<シュスタニ遺跡からウマヨ湖を望む>
ペルー周遊記(30):第8日目(4):シュスタニ遺跡
2008年7月8日(水)(つづく)
<シュスタニ遺跡を一回り>
■コラ文明
10時24分にチチカカ湖畔にあるホテルリベラトールを出発した私達の車は,11時12分,ウマヨ湖畔にあるシュスタニ遺跡近くの駐車場に到着する.ここはプーノから北へ28キロメートル離れた場所である(32キロメートルと書いた解説書もある).
まずは,ガイドのアレックスからシュスタニ遺跡の説明を受ける.
「・・・インカ族が出現する前,プレインカ時代のコラ文化(Kolla)からインカ時代にかけて造られた石塔のお墓群です・・・」
この地域には紀元前3000年頃,プカラ文明が栄えたという.気が遠くなるほどの古い話である.その後,12世紀から15世紀頃,コラ文明が栄えた.この文明の特徴は石造りの住居と段々畑にあるという.
<シュスタニ遺跡の円筒形の墳墓に向かう>
<シュスタニの円筒形の墳墓チュルパ> <幾つもの円筒形の墳墓が残っている>
■チュルパ
辺りは草木が全く生えていない砂礫の丘である.ガイドのアレックスの後について,私達はユックリと坂道を登る.道路左側の小高い所に石造りの円筒形の塔が建っている.さらに丘の上にも同じような円筒形の塔がいくつか残っている.これらの塔はチュルパ(Chulpa)と呼ばれるお墓である.
この塔の東側には,小さな窓が造られている.冬至になると,この窓から太陽の光が射し込むように設計されている.太陽の光によって,生命が再び生き返ると信じられていたようだ.
塔の内部には身分の高い人のミイラが何体か収められていたという.
アレックスが地面に塔の絵を描いて,熱心に説明する.
もっとも大きなチュルパは直径約7メートル,高さ約12メートルあるという.
■太陽の神殿と月の神殿
塔の脇の坂道を登る.
小高い丘の中腹の広場には,建造物群“太陽の神殿(あるいは太陽サークル)”ある.少し上の場所から太陽の神殿を見下ろすと,巨石が円形に並んでいる.目測で,この円の直径は30メートルほどもあるように見える.
ここでは,埋葬などの宗教的な儀式が行われていたという.
太陽の神殿に接するように,もう一つの円形に建造物群が見える.こちらの直径は,太陽の神殿に比較して少し小さいように思える.また,円形の半分ぐらいが失われている.
<太陽の神殿(左手前)と月の神殿(右奥)>
■ヘビの墓
丘を登ると,いくつかの円形構造物が集まっているところに到着する(11時31分).
円筒形の塔は,頂上部分が崩壊して欠落している.この塔を“ヘビの墓”という.このヘビの墓の近くには円錐の上を切り取ったような形の塔や,四角い巨石が並んでいる.
<ヘビの墓>
<ヘビの墓付近の石造構造物群>
■水飲み場
ヘビの墓から,ガレた坂道を登る.すると,黒い石でできた水飲み場に到着する.大きな硯のような形をしている.その一辺の中腹に水を導く孔が開けられている.どうして,この場所に,ポツンと水飲み場があるのか,私には分からない.
<水飲み場>
■トカゲの墓
ヘビの墓から,さらにガレ場を上へ上へと登って,11時38分に,丘の頂上に到着する.ここにも大きな円塔が2基並んで建っている.向かって左側の塔の方が,やや大型である.アレックスによると,この塔のことを“トカゲの墓”というらしい.
そこで,もう一方の塔の名前は何かと聞いてみる.どうやら,小さい方の塔には名前がないらしい.
トカゲの墓は,かなり崩壊が進んでいる.それを防ぐ工事が施されているようである.
<トカゲの墓>
<双子の墳墓:左が“トカゲの墳墓”,右の墳墓には名前がない>
■ウマヨ島
丘の上からは,標高4000メートルのウマヨ湖(Lago Umayo)が見下ろせる.物音ひとつしない静かな湖である.湖の真ん中には台形の島が見えている.ウマヨ島というらしい.島は赤褐色の土砂で覆われている.ここから見渡す限りでは草木は殆どないようである.
標高4000メートルを超える高地でも,照りつける太陽はジリジリと暑い.それにしても,富士山を遙かに超える高い所に,このような湖があるとは驚きである.
<静かなウマヨ島>
■可愛いビグーニャの子ども
12時頃,丘の頂上から下山を開始する.
中腹で,可愛いビグーニャの子どもを連れた老婆が座っている.私は,ビグーニャの写真を撮りたかったので,s/.0.8のチップを老婆に支払う.するとビグーニャだけでなく,老婆も一緒に写真に収める羽目になる.
「まあ・・・いいか・・・」
で写真を撮る.
<ビグーニャと老女>
<レストランHsで昼食>
■ガタガタ道を進む
12時12分,駐車場に戻る.私達は,すぐに2台のバンに分乗する.そしてシュスタニ遺跡を出発する.走り出してすぐに未舗装の裏道に入る.車の後には赤土の砂埃がもうもうと立ち上る.私達の車は,やがて前方を走るトラックに追いつく.暫くの間,トラックが巻き上げる砂埃の中を走り続ける.終戦後暫くの間は,日本の道路もこんな状態だったなと,当時のことを,なつかしく思い出す.
道端には学校帰りの子ども達の姿が見える.道路の両側には乾燥した牧場が延々と続く.
12時32分,やっと舗装道路に出る.途端に車のガタガタ震動がなくなる.辺りは見渡す限りの平原,というよりも砂漠が続く.
<フリアカ郊外の大きな工場>
■賑やかなフリアカ市内
12時41分,進行方向左手に大きな工場が見え出す.なんの工場か分からない.工場の敷地を過ぎる地大きな街に入る.飛行場のあるフリアカである.街並みは次第に賑やかになる.歩いている人の数も増え出す.
12時54分,Hsという名前のレストランに入る.このレストランがフリアカの街のどの辺にあるのかは分からないが,落ち着いた雰囲気の店である.ここで昼食を摂る.
あてがわれた食事のメニューは,トマトベースの赤いスープ,チキン焼き,ポテトフライ,ライス,コカ茶,フルーツと,如何にもハイカロリー.美味しいが,ブロイラーになりそうで,どうにも困ったものだ.
例によって,アルコールを嗜む方々は,ビールを飲んでいる.
食事の最中に,ガイドのアレックスが,
「・・・今日のストライキで,マチュピチュ行の列車はストップしているようです・・・」
と私達に漏らす.
多分,今日も日本を始め,沢山の国から,マチュピチュを目指している観光客が沢山居ることだろう.折角,ペルーまで来たのに,マチュピチュに行けないとは,とても気の毒である.
<三つ星レストランのHs> <トマトベースのスープ>
<メインディッシュ>
<フリアカ空港>
■フリアカ空港に到着
長い時間の昼食が,ようやく終わって,14時05分にレストランHsを出る.
再び2台の小型バンに分乗して,混雑する街中を進む.
14時08分,どなたかがドルを現地通貨に交換したいとのことで,街角の銀行に立ち寄る.両替はほんの2~3分で終わる.
14時20分,私達の車は,フリアカ郊外にあるフリアカ空港(コーパック空港:Aerpuerto Internationl Inca Manco Corpac)に到着する.
<フリアカ空港>
■空港の土産店
フリアカ空港は小さな空港である.閑散としている.
早速,搭乗窓口で,手荷物を預け入れ,搭乗手続きを済ませる.
搭乗時間まで,まだ暫く時間がある.空港の建物から少し離れた所にある土産物屋を覗いてみる.これまで,あちこちの土産物店で見てきた品物と,殆ど同じものが並んでいる.
何も買う気のない私は,直ぐに飽きてしまう.
15時頃,私は再び空港の待合室に戻る.そして,ベンチに腰掛けて,ボンヤリと時間を過ごす.
<フリアカ空港の土産店>
■ガイドのアレックスとお別れ
ガイドのアレックスは,これからフリアカのバスターミナルに行って,路線バスで,クスコの自宅へ帰るという.
長い間,お世話になったアレックスとはここでお別れになる.
蛇足ながら,彼は,1日置いて,明後日には,次の日本人観光客の案内をする予定だという.
■楽隊が演奏を始める
15時25分,私達はセキュリティチェックを受けて,搭乗待合室に入る.いつの間にか沢山の乗客が集まっている.搭乗口付近では,4人編成の楽隊が,民族音楽の演奏を開始する.
「ドチャドチャ,ドチャドチャ,ピッピー・・ドチャドチャドチャドチャ,ピッピー・・・」
と賑やかな音楽である.折角の演奏だが,音痴の私には,多少,うるさく感じる.
15時43分,ようやく演奏が終わる.ヤレヤレ・・正直な所,ホッとする.演奏が終わると,彼らは乗客の間を廻って,チップを集める.
<空港の楽隊>
(つづく)
前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b956304787debdfeeaa355b644c013bb
次回の記事
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このシリーズの最初の記事
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度々,懇切丁寧なコメントを頂戴し,有り難うございます.
ご指摘の通りチチカカ湖の学校は見学しませんでした.
トイレの紙は流せませんでした.
ペンションカンツータの方の話ですと,ペルーのトイレットペーパーの紙質が悪くて,水に溶けにくいこと,および,下水管の口径が総じて狭く,つまりやすいことの二つが流せない理由だとのことです.
でも,正直な所,分かっていても,ついつい習慣で便器の流してしまったこともありました.とはいえ,具体的な国名は出しませんが,私の少ない海外経験の中では,某大国,アフリカ,中近東の国々に比較すれば,ペルーのトイレは格段に綺麗だないう(一箇所例外があったが)印象を受けました.
これからもご愛読をお願いします.