後篇
その後…シルビアは未婚の母となり…クラウスとの関係も…以前と変わらぬままであった。
それは女優シルビア・クリステルのキャリアがまだスターとしての軌道にのる以前からの暗黙の了解であった。
彼女の真のキャリアの出発点となるのは、ここからなのである。「エマニエル夫人」は、シリーズ化され、ドル箱作品となり…彼女の知名度も世界的に波及効果を齎した。
そして舞台はヨーロッパから…ハリウッドへと進出するに至るのである。
だが…パニック大作「エアポート80」でハリウッド入りしたものの…エマニエルという呪縛から…逃れられず、相変わらずポルノ紛いのエロチック路線の映画出演のオファーが絶えなかった。
やがて…そんなジレンマから、私生活が荒れ…コカインやドラッグに依存し…ハリウッドの階段を転がりはじめてしまうのである…。また…派手な社交絡みの誘惑や誘いにのめり込み、海のものとも山のものともわからぬ…ハリウッドに寄生する怪しい輩の餌食へと陥ってしまうのである。
こうした汚れたハリウッドの裏側の世界で身を崩し…嫌気がさしたシルビアは、結局、エマニエルを超えられる作品には恵まれず、ハリウッドを後にした…。
その後は、ブリュッセルでひっそりと静かに暮らし、郷里のユトレヒトには帰らなかった。
彼女にとっても住む環境を変えることで、これまでの自分を振り返り…エマニエルという烙印を肯定的に捉えようとした。彼女はエマニエルというイメージを背負うことで、自分を置き換えるしかなかったのである。
晩年の彼女は体調を崩し、まさに病との闘病生活であった。入退院を繰り返し、化学治療を行っている最中に…脳卒中を起こし…続いて心臓発作で…そのまま帰らぬ人となった。
男性遍歴が豊富で、晩年は孤独な生活だったなどと言われているが…そんなことは決してなかった。
彼女を見る世間の目が、エマニエルである前に…ひとりの人間として見て欲しいと、シルビアは…そう願ったに違いない。
メモ
「ぼくの採点表」双葉十三郎氏採点表。「エアポート80」(79)☆☆☆(平凡な出来ばえ)とのこと。彼女は念願叶ってアラン・ドロンとハリウッド進出第1弾で共演を果たす、漸く夢が叶ったのである。尚、双葉氏によれば…ドラマの展開がデタラメである(辛辣な評価である)。シルビアは、ドロンとヨリを戻すスチュワーデスの役。双葉氏はさらに、ポルノ映画じゃないからクリステルに期待してもムダだって…。
共演者…マリカ・グリーンの回想話であるが、クリステルはエマニエルそのものでしたという意味深なコメントを某番組で寄せていた。
「続エマニエル夫人」に後半、性感マッサージをするインドネシア系の黒いエマニエルこと…ローラ・ジェムサーが脇役で出演していた。ジェムサーは、この後、エマニエルモドキの映画に引っ張りダコになる。その数は本家の作品を超え、世界をマタにかけた。もうエマニエルと名が付けば…なんでもござれという…そんなお粗末で粗悪な映画を、本家と比較するのもおこがましい限りだ…。
「エマニエル夫人」の原作者
エマニエル・アルサンは筆名で、彼女の名は…マラヤット・ローレ=アンドリアンヌと呼ばれる女性で、映画「砲艦サンパブロ」に出演している多才な女性である。彼女が1957年にとある出版社に…ある原稿を持ち込んだことが、事の発端といわれている。その原稿こそが、後のシルビア・クリステル主演で世界的に大ヒットする「エマニエル夫人」だったのである。アルサンは…タイ駐在のフランス人外交官夫人で…バンコック時代の彼女の性体験をもとにしたポルノ小説であった(これには諸説あり)。