龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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田母神が福島県知事に向かない理由

2014年08月01日 00時11分33秒 | 大震災の中で
わざわざブログに書くまでのこともないと思うけれど、福島県知事候補者として噂とはいえ名前が挙がった以上、書いておきます。
Facebookのシェア記事(日刊ゲンダイ)にコメントしたものをメモがわりに。

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「田母神福島県知事」がだめな理由

田母神福島県知事候補ってのはシュールな記事だなあ。

以下は一福島県民の個人的な意見です。

田母神が決定的にダメなのは、思考を経ていない分かりやす過ぎる政策の決め打ちだからです。政治家が決めうちをすればいい時代ではない、と私は考えています。

情に厚い、というのは意外に政治家としては大事だったりするけれど、回収できるのが「情」だけじゃ困る。決めうちすればいいってものじゃないでしょう。

無論、従前のような調整役、すなわち予算を国からとってきてしたに配分する仕事だけじゃだめだ。

同時に、丁寧に熟議だけしていても「決められない」政治は続く。

下から拾うのが「情」ではなく、上から持ってくるのが「金」でもなく。

下から拾うのは政策の具体的な運用であるべきだし、上から持ってくるのは生活の可能性を広げる政策であるべきだ。

福島県は原発事故を経験した場所なんだから、それを踏まえた「倫理」を思考し得る人であってほしいというのも、当然だろう。

決め打ちはその範囲を墨守し、カバーすることしか出来ないから、いったん外すと話にならない。

つまりさ、原発事故以後、常に被曝の危険を感じる市民と、そんなものは風評被害だから実はなんでもない、といいたい市民とがいたとして、田母神さんはどうするかな?

それぞれの生活の可能性条件を支える政策をしてくれるとは思えないんだよ。決め打ちの人は、何処かで安全か危険か選択しちゃう。なぜなら、思考を停止して「決断」しちまうから。

私たちは安易な決めうちをせずに思考の限界まで私たちの選択を尊重し支援してくれる政治を望みたいね。

以上、「決め打ち」田母神を支持しない理由。

ということは、「決め打ち」山本太郎なんかも願い下げなわけです(笑)。

さらに言えば一緒にオロオロしながら、それでもそこから始める人じゃないと信用出来ない、ってところかな。

「まさか宮沢賢治ばりのトンチンカンな文学者に政治を任せろ、というのか?」

と言われたら、半分はそうかもしれない、と言っておきます。無論、文学者が持っている想像力は必要。

ただし、自分の想像力を思考と行動の限界としないことが政治家には求められる。
インテリとか文学者が自分の学問や想像力を行使した決め打ちの「正しさ」で政策を定めると超悲惨だったりもしますね。政治家の思考力っていうのは、粘り強さが一流でないとだめ。

結局、田母神は野生は可能性があるけど、思考力に難がある、という当たり前の話。

あくまで個人的な一県民の意見ですが。