中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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中山道六十九宿巡り(第10回目);第3日目(2);宮ノ越宿

2011年11月24日 05時54分10秒 | 中山道六十九宿

                                <木曾義仲と巴御前>

      中山道六十九宿巡り(第10回目);第3日目(2);宮ノ越宿
             (五十三次洛遊会)
          2011年9月16日(金)~18日(日)

第3日目;2011年9月18日(日) 
(つづき)

<宮ノ越宿詳細図>



<宮ノ越宿>

■宮ノ越宿の概要
 いよいよ宮ノ越宿に入る.宮ノ越宿は,江戸から36番目の宿である.
 資料1(p.200)によれば,宮ノ越宿の宿内人口は585人(男299人,女286人).宿内惣家数137軒(本陣1,脇本陣1,旅籠21)であった.

■明治天皇御小休址
 10時34分,明治天皇御小休址に到着する.大きな石がおいてあり,この石に「明治天皇御小休址」と刻字してある.

<明治天皇御小休址>

■義仲橋
 10時47分,義仲橋に到着する.立派な橋である.この橋を渡る.

<義仲橋>

■義仲館
 橋を渡ると,義仲館がある.ここは竹下内閣のときに配られた1億円を使って建てられた資料館である.
 わざわざ館内に入る気もしなかったので,外観だけを眺めて,先へ進む.

<義仲館>

■宮ノ越本陣跡
 11時06分,宮野こそ本陣跡を通過する.今は,それらしい建物は何も見当たらない.ただ.資料2(p.116)によれば,屋敷奥に土蔵が残っていて,宿関係の史料が補完されているという.

<宮ノ越本陣跡>

■脇本陣・問屋場跡
 11時07分,宮ノ越宿脇本陣・問屋場跡に到着する.それらしい史跡は何も残っていない.辺りには夏草が繁茂している.

<脇本陣・問屋場跡>

■民家田中家
 説明板によると,田中家は旅籠だった.1883年(明治16年)の火事で母屋は全焼した.この建物は,火事の際に運び出した建具で再建したものだという.

<田中家住宅>

■明治天皇御膳水
 11時12分,明治天皇御膳水と刻字してある記念碑に到着する.
 
<明治天皇御膳水>

<原野間ノ宿を目指して>

■二十三夜塔

 11時13分,二十三夜塔の石塔群の前を通過する.
 どうやら,この辺りで宮ノ越宿を通り抜けたようである.

<二十三夜塔の石塔群>

■宮ノ越一里塚跡
 11時23分,江戸から67番目の一里塚である宮ノ越一里塚跡を通過する.
 一里塚跡には,小さな案内板が立っているだけである.一里塚跡の写真を撮っていると,近くに並行している中央本線の下り電車がコトコトと通り過ぎる.

<宮ノ越一里塚>

                             (つづく)

[参考資料]

資料1;今井金吾,2005,『新装板今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社

「中山道六十九宿」の前回の記事
 
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/e09394599fe2fb09b14f13b61087e28a
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/1375e9437e7675ab52108a9ae07bdcbb



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