100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

89
歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「バルカン半島」編 マケドニア共和国17オフリド7

2010年11月09日 09時18分38秒 | バルカン半島

 今回の旅行で一番びっくりしたのがこの聖母子像でした。このように自然の中に聖母(神)が祀られている風景は東南アジア、日本では珍しくないというよりは普通です。日本の神社仏閣は鬱蒼とした木々に包まれているし、ちょっとした林をよく見ると祠があり神仏が祭られている風景は今はだいぶ少なくなりましたが、かってはよく見られました。東南アジア、日本では自然と共に神仏があります。自然が神仏でもあります。

 しかし、キリスト教の教会やイスラーム教のモスクでは全く自然は排除されています。皆さん、木々に囲まれた教会、モスクを見られた方がいらっしゃいますか。ないですね。

 キリスト教、イスラーム教では「神」「人」「自然」は全く互いに隔絶した存在です。以前私はヨーロッパを旅行していて林に祠などが無いかとキョロキョロしてみました無駄でした。

 自然と神とのかかわりを描いた宗教画は私の記憶ではイタリア、アッシジにあるジョットの作品「小鳥への説教」だけですが、「説教」ですから、「神(聖フランチェスコ)」と「自然」は、はっきりと区別されています。それでも自然とのかかわりを描いた数少ない宗教画だと思うのですが。

 というわけで私はこの風景?を見て恥ずかしながら思わず歓声をあげました。長年ヨーロッパでこのような構図を見たかったからです。

 ここはかって病の隔離所(ハンセン氏病など?)であった所が聖母マリア教会になり「地球の歩き方」にも”lonely planet”にも記載のない小さな教会でした。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「バルカン半島」編 マケドニア共和国16 オフリド6

2010年11月09日 09時14分24秒 | バルカン半島

 ローマ遺跡はどこにもありますね。ここオフリドにもありました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「バルカン半島」編 マケドニア共和国15 オフリド5

2010年11月07日 08時28分39秒 | バルカン半島

聖クリメントの銅像です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「バルカン半島」編 マケドニア共和国14 オフリド4

2010年11月07日 08時24分35秒 | バルカン半島

その城内にはかっては365もの教会がありマケドニアの「エルサレム」と呼ばれた時代がありました。その宗教都市を作ったのが現在のロシア語などのアルファベット、キリル文ドの聖クリメント(840?~916)です。

写真は聖クリメントの遺体のある聖クリメント教会です。私は今まで教会を沢山見てきましたが、この地の教会に最も親しみを覚えました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「バルカン半島」 編 マケドニア共和国13 オフリド3

2010年11月07日 08時20分22秒 | バルカン半島

 オフリドはスコピエと同じく城塞がありました。

 ヨーロッパ、イスラーム圏の都市観光の時、旧市街、新市街という言葉が出てきますが、旧、新というのは単に古い、新しいと意味では無く城壁の内側、外側という意味で使用されていることが多いようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「バルカン半島」編 マケドニア共和国12 オフリド2 惜別2

2010年11月05日 08時25分24秒 | バルカン半島

 画像は彼を紹介したASAHI WEEKLの記事です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「バルカン半島」編 マケドニア共和国11 オフリド1 惜別1

2010年11月05日 08時21分05秒 | バルカン半島

 今回の旅行で一枚の新聞のスクラップを持って行きました。2002512ASAHI WEEKLYTRAVELOG欄のオフリドでした。この地に行きたいと思っていたので今まで大事に保管していました。その記事にこの地の写真家Atanas Talevski さんが紹介されていました。できればこの地でお会いできればと思い現地のガイド・マプチョさんにこの写真を見てもらったところ昨年亡くなられとのことでした。ご冥福を祈ります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「バルカン半島」編 マケドニア共和国9 スコピエ風景3

2010年11月03日 08時35分22秒 | バルカン半島

 オスマン・トルコ時代の名残のイスラーム・トルコ風バザールをぶらぶらしました。

その時の写真です。

 「受付」さんコメント有難うございました。これからもよろしく。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「バルカン半島」編 マケドニア共和国8 スコピエ風景2

2010年11月03日 08時31分42秒 | バルカン半島

 オスマン・トルコ時代に建設されたトルコ橋です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「バルカン半島」編 マケドニア共和国7 スコピエ風景1

2010年11月03日 08時23分35秒 | バルカン半島

 スコピエはマケドニアの首都です。

 ブルジョアジーはフランス語起源ですが、ドイツ語のブルク(城郭)に住む人という意味からきています。ヨーロッパでは一般的に城塞の中に住む人が都市民で農村に住む人とは判然とした区別がありました。それについては20051127日に少しふれているのでご覧ください。城壁を取り壊しその跡に環状道路を作りそこに路面電車が走っているウィーンの街は有名ですね。

 というわけでヨーロッパを旅行すると特にここバルカンでは城塞が残されている都市が多くその観光が多くなります。写真はスコピエの城塞です。遠くに見えるのがムスタファ・パシナ・モスクです。オスマン・トルコに支配されて間もなくの1492年に建てられました。
 マケドニアの宗教はマケドニア正教会が70%、イスラーム教が
29%です。民族の構成はマケドニア人が64%、アルバニア人が25%、トルコ人が4%、ロマ人が3%その他です。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「バルカン半島」編 マケドニア共和国6 アレクサンダー大王4

2010年11月01日 08時26分13秒 | バルカン半島

 アレクサンダーと呼ぶ声が聞こえました。その先にこの少女がいました。この子の名前のようです。女の子ですがアレクサンダーちゃんでした。ちなみにスコピエの空港の名前もアレクサンダー大王空港です。

コソボは中世が生きていましたが、ここマケドニアは古代が活躍していました。

というわけでギリシアとのトラブルは当分続きそうです。

「おれんじ」さんコメント有難うございました。今後ともよろしく

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「バルカン半島」編 マケドニア共和国5 アレクサンダー大王3

2010年11月01日 08時22分47秒 | バルカン半島

ワインの名前もアレクサンダーでした。マケドニアで飲んだワインはすべてこの銘柄でした

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする