ここで活躍されているジャイカの松永和之さんです。北海道の家具屋に14年勤務されマラウィに来て半年です。なお、モロッコで活躍しているジャイカの中のボランティア組織、青年海外協力隊の方を2008年10月28日に紹介しています。
ジャイカJICA(Japan International Cooperation Agency)は日本国政府の国際協力機 関です。マラウィへの協力隊員の派遣は累計で1100人を越え、フィリピンに次いで世界2位になります。 そのジャイカの成果の一つを見かけました。竹細工の家具の製造の援助です。
私と同じ野次馬もいました。どこから来ましたか、と尋ねると南アフリカとの答えが返ってきたので、「アフリカーナ?」というとそうだと答え非常に喜んで私に抱きついてきました。同行人がびっくりして撮ってくれた写真です。「アフリカーナ」に「アフリカーナ?」というと喜ぶという話は以前にも紹介しました。(2009年10月26日)何故喜ばれるかについては後日中断している「東・南アフリカ」編で考えてみたいと思っています。余談話ですがですがハンガリー人に「マジャール?」というと喜ばれます。(2005年10月21日)
マラウィがイギリスから独立したのが1964年でその時の初代大統領がイギリスに投獄されたことのあるハスティング・カムズ・バンダ(1898?~1997)です。その後1971年に終身大統領になり独裁政治を行います。
彼にはいろいろ面白い?話があるのですが、一つだけ紹介しておきます。ネタ本は「マラウィを知るための45章」です。
「1990年ころ、バンダ夫妻はジャンボ機(ボーイング747)をチャーターしてロンドンに3週間の買い物旅行に出かけた。マラウィ航空はジャンボ機を所有していないが、チャーター機はマラウィ航空の塗装に塗り替えてあった。塗り替えて、借用が終わったら塗装を元に戻すだけで数千万円かかるらしい。そのほかに、チャーターしたところからマラウィまでの往復、マラウィからロンドンまでの往復、乗務員の3週間以上の拘束、そして飛行機の損料***」(p65~66)
彼は1994年に大統領を辞め1997年に亡くなりました。 それ以後も政府高官の無駄遣いは改まってはいないようです。
マラウィにとって日本は世界で1~4番の援助国です。詳しくは「マラウィを知るための45章」をどうぞ。
写真はバンダの銅像です。下のプレートに彼の政治スローガンと思われる”loyalty”(忠誠)と“unity” (統一)が刻まれています。
ブルンジの次の訪問国はマラウィでした。首都はリロングウェーです。この時期のリロングウェーはジャカランタの花が満開でした。ジャカランタの原産地はブラジルですが19世紀末アフリカに入り、今では東南アフリカの風物詩になっています。
旅行業者のお勧めセリフは「この時期この地はジャカランタが満開ですよ」です。以下3枚。