ファイトまさちゃん!

今日も一日、笑顔でガンバ!

母の日に~

2018-05-13 06:37:24 | Weblog

 

 

おはようガンバ

今日は、母の日

昨日も、子ども達がお花をくれたり、お顔のマッサージの券をくれたり、感謝感謝だったよ

この日、まさちゃんは、いつも大好きだった母のことを思い浮かべる

 

 

 

 

 

 まさちゃんのお母ちゃんは、明るい人だった

京都の街に生まれ育って、兵隊さんで自分の兄の軍隊で一緒になった父が、家に遊びに来て、そこからお互いにいいな~って思うようになり、手紙の交換が始まったそうな

京都の街から、丹後の街にお嫁の行くのは、今でこそ、そんなに遠くはないだろうけど、あの当時、随分遠い田舎へ嫁ぐ感じだったらしいよ

嫁いで来たら、ご病気の妹さんもいらっしゃったりして、そんなに裕福でもない家庭でやりくりしていくのも、なかなかの苦労だったらしいけど

「OO家の人は、みんな人がよかったから~」って、よくまさちゃんに話してくれた母は、父と二人三脚で、力を合わせながら、あったかい幸せな家族を作ってくれた

 

 

 

 

 

 

まさちゃんが幼稚園に入ったばかりの頃、家に帰っても、おかあちゃんが居なかった

多分、初めてのことだったのか、まさちゃんは、大きな声で、「おかあちゃぁ~ん!」って何度も叫んだ

不思議にそのことを、今でもはっきり覚えているよ

何度も叫んでいたら、長屋の隣に住んでた優しいおばちゃんが

「まぁ~ちゃん、今日はね、お母ちゃん、編み物の教室に行っておいでるよ」って教えてくれた

 

 

まさちゃんが、幼稚園に入るのを待って、お母ちゃんは内職を始めようと、このころから編み物教室に通ってくれたらしい

手先が器用で丁寧な仕事をする母は、先生の資格まで取って、街の手芸店を通して、たくさんのお客さんの注文を受けるようになった

まだ既製品の少ない時代だったから、重宝がられたんだろうね・・・

自分の内職で稼いだお金は、全て子ども達のために、蓄えていったと、いつか母が話してくれたことがある

 

 

注文が、次々にくるのは有難いけど、その分、お母ちゃんは、とっても忙しそうだった

まさちゃんが夜寝るころに、布団に入る母を見たことがなかったよ

へたすると、朝まで徹夜して、期日までに頑張って仕上げてた母を何度も見たことがある

 

そんな思いをしながら、一生懸命、まさちゃん達を育ててくれたんだよね~

 

 

 

 

 

 

 大好きだったお母ちゃんは、4年前に、89歳で天国に旅立ってしまったけれど、

まさちゃんの心の中には、いつも母が居てくれる

頑張り屋さんだった母に、恥ずかしくないように自分でも、出来る限りのことはしてみようと思うし、自分でどうしようもない時には、

「お母ちゃん、どうか、力を貸してください・・・」って、いつもお願いしているよ

 

 

 

お母ちゃんは、よく笑う人だった

まさちゃんも、どちらかと言うと、よく笑う方なのかな~

こないだも、英会話の教室で、なんかとっても可笑しくて

一緒に勉強してるMさんに、「OOさん、ツボにはまってるね・・・」なんて言って笑われた

お母ちゃんに似たのかもしれないな・・・

 

 

お母ちゃん、いつも見守ってくれて、ありがとう

また、これからも、あなたの娘として恥ずかしくないよう頑張るよ

 

 

 

さ~ぁ!今週も笑顔でガンバ

みんな元気出して頑張ろうぜ

いつも来てくれて、ほんとにどうもありがとう