旧約聖書申命記(38章48~50)には次のように書かれています。「エホバ(神)はモーゼに次のように言われた。『ネボ山に上りなさい。それはエリコ(英語読みではジェリコ)に面している。そして、わたしがイスラエルの子らの所有として与えるカナンの地(注)を見なさい。そしてあなたは、上っていくその山で死んで***』」
(注)現在のパレスティナ地方
この話が歴史的事実なのか、あるいはどの程度歴史的真実を反映しているのかを、私は判断する学力も能力も待ちません。しかしユダヤ教徒、キリスト教徒の殆どの人は真実であると思っていることは確かのようです。ここには2つのことが書かれています。1つはエジプトで奴隷的存在であったイスラエルの民を率いて脱出さしたモーゼの終焉の地がここネボ山であることです。もう1つはネボ山からは神がイスラエルの民に与えたカナンの地がよく見えそして近くにはエリコの町があることです。 旧約聖書ヨシュア記によればその後モーゼの後を引き継いだヨシュアはエリコを手始めにカナン地帯を征服していきます。降伏した人たちを奴隷にし、抵抗する人を殺し、家に火を放って町中を焼け野原にします。ヨシュア記は世界で最初に神の意思による侵略戦争を記録した本です。
私はこの神の意思による侵略戦争の思想は現代にまで続くユダヤ教徒、キリスト教徒に底流としてあるのではないかと思っています。丸山真男の言葉を借りれば「執拗低音」のようなものを感じます。たとえばアメリカ合州国がネイティヴアメリカン(インディアン)を殺しながら西部への領土拡大を、時の大統領Polkは「神の明白な意思」Manifest Destiny としています。今のブッシュ大統領はどうなんでしょうね。熱心なクリスチャンだそうですが。そして現在のパレスティナとイスラエルの紛争とネボ山との関連性は。
と、いうような、曰く因縁があるネボ山に登りました。現在はヨルダン領土です。当日大気が靄っていて写真が不鮮明ですが、ネボ山からパレスティナ地方を見下ろした風景です。右手がエリコです。左手が死海、イスラエルです。真ん中にヨルダン川が流れているのですがよくわかりません。