4/18~22の間、ボランティアとして岩手県山田町へ行って来ました。
今回の主目的は海中でのご遺体の捜索です。
広島在住のNAUIコースディレクターである大坪氏が一般のボランティアとして山田町で活動されていたのですが、ボランティアセンターを運営する社協(山田町社会福祉協議会)の方から水中での捜索を依頼され、当初お一人で何度か捜索を行なわれたそうです。大変危険な上、一人ではどうにもならない事からNAUIを通じて協力を要請。それを知ったシーメイドの太田氏が仲間に声をかけ今回の捜索に至った次第です。
今回の捜索チームは私を含め7名。大坪氏、太田氏。海心:高野氏。ブランニューシー:角氏。アスディー:鷹野氏。ノーチラス:野崎氏。いずれもNAUIインストラクターで作業潜水の経験等も豊富な方ばかりです。
海上保安庁による捜索が行われている地域もあるのですが、保安庁の潜水士の数は限られていて広大な被災地を回りきれません。海面の捜索は少しづつ行なわれておりご遺体も何体か見つかっていますが、ここの海中はまだ手つかずの状態でした。
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17日夜半に出発。岩手まで約650km、10時間近い道のりです。
東北自動車道を北上。福島を過ぎたあたりから陥没による道路の凹凸が激しくなってきますが途中までは内陸部を通るため地震の被害はまったく見受けられません。のどかな風景が広がっています。が、高速を降り釜石の市街地へ入ると状況が一変。建物が崩落し、町が瓦礫の山。被害の凄まじさを実感します。
しかしこれはほんの入り口に過ぎませんでした。
海沿いへ進むと町そのものがなくなっています。
ヘドロと潮の入り交じった異様な匂い。あまりにも広大な被災範囲。
TVや写真で見るのと、実際に肌で感じるのとでは全く違います。
誰も言葉を発する事すら出来ませんでした。
土台だけを残し家は流されています。この上には人々の生活がありました。
地面はヘドロと海藻で覆われ、異様な匂いが漂います。
乾いたヘドロが舞い上げる粉塵も凄くマスクは不可欠です。
OK とあるのは解体OKという意味だそうです。
ボランティアセンター
山田町は役場機能が失われてしまったため、ボランティアセンターの立ち上がりも遅く、震災1ヶ月後の4/10に出来たばかり。 夜は冷え込む体育館ですが、他の地域のボランティアの方はテント生活のところも多く、ここはまだ恵まれているとの事。(タンクは持込みです)
ここでのボランティアの方は残った家を一軒一軒廻り、お手伝い出来る事や、必要な物資を聞き取り調査して必要な支援を行なっているそうです。
ボランティアのみなさんの献身的な活動、そして自身も被災していながら懸命に復興活動を行っている山田町のスタッフの方々には本当に頭が下がります。
ボランティアセンターの裏にある老人ホーム。多くの命が失われました。
崩落の危険があるため、自衛隊の方もうかつには入れずまだ未捜索の部分が残っているそうです。
夕方から雪が降って来ました。
初日は陸上で瓦礫の撤去作業を行なったのですが、たまたま伺ったお宅がボート講習などを行っているマリンショップで、海つながりという事で?夕食に招待され色々なお話を伺う事が出来ました。
そのお宅は海沿いの崖っぷちに立っている建物なのですが、津波の事を考えて標高10m位の場所にあり、1階はやられたものの2階は無事で建物自体はしっかり残っています。
ご主人は地震の時、地下室にいたそうなのですが、突然ゴゴゴゴォーという地鳴りの音が聞こえ、すぐに上へ上がり廻りの人たちへ避難を指示。そこで地震が起こったそうです。
地鳴りが聞こえてから地震が起こるまで十数秒。それから津波までさらに十数分。その間の行動が明暗を分けます。我々ダイバーにとっても参考になる話です。
また、この方の知り合いの船長さんは船で沖に出ていた息子さんが津波に巻き込まれるのを絶望的な思いで見ていたそうなのですが、死んだと思った息子さんは次の日生きて帰られたそうです。船ごと津波に飲まれたものの、海面に出た時にたまたま目の前に来た畳にしがみついてそのまま流され、なんと川の上流に打ち上げられて、海に沈んだつもりが山の上から帰って来たとの事。まさに奇跡の生還劇ですね。
津波は3波あったそうですが渦を巻くような引き波が凄まじく、何がどこに流されてしまっているか見当もつかないそうです。
この静かな美しい海が町を飲み込みました
山田湾は一見すると陸地に囲まれた湖のような景観です。
海面に浮かんでいるのは牡蠣の養殖イカダ。もっとたくさんあったそうなのですが、ほとんど流されて今はまばらに点在しているような状態です。
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翌日から海中捜索を開始しました。
数日前から、水面に浮いて来た遺体が見つかるようになったそうなのですが、水温が低いため、まだきれいな状態で水中に沈んでいたり瓦礫などに引っかかっている可能性があるとの事。
水温は6~7℃。透明度は沿岸域で1m、沖合で7m位。水深は15m位の所が中心で最深部で40mです。
海域が広すぎるので、地元漁師さんのお話を参考に、水面に漂流物がたまっているところ、流された家の中、堤防の周りを中心に捜索範囲を決定。場所に応じた捜索方法や、遺体発見時の揚収方法等を打ち合わせ。また新たな津波発生も考慮に入れて船長さんとも避難方法を打ち合わせてのSTARTです。
港にいる時に、地元の方から「黒いジャンパーがあったらそれだけでも拾って来て下さい」と頼まれました。その言葉が胸に刺さります。
何があるかわからない所なので、危険防止のためヘルメットを装着
イカダや漂流物が積み重なってぐちゃぐちゃに固まっています。
この瓦礫の中からもご遺体が発見されています。
様々な物が散乱している水中。
ちょっと油断するとすぐに釣り糸や漁網などがからみついてきます。
長いダイビング人生の中で、これほどバディの存在を大切に思った事はありません。
実際に漁網にからまれてバディを組んだ大坪氏に助けてもらった事もありました。
イカダによっては無傷の所もありました。迷路のような海中です。
牡蠣は泥水をかぶって壊滅状態のところもありましたが、僅かに残った無傷のイカダに付いていた牡蠣を漁師さんが食べさせてくれました。僕は牡蠣はちょっと苦手だったんですが、ここの牡蠣は特有の生臭さがなく広島の大坪氏もびっくりしたほど美味しいものでした。
僕たちを乗せてくれた船長さんは地震の時、海の上で必死に操船しながら自分の家が津波に飲み込まれるのを見ていたそうです。2晩を海の上で過ごし、戻ってみると、家も避難所の学校もなくなっていました。ご家族はまだ見つかっていないそうです。
「学校へ逃げていてくれればと思ったんですけど...。」
何の言葉も返せないまま水中マスクの中で涙が溢れてしまいました。
「でも、私は船が残りましたから....。船があればまたやり直せます。」
津波で300隻以上あった船の90%以上が失われ、この町で残った船はわずかに30隻ほど。
1日も早い漁業の復興を祈ります。
舳先を上げて海中に没した大型漁船。船中には何も残っていませんでした。
海中に沈んでいた家。家屋への侵入はさすがに怖いものがあります。
エアコンの室外機がぶらさがっていました。
水面に屋根が見えています。家、船、車は一通り潜りました。
骨組みだけを残して中の家具等はほとんど流されてしまっていました。
暗い室内は慎重に捜索を行ないます。
瓦礫の中に転がっていたストーブ。
子供のいた家なのでしょう。屋根裏にぬいぐるみが散乱していました。
このご家族が無事に避難されている事を願うばかりです。
今回の捜索では残念ながらご遺体を発見する事は出来ませんでした。
引っかかるようなものが何もない水底にはほとんど何も残っておらず、多くは陸に打ち上げられたか、強烈な引き波ではるか沖へ流されてしまったように感じられました。
魚の姿も全くと言っていいほど見られず、海藻も残っていませんでした。
あまりにも広大で莫大な被害。
一口に復興と言っても長い長い年月、継続的な支援が必要です。
復興支援の形も刻一刻と変化して行きます。
これからも「出来る事」を様々な形で考えて行こうと思います。
岩手県山田町・海中捜索 第2回目
岩手県山田町・海中捜索 第3回目
石巻・雄勝町・海中捜索と沈船引き上げ
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大変な作業ありがとうございます
私の恩師の家族が見つかっていません
お体に気をつけて作業して下さい
ご安全と体調に気おつけて下さい
潜っている最中に携行できるナイフの大きさも秋葉原の殺傷事件のことがあり、制限が出来てしまいましたね。
その中での捜索活動、またいくらドライスーツを着ていてもずいぶん冷たい海だと思います。
まだ行方がわからないご家族のお気持ちを察すればあまりあります。
くれぐれもバディともども安全に。
そして、けして無理はなさらないでくださいね。老婆心ながらみなさまのご無事とご家族の元に戻れる方を発見できますようお祈りさせていただきます。
広い海の中でどこから手をつけて良いのか判らないジレンマ、良くわかります。どうか安全に注意しながら作業されること、一人でも多くの行方不明者が見つかることをお祈りしています。
ご遺体が一人でも多くご家族のもとに帰れることを願います。
山田には十数年前、出張で行きました。静かないい海でした。地元のみなさん、どうかお体にお気をつけて。
危険も多いと思いますので是非安全に注意して作業に当たってください。
皆さんの活動は必ず誰かのお役にたってると信じます。一人でもご家族の元に帰れる事を願います。
私たちは陸上でやるべき事をしっかりやろうと思います。
これからも事故や怪我に気を付けて出来る限り続けてあげて下さい。
よろしくお願いします。