9月11日(火)彼岸花の下見を兼ねて鹿児島市宮之浦町を回りました。
宮之浦町は2004年に鹿児島市と合併した旧吉田町の一部です。稲荷川上流部に位置し、南西部に九州自動車道吉田ICがあり東側には牟礼岡団地(三井ニュータウン)、山上には風力発電機が並んでいます。
夏の終わりを感じるヒマワリ
最初に吉田町本名地区の脇道を走るとヒマワリに目が留まりました。周辺水田は耕作放棄箇所が拡大し小さな川の対岸部は殆ど原野でした。畑の草花を片付けていたおばあちゃんの話では農家の高齢化が進み、サトイモが食われるイノシシ被害も出ているそうです。
野菜を植えるには体がきついため、亡き夫が好きだった花を中心に植えているそうです。道行く人の楽しみになるのでと話されていました。
石積みに植えられた彼岸花
重機を使って築かれたのでしょう、大まかな石積みの間に彼岸花が植えてありました。周囲の畦道にも彼岸花が咲き始めていました。
ヘチマが沢山
5aほどの畑にヘチマの棚が3列ほど並んでいました。相当な量のヘチマが採れそうですが、タワシの原料でしょうか。
吉水阿弥陀堂
青少年研修センターに向かう道を高速道路を越えてすぐに右折。宮之浦町吉水地区入口に阿弥陀堂があり、右側には田の神様も置かれていました。
吉水水源地
すぐ上は鹿児島市の水源地施設になっており、山からの冷たい水が湧き出していました。
紫式部
水源地向かいのお宅のフェンスから伸びだした枝先には紫の実がびっしり。自生のものと違って実が多く色づきもきれいです。秋が深まればさらに色艶を増すことでしょう。
こちらは倉谷湧水
狭い急勾配の道を牟礼岡方向に進むと左手に倉谷湧水がありました。ここも先ほど同じように大量に水が湧き出していました。腰掛も備えてあり周辺の人々の憩いの地のようで、すぐ近くには公民館もありました。
ベゴニア
狭い脇道に入り込むと道沿いに野生では見かけない小さな花が咲いていました。車を下りてみると林に隠れるように人家がありました。
手作り水路と彼岸花
近くには10aほどの林に囲まれた田圃があり、山手に60mほど竹藪の中をかき分けて進むと肥料袋の土嚢で小さな堰ができていました。幅30センチほどの小さな水路には何度も溝をさらえて、落葉や枯竹を片付けた跡が残っていました。昔ながらの田圃作りを目の当たりにし、農家のご苦労を感じることでした。
稲穂が垂れ始めた
倉谷地区の水田一帯では稲穂が垂れ、あちこちの畦道に彼岸花が咲いていました。ここでも耕作放棄地が広がり始めていて心が痛むことでした。
宮之浦町は2004年に鹿児島市と合併した旧吉田町の一部です。稲荷川上流部に位置し、南西部に九州自動車道吉田ICがあり東側には牟礼岡団地(三井ニュータウン)、山上には風力発電機が並んでいます。
夏の終わりを感じるヒマワリ
最初に吉田町本名地区の脇道を走るとヒマワリに目が留まりました。周辺水田は耕作放棄箇所が拡大し小さな川の対岸部は殆ど原野でした。畑の草花を片付けていたおばあちゃんの話では農家の高齢化が進み、サトイモが食われるイノシシ被害も出ているそうです。
野菜を植えるには体がきついため、亡き夫が好きだった花を中心に植えているそうです。道行く人の楽しみになるのでと話されていました。
石積みに植えられた彼岸花
重機を使って築かれたのでしょう、大まかな石積みの間に彼岸花が植えてありました。周囲の畦道にも彼岸花が咲き始めていました。
ヘチマが沢山
5aほどの畑にヘチマの棚が3列ほど並んでいました。相当な量のヘチマが採れそうですが、タワシの原料でしょうか。
吉水阿弥陀堂
青少年研修センターに向かう道を高速道路を越えてすぐに右折。宮之浦町吉水地区入口に阿弥陀堂があり、右側には田の神様も置かれていました。
吉水水源地
すぐ上は鹿児島市の水源地施設になっており、山からの冷たい水が湧き出していました。
紫式部
水源地向かいのお宅のフェンスから伸びだした枝先には紫の実がびっしり。自生のものと違って実が多く色づきもきれいです。秋が深まればさらに色艶を増すことでしょう。
こちらは倉谷湧水
狭い急勾配の道を牟礼岡方向に進むと左手に倉谷湧水がありました。ここも先ほど同じように大量に水が湧き出していました。腰掛も備えてあり周辺の人々の憩いの地のようで、すぐ近くには公民館もありました。
ベゴニア
狭い脇道に入り込むと道沿いに野生では見かけない小さな花が咲いていました。車を下りてみると林に隠れるように人家がありました。
手作り水路と彼岸花
近くには10aほどの林に囲まれた田圃があり、山手に60mほど竹藪の中をかき分けて進むと肥料袋の土嚢で小さな堰ができていました。幅30センチほどの小さな水路には何度も溝をさらえて、落葉や枯竹を片付けた跡が残っていました。昔ながらの田圃作りを目の当たりにし、農家のご苦労を感じることでした。
稲穂が垂れ始めた
倉谷地区の水田一帯では稲穂が垂れ、あちこちの畦道に彼岸花が咲いていました。ここでも耕作放棄地が広がり始めていて心が痛むことでした。