<長閑な堤防道を行く>
歩いて巡る甲州道中四十四次(第6回);第3日目(2);勝沼宿・栗原宿
(五十三次洛遊会)
2013年9月28日(土)~30日(月)
第3日目;2013年9月30日(月)(つづき) 晴
<ルート地図>
<勝沼宿>
■勝沼宿の概要
資料2(p.325)および資料1によると,勝沼宿の宿内人口は786人.内,男394人,女392人.宿内惣家数192軒.内,本陣1軒,脇本陣2軒,問屋場1軒,旅籠23軒の規模であった(天保14年(1843年)現在).
どうやら勝沼の街は昔から他の宿場に比べるとずいぶんと長かったようである.また,昔からブドウの三都として知られていたとのことである.
江戸日本橋から36番目の宿場である.
資料1によると,勝沼宿は元和4年(1618年)に新設された宿で,宿南は東西12町と長かった.甲府盆地の東端に位置していて,物資集積の地として栄えたという.
■国見坂
10時54分に大善寺を通過した私たちは,すぐに信号柏尾で勝沼大橋へ向かう道路を横切って,国見坂に差し掛かる.自動車の往来が激しい道の片隅をトボトボと歩き続ける.ちょっとしたヒヤヒヤ道である.
この辺りは,いかにもブドウの産地らしく,沢山のぶどう園が立ち並んでいる.店先には美味しそうなブドウが並んでいるが,よだれを流しながら,なるべく見ないようにして通過する.
このブドウについて,資料2(p.326)では,「一説には文治2年(1186年)に日川の南,上岩崎の雨宮勘解由が栽培したのが初めというが,大善寺の薬師如来が手にブドウを持っていることもあって,大体10世紀に中国から渡来した竜眼の実生が初めだろう」と解説している.
<沿道にぶどう園が立ち並ぶ>
■綺麗に整備された丘
11時03分,進行方向左手にこんもりとした森が見える.綺麗に手入れされた石段や石碑も見えている.
時間が押していて,ここが何かを確かめる余裕がないので,そのまま通過するが,ここは一体何なんだろう.
地図で確かめると,この辺りに勝沼氏館跡があるはずだが…ここが勝沼氏館跡なんだろうか.でも,何となく違うような気がする.後ほど勝沼氏館跡駐車場を通過する.
ここは一体何だろう.結局分からないままで終わる.
“ム,ム,ム,…するとこの写真の一角は勝沼氏館跡とは別物か…”
でも,まあ,いいや.綺麗な所だからブログに収録しておこう.
<綺麗に整備された所を通過する>
■上行寺
11時05分,金比羅神社のすぐ隣にある上行寺前を通過する.
後日,インターネットで上行寺を調べる,すると,資料3に,「(上行寺は)勝沼氏館跡,甲州街道を挟んですぐ北方に長遠山上行寺があります.「勝沼町誌」によると,かつては応化山長遠寺というお寺でした.しかし天文年間初期(1532-1537?)日蓮宗に改宗する際,徳山上行寺に改名.さらに休息山立正寺の末寺籍に入る際,旧寺号をとり「長遠山上行寺」となり,現在に至っています.」という記述がある.
<上行寺>
■勝沼氏館跡
上行寺と道を挟んで反対側にあり史跡勝沼氏館跡駐車場に到着する.
“なるほど…やっぱりここが勝沼氏館跡か…!”
と納得する.
資料1によると,勝沼氏は武田信虎の弟,勝沼五郎信友の家系で,御親類衆として武田軍団に属していたが,永禄3年(1560年),信玄に滅ぼされてしまったという.
また,資料2(p.326)によると,「昭和48年から発掘調査をしたところ,内堀,外堀,太鼓櫓なの遺構があることが明らかになったという.城跡の東には県立ワインセンターがある」とのこと.
私たちは,残念ながら,ここも見学を省略して,先を急ぐ.
<勝沼氏館跡駐車場>
■本陣跡と泉勝寺
11時07分,本陣跡に到着する.
「本陣槍懸けの松」という案内杭が立っている.写真中央の姿形の良い木が,この槍懸けの松だろうか.
資料1によると,この辺りに芭蕉の句碑があるようだ.
“山里は 万歳遅し 梅の花”
という句が彫られているとのことだが,未確認のまま通過.
また,本寺跡から北へ数百メートル離れた所にある泉勝寺も時間の都合で参拝は割愛する.泉勝寺は勝沼氏の菩提樹とのこと.
<本陣跡>
■仲松屋
11時10分,仲松屋に到着する.
格子戸がはまった昔懐かしい雰囲気の建築である.案内板の記事によると,萩原家.江戸時代皇紀の東屋敷と明治の西屋敷がある商家建築.敷地奥に土蔵があるらしい.
私たちはこの家の前で数分立ち止まって,案内板や建物を見学する.
仲松屋に近くにある高札場跡,問屋場跡,山城家などは何となく見落としてしまう.
特に山城屋は日蓮が宿泊した所で,日蓮直筆の曼荼羅が伝わっているというから,家の外観だけでも見ておきたかった.
<仲松屋>
■3階建ての立派な蔵
11時12分,3階建ての立派な蔵を見物する.
蔵の脇に立っている案内文によると,「明治20年頃の大火の後,自己所有の山林(大和村)の木材にて造った 地下一階,地上三階の土蔵…」.
<3階建ての立派な土蔵>
■護念寺
11時20分,護念寺に到着する.ここは柏尾戦争で戦死した官軍兵士の墓がある所である(資料1).
資料4には,「柏尾の戦闘で戦死した官軍側ただ一人の戦死者,木村伊助武則の墓がある.官軍は土佐藩,因幡藩,高遠藩から成る連合軍であったが,木村伊助は因幡藩士であった.」という説明がある.
<護念寺>
■小さな野仏と常夜灯
11時25分,路傍に小さな野仏がある.何とも可愛い(なんて言ったら不遜かな)仏様である.何ともいえない奥ゆかしさがある.
続いて11時26分,常夜灯の前を通過する.
この直ぐ近くに諏訪神社があるはずだが,街道から少し離れているので,立ち寄らずにそのまま通過する.
<小さな野仏> <常夜灯>
<行きずりの飲食店で昼食>
■スイーツのシャテラーゼ
11時37分,たまたまシャテラーゼ(読み方是で良いのかな?;CHateraise)という店に立ち寄る.昼食にはちょっと早すぎるかもしれないが,ここから先に必ず飲食店があるという保証もないので,少し時間が早いけれども,ここで昼食を摂ることにする.
<スイーツのシャテラーゼに入る>
■ソフトクリームと甘食
店内はそれほど広くはないが,売店に並んでいるパン屋スイーツを適当に買い求めて,次の部屋(下の写真)で適当に座り込んで食べる.
ドリンクバーがあるというので利用する.ここのドリンクバーは,外食チェーン店のようにコーヒーやジュース類を入れる専用の機械は設置されていない.一般に販売されているコーヒーやジュース類の紙パックが置いてあるだけ.ただ,ホットコーヒーと紅茶を入れるお湯は準備されている.別に専用の機械などなくても一向にかまわない,私たちは勝手に飲み物を頂戴する.
今日は決行蒸し暑いので,私は冷たいソフトクリームと甘食を購入する.お茶を飲みながら美味しくいただく.
<行きずりの飲食店でノンビリ休憩>
■ワイン工場の大きな樽
昼食を終えて,12時13分,午後の部がスタートする.またトボトボと甲州街道を西に向けて歩き出す.
12時21分,大きなワイン工場の脇を通過する.工場敷地内の片隅に大きな樽が展示されている.ワイン工場の名称は分からないまま通過する.
ただ,未確認だが,地図で見たところでは,白百合酒造という所らしい(間違っているかもしれない).
私たちは,そろそろ次の宿場,栗原宿に近付いている.
<ワイン工場の大きな樽>
■白山竹岡神社
12時25分,白山竹岡神社に到着する.立派な神社である.
ここはフジの名所らしく,県指定天然記念物になっているようである.また,境内右手にある大きな石は聖徳太子の馬蹄石(駒石)だという.
帰宅後インターネットで調べたが,今のところ,これ以上詳しい資料は見当たらない.
<白山竹岡神社>
<栗原宿>
■栗原宿の概要
資料2(p.327)によれば,栗原宿の宿内人口は1,054人.この辺りの宿の中では人口が多い方である.内,男538人,女519人.宿内惣家数240軒,内,本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠20軒の規模である.
江戸日本橋から37番目の宿場である.
■大法寺とその周辺の寺
12時28分,信号上栗原を渡る.
この信号の手前に光善寺という寺があるはずだが,見落としてしまう.
12時22分,大法寺に到着する.広い境内の先に本堂が見えている.大法寺については手許の資料ではこれ以上のことは分からない.
大法寺の裏手には海島寺,妙善寺,大翁寺が並んでいるが,これらの寺を巡回する時間がないので省略する.太翁寺は栗原氏の館跡だと言われている.
<大法寺>
■大宮五所神社
12時37分,大宮五所神社参道入口を通過する.
時間が押しているので参拝はしなかったが,資料1によると,この神社の社殿の前板が舞台になる歌舞伎造りになっている.そのため往時の役者はここで芝居をして評判を確認してから甲府に入ったという.
どんな造りになっているか拝見する時間がなくて残念である.
<大宮五所神社>
■長閑な堤防道
大宮五所神社前から,右手の裏道に入る.すぐに源屋園(元旅籠源屋)に突き当たる.そこを左折して,甲州街道(国道20号線)を横断,直進して,堤防道に突き当たる.この堤防道を,西へ向かって歩き続ける.
12時40分,白川地区水防倉庫の所で右折して,堤防道を降りる.
相変わらず少々蒸し暑い.
<長閑な堤防道を行く>
[参考文献]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;http://1st.geocities.jp/minohazz/shiseki-shousai/ks044/ks044.html
資料4:http://www13.plala.or.jp/shisekihoumon/katsunuma.htm
(つづく)
「甲州道中」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/976f29b422e9f010b17eb89b9609b475
「甲州道中」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/0fd791c79580c922643623df37482aed
「甲州道中」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a622a87fbc7f4454e3e837fc990ece58
「甲州道中」の目次
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