沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

国頭村(3)もどる道

2007-10-06 | やんばる4村(国頭・今帰仁・大宜見・東)
時計を見ると15時を過ぎていた。
帰路は寄り道ナシだね。
時速13kmで4時間走れば19時に着く。
辺戸岬から国道58号を急いで帰ります。

この辺りは交通の難所。
「もどる道」があったそうです。
裂けた岩の間で幅が狭く、たった一人しか通れない道。
すれ違いが出来ないので、後から来た人は引き返すルール。
やんばる国道物語
若き校長先生が呼びかけて、みんなで道路を広げたそうです。
他にも、引き潮では浜辺を歩き、満ち潮では峠を越える通学路もあったようです。

海は、銀色。
潮の流れなのか、銀色の道が出来ています。

共同売店で6本目の水分補給です。
今日は、合計3リットルも補給です。
リッター17kmだから、自動車並みだね(^^♪

店長は1年前に本土から来たそうです。
スローライフだね。
経営は難しいといっていました。

国頭の「道の駅ゆいゆい」です。
農産物コーナーを物色していると「豆、買って行きなさい。」と勧められました。
初めて見る野菜。1パック100円。
てんぷら、炒め、サラダが美味しいらしい。

建物の中には、ヤンバルクイナの剥製が展示してありました。
国頭村は、シェルターを作ったりヤンバルクイナの保全に努めています。

本も販売していました。
沖縄戦の写真集2冊、買いました。

女の子は渡嘉敷島で集団自決の現場から救出された少女です。
首に巻かれた包帯が痛々しいです。
昨夜テレビに出ていました。思い出したくない記憶なのか、救出以来全く現場に行かなかったそうですが、カメラとともに現地に入ると、具体的な状況を話されていました。


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4 コメント

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笑わせてもらいました。 (フーミン)
2007-10-06 13:04:12
自動車並み・・・たしかに!(笑)
日焼けもなさったでしょう?

沖縄戦の書物や写真は悲惨でなかなか正視
することが出来ずにいます。教科書問題でも
もし、軍部からの集団自決の命令がなければ
多くの沖縄の方々が助かったのではと思うと
悲しいですね。
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フーミンさんへ (forever-green)
2007-10-06 20:47:34
日焼けは、日焼け止めクリームで万全です(^o^)丿
自転車もなかなかいいものですよ。

渡嘉敷島には人間魚雷が配備され、軍にとって後がない覚悟だったことが住民に連鎖したのでしょうね。
捕虜になったら女性は辱めを受け、男性は八つ裂きにされる。生きて捕虜になるのは日本人として恥ずかしいこと、死んだ方がいいという教えは、当時多くの住民に知らされていました。

捕虜になったら軍情報が敵に筒抜けになるのを恐れたといわれています。

そして、渡嘉敷島は思いもよらず沖縄最初の米軍上陸地点となり、上陸前夜に悲惨な事件は起こった。

マスコミが政治利用された悲劇でもあります。
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ホテル国頭 (キャプテン)
2007-10-08 22:43:43
辺戸岬…この夏が思い出されます。
8月下旬、沖縄旅行、宿泊先は「ホテル国頭」でした。
前日は村祭りだったようで、宿泊したその日は、村全体がひっそりとしていたような気がします。
村の中心商店街と思われるところには、薬屋さんが1軒、お医者さんが1軒、雑貨屋にレンタルビデオショップ…そんなもので、オリオンビールを買い込み就寝しました。しかも6畳1間に家族4人。
翌日は辺戸岬で大空と大海を仰ぎました。ほんと気持ちよかったです。その後、比地大滝へトレッキング。幸いハブにはあいませんでしたが、キノボリトカゲや野鳥ではアカヒゲを確認しました。
やんばるの一部を見ることができたかと振り返っています。
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キャプテンさんへ (forever-green)
2007-10-08 23:49:49
ご訪問とコメントありがとうございます。
国頭ホテルの印象、相当強烈ですね。
だけど、歴史を背負った岬と、美しい海と空は、格別のものがありますね。
比地大滝までいかれたんですか。歩きましたね。
ヤンバルをご覧になれてよかったですね。
またヤンバルをご訪問くださいね。
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