外出自粛要請は解除されたけど、天候のせいもあって、あまり遠出もできずモヤモヤした日々を送ってます。
そんなわけで、町ブラと言っても、住まいから徒歩圏内が中心になってしまうのだけど、以前からやろうと思っていたネタを二回に分けて紹介します。
まずは、「フィッシャーマンズワーフMOO」の前の通りからスタート。
何気なく歩いていると見過ごしてしまうけど、このエリアの歩道には、釧路の歴史をデザインしたブロックが設置されています。
ざーっと紹介していきましょう。
「川崎船」って何だろうと思って調べてみたところ、明治後半から大正にかけて、沖合底曳き漁業の主力として、釧路や厚岸で活躍した無動力船だそうで、福井県川崎村(現坂井市)で初めて造られたことに由来するそうです。
鮪(マグロ)漁が盛んだったころの様子ですね。
釧路港修築の経緯は、こちらを御覧ください。
改めて触れるまでもありませんが、石川啄木の来釧は、明治41年(1908年)1月21日です。
MOOの前を過ぎると、右に折れて、「釧路市国際観光交流センター」の前を通ります。
現在のMOOのある位置に魚河岸があり、漁業が隆盛を極めていた頃の様子でしょうかね・・・。
薄くなっちゃってますけど「自動車」です。
釧路にはいつ頃から自動車が走り始めたのかな・・・。
「釧路水産製造所」という施設。
どこにあったんだろう・・・、突き止めて、その跡地へ行ってみたいです!
更に進んで、釧路市役所と、釧路プリンスホテルの前の通りへ。
先程の啄木来釧とも関連のある「旧釧路停車場」。
それがあったのは、この辺りです。
郷土資料館とかでよく目にしますねこれは。
釧路警察署と、「釧路パレスボウル」の前の通りへ。
読みにくいけど、「ランプと笠つき電灯」です。
そして、「鉄道公園」こと「幸町公園」の前へ。
釧路における鉄道の歴史は、明治34年(1901年)に、釧路~白糠間が開業したことに始まります。
その後、同38年(1905年)に帯広まで結ばれ、同40年(1907年)には帯広~落合間が開業して旭川と結ばれることとなり、大正2年(1913年)には、下富良野~滝川間が開業して、札幌までの所要時間が大幅に短縮されることとなりました。
今回紹介したルートは、こちらです。