そして、チロルはナポレオンと同盟したバイエルンに与えられました。 バイエルンの統治と圧政はチロルの人々の憤激を買いました。その時宿の亭主、兼家畜商のホーハーが地域の住民に反抗の指導者に本人は望まなかったが選ばれました。そして一時はフランス・バイエルンに勝利しましが結局敗北し1810年ナポレオンの命により銃殺されます。
そして、チロルはナポレオンと同盟したバイエルンに与えられました。 バイエルンの統治と圧政はチロルの人々の憤激を買いました。その時宿の亭主、兼家畜商のホーハーが地域の住民に反抗の指導者に本人は望まなかったが選ばれました。そして一時はフランス・バイエルンに勝利しましが結局敗北し1810年ナポレオンの命により銃殺されます。
coloさん「しょっぱいかな」というコメントありがとうございました。残念ながらこの紅山は鉄分を含んでいて赤くなっています。Coloさんの手持ちの岩塩から「しょっぱいかな」を連想されたのはなぜかと考えていたらザルツブルクのハルシュタットの塩鉱山の塩を思い出しました。画像のように赤いですね。これはザルツブルクの岩塩です。Coloさんの手持ちの岩塩もザルツブルク産かもしれませんね。
余談ですがモーツアルトの生地ザルツブルク(Salzburg)はSalz(塩)のBurg(城)という意味で古来塩鉱山の町として栄えてきました。これも全く余談話ですが私たちは「ザルツブルク」と発音をしますが(日本でのドイツ語辞書でも)現地の人はサルスブルクと「ザ」を「サ」と発音する人が多いようです。尋ねてみるとどちらでもよいそうです。どうやらオーストリアのドイツ語は”sa”を「ザ」ではなくて「サ」と清音になることがあるようです。
塩にまつわる話は中国ではクチャの塩水峡谷(2007年3月6日)を紹介しました。またサハラ砂漠の岩塩を2007年6月28日に紹介しました。
画像は一度クリックして右下に出る拡大のアイコンをも一度クリックしてください。
「世界の景観 風景」編 クロアチアはドブロヴニクなどアドリア海の絶景が残っているのですが、ちょっと気分を変えて数点「珍しい(もの)」を紹介します。
オーストリアのウイーンでの昼食時に現地のガイドにウイーンでは煙突掃除士がいるそうですねと以前読んだ本を思い出して尋ねてみました。するとこの近くにその組合事務所があるとの返事なのでラッキーと早速出かけてみました。写真はその「ウイーン煙突掃除業者組合」の看板です。
堀野収氏の「ウイーン素描」によって少し紹介しておきます。(p12~26) 人口160万人のウイーンに250人の掃除士がいるそうです。3年制の養成学校があり資格認定の試験があって合格者がこのウイーン市認定の組合(ギルド)に入ることが出来ます。このギルドに入らなくては煙突掃除の仕事は出来ません。ギルドといえば世界史に出てくる過去のものと思いますが、現在も約60のギルドが当局から認定されています。 煙突掃除士は法律と条例で防火の責任と義務が負わされています。煙突については警察のような強力な調査権を持ち、煙突掃除士の来訪を受けた家庭は、どんな場合でも入室を拒否できません。