100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「ヨルダン、シリア、レバノン」編 ネボ山1

2006年06月02日 08時44分10秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

   旧約聖書申命記(38章48~50)には次のように書かれています。「エホバ(神)はモーゼに次のように言われた。『ネボ山に上りなさい。それはエリコ(英語読みではジェリコ)に面している。そして、わたしがイスラエルの子らの所有として与えるカナンの地(注)を見なさい。そしてあなたは、上っていくその山で死んで***』」 

 (注)現在のパレスティナ地方

 この話が歴史的事実なのか、あるいはどの程度歴史的真実を反映しているのかを、私は判断する学力も能力も待ちません。しかしユダヤ教徒、キリスト教徒の殆どの人は真実であると思っていることは確かのようです。ここには2つのことが書かれています。1つはエジプトで奴隷的存在であったイスラエルの民を率いて脱出さしたモーゼの終焉の地がここネボ山であることです。もう1つはネボ山からは神がイスラエルの民に与えたカナンの地がよく見えそして近くにはエリコの町があることです。 旧約聖書ヨシュア記によればその後モーゼの後を引き継いだヨシュアはエリコを手始めにカナン地帯を征服していきます。降伏した人たちを奴隷にし、抵抗する人を殺し、家に火を放って町中を焼け野原にします。ヨシュア記は世界で最初に神の意思による侵略戦争を記録した本です。

 私はこの神の意思による侵略戦争の思想は現代にまで続くユダヤ教徒、キリスト教徒に底流としてあるのではないかと思っています。丸山真男の言葉を借りれば「執拗低音」のようなものを感じます。たとえばアメリカ合州国がネイティヴアメリカン(インディアン)を殺しながら西部への領土拡大を、時の大統領Polkは「神の明白な意思」Manifest Destiny としています。今のブッシュ大統領はどうなんでしょうね。熱心なクリスチャンだそうですが。そして現在のパレスティナとイスラエルの紛争とネボ山との関連性は。

 と、いうような、曰く因縁があるネボ山に登りました。現在はヨルダン領土です。当日大気が靄っていて写真が不鮮明ですが、ネボ山からパレスティナ地方を見下ろした風景です。右手がエリコです。左手が死海、イスラエルです。真ん中にヨルダン川が流れているのですがよくわかりません。

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「ヨルダン、シリア、レバノン」編 イスラームの女性たち6

2006年05月31日 08時25分49秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

 新婚さんに出会いました。結婚式当日友人から写真のよう新妻の手に花などの絵を描いてもらいます。1週間ぐらい消えないそうです。この風習を「ヘンナ」というそうです。全身の写真撮影は拒否されました。

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ヨルダン、シリア、レバノン」編 イスラームの女性たち5

2006年05月29日 08時43分10秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

 ヨルダンで水タバコを吸っているイスラームの中年女性に出会いました。私には珍しかったので、許可を得て撮影しました。

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「ヨルダン、シリア、レバノン」編 ペトラの夕日

2006年05月27日 08時40分58秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

 ペトラの夕日です。

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「ヨルダン、シリア、レバノン」編 イスラームの女性たち4

2006年05月27日 08時38分21秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

 右にいる人が姑(母親?)です。

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「ヨルダン、シリア、レバノン」編 イスラームの女性たち3

2006年05月27日 08時34分25秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

  ペトラ遺跡(後記予定)を一日観光した後、美しい夕日を見ようということでタクシーで出かけました。そこで家族連れ(女性だけの)に出会いました。お母さんはかなり好奇心いっぱいのようで色々話しかけてきました。彼女の手作りのお菓子までいただきました。夕日のことは忘れていました。そこで写真を撮らせてくださいと頼みました。ところが隣にいた姑(母親?)がきつく拒否しました。(イスラーム圏では女性の写真は通常タブー)私はいったんはあきらめました。ところが彼女は姑の意向を無視して私に写真を撮るようにと言いました。

 二枚写しました。次ページの右に映っているのが撮影を拒否した姑です。画面で少し光っているところが宿泊したホテルです。次々ページの写真は忘れていた夕日を慌てて撮ったものです

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「ヨルダン、シリア、レバノン」編 イスラームの女性たち2

2006年05月25日 15時01分10秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

女子高校生たちのラテン文字とアラビア文字のサイン。

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「ヨルダン、シリア、レバノン」編 イスラームの女性たち1

2006年05月25日 14時57分34秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

 ヨルダンのネボ山(後記予定)で先生に引率されたベールを被った女子高校生の大群?に取り囲まれ“Where are you from? “ “What’s your name?” などと質問攻めにあいました。ちょっといい気分になりましたが攻撃を転じて彼女たちの名前をラテン文字とアラビア文字で書いてもらいました。それが次ページの写真です。ところが写真を撮ろうとすると拒否されました。彼女たちの先生がいないところでは、と考えてやってみると成功しました。それがこのページの写真です。好奇心いっぱいの高校生たちでした。

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「ヨルダン、シリア、レバノン」編 死海

2006年05月23日 08時15分02秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

 老醜をさらしてごめんなさい。やっぱり浮かびました。

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「ヨルダン、シリア、レバノン」編 キリスト教徒とイスラーム教徒2

2006年05月21日 08時23分28秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

 イスラーム教徒と数珠

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「ヨルダン、シリア、レバノン」編 キリスト教徒とイスラーム教徒

2006年05月21日 08時18分20秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

   このページと次のページの写真をクリックして見てください。どちらも数珠ロザリオ(注)を持っていますが、次ページの人はイスラーム教徒でこのページの人はキリスト教徒です。イスラーム教徒の人に聞いてみるとこの珠は33個あるとのことでした。そこで現地ガイドのニダールさんに尋ねてみました。昔、キリスト教徒であった時代の名残で33の数字もイエスの磔刑の時の年齢だとのことでした。キリスト教徒の人に尋ねて見ました。一つ一つの珠を数えることの意味を説明(難しい)してくれた後、イスラーム教徒の場合、半分は暇つぶしだよ、といっていました。 

 レバノンのベイルートでの話です。アレクサンダー大王の刻印をした古コイン(偽物?)を売っていた人に、キリスト教徒か、イスラーム教徒かを聞いてみました。イスラーム教徒と答えましたが、次に憤然として天(太陽?)を指差し、天の下にイスラーム教徒もキリスト教徒も同じレバノン人だと叫びました。今回の旅行中最も印象深く、感動的な瞬間でした。

 (注)ロザリオには、聖母への祈りを連ねて唱えることで、聖母マリアに霊的なバラの冠を捧げる、という意味がある。同時に、その祈りの際に祈りの回数を確認するために用いる数珠状の用具をロザリオという。(カトリック教徒のみ、プロテスタントにはない)(ウイキペディアより)

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「ヨルダン、シリア、レバノン」編 フェニキア文字

2006年05月19日 08時31分51秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

 フェニキア文字です。

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「ヨルダン、シリア、レバノン」編 現地ガイド3 レバノン

2006年05月19日 08時26分19秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

  レバノンの現地ガイドは女性のエリッサさんでした。(写真=背景はキリスト教徒が住むカディシャ峡谷)外貌は全くヨーロッパ人でした。目もブルーで、髪の毛はブロンドと黒のまだらでしたが、子供のときは完全にブロンドだったそうです。マロン派のキリスト教徒でした。(注1)毎日曜日ではないが教会に時々行くそうです。フェニキア人(注2)の末裔かとの質問にフェニキア人の遺伝子を持っていると答えてくれました。十字軍の遺伝子もあるのではないか、という質問をすべきであったと今になっては思っています。

 日産自動車のカルロス・ゴーン社長の父親がレバノン人であることも知っていました。

 彼女にもローレンスを尊敬していますかという同じ質問をしてみました。ヨルダン、シリアのムスリムガイドとは違って、積極的な感じはありませんでしたが、イエスの返事でした。サラディーンに関しても勿論肯定的でしたがあまり関心があるようには感じませんでした。

 同行の1人がレバノン内戦(注3)について質問しましたが彼女は答えませんでした。彼女が心に深い痛みを抱いていると私は推測しました。

  (注1) 典礼はギリシャ正教会と同じで、ローマカトリック教会に属し全人口 の21%を占めます。その他キリスト教徒には、ギリシャ正教会、ローマカトリック教会、アルメニア教会、プロテスタント教会などに属する人たちがいて全人口の14%を占めます。したがって全キリスト教徒は35%ということになり、その他はスンニ派、シーア派、ドルーズ派のイスラム教徒になります。ただしこれらの数字は政治的、宗教的対立の問題があり1932年以来国勢調査が行われていないため不正確です。ここに記した数字は“lonely planet “ の”Lebanon” によっています。

 (注2) フェニキア人は、紀元前15世紀頃から紀元前8世紀頃にティルス、シドン、ビュブロス(現在のレバノン)などの都市国家を形成して海上交易に活躍し、のちにはカルタゴなどの海外植民地を建設して地中海沿岸の広い地域に広がった。フェニキア人は系統的には様々な民族と混交していたが、アフロ・アジア語族セム語派に属するフェニキア語を話し、言語的に見ればカナン人の系統にある民族である。彼らがフェニキア語を書き表すために発明したフェニキア文字は、ギリシャ文字・アラム文字・アラビア文字・ヘブライ文字など、ヨーロッパ(英語などのアルファベット)・西アジアの多くの言語で用いられる文字の起源となった。(ウイキペディアよりの転載)なお参考のために次ページにホームぺージWritten characters of the worldより転写したフェニキア文字を紹介しておきます。 

 (注3) 1975年から17年間続いた内戦

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「ヨルダン、シリア、レバノン」編 パルミラ遺跡3

2006年05月17日 08時44分07秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

 パルミラへ行く途中の道路標識です。イラクまで近いのですね。

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「ヨルダン、シリア、レバノン」編 パルミラ遺跡2

2006年05月17日 08時40分07秒 | ヨルダン・シリア・レバノン

 すでにパルミラでは水道が敷設されていました。写真は水道管です。

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