100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「オーストリア物語」アンドレアス・ホーハー

2022年06月23日 07時51分56秒 | オーストリア

 チロル地方の中心都市インスブルックに向かいました。最初に出会ったのはアンドレアス・ホーハーの記念碑でした。(写真左上はウィキペヂア英語版からの借用)恥ずかしながらわたくしはこの旅行前まではこの人物を全く知りませんでした。オーストリアでは(いや世界的にも)最も尊敬されている人物でした。ウィキペヂア英語版では以下のように紹介されていました。
Hofer is still today venerated as a folk hero, freedom fighter and Austrian patriot. His great-grandson Andreas Hofer was a member of the very important resistance group against Nazi Germany 。 
イギリスのウィンストン・チャーチルは1946年南チロルのイタリアへの割譲について下院で演説し「***この美しい土地、愛国者であるアンドレアス・ホーハーの土地の住民が、自分たちの運命についてなぜ発言を許されなかったのでしょう***」(「オーストリアの歴史」(リチャード・リケット著、青山孝徳訳)p169)
肝心のホーハー業績の紹介ですが、長くなるので以下簡単に紹介。
1805年のアウステルリッツの戦いでナポレオンに破れたオーストリアは、プレスブルクの講和(1805年)によって、チロル、フォアアールベルグ、ヴェネツィアをフランスに譲渡することになりました。
  そして、チロルはナポレオンと同盟したバイエルンに与えられました。 バイエルンの統治と圧政はチロルの人々の憤激を買いました。その時宿の亭主、兼家畜商のホーハーが地域の住民に反抗の指導者に本人は望まなかったが選ばれました。そして一時はフランス・バイエルンに勝利しましが結局敗北し1810年ナポレオンの命により銃殺されます。

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「オーストリア物語」エアーヴァルト→ノイシュヴァーンシュタイン城→ロイテ村

2022年06月20日 07時53分18秒 | オーストリア

 オーバーグルグルからエアーヴァルトのツークシュピッツェ(標高2964m)へケーブルで向かいそこからの展望を目指したのですが、あいにく濃い霧でダメでした。(写真上)
 その代わりというわけでドライバーのヨハンの協力でドイツのノイシュヴァンシュタイン城に向かいました(写真中)国境では全くチェックなしでした。ノイシュヴァンシュタイン城は1869年に竣工し1886年完成の新しい城ですがドイツで最も美しい城と言われています。
その後オーストリアに戻り人口5500人のロイテ町に向かいました。ここはこの地生まれの画家ヨハン・ヤコブ・ツァイラー(1708~1783)のルフト・マレライ(空気絵)という「だまし絵」が描かれた家並が少し残っていました(写真下)

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「オーストリア物語」オーバーグルグル3

2022年06月17日 07時52分22秒 | オーストリア

 ホーエムートからは2時間半の景観を楽しみながらの下山ハイキングでした。そして昼食はこの地の郷土料理とビールを楽しみながら窓からの景観をエンジョイしました(写真下)
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「オーストリア物語」オーバーグルグル2

2022年06月14日 07時51分46秒 | オーストリア

リフトを乗り継いで(写真上)標高2670m(地球の歩き方2659m、現地のパンフレット2566m)のホーエムート(写真中)からロートモース氷河(写真下)を見渡しました。写真中のGletscher(ドイツ語)は氷河です。氷河展望所という意味なんでしょうね。
 現地のパンフレットには”Obergurgl was chosen by the UNESUCO as a model village for life in the mountains.と記載されていました
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「オーストリア物語」編 オーバーグルグル1

2022年06月11日 07時53分04秒 | オーストリア

 「ヨーロッパの美しい村」として推薦されている標高1907m人口400人のオーバーグルグルに向かいました。推薦理由は「夏は高山植物を愛でるハイキングリゾート、冬はアルプスで最も積雪の確率の高いスキー場として賑わう」
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「オーストリア物語」編 ランデック村

2022年06月08日 07時52分16秒 | オーストリア

 昼食は人口7600人のランデック村でした。昼食は写真上の店だったかな?
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「オーストリア物語」編 シルヴレッタ・ガルテューア村

2022年06月05日 07時51分49秒 | オーストリア

 フェルトキルヒはオーストリアの西部にある国境の町なのでここから東部にある首都ウィーンへ向けての西部→東部のバス旅です。最初の休憩地は標高2030mにある発電用の人造湖シルヴレッタでした。(写真右上)そこでオーストリア人観光客と出会い写真を撮り撮り合いました。彼らはオーストリアは美しいだろうと盛んに宣伝し同意を求めてきました(のように思えた)(写真右中)
 次の訪問地は人口約700人の小さなガルテューア村ですが(写真左、右下)年間3400人のスキー客が訪れます。1999年に雪崩があり村人40名が死亡しました。
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「オーストリア物語」編 フェルトキルヒ

2022年06月02日 07時52分30秒 | オーストリア

 2001年6月27日〰7月11日「オーストリア物語15日」に参加しました。ルフトハンザ航空でフランクフルト→スイス・チューリッヒ(一泊)→ルクセンブルグを通過してようやくオーストリアの国境の町人口2万3千人のフェルトキルヒに到着しました。写真左上は国境の税関です。
 城塞の町なのでいくつかゲートがあります。写真左中はその一つでクール門です。
 写真右下は15世紀に造られた市町のシンボル「猫の塔」です。
 写真右上は聖ニコラス聖堂です。
 写真左下はマルクト広場(市街地の中心にある広場)に面した建物です。ヨーロッパではヴェランダから花などがよく見えるようになっていますが、日本では何か隠すようになっていることが多いいような気がしますが。
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「臨時特別 世界の塩」編 1

2009年03月11日 08時36分53秒 | オーストリア

 coloさん「しょっぱいかな」というコメントありがとうございました。残念ながらこの紅山は鉄分を含んでいて赤くなっています。Coloさんの手持ちの岩塩から「しょっぱいかな」を連想されたのはなぜかと考えていたらザルツブルクのハルシュタットの塩鉱山の塩を思い出しました。画像のように赤いですね。これはザルツブルクの岩塩です。Coloさんの手持ちの岩塩もザルツブルク産かもしれませんね。

 余談ですがモーツアルトの生地ザルツブルク(Salzburg)はSalz(塩)のBurg(城)という意味で古来塩鉱山の町として栄えてきました。これも全く余談話ですが私たちは「ザルツブルク」と発音をしますが(日本でのドイツ語辞書でも)現地の人はサルスブルクと「ザ」を「サ」と発音する人が多いようです。尋ねてみるとどちらでもよいそうです。どうやらオーストリアのドイツ語は”sa”を「ザ」ではなくて「サ」と清音になることがあるようです。

 塩にまつわる話は中国ではクチャの塩水峡谷(2007年3月6日)を紹介しました。またサハラ砂漠の岩塩を2007年6月28日に紹介しました。

 画像は一度クリックして右下に出る拡大のアイコンをも一度クリックしてください。

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「ちょっと珍しい」編 ウィーンにて2

2006年04月08日 08時59分48秒 | オーストリア

 別の角度から

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「ちょっと珍しい」編ウィーンにて1

2006年04月08日 08時54分25秒 | オーストリア

 「世界の景観 風景」編 クロアチアはドブロヴニクなどアドリア海の絶景が残っているのですが、ちょっと気分を変えて数点「珍しい(もの)」を紹介します。

 オーストリアのウイーンでの昼食時に現地のガイドにウイーンでは煙突掃除士がいるそうですねと以前読んだ本を思い出して尋ねてみました。するとこの近くにその組合事務所があるとの返事なのでラッキーと早速出かけてみました。写真はその「ウイーン煙突掃除業者組合」の看板です。 

 堀野収氏の「ウイーン素描」によって少し紹介しておきます。(p12~26) 人口160万人のウイーンに250人の掃除士がいるそうです。3年制の養成学校があり資格認定の試験があって合格者がこのウイーン市認定の組合(ギルド)に入ることが出来ます。このギルドに入らなくては煙突掃除の仕事は出来ません。ギルドといえば世界史に出てくる過去のものと思いますが、現在も約60のギルドが当局から認定されています。 煙突掃除士は法律と条例で防火の責任と義務が負わされています。煙突については警察のような強力な調査権を持ち、煙突掃除士の来訪を受けた家庭は、どんな場合でも入室を拒否できません。

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