馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

高田城に登ってきました

2024-12-14 02:05:53 | 城攻め

2024年12月13日高田城に登ってきました。

北新井駅からわずか3駅でした、10分ほどです。

こんなトコなんです。

続日本100名城132番目、前は桜の季節に来たのです。

隣りは春日山!!

えちごトキめき鉄道の車体。

駅の床にこんなパネルが。県立高田高校の校歌だそうです。

高田駅。面白いデザインですねえ。

城まで歩いて20分弱、歩きますか。

あ、薬屋さんの前に看板猫!

私にもスリスリ、愛らしい(*´▽`*)

切り上げてお城に行きまする。

朱に塗られた西堀橋、両側は枯れちゃった蓮です。

お城の見取り図、15時過ぎですので先にスタンプと御城印をもらいに上越市立歴史博物館に行きます。

ああ、三重櫓が見えましたよ。

んーもう日暮れ時みたいな感じです、急がないと。

柳門の土台石。

御城印と、

続日本100名城スタンプを入手。以前にはなかったのですよ。

博物館を見学しようとしたら、もう15時半近くなので櫓の方の内部見学を勧められました。

ありがとうございます、丁寧に教えていただきました。

可愛らしい三重櫓ちゃん。

鴨も集まる三重櫓。

いやー素敵です。

極楽橋を渡って進みます。

逆さ高田城はうまく撮れませんね。

土塁が2つ見えます。

一応本丸跡。どうも天守はなく、本丸御殿形式のお城だったのですよ。

背後は上越教育大学附属中学校、城内に校舎があるのです。

櫓を早く見ましょう。

左下の出丸みたいなところ、今は野球場になっているようですが気になりますぞ~

葵のご紋は、家康六男の捨て童子こと松平忠輝のお城によるものでしょうね。

階段を上がると中に入れます。。。

と上からお姉さんが降りてきて、

「話は聞いています、中にどうぞ」

ですって。ナンノコッチャと思っていましたら、本当はもう入場は締切りなのだそうです。

が、上越市立歴史博物館の方が連絡をされており、私を最後の特別な見学者として中に入れていただけるそうなんです!!

本当に申し訳ありません、ありがとうございます。

再建された三重櫓の近影。

中に入って入場料310円をお支払いしますと、まず最上階に上がることを勧められました。

こんな形で最後の領主である越後高田藩榊原家の武士たちの指物が飾ってあります。これは珍しいですね。

最上階から見た妙高山。桃瓦はなしでございました。

最上階はこんな形で床はぴかぴかです。

歴代高田城主。酒井、稲葉、戸田、榊原と幕閣有力な一門が入部しております。

どこかの城址でも見たお城番付。

可愛らしいジオラマ。背後は御殿になっております。

稲葉時代の高田城の図。

謎の瓢箪曲輪。

係の方にお礼を言って外に出ました。

三重櫓、素晴らしいですね。

ちなみにかつて桜の時期に行った時の高田城。2011年です。

逆さ高田城もバッチリ。

桜の時期も本当に素晴らしいのですよ。

 

帰りはえちごトキめき鉄道で直江津に出ました。

そこから糸魚川を越えて、富山県の泊まで出て、あいの風とやま鉄道に乗換え、金沢に着きました。

雨がしとしと降っております。

疲れましたよぉ。今日は金沢に宿が取れております。

鉄道むすめとは違うのかな、倶利伽羅しおりさん。頭にはパンタグラフ?

あれだけ食べたのにお腹が空いてきました。

今晩は……

金沢ゴーゴーカレー金沢本店、君に決めた!

キャベツの乗ったロースカツカレー普通盛り950円です。く、黒い。

明日も幾つか回る予定です、晴とは言いませんが雨が降らないと良いのですが。

でわ。


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1 コメント

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駅舎が城だ~! (栗八)
2024-12-14 13:34:47
お姉さんのお出迎えあり、VIP待遇だったのですね?
いろいろ行くと、いろいろありますね~

天守が無かったのですね、、だから三重櫓!
でも天守と言っていいほど立派ですね。
白漆喰が少ないのも雪国の城、、、これ雪が積もったらカッコいいでしょうね~!
駅からの立地も良いし、高層ビルも無いし、堀も広いし、モノトーンの世界になりそう
ま~簡単に行けない上越ですが…
雪の城に行ったことが無いので憧れます

櫓前の石段が高いですね。土塁がすごく高い!
櫓台も土塁、堀側は急斜面、きれいにされてて三重櫓の佇まいがいいですね~

古図とマップ比べてたら、瓢箪曲輪は、現在の球場の位置ですか?
どういう役割だったのでしょう
堀に囲まれたというより、もしかしたら湿地だった?という感じすらします。
堀が入り組んでて複雑で、橋は少なく、これは迷子になるでござる。
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