●1747年 英国のJohn Green ジョン・グリーンによる「新編航海旅行記全集」(表紙の地図)
英国など欧米の列強にとっては、当時は中国に関心が高く、北海道までは描かれていない。
沖縄は、Great Liquers =グレイト 琉球、と表記されている。
日本や朝鮮半島も、ずいぶんアバウトな形だ。
対中国貿易で輸入超過に悩む英国が、植民地インドで栽培したアヘンを中国に売りつけて、貿易均衡を図り、アヘン輸出を禁じられると、アヘン戦争を起こしたのが1840年。
この戦争は、東アジアにおける中国と琉球など属国を結ぶ朝貢貿易体制を崩そうとする意図もあったといわれる。
●下図は、1813年、ロシアのAdam John Krusenstern クルーゼン・シュテルンによる「世界周航記」。
ロシアらしく、北から日本に向けて南下し、千島列島、樺太、カムチャッカなどが、初めて詳細に描かれたらしい。
日本の形は、航海測量の限界なのか、スリムな形になっている。
この地図は、「シーボルト事件」と関わりがあるらしい。
●1821年 伊能忠敬、高橋景保らによる「大日本沿海輿地全図」。
伊能忠敬は、56歳にして日本地図を作成しようと自ら行動を起こし16年かけて全国を測量して回った。幕府も地図の正確さを認めて支援を行った。当然、この地図は国家機密となった。
ドイツの医者、植物・博物学者シーボルトは、長崎の出島でオランダ商館の医者として滞在していた。樺太の資料を求めていた高橋景保に「世界周航記」を贈り、その代わりに国家機密である「大日本沿海輿地全図」の縮図をシーボルトに贈った。学者の情報交換が命取りになった。
1828年、シーボルトが出国しようとする際にこの地図が見つかり、高橋が処分を受けたのが「シーボルト事件」。
1853年、黒船で来日したペリー提督は、「大日本沿海輿地全図」の縮図を持っていたといわれる。結果的に敵国に渡ってしまった国家機密の地図だが、ペリーはこれだけの測量技術を持っていた日本の能力に驚いたという。
日本開国の交渉に、この地図はどのように働いたのか、興味深い。
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