<沓掛宿脇本陣>
[改訂版] 歩いて巡る中山道六十九宿(第8回):第1日目(3);沓掛宿
(五十三次洛遊会)
2010年6月12日(土)~14日(月)
※本稿の初出は2010年6月19日である.
初稿に地図を追加し,誤字脱字転換ミスを訂正し,本文の加除修正,推敲を行った.
第1日目:6月12日(土) (つつき)
<ルート地図>
※再掲
<伝説の沓掛時次郎>
■長倉神社
しなの鉄道の踏切を渡って国道18号線に戻る.
12時29分,長倉神社の参道に到着する.実に広い境内である.境内というより大きな樹木が繁茂する広い空間といった方が良いだろう.境内にある案内板によると,この神社の境内には70余種の樹木が茂っていて,中でもブナノキ,アズサノキ(ヨグソミネバリ,ミズメ)という巨樹が貴重だという.残念ながら私は樹木や草花のことは,からっきしダメ.いくら覚えようとしても覚えられない.従って,貴重は巨樹だといわれても,“ああ,そうですか”と相槌を打つしかない.
ところで,私は長倉神社の故事来歴を知りたくなる.どこかに説明文がないかなと,境内のあちこちを見回すが見当たらない.帰宅後,軽井沢町のホームページ(資料5)を見ると,長倉神社について,次のような説明文が掲載されている.
「・・・平安時代の文献『延喜式[えんぎしき]』にもその名が残る由緒ある神社.木立に囲まれた本堂は後年改修されたものですが,今も本殿内には宝暦8年(1758)の建立当時の彫刻が残され,境内の苔むした石仏とともにその長い歴史を伝えています.・・・」
<長倉神社の鳥居>
<長倉神社の境内>
■伝説の沓掛時次郎
蛇足になるが,この辺りは伝説の任侠,沓掛時次郎の出生地である.資料6によれば,「一宿一飯の義理から人を斬ったやくざが相手の女房と子供を守る」男である.間違いかも知れないが,長倉神社は,沓掛時次郎縁の神社だと聞いたことがある.これは,どうも怪しい話だが,真実であってほしいなとも思う.
同じ資料には,沓掛時次郎について,以下のような記述がある.
「・・・沓掛時次郎は架空の人物ながら一昔前の日本人には超有名人で,その出身地沓掛(中軽井沢付近)では名前を冠したみやげ物のまんじゅうまで売っている.股旅物の古典として過去に何度も映画化され,古くは大河内伝次郎主演の無声映画が傑作だと池波正太郎の本にはあります.・・・」
大河内田次郎などと聞くと,昔,昔のことが思い出される.
■沓掛時次郎の石碑
長倉神社境内には沓掛時次郎の石碑が建っている.
私が長倉神社を案内しようとしたが,一同疲労しているのか入口にボンヤリと立っているだけで,Oさん以外は境内にも入ってこない.
「・・皆,沓掛時次郎などに興味はないのかな.しょうがないな・・私はここに何回も来ているので,今更,時次郎の碑など見なくても良いか・・」
ということで,境内の写真をソソクサと数枚撮って,迷惑そうに待っている一行の元に戻る.こんなときに,
「やっぱり,一人勝手旅の方が良いかな・・・」
という思いが,どうしても頭をもたげてくる.
旅を終えて帰宅後,インターネットで沓掛時次郎を検索する.資料7には,以下のような記事が掲載されている.
「1953(昭和28)年5月に当時の沓掛商工会が中心になって建立した高さ3mの自然石に流行歌の一節を長谷川伸の筆により描き刻んだもの.碑を正面から見ると,木立の背後に浅間山が見える.「千両万両枉げない意地も,人情搦めば弱くなる 浅間三筋の煙の下で 男 沓掛時次郎 長谷川伸 書」.沓掛は中軽井沢のかつての名称.剣を取ると滅法強いが,義理と人情にはからきし弱い.そんな男沓掛時次郎は長谷川伸の筆によって生み出された侠客で,中山道街道筋の古い宿場,火の山浅間の麓,沓掛を舞台に活躍した架空の人物.長倉神社境内の湯川寄りに建つ.銘菓,時次郎饅頭・・・・」
そういえば,浅間山三筋の雲の歌は(資料4),
“小諸出て見よ浅間の山で
今朝も煙が
アー三筋立つ
ヤレ ヨイサ ヨイヤサー”
だった.
小諸で育った私は,幼い頃からこの歌に馴染んでいたが,「浅間山に三筋の雲」という光景は一度も見たことがない.まあ,どうでも良いことだが・・・
この資料7に掲載されている沓掛時次郎碑の写真を引用させていただく.
※この写真は資料3から引用したものである
<沓掛宿>
■沓掛宿の規模
資料7によると,「中山道は浅間三宿の真中の宿場町で,現在の中軽井沢.平安時代中期にはすでに長倉神社と長倉駅とがあったと文献に伝えられている.江戸時代になってからは隣接する軽井沢宿,追分宿には及ばなかったものの,本陣1,脇本陣2,問屋2があり,人口は安永年間で673人」と紹介されている.
■沓掛本陣跡
長倉神社を過ぎると,いよいよ沓掛宿に入る.資料を首っ引きにしながら,沓掛本陣跡を探す.
しなの鉄道中軽井沢駅前道路との交差点を少し通り過ぎて,12時30分に進行方向右側にある沓掛本陣跡(土屋本陣)に到着する.小さな路地との角地に建っている.角を廻って,敷地の奥に建っている蔵の壁に「○の中に『本』の字」のマークが書いてある.
<土屋本陣>
■脇本陣跡
地図を頼りに,今来た道を引き返す.そして交差点を渡って,本陣と点対称の位置にある脇本陣跡を訪れる(12時45分).立派な建物が建っているが,どうやら今は空き家のようである.庭には夏草が繁茂している.
石を積み上げた門柱には「旅館岳南荘枡屋本店」と書いてある.
<枡屋本店>
<本場の信州蕎麦を味わう>
■蕎麦屋「かぎもとや」で昼食
どこかで昼食を摂ろうと思っていた.
市村記念館のガイドに伺うと,何人かの首相も食事をしたといわれる由緒ある蕎麦屋「かぎもとや」を紹介されていた.「かきもとや」は,しなの鉄道中軽井沢駅近くにある.
12時45分,「かきもとや」に到着する.先客が数名待っている.
長い間待つのは嫌だなと思ったが,案外回転が速くて,ほんの数分で席に案内される.
店内には,20~30人ほどの席がある.長いテーブルの端に座ると,中の人が出られないほど狭い席である.壁には沢山の賞状のようなものがぶら下げられている.
暑いので,とりあえずはかけ蕎麦を注文する.蕎麦は,“こし”があって,結構,美味.
でも,一番美味しかったのは,この店で頂戴した“冷えた水”である.これほど美味しい水は,今まで飲んだことがないと思えるほど素晴らしい味である.少々暑いこともあって,水を何杯もお代わりする.
<蕎麦の名店「かぎもとや」> <かけ蕎麦>
<混雑する店内:壁に沢山の額>
■上田高校吹奏楽団
食事を終えた私たちは,13時25分に「かきもとや」を出る.そして,近くにある中軽井沢の駅で,トイレ休憩を取ることにする.
駅に向かう途中の家に,「上田高校吹奏楽団」のチラシが貼られているのを見つける.上田高校は,私の出身高校である(私が在学していた頃は上田松尾高校と言っていた).上田からかなり離れたところで,母校の名前を見つけると,思わず懐かしさが込み上げてくる.
<上田高校吹奏楽団広告> <中軽井沢駅>
■中軽井沢駅で休憩
中軽井沢駅は閑散としている.長野新幹線が開通する前は,中軽井沢には特急列車も停まった.軽井沢の中心地の一つとして,随分と賑やかだった.新幹線ができてから,無残にも寂れてしまったようである.
更に昔,この駅は沓掛と言っていた.それが,戦後間もない頃,何の変哲もない中軽井沢という名前に変わってしまった.沓掛という名前には,風情があって良いなと思うのは私だけだろうか.
それにしても,閑散とした駅になってしまったなあ・・
(つづく)
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5:http://www.slow-style.com/detail/index_469.html
資料6:http://www.eiga-kawaraban.com/94/94110202.html
資料7:http://shokokai.karuizawa.nagano.jp/ziten/ku.html
資料4:http://sky.geocities.jp/tears_of_ruby_grapefruit/minyou3/hauta4.htm
[加除修正]
2013/6/26 地図の追加,誤字脱字転換ミスの修正,加除訂正, 推敲を行った.
2013/6/29 本文のレイアウト編成を変更した.
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5c7e0c60834b17fb2b64104234cf4aa7
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/12a62f9872f3005091bd80973c43a095
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e
※記事の正確さは全く保証しません.
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