2024年12月14日富山城に登ってきました。
富山城は続日本100名城134番目、初めての城攻めです。
こんなトコ。
15時24分です、ナビは富山地方鉄道、いわゆる路面電車を使えと訴えてきます。
えーい、ままよ、富山大学行きの路面電車に飛び乗ります。
丸の内で下車、210円でICカードは無事利用可能です。
城址公園の先に見えています。
おー夕暮れの富山城です。良い形ですよね。
千歳御門から天守を覗きます。
千歳御門近くの富山市まちなか観光案内所で先に御城印をGET。
千歳御門近くの石垣は野面積みでした。
南側の高台からパシャリ。
もっと近づきましょうか。
これは佐々成政の歌碑。
何事もかわりはてたる世の中に 知らでや雪の白くふるらん
城内の富山市立郷土博物館に入ります、JAF割引で170円でした。
続日本100名城スタンプを手に入れましたぞ~
加賀梅鉢家紋入りの瓦。
この頃お隣加賀は一揆勢の持ちたる国であり、越中は神保長職が勢力を伸ばしていますが、越後の軍神上杉謙信には勝てそうもありません。
上杉謙信死後は柴田勝家軍団の佐々成政が押さえます。
上杉景勝危うし!でも1582年天正10年と言えば……
その後秀吉に唯一反抗する佐々成政は、遠く浜松の家康と連携を模索して、厳冬期のアルプス越えを強行するのです。
さらさら越え、ですね。凄過ぎます。
その後は富山は前田領となります。
富山における前田家家系図です。
富山初代前田利次さんは、加賀3代目前田利常と徳川2代目将軍秀忠の娘の子ですね。
秀忠の娘は茶々、初、江の浅井三姉妹の末妹江の娘でもあり、浅井家の血を引いておりますです。
名門中の名門ですよ。
前田利長の兜が長過ぎる件について。
長過ぎでしょ、下手したらしゃがめないですし、下も向けません。
一番高いところに登って外を見てみました。桃瓦はなし、残念。
もう夕方ですね。16時過ぎ。
外に出て雁木を名が眺む。鏡石の大きいのが分かりますか?
他にもあるのですよ。
まだまだ。
反対側石垣にも。
南側大手門から見る富山城。逆さも写っておりますよ。
うーん、綺麗な形です。
同じ様なショットで申し訳ありません。
早めの月が登ってきました。月と富山城、真ん丸です。
大手を東に、こちら側も良いです。
さよなら富山城。
ちとうるさいCM、きときと富山の何とかの人が3代目藩主の前田利甫(まさとし)さん。
陸奥三春藩秋田輝季(てるすえ)が江戸城内で腹痛に苦しんでいる時に、持っていた富山の薬、反魂丹を飲ませて回復させたんだとか。
あ、路面電車が来ました、富山駅に向かって乗りましょう。
賑わう17時直前の富山駅。
結局大雨にも雪にもならず、何とか凌げました。
計画通りに回れましたので安心です。疲れました~
それでは帰ることにします、でわ~
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