馬鹿琴の独り言

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富山城に登ってきました

2024-12-15 03:45:42 | 城攻め

2024年12月14日富山城に登ってきました。

富山城は続日本100名城134番目、初めての城攻めです。

こんなトコ。

15時24分です、ナビは富山地方鉄道、いわゆる路面電車を使えと訴えてきます。

えーい、ままよ、富山大学行きの路面電車に飛び乗ります。

丸の内で下車、210円でICカードは無事利用可能です。

城址公園の先に見えています。

おー夕暮れの富山城です。良い形ですよね。

千歳御門から天守を覗きます。

千歳御門近くの富山市まちなか観光案内所で先に御城印をGET。

千歳御門近くの石垣は野面積みでした。

南側の高台からパシャリ。

もっと近づきましょうか。

これは佐々成政の歌碑。

何事もかわりはてたる世の中に 知らでや雪の白くふるらん

 

城内の富山市立郷土博物館に入ります、JAF割引で170円でした。

続日本100名城スタンプを手に入れましたぞ~

加賀梅鉢家紋入りの瓦。

この頃お隣加賀は一揆勢の持ちたる国であり、越中は神保長職が勢力を伸ばしていますが、越後の軍神上杉謙信には勝てそうもありません。

上杉謙信死後は柴田勝家軍団の佐々成政が押さえます。

上杉景勝危うし!でも1582年天正10年と言えば……

その後秀吉に唯一反抗する佐々成政は、遠く浜松の家康と連携を模索して、厳冬期のアルプス越えを強行するのです。

さらさら越え、ですね。凄過ぎます。

 

その後は富山は前田領となります。

富山における前田家家系図です。

富山初代前田利次さんは、加賀3代目前田利常と徳川2代目将軍秀忠の娘の子ですね。

秀忠の娘は茶々、初、江の浅井三姉妹の末妹江の娘でもあり、浅井家の血を引いておりますです。

名門中の名門ですよ。

前田利長の兜が長過ぎる件について。

長過ぎでしょ、下手したらしゃがめないですし、下も向けません。

一番高いところに登って外を見てみました。桃瓦はなし、残念。

もう夕方ですね。16時過ぎ。

外に出て雁木を名が眺む。鏡石の大きいのが分かりますか?

他にもあるのですよ。

まだまだ。

反対側石垣にも。

南側大手門から見る富山城。逆さも写っておりますよ。

うーん、綺麗な形です。

同じ様なショットで申し訳ありません。

早めの月が登ってきました。月と富山城、真ん丸です。

大手を東に、こちら側も良いです。

さよなら富山城。

ちとうるさいCM、きときと富山の何とかの人が3代目藩主の前田利甫(まさとし)さん。

陸奥三春藩秋田輝季(てるすえ)が江戸城内で腹痛に苦しんでいる時に、持っていた富山の薬、反魂丹を飲ませて回復させたんだとか。

 

あ、路面電車が来ました、富山駅に向かって乗りましょう。

賑わう17時直前の富山駅。

結局大雨にも雪にもならず、何とか凌げました。

計画通りに回れましたので安心です。疲れました~

それでは帰ることにします、でわ~

 


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