゃうほど
素晴らしい
法隆寺とおんなじ木造ですよ〜。
正面舞台

舞台上の紋章

舞台上の天井

観客席

こちらの劇場は観客席や舞台上に上ることはできませんでした。

観客席に向かう階段
結構急

マンマの秋旅は
パルマの後、ヴィチェンツァ に行きます。
本物の劇場も待ってます。

アーチの部分の拡大写真。
芸が細かい。

ちょいボケ

舞台側面
彫刻があって立体的

修復のため保存されている彫刻

舞台そで

うちの息子たちの言葉を借りれば
超、ヤバくねっ。
↑ この表現ピッタリきました。

この木造建築のファルネーゼ劇場
みなさん、気になっていると思いますが、
「いつの時代のものか?」
ですよね〜。
解説がありました。
この劇場は1618年、パルマ・ピアチェンツァ公国のファルネーゼ家ラヌッチョ公爵によって建設されました。トスカーナのコジモ2世にミラノに行く際、是非パルマにも立ち寄ってもらおうと、ヴィチェンツァにあるオリンピコ劇場(イタリア建築家パラーディオによる設計)をヒントに建設されたという事です。実際にはコジモ2世は病気のため、訪問はキャンセルになり、1628年までの10年間ほとんど使われる事なく放置されていました。
1628年12月21日、ファルネーゼ家ラヌッチョの息子オドアルドがメディチ家コジモの娘マルゲリータと結婚する事が決まり、その祝いにこの劇場で「メリクリウスと戦闘の神マルスの船上での戦い」を実演しました。海上での戦いを、実際に水をはって催し、それがこけら落としという事になりました。劇場にはフレスコ画や大理石の様に魅せるために使われた石膏の像があります。劇場裏にも入ることが出来、木組みの舞台裏が見られます。
当時3000人収容の劇場は、1732年に公開されるまで100年以上で、なんと8回しか使われる事がなかったそうです。
その後1944年5月13日、第2次世界大戦の爆撃により破壊され、1956年、1960年と2回の修復が行われました。
修復後は、パルマ国立美術館の一部として公開されていました。
この劇場が陽の目を見るようになったのは2011年のヴェルディ−フェスティバルで、今は亡きクラウディオ・アッバード氏の指揮でヴェルディーのレクイエムが演奏されてからです。
1年に何回か劇場として使用されているようです。木造ならではの音響の素晴らしさ、チャンスがあれば聴いてみたいものです。
その後1944年5月13日、第2次世界大戦の爆撃により破壊され、1956年、1960年と2回の修復が行われました。
修復後は、パルマ国立美術館の一部として公開されていました。
この劇場が陽の目を見るようになったのは2011年のヴェルディ−フェスティバルで、今は亡きクラウディオ・アッバード氏の指揮でヴェルディーのレクイエムが演奏されてからです。
1年に何回か劇場として使用されているようです。木造ならではの音響の素晴らしさ、チャンスがあれば聴いてみたいものです。
(以上地球の歩きかたから。)
やっぱり、戦争被害にあったというわけです。。。が
修復後はコンサートが行われているそうで、嬉しいです。


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