中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
最初に左下の“カテゴリー”を選んで,クリックして下さい.

陽春の鎌倉:六国見山・岩瀬地区社寺参拝の旅

2008年05月19日 21時23分16秒 | 鎌倉あれこれ
                     <大長寺庭園>

        陽春の鎌倉:六国見山・岩瀬地区社寺参拝旅
            (某社OB散策の会)
         2008年5月18日(日)
 晴れ

 今日は,五月晴れの休日となった.
 本音を言えば,こんなに素晴らしい天気ならば,何をさておいても,塔ノ岳を往復したい.でも,兼ねてから約束をしていた某社OB散策の会の人達を鎌倉案内をする約束になっている.
 私にとっては,この散策の会の人達も大切な仲間である.気分を変えて,今日一日は,かつて苦楽を共にした人達と一緒に,陽春の鎌倉を楽しむことにする.
 今日の参加メンバーは,案内役の私を除いて,男性2人,女性1人,合計3人である.
 私がこの会社を早期に定年退職してから,かれこれ20年の歳月が経っている.振り返れば,とても長い歳月である.その間,実に色々なことがあったが,それでも,アッという間のことだったようにも思える.それは兎も角,古いお付き合いの方々と,春の1日をノンビリと過ごすのも乙なものである.

[散策ルート]

 大船駅(発)→木曽義高の墓→常楽寺→六国見山→名月谷→名月院裏山→今泉登山口→(住宅地の中を歩く)→散在が池森林公園入口→のんびり小径→散在が池湖畔(昼食)→砂押橋→今泉寺・白山神社→西念寺・岩瀬青少年広場→大長寺→鎌倉街道→大船駅(解散)

<散策地図>



<プロフィールマップ>


     ↑            ↑  ↑   ↑   ↑  ↑                ↑ 
    大船駅         六国見山 名月谷 のんびり小径 散在が池            大船駅


■大船駅へ
 今日の散策は,大船駅を10時30分に歩き出すことになっている.私は,集合時間より.少し早く,大船駅に向かう.駅前のコンビニで,散策の資料を参加人数の分だけコピーする.
 10時20分頃,大船駅南口に向かう.一番遠い埼玉県から参加するMさんが,一番早く集合場所に来ている.それから,ほんの少々待っている間に,全員が集合する.今日は日曜日.天気も良いので,駅構内は沢山の観光客で賑わっている.ここでも,リュックを背負った沢山の前期高齢者風の女性を見掛ける.皆さん健康で良いなと思うが,同時に,大丈夫かなと心配にもなる.

■木曽義高・大姫の墓・常楽寺
 10時05分に大船駅から歩き出す.まずは,大船中央病院と三菱電機情報電子研究所の間に抜ける広い道を東へ進む.ここは,鎌倉では珍しい電信柱のない道である.中には,大船が鎌倉市内であることを知らない方もいるが,ここは正真正銘の鎌倉市内である.
 三菱電機の敷地の裏側に回り込む.やや急な坂道になる.坂道を登り始めると,道路は直ぐにYの字に枝分かれするが,右手の嶮しい坂を少し登る.右手の石垣の間にある階段を登ると,小さな公園に出る.大船みどり公園という.
 この公園の柵に沿って回り込むと,樹木に覆われた反対側の斜面に出る.ここに木曽義高(志水冠者義高)とその妻,大姫の墓がある.義高は木曽義仲の長男,大姫は頼朝の娘である.義仲と頼朝との間の権力闘争の犠牲になった.
 義高の墓からジグザグの下り坂の参道を降りて,麓にある臨済宗粟船山常楽寺を詣でる.開基は北条泰時,開山は退耕行勇.正面の山門を潜って静寂な境内に入る.境内には誰も居ない.本堂の裏手に廻って,三代執権北条泰時他の墓を詣でる.
 庫裏のどこからか人の話し声が微かに聞こえてくる.

    <木曽義高の墓>                    <大姫の墓>

 
           <常楽寺>                     <北条泰時の墓>

■多聞院・熊野神社
 11時頃,常楽寺を出発して,表の通りに出る.通りを東へ進み,11時20分に常楽寺交差点を渡る.道なりに進行方向がやや北に曲がる.この辺りには三菱電機の社宅があったが,今は何軒かのしもた屋が並ぶ平凡な住宅地に変わっている.旧三菱電機社宅跡を回り込むようにして,六国見山登山道に入る.登山道口には,やっと「・・国・・」とだけ読める案内柱が傾いて建っている.
 そのまま六国見山に登ろうかとも思ったが,近くにある真言宗多聞院(天衛山福寿寺多聞院の略)と熊野神社を詣でることにする.
 多聞院駐車場脇にある小さな児童公園を抜けて,11時31分に多聞院の境内に入る.ご本尊は毘沙門天.境内にはとげ抜き地蔵がある.何か法事があるらしくて,黒ネクタイの男性が境内に入ってくる.私は遠慮して直ぐに境内から外へ出る.
 その足で,隣にある熊野神社を詣でる.数十段の階段を登ると境内に辿り着く.ここは大船の鎮守社である.室町時代に,相模平氏が出目の甘粕長俊が,1579年に勧請したと伝えられている.
 社殿の後には,こんもりとした森が続く.境内はそれ程広くはないが,どことなく厳粛な雰囲気が満ちている.

           <多聞院>                       <熊野神社>

■大船高校
 11時35分,熊野神社を後にする.再び児童公園を抜けて,六国見山登山道に戻る. 登山道は鬱蒼とした木立に覆われた切通の中を抜けていく.
 11時41分,神奈川県立大船高校グラウンド脇に出る.日曜日なのに,校庭は生徒で一杯である.彼らの元気な声が聞こえてくる.道路を挟んで校庭と反対側は,見晴らしの良い土手だったが,いつの間にか数軒の家が建ち並んでいる.
 
       <切通の登山道>                    <六国見山山頂>

■六国見山で昼食
 数十段の階段を登って,バス停高野台のロータリーに出る.ここから北側の斜面を登って,再び雑木林の中に続く登山道を登る.登山道の両側から雑草が生え茂って,道幅が狭くなっている.山麓に建っているマイクロウェーブ反射板の辺りから,公園風に整備された道に変わる.階段を登り詰めて,12時丁度に六国見山山頂(標高147m)に到着する.
 六国見山は,単に六国見,六国嶽,六国峠と呼ばれることがある.鎌倉では,大平山,十王岩に次いで,標高第3位の高さの山である.ここから,安房,上総,下総,武蔵,相模,伊豆の六カ国が見える筈である.
 まずは,山頂の富士塚に登る.ここからの海側の眺望は素晴らしい.左手には鎌倉市街から材木座海岸,逗子マリーナが見えている.正面には北鎌倉,鎌倉山の山並みが幾重にも重なっている.私の家がある尾根も見えている.ただ,残念なことに,山頂の反対側は大きな樹木に覆われているので,視界は殆ど利かない.暫くの間,山頂からの見晴らしを楽しむ.
 六国見山山頂には「浅間大神」と書いた石碑が建っている.石碑の近くにあるベンチで,展望を楽しみながら,昼食を摂ろうと思ったが,直射日光を浴びて,かなり暑い.仕方なく,塚の麓の木陰に入り込む.木陰には番台が2脚ある.たまたま先客が座っている.その片隅も使わせて貰いながら,場所を確保する.

            <六国見山山頂からの眺望:遠くに鎌倉市街地が見える>

■名月院登山口から名月院裏山へ
 食事が終わる頃,同じ番台に座っていた初老の夫婦から話しかけられる.
 「六国見山へは,どちらから登って来られましたか?」
これを切っ掛けにして,雑談が始まる.
 12時27分,六国見山を出発する.明月院に行きたいというこの夫婦も,途中まで私達に同行するという.
 六国見山は双耳峰の山である.富士塚のある山頂から尾根伝いにもう一方の山頂に向かう.途中の鞍部にある児塚(ちごづか)に到着する.児塚は欠損のある宝篋印塔が,生け垣に囲まれた場所に建っている.この墓は,由比の長者染谷太郎大夫時忠の子どものものだといわれる.
 
        <六国見山の案内板>                      <児塚>

 双耳峰のもう一方の山頂を通過して,やや急な下り坂に差し掛かる.丁度その時,坂の下の方から,見覚えのある男性が登ってくる.山旅スクール第5期のバーダーさんである.野鳥の会の方と一緒に鎌倉を散策しているとのことである.
 やがて,山ノ内側の住宅地に降りる.住宅千脇の急坂を下って,13時丁度に名月谷に合流する.明月谷を少し下って,明月院登山口に到着する.ここで,同行の夫婦と別れる.
 明月院登山口から勝上嶽を目指して登り始める.
 やや急な坂道が,ちょっとの間続く.明月院裏山の山頂から,道の両側に生え茂る竹のトンネル道を下る.石段の下り坂である.
 13時19分,今泉登山口に到着する.
 一行の1人が,疲れたので,山道ではなく,平らな道を歩きたいというので,一旦,今泉5丁目の住宅地に出る.そして,住宅地を横切って,13時43分に散在が池森林公園入口に到着する.

■のんびり小径を経て散在が池湖畔へ
 公園入口から,のんびり小径を経由して,14時07分に散在が池湖畔に到着する.疲労している人もいるので,ここで20分ほど休憩を取る.湖の両岸には深い山が迫っている.鎌倉を良く知らない人には,こんなに山深い湖が鎌倉にあるとは,到底想像が付かないだろうと思う.
 時間さえあれば,何時までも湖畔でノンビリしていたいが,そうもいかないので,14時27分に重い腰を上げる.そして,せせらぎ小径を経由して,砂押川側の公園出口から外に出る.この辺りは,昨日も歩いたばかりの所である.
 14時50分頃,砂押橋を渡る.ここで,金沢文庫に住んでいるIさんとはお別れである.Iさんは,ここから天園ハイキングコースを経由して,自宅まで歩いて帰るとのことである.

        <散在が池>                    <せせらぎ小径>

■白山神社と今泉寺
 残った私達3人は,バス停今泉不動から,砂押川沿いのバス通りを西へ進む.結構,自動車の交通量が多い.車を避けながら,狭い道の道端に寄って歩き続けるのは,決して愉快ではない.
 14時55分,白山神社入口に到着する.
 長い石段を登って,白山神社を参拝する.境内には全く人気がない.ここは今泉の鎮守社である.細心は菊理姫命(きくりひめのみこと)である.1191年,京の鞍馬寺詣でをした源頼朝が毘沙門天像を授与された.その毘沙門天を祀った毘沙門堂が本殿の脇に建っている.お社の周囲は山に囲まれている.境内右手には,尾根に続く踏み跡がうっすらと見えている.
 参拝後,参道を下る.石段の途中に今泉寺があるが,この寺の曰く因縁は私の手許の資料では良く分からないが,『かまくら子ども風土記』によれば,ここは毘沙門堂の別当の今泉寺があったところらしい.今ある建物は建長寺の塔頭(たっちゅう)として1982年に建てられたという.本尊は行基作の出山釈迦(しゅつざんしゃか).

         <白山神社>                     <今泉寺>

■西念寺と上総堀井戸
 14時55分に白山神社を後にする.また,砂押川沿いの道をひたすら西北西に歩き続ける.途中,木舟神社へ寄り道しようかと思ったが,大分疲労している人もいるようなので,省略する.そのまま歩き続けて,15時27分,西念寺に到着する(西念寺については昨日のブログ参照).
 西念寺の直ぐ近くにある「いわせ下関青少年広場」の上総堀井戸近くで休憩を取る.井戸端で子ども達が遊んでいる.くったくのない子ども達の姿を見ていると,何とも言えない和やかな気分になってくる.
 休憩を取っている間にも,沢山の方々が,井戸水を採取に訪れている.どうやら近隣の方々だけではなさそうである.水を汲む人が列を作っている.近くに住むご婦人が大きなペットボトルに水を汲んでいる.
 「この水は美味しいよ・・・」
と話しかけてくる.
 この方の話によると,井戸から見える六国見山の風景はとても美しいが,岩瀬中学のすぐ側に10階建のマンションの建設が進んでいて,やがて六国見山は見えなくなるという.
 「・・・何回も反対運動をしているんですが・・・ダメなんです・・」
と残念そうである.

           <西念寺>                      <大長寺>

■大長寺経由で大船へ
 15時47分,広場を出発する.そして,15時57分に大長寺を参拝する.大長寺については,前回のブログで記述した.
 大長寺境内で,10分ほど休憩を取った後,昨日の散策と同じ経路を辿って,16時35分,予定通りに大船駅に戻る.そして,無事,解散.

[ラップタイム]

10:05  大船駅歩き出し
10:56  大船みどり公園
10:58  木曽義高墓・常楽寺(11:00まで見学・参拝)
11:27  六国見山登山口
11:31  多聞院・熊野神社(11:37まで参拝)
12:00  六国見山山頂(12:27まで昼食)
13:00  名月谷登山口
13:19  今泉登山口
13:43  散在が池森林公園入口
14:07  散在が池湖畔(14:27まで休憩)
14:47  散在が池森林公園入口
14:48  砂堀橋
14:55  白山神社・今泉寺(15:10まで参拝)
15:27  西念寺・青少年広場(15:47まで参拝・休憩)
15:57  大長寺(16:05まで参拝)
16:35  大船駅(解散)

[散策記録]

■水平歩行距離 
     10.4km
■累積登攀・下降高度   353m
■歩行時間(休憩時間を含む)
  歩き出し    10:05
  大船駅着    16:35
  (所要時間)  6時間30分(6.50h)
 歩行速度    10.4km/6.50h=1.61km/h
                              (おわり)
前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/182120e6b24a59db82fe82d65885eca4


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。