龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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小さい「嘘」が世界と出会うとき

2013年04月28日 08時18分41秒 | インポート
どこかにお出かけの方、多いんでしょうねえ。

いいなあ。

今日は籠もって原稿を書きます。

でも、これがなかなか書けないんだよ。

プロフェッショナルな書き手は別として、文章には書けるときと書けないときがある。

特に、まだ存在していないものやことについて書くことは、難しい。

存在しない事象を想像すること自体は、さして困難ではない。

嘘をつけばいいのだから。

嘘をつくためには自分が追い込まれればいい。
ギリギリになれは、リアリティのある嘘の一つぐらい、誰でもそれなりにひねりだせる。

あるいは、既にそこにあるものや既知の手順で料理するのであれば、練習すればなんとかなるものだ。
とにかく食材やレシピが用意された料理、入試問題などががそれに当たるだろう。


本当に難しいのは間の裂け目を見つめ続けること、そしてその瞳を閉じずに「可能」を書ききることだ。
追い詰められた瞬間のリアリティをその場しのぎで終わらせずいかに持続していくか。そしてそれを「世界」といかに出会わせていくか。

それは新しいレシピを一から創造していくことにちかいのかもしれない。

やれるものならやってみろ。

もちろん、「一から」というのは比喩にすぎないのであって、ベタで全く一から世界を立ち上げる行為は、無人島で他者と対話する、ぐらいの狂気をはらむ。

いつかどこかこの世界と出会っていくようなものだからこそ、それは「可能」と呼び得るわけだし。

6月の「エチカ福島」で、地域とアートの出会いを組織しておられる丹治先生をお招きするのもそこがポイントだからだ。

緩くていい。小さくていい。

むしろ芥子粒のような小さな「皺」や「裂け目」から始めるからこそその営為は、単なる想像とは決別して「可能的相貌」を現すだろう。

世界と出会う、とはきっとそういうことだ。

そう言うことが書きたいんだけど。
そういう風に書きたいんだけれど。




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