子どもの声がうるさいって飛行機で暴れた人が書いたブログが面白いっていう話から、そっち方面の話に患者さんと突入。こういう子ども嫌いの人の話は素通りというか無視したほうが得策かな?っては思うんだけど、話のネタにはなりますね。子どもといたらね、程度の差はあれそういう輩に遭遇するというもの。ねちねち攻撃してくる人が多い昨今、ここまでハッキリ言われちゃうと気持ちがいいくらい。うん、言い返しやすいからね。
子どもは泣くもの、それも小さな体でここまで出せるの、と言う程の大きな声で。こっちも泣きたくなる事たくさんあった。通勤通学朝のラッシュ、どんな結果が待ち受けてるか分かってても、連れ出さなきゃいけない時ってあるわけよ。でもね、どうしようもない時も、どっこい育てなきゃならないわけよ。まあ、強くなりますわな、そういうこと繰り返してたら。平謝りもよい修行だと思って耐えたもの。まぁ、耐えられずに喧嘩したこともあったけど、子どもの事となるとどうしても闘っちゃう。素通りや無視が一番なのにね。皆多かれ少なかれ通ってきた道なのだ。通ってきた道と言われても、慰めにもならないけどね。応援してるよ~!!皆がんばれ~!!
おおらかで気丈なお母さん、電車内で子どもがなかなかトーンダウンしてくれない時に近くにいたサラリーマンに小声で「うるさい!」って言われて凹んだって言ってたなぁ。他者の目を気にすることで成り立っているこの国だからこその「ア・ウン」の呼吸を過剰に求められ過ぎて『「とかくに人の世は住みにくい」』。他者を最大限に気にしつつ、空気のように振舞わなければいけないこの国ってどんな国よ。子どもが少数派になりつつある現在、子どもが「はみ出しもの」扱いになるの、よ~くわかる。「なんでこの時間に子ども乗せてくるのよ?」「なんでこんな小さい子を飛行機に乗せるの、かわいそうじゃない?」といった無言の圧力。それに同意が得られてしまう時代になってしまったんだと。
上記ブログを書いた方、ここは年長者として耐えてもらいたかったんだけどね。「恥」といえばドナルド・キーン先生が司馬遼太郎先生と対談している「日本人と日本文化」(なんと昭和47年が初版!)に『「恥ずかしいことはできない」ということだけで社会の秩序が保たれている、日本はまことに不思議な国だ』なんて事が書いてありましたが(手帳にメモってたのからの引用で、原文通りではないかもしれないです)、う~ん……なかなかに色々と面白すぎ。
明治時代だったか日本に何かを教えに来たアメリカの動物学者モースさん、大森貝塚を発見した人で有名なあの方です。このモースさん、日本は子ども天国だと言ってる。彼の日本滞在記『日本その日その日』(エドワード・S・モース著)の中には「赤ン坊が泣き叫ぶのを聞くことは滅多になく、又私は今までのところ、お母さんが赤ン坊に対して癇癪を起こしているのを一度も見ていない。私は世界中に日本ほど赤ン坊のために尽くす国はなく、また日本の赤ン坊ほどよい赤ン坊は世界中にいないと確信する」なんて書いてあるんです。こういうのを読むと、フムフム、多分お母さんだけでなく周りの大人が根気よくしんぼう強く育ててたんだろうなぁ、なんて思ってしまうわけです。そんでもって結局のところ日本人の子どもは行儀がよくて親切だと感心されるわけです。
話は違うけど、昔は子育ては地域全体の仕事だって考えてた。生みの親以外にも、「取り上げ親」とか「乳付け親」「名付け親」「拾い親」とかいったさまざまな「仮親」がいたというのも面白いですね。こりゃぁお母さんが孤立しないわけだ。
そんでもってチョット大きくなると「子供組」やら「若者組」やらの集団に入って、結婚までの多くの時間を仲間で過ごした、なんていうのも集団生活に馴染む良い方法なんだろうなあ。
大人は大人でネットワークを利用し地域で子どもを育て、子ども達は自分達の集団で切磋琢磨する。そりゃあ地域で「ア・ウン」の呼吸が形成されるわな!
かたや今のご時世、人とのつながりを重視させられないで育ってきて、学校でいきなり集団行動を求められる。友達からは「ア・ウン」の呼吸を求められ。それもフォローする大人の数があまりにも少ない状態で、縦割りもないのに子ども達任せにして。
そりゃあ陰湿な「いじめ」も起きるわいな。
それでそれが起きた根っこのことを考えずに懲罰でなんとかしようとするだなんて、考えが浅い人が多く、これまたなんだかんだと面白い。こういう時に「人」が出るよね~「人」が…。
いや、そんな話ではなくって…何を話をしてたっけ^^;?????
ごめんなさい、昼休み終わり!
写真は今朝のイチョウで~す
ではでは、これからの時間、良い日になりますように!
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